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そこにくるみの木があったから  作者: タラ吉の助
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23歳春。私結婚しました。

相手は喫茶店の客。私より4歳年上。あのトイレだけ借りに来ていたkくんが自販機でタバコを買った時バッタリ会い、久しぶりみたいな感じで店に連れてきた。歳はkくんのほうがかなり上だが顔見知りだった。          それから毎晩仕事帰りに寄っていた。

結婚の決め手は酒を呑まない事。

父の酒癖の悪さには子供の頃から悩まされていた私にとってこれは最重要。

その次は婿入りしてくれる事。

彼はどこかの海で釣り糸を垂らし

またどこかの川で釣り糸を垂らし。

春には山菜採り。

夏には火を起こし魚やウナギを焼き。秋にはキノコ採り。

冬には冬の川魚を網で獲ってはまた焼いては好きな人に配っていてスナフキンのように生きていた。

仕事もマジメで休む事はまずない。

そんな彼は決して良い夫でもなく

良い父親でもなく

良い婿でもなかった。

日本一自由気ままな人だった。

車好きで独身の頃から何台も乗り換えた。

アメ車。ドイツ車。フランス車。

結局行き着いた先は軽トラ。

農道のポルシェ。

この人と結婚してからも波乱万丈の神様は私を手放してはくれなかった。

何度も大きなトラブルに巻き込まれていく彼。

もちろん側にいる私もその波に巻き込まれる。夫婦一心同体。

他人にこれまでの事を話をすると、大変な事なのだが私が話をすると笑い話にしか聞こえないらしい。

夫は私に迷惑をかけてかなり落ち込んでいた時もあった。

だが、私はこの人を見捨てようとは全く思わなかった。

だってこの人を家に連れてきたのは私なのだから。


ハードな新婚旅行から帰り(大阪 北海道 東京 横浜 名古屋)と知り合いの所に立ち寄ったりで11泊の旅だった。

新婚生活の始まりはなかなか大変だった。

なにしろ母の店を手伝って深夜3時、4時に寝ていた私が旦那の弁当作りのため5時、6時に起きなくてはならない。

不眠症の私は緊張で余計眠れずにいた。

結婚式から2ヶ月に入った。

私は生理不順ではなく、キッチリ30日周期でやってくる、がどうも5日ほど遅れていた、と思った矢先「うッ!」   気持ち悪い。吐きそう。

ひどい二日酔い、もしくわひどい乗り物酔い。

どうも自分で車の運転ができそうもないので旦那に産婦人科に連れて行ってもらった。

その病院は小さな医院だった。

そこは私の友達が出産した所でお見舞いに行った時私も子供はここで産みたいと考えていた。

古い医院だったけど、全て個室で6部屋しかなかった。

旦那とロビーで待っていると60代後半くらいの先生が横切りながら

「ちょっと待ってて、逆子を直してくる」と言って2階に上がって行った。

後から聞いた話だが、この先生はなかなかの名医で逆子の為、帝王切開と言われた人が、それが嫌でここに来て普通分娩で産んだとか、男女の産み分けをした人もいた。

どうしても男の子がほしくて2年がかりで産んだとか。

基礎体温から測り、産みたい月を決め 逆算して夫婦で食事やタバコ、酒の制限をして無事男の子を出産した。    先生は医学博士だった。


ロビーには高齢女性が2人いておしゃべりをしていた。

「先生は元気よねー、私達より元気」と言って

旦那が「あのおばあさんらも産婦人科に?」と聞いてきた

「そりゃ女性なんだから、婦人科もみてくれるんじゃない」          するとどこからともなく白衣を着たちっちゃい90歳はとっくに過ぎているようなおじいさん先生がちょこちょこ歩いてきた。   帰る時、医院の看板をよく見たら    内科 産婦人科 と書いてあった。 あのおじいさん先生は産婦人科の先生のお父さんで内科の医師だった。     


