首都エンジュリオへ その1
氷の瓦礫を乗り越えて、洞穴の出口に立った私は崖下を見下ろした。
私が作ったらしいこの穴は、元々の入口よりは位置的には大分低いものの、それでも下まで300m以上はありそうだ。
落ちたら怪我どころじゃ済まない高さだね。
暴走中の私は、この高さをどうやってひとりで降りたんだろう?
なんにしても自力で降りるのは大分骨が折れそうだ。
私は笑顔で振り返るとタイガの背中に飛び乗った。
餅は餅屋なら、氷の壁にはタイガの爪でしょう!
「お願い、タイガ」
「しっかり掴まってろ」
軽く答えたタイガは、私の予想に反して外へ向かって全力で駆け出した。
「え!? えっ? ちょっ!?」
私はタイガが爪を使って、慎重に氷壁を滑り降りると思っていた。
なのにタイガは、あろうことか氷壁の縁を蹴って洞穴を飛び出してしまったのだ。
足の下を遠くの大地が流れていく。
私は背筋が凍り付いた。
これは穴や溝を飛び越えるのとは違う。
だって対岸などないのだから!
「わーっ! おっ、落ちる!」
いくらタイガでも、飛び降りるには流石に高すぎるでしょう!?
この落下の衝撃を吸収するには、馬サイズのタイガの足の長さはどう考えても足りてるとは思えない。
っていうか、タイガが無事でも背中にいる私が無事じゃ済まないよ!!
私は必死にタイガの首にしがみ付いた。
だけどいつになっても衝撃が来ない。
というか、落下時特有のお腹のこそばゆさを感じない。
何かがおかしい。
私は硬く瞑っていた瞼をおそるおそる開いた。
あれ? 景色が頭上じゃなくて、ゆっくりと背中へ流れてる?
「飛んで……るの?」
まるで空を泳ぐように、タイガが空中を駆けている。
顔を覗かせてもっとよく見てみると、タイガの四肢の先に魔力の光が観えた。
魔法学園で習った浮遊魔法とは魔力図の中身が別物だけど、これはタイガの浮遊魔法?
平静を取り戻すと同時に、頭に怒りが上って来た。
飛べるようになったならそう言ってよ!
叫びそうになったけれど、顔を上げるとどうでもよくなった。
眼下に広がる真っ白に輝く美しいナザーユ雪山と、その上にぷかりと浮かぶ雲。
そして頭上を覆い尽くす青く澄んだ大空。
広大でのんびりと流れる景色に反して、私の全身を忙しく吹き抜けていく冷たい風達。
そうだ。私は今、大空を飛んでいるんだ!
遮るものは1つもない。
ただただ遠く地平線の彼方まで、視界いっぱいに広がる世界。
まるで地上というくびきから解き放たれたような、自由を手にしたような気分だった。
私は右手を前へ突き出すと、手を開いた。
指の間を風がすり抜けていく。
張り直しておいた防御魔法のおかげで息苦しさや寒さは感じない。
「気持ちいい……」
心の底から自然と零れた言葉だった。
タイガは背中から大きな羽を生やすと水平に広げた。
空気を蹴っていた前足を丸めて体を傾けると、タイガは山間部へ向かって滑空を始めた。
私の前髪が風にあおられて大きくなびいて、頬を撫でていった風が耳元で風音を鳴らして通り過ぎていく。
雲を掻き分け、降下と共に速度がぐんぐんと増していった。
険しい山肌と、行きで苦労した難所の数々が、あっという間に流れては遠ざかっていく。
タイガの浮遊魔法は、浮遊というより飛翔と呼ぶ方が相応しいね。
そう思った時、私はちょっとだけタイガに嫉妬してしまった。
あの肖像画に描かれていた天使のように、私にも翼があったら……そうしたらこんな風に思いのまま、自由に風の中を飛び回れたのかな。
タイガの飛翔魔法のおかげで、行きの半分近い日数でリエットに帰り着いた。
ひさしぶりに街のおいしい食事を堪能した後、湯船のある宿を探してお風呂に満足いくまで浸かった私は、ふかふかのベッドで黒猫のタイガを抱っこしながら眠りについた。
心地よい睡眠で心身共にしっかりと体を休めた翌日、ボロボロになっていた大きなリュックと不要になった登山道具、鞘だけになってしまったグラディウスと防寒コートを処分した。
まだ使える物に関してはちょっぴり惜しい気もしたけれど、荷物は少しでも軽い方がいいからね。
その足で旅の準備を整えなおしてリエットを立つ。
行きと違ってイヴィの馬に足を合わせる必要はない。
タイガが力を増したこともあってか、ペイジュには驚くほど早く辿り着けた。
そんなイヴィとの旅を逆に辿るような日々は、寂しさはあっても悲しくはなかった。
ただイヴィの事を思い出すたびに、私は『神の一滴の涙』の伝承について真剣に考える様になっていったんだ。
運命は自分の手で切り開く物――その考えは変わらない。
でも運命に従って訪れたイヴィの死が、否が応でも私に『神の一滴の涙』の伝承を意識させた。
なぜ私の本当の両親は、神器『神の一滴の涙』を私に託したのだろう?
