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ナザーユ雪山 その13

「ふぅ。やれやれ……。まぁ、わかってはいたがねぇ」


 目を逸らしたイヴィは、諦めたように表情をやわらげた。


 そういえば私は、イヴィが私に付き合ってくれる本当の理由を知らないんだよね。


「ねぇ、イヴィは私に同行することが、自分が生まれて来た意味だって言ってたよね。それってどういう事?」


「……気になるかい?」


「そりゃね。私は事情を話してるけど、イヴィは私に何も話してくれないじゃない。そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃないのかな。だって、少なくとも私も関係することなんでしょう?」


 イヴィは考え込むように黙り込んでしまった。


 少し風が出て来たのか、暗くなった外から風の音だけが響いてくる。


 体が傷を治し始めたのかな。


 傷口が火照ってきた。


 静けさと疲労と、そして背中を揺らすタイガのリズミカルな呼吸が私に睡魔を呼び寄せる。


「お前は、この世界に違和感を感じたことはないか?」


 ボソリと呟くようにイヴィは重い口を開いた。


 うとうとしかけていた私は、思いもよらないイヴィの言葉に眠気を押し飛ばした。


「漠然としてるね。例えば?」


「そうだねぇ。小さな例を挙げれば、例えば初めて経験するはずなのに、まるで以前に同じ経験をしたことがあるように感じた事はないかい」


「何度かあるよ。デジャヴってやつでしょう?」


 イヴィが静かに頷く。


「デジャヴは人の脳が見せる記憶の混乱やバグだと言われている。初めてみる景色でも、その中に過去に見た類似の景色や経験の記憶を無意識に想起して結び付けてしまい、結果なんとなく以前に訪れた事があると錯覚してしまうのさ」


「へぇ、そうなんだ」


 イヴィは本当に医学とか人体の知識が豊富なんだなぁ。


「だがいま私が言った世界への違和感というのは、デジャヴとは似ているが全く別の物だ。お前はデジャヴをこれまで何度経験したことがある?」


「覚えてないよ。感じても誰に話すわけでもないからすぐに忘れちゃうし。でも数えるくらいじゃないかな? そうそう感じるものじゃないし」


 最近になってデジャヴを感じることがあったけど、たぶんそれを合わせても17年の間で10回くらいじゃない? と思う。


「私はね、これまでに何百回もデジャヴを感じたことがあるのさ。それも同じシーンに対して、いくつものデジャヴが同時に起きたこともある。言っておくが、歳のせいじゃあないからね」


 イヴィがしかめっ面を見せる。


「そんな失礼なこと思ってないよ。素直に驚いただけだよ。何百って回数もすごいし、デジャヴってなんとなく雰囲気的に感じる程度のものじゃない? いくつものデジャヴが同時にっていうのも経験したことないし……。あっ、でもそうか。だから普通のデジャヴとは違うってことなんだね」


「最も酷かったのは12年前だ。何百もの経験のうち、ほとんどがあの1年の間だったと言える。ほぼ毎日のように、多い時は1日に数回も起きる強烈で具体的な、デジャヴに似た現象に、私は自分の頭がおかしくなっちまったのかと思ったくらいだ」


 イヴィは淡々とした調子で言うけれど、私は想像したら背筋が寒くなった。


「怖いね……」


「ああ。怖ろしかった。何故なら私自身はおかしくなどなっていなかったんだからねぇ。1週間くらいは不思議な事もあるものだと笑って誤魔化せていたが、1ヵ月も続けば不安は募り、半年も続くと自分の記憶に自信が持てなくなってきた。例えるならまるで別の世界に生きるいくつもの自分の背中を、目の前の現実に重ねて同時に観るようなんだ。本当の私は一体どこに立っているのか? どこに在るのか? 魂や精神といった根源的な恐怖にまで思い悩み、苦しむようになっていった」


 人の心は頭と胸のどちらに存在するのか? なんて哲学的な疑問があるけれど、自他共に認めるその人の個性や人格というものが、積み重ねてきた知識と経験の記憶を土台にして形作られているとすれば、記憶に自信が持てなくなっていくというのは、内面から死んでいくような体験じゃないだろうか?


