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イヴィ・フレグランズの使命 その2

 私はタイガの背中を見つめた。


 タイガと氷牙狼は知り合い?


「ちっ。お前こそこんな所で何してやがる。サル共を手懐けてお山の大将気取りか?」


「……奴らは人界生まれの下等な魔物にしてはめずらしく、私との実力差を理解し、命乞いをするだけの知能があった故、生かしておいただけだ。私が将として率いているのではない。奴らが勝手にへりくだっているにすぎぬ。尤もこの洞穴にある絵画を守れという、ジラトス様のご命令を遂行するために利用してはいるがな」


 そう言うと氷牙狼は私達の背後にある絵画を見て顔を歪ませた。


 目を細め、口角をあげて牙を剥き出しにした表情は、まるで忌々しい物でも見るかのようだ。


「あなたはその命令に不満があるの?」


 私はあえて2人の会話に割って入った。


 全員が疲弊している今、この魔物とは事を構えたくない。


 私達は絵画をどうこうしようというんじゃない。


 ただその後ろにあるタイガの躯体の封印を解きたいだけだ。


 幸い氷牙狼は魔物だけど会話ができる。


 互いの利害がぶつからなければ、争いは避けられるはず。


 そう思っての、交渉の取っ掛かりのつもりだった。


 しかし氷牙狼は虫でも見るような侮蔑のこもった目で私を見下ろすと、私が投げた会話のボールをはたき落とした。


「貴様に何がわかる。気安く話しかけるな、人族め!」


「う……」


「ふん。ジラトスの手下だったお前が、よりによってルーヴァの肖像画を守らされりゃ、不機嫌にもなるだろうぜ」


 タイガは私をフォローしてくれたのか、私の疑問の答えを口にした。


 でもここで言うルーヴァの肖像画ってどの意味だろう……持ち主? 画家? モデル?


「前々回の天魔戦争以来数百年。およそ寿命という概念のない我々魔族だが、流石にこの女の顔を拝み続けるのは飽きていたところだ」


 氷牙狼の全身から魔力が溢れ出す。


 まずい、やる気だ!


「待って! 話を……」


「気安く話しかけるなと言ったはずだッ!!」


 怒号と共に氷牙狼の魔力が爆発したように膨れ上がった。


「うぅ……っ!」


「く……っ、なんて魔力だい……!」


 イヴィが(おのの)くのもわかる。


 私だってこんなにも濃密な魔力は観た事がない。


 この魔物はいままで見て来た他の魔物とは、明らかに何かが違う……!


 私は血の気が引いていくのを感じながらタイガを見た。


 タイガはまるで動じずに、落ち着いた口調で私に言った。


「下がってろ。こいつは俺に用がある」


「でも……。言葉が通じるなら……!」


「話し合いなんか無駄だぜ。俺達は魔族だ(・・・・・・)。言ったはずだぜ。ギンガはずっと俺に殺気を向けていた」


 タイガがブラッドベアーサイズに変わった。


「ほう。魔力を抑えていたのか。少しは楽しめそうだ」


 氷牙狼が鋭い牙を見せて笑う。


 どうしてだろう……なんだかすごく嫌な予感が膨れ上がってくる。


 とても怖い。取り返しのつかない事が起こりそうな不安……。


 はち切れそうなほどに胸の鼓動が早い。


 私はどうかしてしまったの?


「ここで貴様と出会ったのも運命。魔界での因縁に決着をつけようではないか。タイガ・ガルドノス!」


「やめてタイガ……。その魔物と戦わないで! じゃないと死……!」


 瞬間、2匹の間で魔力を帯びた爪が交差した。


 超重量同士の激突は同格の威力に打ち返されて、氷床に爪痕を残しながら互いの間合いを遠ざける。


 2匹は唸り声をあげて牙を剥き出しにすると、相手の首を狙って素早い動きで回り込むように走り出した。


 もう、止められない……!


