いろんな女性達
いろんなホステスさんがいた。覚えているだけで30人。うちから巣立ちお店を開いた人もいた。何人かは住み込みの人もいた。しかしほとんどが数ケ月だった。子供のころからずっと思っていた。母は人使いが荒い。いくら住み込みでも日中は休ませてあげないと。母は初代ホステスのお姉さんに家事もさせていた。母いわくあの子は洗い物がキライでパンはがり食べていた。と、違うのだ。私はパンだけよ、あとの洗い物はあなた達のよ。と、それに気づいてよ!と私は感じていた。子供ながらに悪いな私達の分まで洗わせて、と。お姉さんも大変だったと思う。部屋にテレビがあるわけもなく、二階で一人いても退屈だろうし、一階に降りれば家事を言われるし、お姉さんの今でも洗い物をしている後ろ姿が目に焼き付いている。気の毒だった。そのあともいろんな人が来た。マキさんておばさんは少し怖かった。タバコと酒で声は男のひとみたい、大阪の人だった。その人もすぐにいなくなった。私が大人になって「あのマキおばさん怖かったわ」と母に言ったら、「あの子麻薬打ってたからな」とさらりと言った。ほんと怖い人じゃん!まーこんな田舎じゃ麻薬は手に入らないもんな。薬をたつ為にこんな所に来たのか、何かから身を隠す為に来たのか。子連れで住み込んだ人もいた。旦那から逃げて来たのだと。私と同級生の男の子も転校して来た。お母さんはすごくヒステリックでいつも二階の階段から男の子を突き落としていた。男の子は関西弁で泣きながら謝っていた。その親子もある夜いなくなった。後日その親子を見た人から聞くと、親子は朝まで駅にいて、朝一番の汽車でこの町を出たと。そういったわけありの人もいれば、学力がとぼしく就業が難しくうちに来た人もいた。この人は完全なお手伝いさんでした。父が誰かからの紹介で連れて来た。迎えにいくと身なりを全然気にしていないみたいで、店でいくら裏方とはいえ、連れ帰る途中に美容院でパーマをあてて連れて来た人もいた。きくおばさんと呼んでいた。シャイで口数の少ない人だった。私は扁桃腺がいつも腫れて高熱が
出てよく学校をよく休んでいた。熱が出ても相変わらず母は起きては来なく自分で学校に電話して休んでいた。ある朝喉は痛いし熱もある。ぐったりとして茶の間のこたつで寝ていると、静かに側にいたきくおばさんが「餅でも煮てあげようか」と言ってくれた。彼女から言葉を発するのは滅多にない。「いらない」きくおばさんの思いやりにすごく嬉しかった。だけど餅はいらない。「ごめん」熱の中私は心で呟いた。そんなある日私は算数ドリルの宿題をしていた。考えるのもめんどくさいそうだ!きくおばさんに聞こう!「きくおばさん1000-1=?」と勢いよく聞いた「わからん」照れながらきくおばさんは言った。「ごめん聞いた私が悪かった」ちょっと恥ずかしかった。「聞かなくても999じゃん」と、少ししてHちゃんとゆー若い人が
住み込みで来た。その人も学力がとぼしく働き先がなかった。その人はホステスとして入った。家事は全くできない。私とおなじ「キャンディ、キャンディ」とゆう漫画キャンディの恋人テリーが好きだった。よくバドミントンをして遊んだ。だけど数ケ月でいなくなった。朝起きるといなくてきくおばさんの財布から五千円取って。何年かしてHちゃんの姿が現れた。私の町と隣町車で20分くらいの間を歩いて往復しているのだ。そこへ通りがかりの運転手に乗せてもらい一晩ともにするのだ。中には家に連れて家事でもすれば養ってもいいと思ってくれた人もいたそうですが、家事もできない上、米を盗んでまたどこかへ消えたそうです。最初にうちに連れて来たのはHちゃんのお父さんで18才なので雇って下さいと、でも彼女は15才だったのです。親も彼女の事はもてあましていたみたいでした。Hちゃんは叔父さんから性的暴行を受けていたそうです。今も何処にいるかわかりません。きくおばさんは2年くらいいて家に帰りました。




