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ナザーユ雪山 その8

「古龍が未来を見たのか、それとも勇者ダスティンが天族に認められた事から、魔族側が天族の介入を予期したのか? 真相はわからないがね。だが各国の統治者たちは、自国の専門家達が導き出したこの結論を受けて、人の側が過剰な武力を持つ事を危険視するようになったのさ」


「なによそれぇ。それじゃまるで……」


 敗北者の思考じゃないか!


「ふぅ、私もお前と同感だ。だがどうにもならない事ってのはあるだろう? 魔界の大魔王はまさにその1つの例さね。天魔戦争は我々人間の歴史と同化するほど古く、あまりに長く続き過ぎている。まるで100年に一度訪れる流星群のように、いつかまたやってくる止めようがない自然のサイクルだ」


「だから次の天魔戦争に大魔王が出張って来ないように、魔族達の顔色を伺って強くなることを放棄して、されるがままにただ耐える事にしたっていうの?」


 胸の奥から湧き上がってくる嫌悪感に耐えきれず、私は語気を強めてしまった。


 そんな私にイヴィが穏やかな口調で返す。


「みっともないと思うかい?」


「……そうは言ってないよ。ただ、犠牲になっている人の事を考えると、納得できないだけだよ」


 手を尽くして尚どうにもならないならば、犠牲を出しながらでも耐えるのはまだ理解できる。


 でも勝つ事を諦めて、わざと手抜きの武力で天魔戦争に挑んでいただなんて、そんなのある!?


 これじゃ街や家族を守るために戦場へ赴く兵士は、エンリは、魔族に捧げられる生贄のようじゃないか!


「私達が武力を抑えたからって、大魔王が出てこない保証なんて何1つないじゃない。こんなの、生殺与奪の権を完全に相手に預けているだけじゃない」


「お前の言う通りさ。統治者達の結論をひと言で表すなら、相手任せの現状維持さね。魔族側の気分1つでひっくり返るものだ。だがそれは、何も今に始まった事じゃないんだよ。魔界の大魔王達が本気で人間を滅ぼすつもりなら、我々に抗える術など初めからないんだからねぇ。敵わないとわかっているなら、下手に相手を刺激しないようにするしか手はあるまいて」


「でも……っ!」


 私は感情的な反論の言葉を飲み込んだ。


 くやしいけれど、イヴィの言ってる事は正しい。


 全ての力を取り戻していなくても、タイガは既にAランク級の魔物並みの強さを持っている。


 それも魔物にとって最も重要な器官、魔核のない状態でだ。


 魔界の大魔王に纏わる数々の伝説が、決して誇張ばかりではないことを、私は肌で感じている。


「過剰な武力の強化を控える事に賛同し、実践した国ではそれ以降、天魔戦争で大魔王が姿を見せることはなくなったようだよ。少なくともこの1500年の間はね。天魔戦争の被害は依然として大きいが、施策が功を奏したのか、いずれの国も失われず存続できている」


 イヴィが話してくれた事は真実ではないかもしれない。


 これはあくまでも人間の側から見た片面に過ぎないから。


 でも事実ではあるんだろうね。


 だけど……だからってはいそうですかとは、私には受け入れられない。


 エンリの運命を仕方ない事だと諦めて、受け入れる事なんてできないよ……!


「お前がどうしても納得できないというなら、試しにこの魔導書を世に広めてみるかい?」


 そう言うとイヴィは、立ち上がって私に魔導書を手渡した。


 私は両手の中に帰って来た魔導書を見下ろす。


 この技術で魔導兵器を強化すれば――。


 料理用ではなく、本格的に戦闘に特化した魔導書を作って量産すれば――。


 そうだ。間違いなく次の天魔戦争を有利に戦えるようになる。


 もしかしたらエンリに特級魔法を使わせることなく、魔族の軍を退けられるかもしれない――!!


 私は胸を高ぶらせて、ぎゅっと魔導書を抱きしめた。


 だけどそこに、冷静な私が水を差す。


 本当にいいんだろうか?


 これを切っ掛けに6人の大魔王達が揃って姿を現すかもしれない。


 あの天魔大戦の再来を引き起こすかもしれないんだよ?


 1500年前は大天使までもが人間に手を貸してくれたけど、自ら招いた最悪の事態に、今度も手を貸してくれるとは限らない。


 6匹の大魔王が相手では、力を取り戻したタイガだって敵わないかもしれない。


 ううん、事実、敵わなかったんだ……。


 もしも天魔大戦へと発展すれば、その時はほぼ間違いなくロンブルク王国は魔物達によって蹂躙され、滅亡するだろう。


 エンリも、パルラ先生も、カブトにいちゃんや孤児院の兄弟達、王都にいるメディやアンドリィ、アリサ……。


 私の大切な人、私の知る人だけじゃない。


 みんなみんな殺されてしまうんだ……!


 腕の中の魔導書が、急にずしりと重くなったような気がした。


 被害はロンブルク王国に留まらず、キューチェガルを始めとして複数の隣国にも大きく広がってしまうかもしれない……それも、私のせいで――っ!


 急に恐ろしくなってきた。


 さっきまでの高揚感はすっかり消え失せてしまった。


 冷水を浴びせられたように冷え切った頭と、胸の奥には漠然とした不安と神経をすり減らす恐怖だけが残っている。


 結局私は、イヴィの問いかけに何も返す事ができなかった――。




 ナザーユ雪山を登り始めて10日が過ぎた。


 すでに辺りは一面、真っ白な雪景色に包まれている。


 ふと登って来た道を振り返ると、小山の間の遥か遠くに、豆粒のように小さくなった裾野の入口が確認出来た。


 登山というとひたすら上へ登り続けるものと思い込んでいたけれど、ここまでの道のりは登っては下りて、下りては登るの繰り返しだった。


 前へ進む程じわじわと標高が高くなっていくものの、縦より横へ移動した距離の方が圧倒的に長い。


 下から吹きあがって来たそよ風を頬に受けた私は、凍るような空気の冷たさに身を縮こませると防寒コートのフードを両手で抑えた。


「うぅ……寒いぃ」


 空気の冷たさもそうだけど、厚みのある積雪が私を足元から冷やしてくるのだ。


 こんなことなら靴の中に入れる温かい毛皮でも準備してくればよかった。


 そうすれば少しはマシだったろうに。


「これしきの寒さでだらしないねぇ」


 イヴィは、私がお前くらいの頃はうんぬん、などと言いたげだ。


 だけど仮に彼女の経験が事実だったとしても、いま現在、冷気対策付きの防御魔法で常時寒さから身を守っているイヴィに言われても溜め息しか出てこない。


「寒いものは寒いんだもん。しょうがないでしょ。うぅッ、ぶるぶる」


 とにかく体を動かして内から温めるしかない。


 私はイヴィが指し示したポイントへ向かって、歩く足を早める。


 砂漠の暑さはすぐに慣れたのに、自分がこんなに寒さに弱いとは思わなかった。


 ブリトールでは雪が降ること自体が珍しいからなぁ。


 こんな身をしばれるような寒さは初めてだよ。


「ねぇ、天使ってもしかして寒いの苦手だったりしたのかな?」


 振り返ってイヴィに訪ねると、彼女は大きく首を傾げた。


「どうしていまそんな事を聞くんだい?」


「えっ……なんとなく? あ、あはは」


 脈絡もなくいきなり天使だなんて、唐突過ぎたかな。

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