「何故泣いてるんだい?」


「え……?」


 イヴィにそう言われて、私は自分の目から涙が零れ落ちていることに気づいた。


「わからない……だけどこのままじゃタイガが……」


 タイガが負けるなんて信じたくない。


 だけどどうしてか、このままだとタイガがまた死んでしまう気がする……。


 え……? また(・・)


 私はまた(・・)って思ったの……?


 私の顔を覗き込んでいたイヴィは、小さく息を吐くと呟いた。


「ひょっとして見たのかい? デジャヴを」


 デジャヴ?


 違う。私は何も見ていない。


 ただどうしようもない程の大きな不安で、胸の奥が押し潰されそうになっているだけだ。


 タイガは氷牙狼に殺される――根拠なんてまるで無いのに、確信にも似た意味のわからない実感だけがある。


 そんな不安に――。


 私は祈るような気持ちでタイガの動きを目で追いかけた。


 タイガと氷牙狼は魔法で筋力を強化しながら、目にも止まらぬ速さで相手に飛び掛かってはもつれ合って離れ、また回り込んでは飛び掛かってを互いに繰り返している。


 近づくたびに魔力を帯びた爪が連続して衝撃音と共に火花を散らし、巨体が交差するたびに鋭い牙が相手の血で軌道を描く。


 周囲のアイススパイクが巨体に押し潰されて吹き飛び、無数の爪痕が走った後の氷床には血の雨が降り注いだ。


 2匹の巨大な魔物は、唸り声をあげ、皮膚を深々と切り裂かれる痛みに怯みもせず、ただ殺意だけを抱いて狂ったように眼前の敵へ向かって爪と牙を突き立てていく。


 それは獣同士の命の奪い合いだった。


 互いの力は拮抗している。


 だとすれば漆黒の毛を持つタイガも、氷牙狼と同じように全身を血で染めているに違いなかった。


 いまタイガの躯体の封印を解けば、取り戻した魔力の分だけ優位に立てる。


 私は肖像画を見た後、イヴィを見た。


 駄目……出来ないよっ。


 イヴィの運命……私の神力が低下してる今、タイガの躯体の封印を解除するのは魔力暴走(マインドハイ)の危険が高い。


 悪い運命なんて信じたくない。


 だけどタイガを助ける代わりに、今度は私がイヴィを殺してしまうような事になってしまったら!


 ううん。イヴィだけじゃ済まないかもしれない。


 私は前回、タイガをその手にかけようとしているんだから……。


「何を悩む事があるんだい」


 見透かしたようなイヴィのひと言に、私の心臓が飛び跳ねた。


「何って……」


「大魔王の躯体の封印は、その絵画かい?」


 しどろもどろになっていた私は目を見開いた。


「知ってたの!?」


 イヴィは可笑しそうに笑うと言った。


「世界に散らばる7つの特別な魔法を集めると、魔界へ渡る事が出来る特級魔法が手に入る。だったかい? そんな大それた嘘は、古参の魔法使いにつくべきじゃあないねぇ」


「う……」


「それに漆黒の虎の魔物だ。そんな風貌の魔物の話は、古い文献でしかお目にかかれないんだよ。そしてお前はあ奴をタイガと呼んだ。それもお前が名付けたのではないとも言っていたねぇ。その事と私の知識、『神の一滴の涙』の伝承とお前の作り話を並べれば、お前のツレが1500年前の天魔大戦で封印された七大魔王セブンス・カタストロフィのひと柱、タイガ・ガルドノスだと推測するのは訳なかったさ。答え合わせは氷牙狼がしてくれたがねぇ」


「最初から全部バレてたんだね」


 そう考えるとイヴィがタイガをやけに警戒していた理由も真実が見えてくる。


「ごめん。騙す気はなかったんだけど……」


「わかってるさ。事実を言った所で普通は信じやしない。仮に信じたら信じたで、問題が国家レベルにまで膨れ上がる事案だ。隠していたお前の判断は正しい。だが何故だい? 何故ここに来て封印の解除に躊躇う。それこそがお前の目的だったはずだろう?」

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