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イヴィ・フレグランズの使命 その1

 少し元気が戻って来た私は、立ち上がるとタイガの元に向かった。


「魔物は登ってきてる?」


「登ろうとしてるみてーだが、何度も滑り落ちてるぜ」


 私は穴から顔を出して見下ろしてみた。


 もちろん下は真っ白で魔物達の姿は目視できない。


 タイガにしても目で見たわけじゃなくて、魔力感知で捉えた微細な動きからの推測を言ったんだろう。


 氷壁は見える範囲だけでもものすごい絶壁だった。


 オーバーハングになっている部分も所々にあるし、手掛かりになりそうな小さなデコボコがないわけではないけれど、氷で出来ていることを考えると滑るし割れるし、とても頼りない物に思える。


 一応アイスクライム用の装備は整えて来てたけど、叩きつけるような強風の中を自力で登るのは元気なときでも難しかったし、命懸けだったろうなぁ。


 ていうかクレバスに落ちた時といい、タイガがこんなにも氷の壁登りが得意だって知ってたら、もっと装備を軽くできたのに。


 なんて今更言っても仕方がないことだね。


 とにかく目的地に辿り着けたんだ。


 私は微笑むとタイガに言った。


「じゃあもう安心だね。見張りの必要もないでしょう? 洞穴の奥へ行ってみようよ。きっとこの奥にタイガの躯体の封印がある気がするんだ」


 私の中にそんな根拠のない予感がある。


 タイガはじっと外を眺めたあと、名残惜しそうに踵を返すと私の後に続いた。


「魔物達は登って来れないみたい。私達はちょっと奥を探検してくるね」


 私は座って休んでいるイヴィに声をかけた。


「私も行こう」


 イヴィが気怠そうに立ち上がる。


「もう少し休んでたら? 私達もちょっと見てくるだけですぐに戻るよ」


「そういう訳にはいかないんだよ」


 イヴィにそう言われてしまっては、これ以上理由もなしに断るのは不自然か。


 まぁタイガの封印を見つけた所で、魔力暴走(マインドハイ)の危険を回避するためには、解除するのは一晩か二晩休んで私の神力を完全に回復してからだよね。


 私達は一緒に奥へ進むことにした。


 上下に左右に、くねくねと曲がりくねった洞穴のデコボコ道を3人で進んでいく。


 少しでも神力を回復させたかった私は『すべらない魔法』をケチった結果、足を滑らせて氷の床に思い切りお尻を打った。


「いったぁい」


 むぅ、あの時クランポンを失くしてなければ……。


 まったく! 寒いのは苦手だし、お尻は痛いし、雪も氷もしばらくはお腹いっぱいだよ!