 私は改めて身震いした。


「何が現実なのかわからない苦悩の日々を続ける中、私はそこで、この4、5年の間に忘れてしまっていた古龍の言葉を思い出したのさ」


 私の心臓がトクリと跳ねた。


 ここで古龍が出てくるということは……ううん、まだそうと決まったわけじゃない。


「古龍は具体的にはなんて言ってたの?」


「私の目の奥を覗き込むように見つめた後、古龍はこう言ったんだ」


『……そうか、お前は『神の一滴の涙』に運命を繋がれし者か。ならば今その命を摘む訳にはいかぬ。お前が与えられた役割を全うするその日まで、お前の命は見逃してやろう。だが逃げる事は許さぬ。使命を放棄した場合、決して逃れられぬ滅びが待っていると覚悟せよ。その事、ゆめゆめ忘れるでないぞ』


「――そう言って飛び去って行ったのさ」


 古龍の言う『神の一滴の涙』の運命って、私がエルガンから聞いた伝承と同じものなんだろうか?


「当時は意味不明だった古龍の言葉だが、このとき私に1つの道を指し示してくれた。予言や伝承、運命のようなものが実在するというのなら、この異常なデジャヴにも意味があるのかもしれん、とな。そう思い至った私は、国内に留まらず外国まで足を伸ばし、『神の一滴の涙』の伝承について調べ始めたのさ。その間も、頻度こそ減ったが例のデジャヴは偏りを見せながらも、無くなることなく続いていたがね」


 ブリトールについても詳しかったのって、ひょっとして。


「もしかしてその時にロンブルク王国に?」


「そうだ。信頼できる権威ある者達の言、そして各国で厳重に保管されていた禁書からも伝承についての知識を得た私は、自分の生の意味と死の未来について知る事になったのさ。だが私がその役割を担う事になるという根拠は、あくまで魔物である古龍の予言に過ぎないからねぇ。調べてみてわかった事だが、予言の原典はあらゆる点で曖昧な事が殆どなんだ」


 エルガンも似たような事を言っていたなぁ。


「そうなると古龍の予言も疑わしくなってくると思わないか? 私の顔を魔法で複写した写真が残されているわけでもあるまいて。100歩譲ってそんなものを古龍が持っていたとして、そもそも魔物が人間の顔を正しく識別できると思うかい?」


「まぁ確かに。ゴブリンの顔を見て、個体を区別しろって言われても私には無理だなぁ。全員同じ顔にしかみえないもん」


 それが人とドラゴンくらい別の生き物になったら、ねぇ?


 猫探しみたいに猫の毛の柄みたいな、顔以外の分かり易い特徴がなかったら絶望的に無理だ。


 しかしイヴィは毛深くもなければ、個性的な柄もついてない。


「だろう? ひょっとしたら人違いかもしれんと、私は淡い期待を抱くようになっていったんだ。懐疑心を抱きながらも、だが古龍の言った逃れられぬ滅びという言葉も無視できなかった私は、どちらともつけないまま、ただただペイジュで待ち続けた……。だが、とうとうお前が私の前に現れた。私はいよいよ観念せざるを得なかったというわけさ」


 イヴィが苦笑する。


 やっぱりイヴィの死の運命に私も関わっているの?


 だけど私がエルガンから聞いた伝承は、私の目的と未来に関わるという事と、旅の終着点で私にとっての究極の選択を迫られるという事だった。


 神器『神の一滴の涙』――私の本当の両親が私に残してくれた物……。


 胸の奥で不安が渦巻く。


「聞かせてくれないかな。イヴィの知ってる『神の一滴の涙』の伝承について」

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