黒歴史
その夜も母とタクシーで家出をした。いつもの次男夫婦の家へ。途中道路工事の為タクシーを降りて歩く事になった。この市でひとつだけの4車線道路の工事だった。あとは舗装するだけの平らな道だった。近くに高速道路の出入口ができる。今まであった田んぼや家は道路になっていて、ただただ幅の広い道になっていた。まだ街灯もなく、100メートル先は真っ暗だ。少し歩くと母から「なぁ一緒に死んでくれない?」と言われた。何回殺す気だ。せっかく海で助かった命そう易々と死んでたまるか。と思った事と母の言葉に少し動揺もした。私は、震えそうな声を平常心ぽく振る舞いながら言った「生きていたらいい事あるよ」とても小学生とは思えない台詞だ。母は「そうかな」と呟いた。そして数分もせず「オシッコしたい」と言い出した。(ほんとこの人と死にたくない)と思った。「我慢できんからここでする」「ここで?」いくら夜中だといっても嫌だ。だけど母は私のすぐ近くで用をたした。(もー勘弁してよ。ほんとにさっきまで死を考えていたの?)と疑いたくなる。子供を殺したあと死にきれなかったパターンじゃないでしょうね。そして今回の家出も2日ほどで家に帰った。それから少したったある日今度は母1人で家を出た。今度は長男夫婦のいる実家だ母の両親はいない。私は初めて家に置いて行かれた。たいしてショックではなかった。何故なら私の住む家が私のいる場所だから。私がいるのは当然の事だ。私はこの家の1人娘。父から物心ついた頃から「くるみちゃんがこの家を継ぐんだよ」と教えられていたからだ。私は日本舞踊と琴を習っていた。琴の師匠から「あなたは家付きだから師範代までとってこの家でお琴の教室をしなさい」とよく言われていた。その時は家付きと言う言葉がよく解らなかった。が、この家は私の物だ。だから私は出て行く必要がないと。母がいなくなっても父はうちで一番大きなコッブに冷や酒を入れ「くるみちゃんこれは水だから」と言う父を横目に洗濯やごはんを炊いたりしていた。おかずはない。父がつけたたくあんばかりを食べていた。父は母を迎えに行く事にした。私もついていったが、大人の話だから車の中で待っていた。長く待たされた。いとこが私を迎えに来た。が私は行かないと言った。いい加減に帰らない母に対して怒っていた。話がこじれているらしい。いつも言われている私さえいなかったら、とか言っているのかもやはり私は死なないといけないのかもとフッと頭をよぎった。車の中で1人考えた。どうやったら死ねるのか?手で口を押さえてみた。自分で押さえたくらいじゃ死ねない。(死ななくちゃ死ななくちゃ)となんども呟いた。すると2度目にいとこが迎えに来た。「中に入れって、お母ちゃんが顔を見たいって」2週間以上会っていない。いつもショートカットの私は散髪にいけないので後首の所でふたつに分けて髪をくくっていた。「髪が伸びたね」私は無視した。母はその日帰らなかった。私はそろそろ生活に疲れてきていた。毎朝学校に行く前犬とピーコの餌やりはルーティングだったのだが、インコは2日に一度の餌やりでよかった。インコに今日餌やらなきゃ、やらなきゃ、と思っても学校から帰っても身体が動かないのだ。学校でも活発な子供だったが口数もなくなり無気力になっていた。掃除の時間も何もせず座りこんでいた。同じ班の女の子2人が先生に言いつけた。くるみちゃんが掃除をさぼると。先生は2人に私の見張り役を命じた。2人は私をこきつかい。あげくのはて罰だと両手を上に挙げ掃除の間降ろすなとか。(もー好きにして)だった。そんな事が学校であり、死ぬ事ばかり考えていた。インコが死ぬかもとかそんな事を考える余裕がなかった。インコは死んだ。私は泣いた。「ごめん、ごめん」と。餌入れはからっぼだった。私は生き物が好きで大人になると、行き場所のない犬や猫を4匹ずつ計8匹飼っていた。そんな私がインコを見殺しにしてしまったのだ。あの頃に戻れたなら、黄色のピッチを殺さなかったのに。私は少し自分を取り戻した。他にいる動物を大切にしようと。 ある日の日曜父がどこかへ出掛けようとしていた。「くるみちゃん新しいお母ちゃん連れて帰ってやる!」「新しいお母ちゃん?」「お見合いをしてくる。22才のお母ちゃんだ!」と。「へぇー」私はニヤリとした。私は母の裏切りとか全然思わなかった。お見合いをする父も父だが、楽しみにする私も私だ。父が帰って来た。「どーだった」「いらん!いらん。あんな女」との事だった。「なぁぁんだ残念」と言う感じだった。そのお見合い相手の女性はのちに、父に電話してきては、私の家でケンカを売ってきていた男と結婚した。そしてお見合いから少しして母がようやく帰って来た。




