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イヴィ・フレグランズの使命 その3

「それは……」


 タイガの正体まで知っているイヴィに、いまさら隠し事をする意味はない。


 イヴィの運命について聞きだすためにも、彼女には包み隠さず話すべきだとも思う。


 だけど私が持つ神力と、タイガの躯体の封印を解除する際に起きる魔力の流入――それによって引き起こされる可能性がある魔力暴走(マインドハイ)について、どうしたら簡潔に説明できるだろう?


 人の身で神力を持っている事、この1つを取っても難しいというのに……。


「前にも言ったね。人にも物にも、この世に生まれて来た事には意味があると」


 イヴィは私の杖をこちらに向けると、口を(つぐ)む私に諭すように言った。


「お前が何を不安に思い、気にかけているのか。正確な所は私にもわからないがねぇ。だがあえて言わせてもらうよ。いますぐ封印を解くんだ。ティア」


 力強くそう言ったイヴィの表情は、まるで覚悟を決めた者のように険しく、諦めと信念が混在しているように見えた。


 そんな風に感じたのは、もしかしたら私の胸の奥にある不安のせいかもしれない。


 だけど私をよりいっそう臆病にさせるには十分だった。


「無理だよ……できないよ!」


 イヴィは小さく溜め息をつくと、タイガと氷牙狼の戦いへ視線を移した。


 傷だらけの2匹は、勢いを衰えさせることなく激戦を繰り広げている。


 ……いや。タイガの方が僅かに押され始めてる?


「私の経験で言っても、2匹共そうそうお目にかかれない強力な魔力を持った魔物だ。だがねぇ。お前のツレに関して言えば、ナザーユサスカッチの相手をしていた時と比べて、この短時間で随分魔力が衰えているのがわかる。おそらくだが、全力を発揮するに耐えるあの巨体を維持するためには、それだけで相当の魔力を消耗するんじゃあないのかい?」


「タイガ……」


 あの鋭く赤い瞳に、いつもの不遜な光がない。


 タイガは焦ってる。


「拮抗していた力の均衡が崩れ始めている。このままだとお前のツレが氷牙狼に負けるのは時間の問題だよ」


 わかってる。


 私だってさっきからずっと、ひたひたと取り返しのつかない結末が背後に迫ってきている事を、肌で感じているのだから。


「もしも……もしもだよ? タイガの躯体の封印を解く事で、あなたの身に不幸が訪れるとしたら……それでもイヴィは解くべきだと言うの?」


「それでもさね」


 イヴィは悩むそぶりをまったく見せずに、小さく微笑みながらゆっくりと噛み締めるように答えた。


 ああ――。流石にわかってしまった。


 さっきから彼女の態度が全てを物語っているじゃないか。


 古龍が予言し、伝承が伝えたイヴィの死の運命――それはやっぱり、タイガの躯体の封印解除と繋がっているんだ。


 だけど同時に、どうするべきかもわかった。


「あなたが手にした伝承の内容は知らない。だけど! 私は悪い運命なんか信じない。未来は自分の手で創るものだって、私はそう信じてるから!」


 私は行き場のない怒りを右肩の痛みにぶつけると、グラディウスを勢いよく鞘から引き抜いた。


 ぎゅっと柄を硬く握りしめる。


 『神の一滴の涙』の伝承がなんだっていうの?


 そんな大昔に誰がどんな目的で残したのかもわからないようなものに。


 運命なんかに。


 今を生きる私達がいいように操られてたまるか!


「いまここでタイガの躯体の封印を解く事が運命をなぞる事になるって言うのなら、私は自分たちの力だけでこの場を乗り越えて、そんな運命なんか否定してみせる!」


「はっ……おやめ!」


 私はイヴィの制止を振り切って走り出した。


 蓄積した疲労が抜けきっていないせいで、両足が特に重い。


 氷牙狼は巨体でありながら素早く、四つ足の安定感で小回りも利く。


 たぶん私が全力の攻撃をぶつけられるのは、気力的にも隙をついての一度きりだ。


 けれど魔物の大きさに対して私が持っているグラディウスでは刃が短い。


 どこに突き立てた所で致命傷には届かない事はわかりきっている。


 ましてタイガの爪や牙に耐える氷牙狼に対して、適当に斬りつけたところで焼け石に水だ。


 硬い表皮を裂けるかどうかもあやしい。


 だから氷牙狼を倒すのは私じゃない。私達(・・)だ。


 狙うのは急所の1点――タイガに繋げる一撃!


 私はそれに全てを懸ける!!


 もみ合っていた氷牙狼がタイガから離れた瞬間を狙って、私は振り絞る様に『すべらない魔法』を使うと背後から一気に間合いを詰めた。


 氷牙狼の意識はタイガに集中していて、私にはまったく気づいていない。


 この魔物は人間である私を見下しているようだったし、私には魔力がほぼない。


 警戒されないと思っていた。


 氷牙狼の銀色の体毛を染める血が、タイガが切り裂いた箇所を私に教えてくれる。


 私はその中の1つ――後ろ右足のアキレス腱付近につけられた傷に狙いを定めた。


 グラディウスの柄を両手でしっかりと握りしめて、勢いをそのままに体ごと突っ込む!


 傷口に突き立てた刃が、剣の鍔まで深々と突き刺さった。


「ッ!? 貴様――っ!」


 顔だけ振り向いた氷牙狼と目が合う。


 次に来るだろう反撃を予感して、私の全身の毛が逆立った。


 でもまだ駄目っ、これじゃ腱を断ち切れてない!


「うあああああああッ!!」


 さらにねじ切るように、私は全身の筋肉を振り絞ってグラディウスを捻り上げた。


「く……っ! このッ、魔力も持たぬ虫めがァ!!」


「ちっ!」


「ティア!」


 バツン! とゴムがはち切れたような音が響くと同時に、壁に激突したような強烈な衝撃が私の左半身に走った。


 何をされたのかはわからない。


 しかし何が起きているかはわかっている。


 私は本能が訴える警告を無視して、氷牙狼のアキレス腱を断ち切ることに成功した。


 自ら引き際を誤った代償に、氷牙狼の反撃を受けたんだ。


 そして吹き飛ばされて空を泳いでいる。


 やがて急速に高度を落としていった私は、氷床に転げ落ちた。


 転がり続ける私の体は勢いが収まらず、氷壁に激突してようやく停止した。


「は……あぐッ……うぅ……ッ!」


 体がバラバラになったような衝撃に、声も出せなかった。


 立ち上がろうと指先に力を入れるだけで、全身に激痛が走った。


 私は芋虫のような恰好で僅かに顔だけ起こすと、震える瞼を開いた――。



 そこから先は、まるで時の流れが遅くなったかのようだった。


 最初に飛び込んできたのは、私に向けられた氷牙狼が構築した魔力図。


 次に、その魔力図の発動の光だった。


 放たれた無数の氷の棘を目にした時、私は武器を手放していることに気づいた。


 武器があったからって、どうせ体は言う事を聞かないのに。


 防げないし、避けられないし、神力も尽きているから軌道を反らすこともできない。


 さて困った。


 なんて迫りくる氷の棘を見つめながら、自分でも呆れるほど冷静に考えていた時だった。


 横から飛び込んできたイヴィの背中――その直後に砕け散った、イヴィの防御魔法の魔力図の欠片の輝き――。


 見開いた私の瞳孔に最後に映し出されたのは、彼女の背中から突如生えて来た5本の氷の棘だった。

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