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ナザーユ雪山 その15

 登山を始めてから15日が経過した。


 あの夜以来、イヴィは伝承や運命についての話題を一切口にしていない。


 彼女は野営のたびに、もの言いたげな私の視線に気づいているはずだ。


 それでも口を閉ざし続けるイヴィに「もうすぐって言ってたけど、いつ?」などと、こちらから話題を振れるわけもなく。


 気になって仕方がない私は、ずっともやもやとした胸中を抱いたまま、タイガの背中に揺られ続けた。


 かまくらを出発してから数日もすると、体中に負った小さな傷は完治していた。


 ただ肩は重傷だっただけあって、さすがにまだ痛みが取れない。


 膝に関しては激しく動くとほんの少しだけ傷みを感じるものの、歩行くらいなら問題ないくらいに回復している。


「ねぇタイガ。私もう自分で歩けるよ。せめて髪になって休んでよ」


「黙って乗ってろ」


 私が背中の上から声をかけると、馬サイズのタイガはこちらに目もくれずにぶっきらぼうに答えた。


 今日だけでこのやり取りは3回目になる。


 昨日と合わせたら11回目だ。


 だけど私がこんなにもしつこくするのには理由がある――。



 見上げれば氷壁が間近という所まで来たら、天候が大きく悪化しはじめた。


 おそらく1年中雲に包まれているという山頂付近に突入したせいだろう。


 気温が急激に下がり始めた。


 空気はまるで凍り付いたようで、呼吸をするだけで肺が痛くなる。


 高度計を確認すると7500m付近を指していた。


 気づけば随分高いところまで登ったものだ。


 この息苦しさの正体は冷気だけじゃない。


 ここは空気そのものが薄いんだ。


 空の彼方、遥か上空には天使が住まう天界があるといっていたのは、確かメディだったっけ?


 でもこんなにも空気が薄くて寒いんじゃ、とてもじゃないけど飛んでいくなんて不可能だね。


 そんなどうでもいいような事を考えて少しでも気を紛らわせながら、私はタイガの背中に埋もれるように身を縮こませてひたすら寒さに耐え続けた。


 タイガは背中の上でじっと黙ったまま体を震わせる私を見かねて、私に押し付けるように魔力を出すと言ったんだ。


「防御魔法を使え」


「だ……だいよふ」


 凍え過ぎてアゴが上手く動かなかった。


 でも一度は強がりを見せた私も、やがて吹雪が冷気を叩きつけるように浴びせ始めると、とうとう心が折れてしまった――。



 と。そんなこんなで、昨日から冷気対策付きの防御魔法に身を守られている私は、この極寒の中で元気を取り戻している。


 アゴもスイッスイ動くし、口を大きく開けても舌が凍り付く心配もない。


 地獄から一転、まさに天国気分!