伝承を残した最初の人物は、少なくとも数百年前に生きた何者かだ。
未来を観る魔法は魔法学園でも聞いた事がない。
まさか本当に神様が?
ううん、そんなはずはない。
神様なんているはずがないもの。
私が知らないだけで、どこかに未来視の魔法が存在するのかもしれない。
禁書や特級魔法に失われた古代魔法図形、もしくは天使の魔法……可能性はゼロじゃない。
少なくともいるはずのないもののせいにするよりは、そう考える方がよっぽど現実的だ。
だけど仮にそんな魔法があったとして、神様がいたとして、どうして私なんだろう?
エルガンが言っていた私にとっての究極の選択――私の未来。
伝承の行きつく先には、一体なにが待っているんだろう……。
様々な疑問はいくら考えても答えはなかった。
ただ私の、『神の一滴の涙』の伝承への興味は深まっていくのだった――。
ペイジュで一泊した翌朝、私とタイガはまだ薄暗いうちに街の東門を出る。
次の目的地は小国フレイディールの首都、エンジュリオ。
7つ目の――最後のタイガの躯体の封印がある街だ。
ペイジュからエンジュリオまでは、地図上では馬で15日程度の距離だけど、街道で繋がっているので迷う心配はない。
いまのタイガの足なら7日もかからないだろう。
その見立ては間違っていなかった。
雪山登山と比べるべくもなく、旅は安全で順調だった。
強いて問題があったとすれば、街道を行く馬車を追い抜くたびに護衛の冒険者達に警戒された事くらいなものだ。
それも街道から少し外れた場所を走るようにしてからは起こらなくなった。
街道を外れたからといって、私達には脅威なんてあるはずもない。
もはや地上でタイガに敵う魔物などそうそういないし、むしろタイガの食料確保のためにこちらから魔物を探し歩くくらいなのだから。
街中を散策するくらいの気楽さだった。
私はすっかり気が抜けていた。
だから私は、睡眠中の不意を突かれて飛んできた矢を躱しきれなかったんだ――。
「ばっか野郎! 魔物を狙えっていっただろうが! 女に当たるところだったぞ!」
遠くの方から怒声が聞こえた。
私の頬をかすめた矢は、どうやらタイガを狙った物だったらしい。
暗闇の中を無数の気配が近づいてくる。
数は……20人程度といったところかな。
それが私達を取り囲むように広がっている。
「野盗かな……」
杖を手に取りつつ私がタイガに話しかけると、私の頬を流れる血を見たタイガは怒りを露わにした。
「そこにいろ」
低い声で唸る様に呟いたタイガは、虎サイズのまま私が止める間もなく闇の中へと走り出した。
「あっ……。大丈夫かなぁ。勢い余って殺しちゃわなきゃいいけど……」
タイガの背中を見送った後、私も私で行動を起こすことにする。
相手は弓を持っているのに、こちらだけ明るい所にいたらただの的だからね。
かといって焚火を消したらつけ直すのも面倒だし。
私はタイガとは反対方向へ駆け出そうとした。
「う……? あ……れ?」
足がもつれて私はその場に倒れた。
手足の先に感じる強い痺れが、じわじわと体の中心へと上ってくる。
それはまるで手足の先からロープでぐるぐる巻きにされて、硬く締め付けられていくようだった。
一瞬魔法攻撃を受けたのかと思った。
だけど魔力図の光は観えない。
「うぅっ……これって、もしかして……毒――!?」