逆子も正常になり先生も2階から降りて来て私の診察が始まった。

妊娠5週目に入ったところで、9週目を過ぎないと正常妊娠と言えないので、その頃にまた来るようにと言われた。


つわりらしき症状は日に日に酷くなった。

最低限の家事を終えると1日の大半を寝ている状態だった。

しかし、何故か母は変な使命感に燃えていた。

妊娠とわかったとたん、急に私に厳しい態度をとるようになった。

「私もつわりがひどかったけど寝てなかったわよ」

「つわりは病気じゃないんだから」

「自分の親だから甘えてるのよ」   

しんどいと言っている私に容赦なく家事を押し付けてくる。

もちろん店にもでるようにと。

私達は毎日言い争っていた。

「嫁だったらどうするのよ!」と怒鳴る母。

「嫁だったらとっくに実家に帰ってるわ!」

なんで自分の親にイジメられなきゃいけないの。

母は私を諭すように言う。

「あなたが怠け者になったらいけないから言ってるの、主婦なんだしこれから親になるのに、こんな事でどうするの?」

私もともと怠け者ではない子供の頃から窓を拭いたり大掃除は私がしてきた。

逆に健康な状態でずっと寝るのもなかなかの苦痛だと思うが母は昔から思い込みの激しい人だった。

私は毎日嘔吐と胃の痛みに耐えていてもう離れの2階に上がれなくなり母屋の1階で寝ていた。

ある日の明け方、私は自分のうめき声で目がさめた

(こんなドラマみたいな事あるんだ)と思っていたら

「ほんとにしんどいんだね」

という母が父に言っている声がふすまの向こうから聞こえた。

もうこの人に絶望するのはよそう。

この人に何も期待も希望も、持ってはいけないのだ。

私はふすまを開けて父に近くの診療所に連れて行ってほしいと頼んだ。

つわりだからどうしょうもないけど

この胃の痛みをどうにかしてほしかった。

時計をみると明け方の4時だった。


診療所では医師が貧乏ゆすりをしながら処方する薬を悩んでいた

妊娠中に飲める胃薬、と言うか嘔吐止め

忘れもしない薬の名前。

私は家に帰ってすぐに飲んだ。

喉を過ぎ食道を通り胃にたどりついたと思ったら、すぐに戻ってきた。

もうダメだ。この薬がダメならもうないとまで言われた。

診療所では後で市内の産婦人科がある総合病院に行くよういわれた。

私はその病院ではもう長い椅子に横にならないといけない状態だった。

ようやく診察に呼ばれ、私は椅子に座ったが身体を丸めるような状態だった

「しっかりしろ!身体を起こせ」  と医師に怒鳴られた

(しっかりできるくらいならくるか!)

ここは市内でも低評の病院。

ベッドに横になり私の胃を触ったとたん私が痛みを訴えた。

胃の中にこぶしくらいの石が入っているようだった。

医師は

「すぐに胃カメラの用意を!急性すい炎か、胃けいれんの疑いがある!」と慌て出した。

「可哀想なくるみちゃん!」母がオロオロしだした。

今から35年ほど前の胃カメラ。

胃カメラをのんだ事がある人なんて回りにはいなかったくらい特別な事だった。

側にいた看護師が

「つわりがひどいのに可哀想」と心配そうに言った。

私は薄っすら目を開けたら胸の名鑑で母の店の近くのお嫁さんだとわかった

私は心の準備もできないまま診察台に寝たままその場で胃カメラをのんだ

私はいきなりの事だし、初めてだし   当時まだ胃カメラは今より大きかったみたいだ。

私は気を紛らわす為に声を出しながら看護師の手を強く握っていた。       「うー、うー、」

お腹の中でカシャカシャと音がしていた(昔は写真だったような気がしてますが違っていたらすいません)

「声をだしたら後で喉が痛くなるよ」私は声をこらえた。

診断結果は胃けいれんで、そのまま入院する事になった。

内科病棟の2人部屋に入ってすぐ点滴を入れに看護師がきた。

点滴を始めてすぐ腕に激痛が走った。

「痛い!痛い!針を外して!」

看護師が慌てて針を抜いた

「あー点滴がもれたのかしら」      また針を刺し点滴を落とし始めるとまた激痛が。

結局4人看護師が変わり、液も変えたがどうしても点滴が入らなかった。

私の腕は内出血だらけ

「薬辞めますか?それとも人間辞めますか?」みたいになった。

私は胃カメラの時声をだしたせいで喉も痛く散々な入院となった。


          

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