とある路地の出会事情
「ゴロゴロ、ゴロゴロ、ゴロゴロ」
俺はその日一日、ベッドに転がって惰眠を貪っていた。とにかく暇なので、暇を紛らわす為に自分で自分の様子を擬音で表現してみるが、ちっとも暇は紛れない。
それに気がつくと、俺は虚しくなってそれを止めた。出来ればやる前に気づきたかったところだ。
俺がこんなに暇を持て余し、ゴロゴロする羽目になったのも、あのキラキラ王子のラシーヴの登場に始まる一連の事件で、精神疲労に陥ってしまったからだ。
あの後、全員でメセルブルグの街に戻ったものの、旅行先から急遽舞い戻る事になった為、
寝具を整えたりするのに時間がかかり、俺達が寝たのは空が白みかけた頃だった。
それでも俺以外のメンバーは、殆どが昼過ぎには起き出していたのだが、俺は目眩が治まらずに軽い食事をしただけで、結局そのまま夕方まで寝入っていた。
今はもうすぐ夕食という時間だが、長期休暇中なのも有ってやる事は無く、やる気も起きないのでこうしてゴロゴロしているという訳だ。
コンコンコン
部屋の扉がノックされて、扉が開く。入って来たのはユーリエとクラリッサで、ユーリエは両手にお盆を持っていた。お盆の上には、パンとサラダにシチューが載っており、どうやら夕食を運んできてくれたのだと解る。
「ご主人様お食事をお持ちしました~」
そう言って、クラリッサは元気に駆け寄ってくる。結構、大変な場面に居合わせた気もするのだが、特に気にした様子も無く、普段通りに振る舞っている。それはユーリエにしても同じで、精神的なタフさは俺の予想を超えているらしかった。
「おお! ありがとう、ちょうど腹が減ってきたところだよ。おかしいよな、一日中ゴロゴロしていただけなのに、いつも通り腹は減るなんて」
俺は半身を起こして、食事を机に置くよう示した。特に重篤な病人という訳では無いので、ベッドを降りて食事を取るぐらいは十分可能だ。
「体の方は大丈夫ですか?」
ユーリエは心配そうに顔を覗き込みながら聞いてくるが、俺はベッドを降りながら笑顔で答える。
「ああ、もう大分良い。明日は予定通りマーレーガに向かうつもりだ。悪いけど留守番を頼むな」
「ええ、解りました。十分気をつけて下さいね」
俺は頷きつつ、椅子に座って食事を取り始めた。クラリッサがサラダを作った事を自慢気に語ってくるので、それを褒めてやりつつ食事を済ませる。
ユーリエ達が食器を下げてくれた後、特にやる事も見つけられなかったため、再びゴロゴロしつつ、魔術書を読み漁ったりしながら眠くなるまで過ごしたのだった。
丸一日をゴロ寝に費やした俺は、すっかりと本調子を取り戻し、予定通りゴードンを追ってマーレーガに向かうことにした。
その為にはゴードンの現在の位置を確認しなければならないのだが、その為の方策は予め打ち合わせをしてあり、後はそれを実践に移すだけである。
俺は離れの居間に置かれたテーブルの上に、アマーリアに譲って貰った世界地図を広げ、探知魔術を使用する準備を整えた。
「『道具位置探知』」
ゴードンに預けてある、探知対象の敷布を思い浮かべながら魔術の詠唱を行う。敷布には魔術による刻印が施されており、長距離の探知を行いやすくしている。
完成した探知魔法は、世界地図の上でいくつもの光の粒子を乱舞させ、やがて一カ所に集まるようにして、世界地図を印したタペストリーの上に一筋の光の柱を形成する。その位置は、以前ゴードンが指し示したマーレーガの街があるという湾の一部と一致していた。
「ゴードンは、どうやら無事にマーレーガに辿り着いた様だな」
「そのようですわね」
アマーリアは、今日も俺とマーレーガに向かう為に待機してくれており、俺の手際を優雅な表情で眺め、問いかけにもおっとりとした返事を返してくれる。俺は最近彼女のペースに慣れつつあり、だんだんと気軽に会話が出来るようになってきていた。
「これから『千里眼の水晶』で現地の状況を確認してみよう」
俺は、傍らに用意しておいた『千里眼の水晶』を手元に置き、起動させる。その際、既に効果を発揮している『道具位置探知』の位置情報を頼りに発動地点を固定する。
こうする事で、一度も行った事の無い場所であっても迅速に『千里眼の水晶』の視界を移動する事が出来るのだ。ちなみにこの方法は、アマーリアからの受け売りである。
俺の視界に、床に広げられた魔方陣の描かれている敷布が映り込む。ゴードンに渡してった探知対象の魔術が刻印された敷布である。この敷布を、宿を確保したらスペースの取れる場所に置いておくよう頼んであったのだ。
俺は、床に近すぎる自分の視点を徐々に上げて行き、普段の自分に近い視点まで持ってくる。そこはちょうど部屋の片隅で、左右は壁に囲まれており、俺の視界も壁に向いていたので、部屋の全体像は把握出来ない。
『透視』は視界のみの魔法なので、音も聞こえず部屋の中の情報は視界で得るしか無い。当座は『転移』出来るだけのスペースがあるか、確保出来れば良かった。
だが、音が聞こえないと言う事は、視界以外に全く情報が得られないと言う事だ。もちろんそこに誰か居るかどうかも解らず、ましてやその誰かの状態を知る術が無い事を意味する。
何気なく視界を部屋の内側へと向けた俺は、意外な光景が目に飛び込んできて思考を停止させる。
(え? おっぱい? デカい? なんで?)