 見かねたのかタイガが馬サイズに変わって無言で近づいて来た。


 また意地を張りそうになったけど、私は大人しく背中に乗せてもらう事にした。


 ふわふわのタイガの背中に抱き着いたまま運ばれていくと、やがてだだっ広い広間に出た。


「すごい……氷壁の中にこんな場所があるなんて」


 100mはありそうな高い高い天井の隅々まで、氷は光を帯びて光っている。


 平らな氷床に所々生えているのは逆さまの氷柱(つらら)――アイススパイクだ。


 私は周囲をぐるりと見渡した。


 通路は他に見当たらない。


 洞穴はどうやらここで行き止まりらしい。


 そして私は広間の最奥の壁に金色の光を観た。


「やっぱりあったよ、6つめの封印……! 行こう、タイガ」


 私が封印の場所を指し示すとタイガが歩き出す。


「これは……!」


 壁際まで来るとイヴィは驚いた様子で声を漏らした。


 しかし彼女が見ているのは金色の魔力図じゃない。


 他人の魔力図が観えるのは”天使の目”を持つ私だけだ。


 イヴィが見ているのは、金色の魔力図の上に重なるように飾られた1枚の肖像画の方だった。


 どうしてこんなところに絵画が? という私の疑問は、描かれている人物の顔を見た瞬間に吹き飛んだ。


「似てる……シャンダサーラで見せてもらった肖像画の女性に、とっても」


 私はタイガの背中から降りると、イヴィと並んで絵画に見入った。


 描かれている女性の髪は金色から紫がかった黒に変わっているし、碧眼(へきがん)だった瞳だって魔物のように赤い。


 真っ白で美しかった天使の翼は漆黒で禍々しい物になっているし、愛でている大蛇も彼女同様、魔物化したようにすっかり変貌している。


 だけど妖艶さを感じさせる上がり目とおでこのところでピタリと揃えられた前髪にストレートのロングヘアー、それと身に着けている真っ黒なドレスによって更に魅力を惹きたてられた彼女の細い肢体と豊満すぎる胸部は、あの肖像画に描かれた天使の女性と瓜二つだ。


 まるで天使から悪魔へと変わってしまったかのように、姿も雰囲気もがらりと変わってしまっているけれど、たぶん彼女で間違いない。


「魔物……いや、それにしては人間に酷似し過ぎている。まさか魔人か!? しかし半魔の存在は否定されていたはずだがねぇ……」


 伝承に詳しいイヴィも描かれた女性に関しては情報を持っていないらしい。


 イヴィはブツブツと思案を口に漏らしながら、絵画に夢中になっている。


 私は改めて絵画を見上げた。


 この女性が魔核を持った人間、魔人……?


 さっきからずっと、タイガからは苛立ちと憎悪の感情が流れてきている。


 天使の肖像画を目にした時にはなかった反応だけど、タイガはこの女性について何か知ってるのかな?


「ねぇ、タイガはどう思う?」


 するとタイガは不機嫌そうに鼻を鳴らすと言った。


「ふん。どっかで見たツラだと思ってたぜ。こいつは……。ちっ! やっぱり追って来やがった!」


 ふいにタイガは振り返ると、戦闘態勢をとった。


 つられて私も広間の入り口を注視する。


「追って来たって……逃げ切ったんじゃなかったの?」


「奴らの縄張りにいる限り、逃げても意味なんかねーっていっただろ」


「言ってたけど! でもだってナザーユサスカッチ達は氷壁を登って来れな……」


 重量感のあるリズミカルな足音と共に、まるで一陣の風のように広間に飛び込んできた魔物の姿を見た私は、言葉を詰まらせた。


 ブラッドベアー並の巨体でありながら敏捷(びんしょう)な動きをみせるその魔物は、ナザーユサスカッチとは似ても似つかない姿をしていた。


 それは冷気を纏った銀色の体毛の、神々しささえ感じさせる巨大な狼だった。


 ブリトールの魔物図鑑にも載ってなかった、私の知らない魔物だ。


「氷牙狼……!」


 両目を見開いてイヴィが呟いた。


「知ってるの?」


「知ってるも何も。ナザーユ雪山の主と噂されている伝説の魔物さね。別名シルバーファング。お前のツレと同様、世界に1匹しか居ないとされる固有種(ユニーク)さね。情報が噂の域を出ない以上、当てになるかはわからないがねぇ。冒険者ギルドの推定討伐ランクはAランクパーティ級だよ」


 震える声でイヴィは言った。


「Aランクパーティ級!? なんだってこんな時にそんな魔物が……!」


「懐かしい魔界の魔力を感じると思ったぜ。やはりお前だったか、ギンガ」


 馬サイズのタイガが私達を庇うように歩み出る。


 ギンガと呼ばれた氷牙狼は、タイガの近くで立ち止まるとひとしきりタイガを観察するように見つめたあとで、驚くべきことに口を開いた。


「貴様は……。余りに魔力が小さすぎて気づかなかったぞ。かつては魔界に君臨し、その名を轟かせた絶対強者が随分と落ちぶれたものだな。タイガ・ガルドノス!」

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