 周囲で荒れ狂う吹雪すら、まるで家の中から窓越しに見てるみたいで無敵感がすごい。


 魔法はなんてすばらしいんだ! と叫びたいくらいだ。


 でもこれはタイガの魔力を消費し続けることで得ている快適さなんだよね。


 だからせめて、タイガには少しでも魔力の消費を抑えて欲しくて、私は何度もタイガに声をかけてしまうんだ。


「あんまり無理して魔力を使いすぎると、帰りの途中でお腹が空いて動けなくなっちゃうかもよ? 保存食もあまり残ってないんだから」


「問題ねーよ。躯体を取り戻せば補える」


「そんなの、まだあると決まったわけじゃないじゃない」


 なんて言ったけど、私も自分でも不思議なくらい疑っていなかった。


 ここまで来て無かったら困るとかそういうことじゃなくて……なんていうか、そう。私はこの先にタイガの躯体の封印があることを知っているような……。


 ある(・・)と確信があるわけじゃないんだけど、なかったら(・・・・・)っていう不安が全然沸いてこないんだ。


「そん時はそん時だ」


「もうっ。そういう無鉄砲が遭難に繋がるんだからね。自然の怖さは味わったでしょう?」


 正確には味わったのは私だけで、タイガは私を救助できるくらい余裕だったんだけど、それはそれ。


 自然は怖い。いくらタイガだって、あなどったらいけないのは同じはずだもん。


 現に、時を追うごとに激しさを増していく吹雪のせいで、ほんの3、4mも離されるとイヴィの背中が影しか見えなくなってしまう有様なんだから。


 ちょっと目を放したら見失ってしまいそうだ。


「ふん。どうやらメシの方が来てくれたらしいぜ」


 タイガは歩みを止めずにそう言うと、うれしそうに舌なめずりした。


 完全に捕食者の感想だなぁ。


 だけどこんな状況では心強い。


「イヴィ! 魔物が近づいてるみたい、警戒して!」


 私が大きな声で警告を伝えると、イヴィは杖を一度だけ掲げ上げて応えた。


「動きがはえー。奴ら俺達を囲み始めたぜ」


「囲むって……何匹くらいいるの?」


「30……いや、50以上だ」


「50!?」


 スノーウルフ? でもスノーウルフの群れは精々10匹から15匹程度の規模だ。


 50匹以上で群れる魔物なんて……はて?


 四方八方から響く騒々しいほどの足音と動物のような唸り声が、次第に大きくなってくる。


 音から察するにもうかなり近づかれているのは間違いないのに、吹雪のせいで姿が見えない。


「来るぞ!」


 タイガが右手を向くと同時に体を像サイズへと変化させると、腰を落として臨戦態勢を取った。


 真っ白な視界に浮かぶ影が瞬く間に大きくなっていくと、吹雪を突き破る様に1匹の大きな魔物が姿を現した。


 両腕を広げて突き出し、鋭い牙を見せながら飛び掛かって来た魔物は、サルのような顔を持つ身の丈5mを優に超える人型の魔物だった。


 丸太のように太い四肢は、足よりも腕の方が若干長いように見える。


 例えるならゴリラの毛をふさふさに伸ばして真っ白に染めた後、体を倍以上に大きくしたような感じか。


 タイガはさらりと身を躱すと魔物の腕に噛みついた。


 そのまま抑え込むように首を捻って魔物を地面へ叩きつける。


 あらぬ方向へ無理やり曲げられた魔物の腕からゴキリと鈍い音が鳴ると、魔物は人間の悲鳴にも似た甲高い絶叫をあげた。


「黙れ」


 魔力を帯びたタイガの爪が魔物の首を刎ねる。


 その瞬間、空気が一変した。


 周囲の騒々しかった無数の足音と声がピタリと止んだ。


 気配はあるのに吹雪の音だけが響く不気味な静けさに包まれる。


「こいつはナザーユサスカッチだ。目的の洞穴まで目と鼻の先だってのに、厄介な相手に見つかっちまったねぇ」


 後ろ歩きで私達の元へ下がって来たイヴィが、周囲を警戒しながら言った。


「サスカッチって……単独行動が基本の魔物でしょう? それがこんな数……!」


 相変わらず姿は目視できないけれど、無数の気配はひしひしと伝わってくる。


 その全員が私達に殺意を向けているんだ。


 偶々偶然居合わせただけだなんて、どう考えてもありえない。


「ナザーユサスカッチは特別なんだよ。知能が高いから数の強さを知ってる。だから単体でBランク級の強さを持ちながらも、あえて群れる。しかしこれほど大きな群れは私も初めてみるがねぇ」


 イヴィの声、少し緊張している?


 これまでどんな魔物と遭遇してもイヴィは平静を崩さなかったのに。


 私は意を決してタイガの背中から飛び降りた。


 痛みを堪えながら右手で鞘からグラディウスを引き抜くと左手に持ち替える。


 イヴィは首だけ私に振り返ると言った。


「やる気かい? 正直撤退を勧めたいんだがねぇ」


「撤退っていったってこんなホワイトアウトの中、どこへ逃げるっていうの?」


 来た道を戻るにしたって、足跡なんかもう残ってない。


 死にたくなければ、戦う以外に道はないじゃない!


「ウオオオオオオオーーーーーッ!!!!」


 遠くで1匹が雄叫びをあげた。


 続けて何かを連続して叩く重低音が鳴り出すと、周囲の他のナザーユサスカッチ達も一斉に雄叫びをあげて後に続き始めた。


 重なり合う何十もの重低音に吹雪の音はかき消され、風が振動に砕かれる。


「うぅ、うるさい」


「ドラミングだ。我々を威嚇してるのさ。1匹やっちまったからねぇ。どうやら奴らを完全に怒らせちまったようだ」


 冷や汗を流す私たちとは対照的に、タイガは落ち着いた口調で、だけど好戦的に爛々と輝く赤い瞳で一点方向を睨みながら呟いた。


「ふん。奴が群れのボスか」

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