俺は目の前に飛び込んできた二つの巨大な固まりに、思わず思考を占領され目を反らす事も出来ずに見入ってしまった。
しかも、丁度体を清め得る為か濡れた布でおっぱいを持ち上げたり掴んだりしていて、文字通りぶるんぶるんと揺れているものだからその迫力と破壊力はかなりのもので、俺は後で後悔するほど長時間、思考停止をしてそれに見入っていた。
だが、その見事極まる固まりが、誰の持ち物なのか鈍い思考が辿り着いたとき、血の気を引いて目線を逸らした。
(やっべ~、親友の奥さんの裸をガン見しちまったよ。当然向こうは気づいていないだろうけど、バレたら殺されるかも知れないぜ。しかし、ボリュームでユーリエを上回るとは、ヨランダさんも侮れん人だな)
俺はバツの悪さを回避する為、周囲にばれる事が絶対に許されない謎思考に流れを持って行き、同時に反省も済ませる。これは不幸な事故だと自己暗示のうえ、ラッキースケベ回収用の脳内フォルダに今の映像を放り込んだ。
その後、転移するタイミングを計る為にチラチラと様子見しつつ、ヨランダが着替え終わり落ち着くのを見計らう。ヨランダが、体を清め終わったのか服を着て部屋の出口に向かい始めた。ゴードンの姿が見えないので、外で合流するつもりなんだろうと見当を付ける。
(そろそろ大丈夫だな)
俺はそう判断すると、部屋の中で待つアマーリアに声を掛ける。
「アマーリア、あっちの準備は良さそうだ。映像を出すよ『投影』」
俺は自分の視界から得られる光景を部屋の中に映し出す魔術を使用し、アマーリアに『転移』先の情報を確認して貰う。アマーリアはタペストリーに映し出された位置情報と投影された室内の情報を元に転移先を微調整する。
「はい、受け取りましたわ。いつでも転移可能です」
その言葉に俺は立ち上がり、使用している道具はそのままにして、用意していた荷物を入れたナップザックを肩に担ぐ。
「行こうか」
「はい」
返事を合図にアマーリアは詠唱を開始し、俺達はマーレーガへと旅立った。
マーレーガの町並みは、殆どが乾燥レンガで作られた土壁に、色取り取りの漆喰を塗り、屋根を木材で葺くと言ったスタイルで建てられている。ほぼ、木造建築ばかりのメセルブルグとは、その点で受ける印象が大きく違う町並みである。
今、俺達がいるのはメイン通りと言って良い通りだが、道幅は狭く、多くの人が行き交っていて殆ど隙間が無い。これでは馬車は通れないだろうし、時折不自然に道が曲がりくねっているので視界も効かず、まるで迷路に彷徨い込んだような錯覚を覚える。
秩序や効率性を重視する人間には耐えがたい作りに思えるが、街並みの雑然とした猥雑さに比例するかのように人々は熱気に溢れ、先日の王都で感じた熱気以上のエネルギーを感じる街であった。
そんなマーレーガの街を、ゴードン達と合流した俺達は連れだって街の見物を行いながら、メインの通りを南へと、その先にある波止場に向かって歩いているところだ。
そしてそれに先立ち、連れだって歩くアマーリアとヨランダには装いを大きく変えて貰っている。アマーリアは若干青味がかった白色のショールを、ヨランダは自身の髪の色より濃いシックな赤色をしたショールを頭の上から被り、二人とも目だけを出してそれ以外を覆い隠すようにしている。
身につける服も、緩やかで体の線が出ない物を選び、出来るだけ目立たないように注意した服装にして貰った。もちろんこれは、先日起きた浜辺での出来事の反省を踏まえて、周囲の男達が二人に群がる事が無いように配慮する必要性を感じた為だ。
二人の衣装については、マーレーガの街に着くなりヨランダが買い込んだという衣装やショールが早速活用されている。
これはお土産用や自分用だけで無く、王都に持ち帰っての販売用も含まれているとの事で、相当の量が買い込まれていた。ゴードンに「こんなに買い込んで大丈夫なのか」と確認したところ「ヨランダの目利きは確かだから間違いなく利益が出るだろうぜ」と惚気られた。やれやれである。
そんなやり取りが有りながらも、準備が完了した俺達は街へと繰り出していた。今回の訪問の目的は、主にマーレーガという街を把握する事にある。
もちろん、最終的な目的はこの街で黒胡椒を初めとする香辛料の輸送を引き受けてくれる交易相手を探す事にあるが、その為にもこの街の情勢や様々な情報を知る必要が有った。特に王国の大商人達に気づかれないように黒胡椒を初めとする交易が可能か調べる事は、最重要の課題である。
