お弁当事件
結局母は小学六年間朝起きて来る事がなく、それどころか私が小学五年生の夏休み、父が時々ダンプの運転手を頼まれて仕事に行っていたのだが、ラジオ体操の為起きていた私にベッドの中から「お父ちゃんのお弁当して」と言われ、ラジオ体操を休んで作ったのだが、結局父も眠くて仕事に行かなかった事があった。父に「仕事しろ!仕事しろ!」と言うわりにお弁当も作れないのに、仕事行ける訳ないだろう。そんな母も六年間一度だけ朝起きた。さすがに修学旅行の朝は起きて見送ってくれた。大阪、京都へ二泊三日の修学旅行だった。初日は大阪に泊まった。チェックインしてすぐに担任が大部屋にいる私の所へ来た。旅館の玄関にいくように、と。行ってみるとマリ姉ちゃんがいた。びっくりなのと久しぶりなのとで一言も声を発する前に「これママにたのまれたんや」と言って、紙バッグを二袋私に渡した。一袋にお菓子箱五個くらい入っていた。「じゃ気をつけてな」くらいでマリ姉ちゃんは去った。私は両手に紙バッグを持って呆然とマリ姉ちゃんを見送った。(そうだ。思い出したぞ。お母ちゃんがなんか言ってた。)私は店の客からチップをもらったりお年玉をもらったりしていた。今回修学旅行のお小遣いをもらった人へのお土産を持って帰るように言われてたんだ。修学旅行のお小遣いでは買えないのでマリ姉ちゃんに買わせ私に持って帰らす算段だもちろん先生から許可を得て。私は次の日から両手に紙バッグを持って修学旅行の移動をした。ちょっとした集合の時隣になった子に「イッキにお土産買ったの?」とか「お小遣いいくら持ってきたの?」とか、言われ、くるみちゃんだけみんなと違う。そんな風にみんなから思われていた。それは中学に入学してすぐの事だった。中学になると土曜日の授業は昼までで、昼からは部活動の時間になる。なので土曜日はお弁当が必要なのだ。私は前々から母に何度も言っておいた。土曜日はお弁当がいるから。と。しかしその当日お弁当は作られていなかった。母は「昼に学校の下駄箱に持って行くから取りに来て」と言った。四時間目が終わるとクラスメートが私の所に来て「おばさんが下駄箱にいて、くるみちゃんを呼んでって」私はホッとした気持ちで下駄箱へ行くとうちの店の前のラーメン屋のおばさんが立っていた。「お母さんに頼まれて」と新聞紙にくるまれたヤキソバを渡された。「昼に持って行く」「下駄箱まで取りに来て」「おばさんが呼んでいる」どれも間違っていない。しかし、想像と違う、私は頭が真っ白になりながら教室に戻り新聞紙を開いてヤキソバを食べた。すると教室はヤキソバの匂いでいっぱいになった。男子からは「いいよな一人っ子は」とひやかされ、女子からは冷ややかな視線だった。中学ではいくつかの小学校から生徒が集まる。まだ知らない子もいる。最悪な印象だ。私は黙ってヤキソバを食べた。一緒にお昼を食べたていた幼なじみのSちゃんも黙ったままお母さんの作ったお弁当を食べていた。私は「自分でお弁当作るわ」とSちゃんに言った。Sちゃんも「私も作ろうか!」そんな会話から私達は隣町へ汽車でお弁当箱を買いに行った。サンリオグッツを沢山売っているショップへ。二人であれこれ探しておそろいのサンリオキャラクターのお弁当箱を買った。Sちゃんはピンクで私はブルーに。それから二人のカラーになった。おそろいの物を買う時。カンカン帽子はリボンだったり、下着のワンポイントだったり。その日のヤキソバ事件から私は自分でお弁当を作る事にした。それは高校生になっても続いた。私の通っていた高校は生徒の中でまことしやかに噂されていた「日本一早い一時間目」と。よそを知らないけど私の高校は一時間目は八時からだった。その為私は最寄り駅を六時五十分の汽車に乗るので朝が早い。だからお弁当のおかずは前の夜作って朝、ごはんを詰めて作って行っていた。高校入学した夜「あー私は三年間こうやって作るのかな」と思いつつ卵焼きを巻いた。そして卒業前「やっぱり三年間したなー」と同じシチュエーションで卵焼きを巻いていた。ある朝お弁当を作ろうとして冷蔵庫を開けると昨晩作ったはずのおかずがない。仕方なくその日はパンを買って食べた。帰って両親に聞いくと、昨晩父がふと冷蔵庫をのぞくとなにやらご馳走が、卵焼き、シャウエッセン、チキンバー、チキンナゲットなどなど、これはいいと思ってそれをおかずに酒を呑んだとか。ある日は炊飯器を開けるとごはんがない。夜中夜食を食べたらしい。頼むからあんたら私の邪魔をするのはやめてくれ。何度も思ったし口にも出した。「すまん、すまん」と父。「だって夜中疲れて帰ってるのよ!」と何故かキレる母。それでも何度かこりずに食べられていた。時にお天気屋の母に少しばかりの母性が目覚め「明日部活の総体でしょ、お母ちゃんがお弁当作ってあげる」と。そして持って行ったお弁当のふたを開けると、隣にいた二年生の先輩に、「何それ」と言われ「お好み焼き」と私はつぶやいた。私は高校二年生の時十二指腸潰瘍になった。「自分の好きなおかずばかりお弁当に入れてるからそんな病気になったのよ!明日からお母ちゃんがお弁当作る!」「無理だって!」「いいから!作る!」のいい合いをした次の日母はお弁当を作ってくれた。ふたを開けるとまずごはんの位置が違う。最初から間仕切りされているお弁当箱で広い方がごはんの場所なのだが、狭い方にごはんが入っていた。おかずはゆで玉子をパッカリ半分に割った物があり、ジャイアントカプリコの一番上の部分くらいのゆでたブロッコリー、一本の人参を半分に一刀両断してゆでた物、それと焼いたサバがひときれ。その厳選されたおかず達が、整列することなく好き勝手に散らばっていた。私はふたを閉じて、パンを買いに行った。次の日はないだろうと、思っていたら案の定作らなかった。母は飽き性だ。わかっていた。母はよく自分の母親の自慢をする。「私の母親はすごい料理を作ってくれたのよ、たいした物がない時代にすごいアイデアで、ゆで玉子に食紅をつけてウサギを作ったり田植えの手伝いに出掛ける時や祭りなど、ものすごい料理をしていたの」と。何十回も聞いた。だいたいはスルーするのだが、時に私の気分で聞き返す。「自分がそうしてもらったら、自分の子供にもしてやろうと、思わなかったの?」と。すると「「母親に料理を教わる間がなかったの」私は誰にも料理を教わっていない。母は決して料理をしない訳ではない。今でも手の込んだ料理を作るのだが、いつも気まぐれで、料理をする。だから毎日作るお弁当は苦手なのだ。