そんな面倒な真似をしなくとも、自分達で『転移』による輸送をした方が良いのでは無いかと考えなくも無かったのだが、結局の所それでは何の意味も無い事に気づき、その案は早々に却下している。
時折訪れて自分達が必要とする量を仕入れるぐらいならそれで十分なのだが、商売をするとなるとそれ相応の量が必要となってくる。
『転移』は基本的に人員移動用の呪文で、大量の物資輸送に向かない事や、それを自分達の商売という、ある意味自らの能力において実施するのが当然の行為に、アマーリアを巻き込んで頻繁に輸送をお願いするのはいくら何でも甘えすぎだし、信者の方々にバレでもしたらそれこそ大変な事になりそうであった。
それに、例えその問題を考慮しなかったとしても、この方法にはあまりメリットがなく、デメリットが目立つこともあって、俺は早々にこの案を却下するに至っている。
黒胡椒を買い付けるだけで良ければ、この方法にはメリットがあるのは確かである。だが、この方法を延々と続けていた結果訪れるのは、北方大陸から南方大陸への一方的な資金の流出である。
北方大陸で購入する事に比べれば遥かに安価で購入出来るとはいっても、黒胡椒を初めとする香辛料は元々が値の張る商品である。それを買い付け売り捌く事で、確かに自分たちは大きな利益を手にすることが出来るだろう。だが、そのままでは資金が南方大陸に流出し続けることになり、その状態が長期間続くと北方大陸では貨幣の枯渇を原因とする経済の不調が起こる。
適正な貨幣量のコントロールを行う機関があれば、大きな問題は起こらないかもしれないが、この世界にそんな機関は無いし、貨幣は国王の権限によって数年おきに発行されているのみだ。
常にあちらこちらで小規模なインフレやデフレが起こっているとの事だし、それらが適正に是正される事も無いが、経済規模がそれほど大きくない為に大きな問題にもなっていないだけなのだ。そして小規模なインフレやデフレは、より大きな市場との取引や時間経過により、自然と解消されていくに任せられている。
現在、南方大陸との交易を担う王国の大商人達は、香辛料を購入する傍らで北方大陸の製品を南方大陸に輸出し、双方で差益を産むことで儲けを出すと共に貨幣の一方的な流出が起こらないようにしているのだろう。
それを見習うと言う訳ではないが、経済を適正に発展させることは結局自身の利益にもなる事を思えば、慎重に計画する必要性を感じる。特に俺の商売相手は街の人々であり、彼ら相手に商売するからには、彼らが利益を出す流れも同時に生み出さなければならない。
現在のところ、メセルブルグの交易相手はルーデンブルグから王都に至る街道沿いの地域のみであり、発展性があるとは言い難い。
目下は交易品の種類を増やすことで収入を増やす道を模索しているが、それ以外の道を開拓する事も必要だろう。
何より大事なのは、持続的で発展性のある交易の流れを形作ることで、特定の人物――例えば俺やゴードン――だけが利益を独占する仕組みであってはならない。そんな事をすれば持続的な成長が見込めなくなるだけではなく、俺やゴードンがいなくなるだけで交易が途絶えてしまうだろう。
俺とゴードンが目指しているのは、王国の大商人たちが独占している南方大陸との商取引を、一部分だけでも王国西方域を窓口として引き受け、王都への西方ルートと呼ぶべき交易ルートを作り上げる事により、交易ルート上のメセルブルグや西方域を豊かにし、自分たちも利益を得る事である。
この構想が完成すれば、大商人達が独占する市場に風穴を開ける事が出来、王国全体の経済へも良い影響を与えることが出来るだろう。それだけに大商人達からの反発は激烈になる事が予想され、計画は慎重に進める必要がある。
当初より一段と進んだこの計画はこの一ヶ月で煮詰めた俺とゴードンの共作であり、目下最大の目標である。
そして何より、この案にはもう一つの重要なメリットを期待しているのだ。
それが何かと言えば、もし順調に俺達の計画が推移するとしてやはり最大の障害は王都の大商人達と言う事になる。
彼らは場合によっては実力行使さえ厭わないという危険な相手で有り、その事は計画を遂行する上での最大の懸念事項である。その解決策として俺達が考えたのが、計画を大幅に拡大して西方域に交易ルートを作成すると言うこの案だ。
俺達が独占的に交易ルートを作ろうとすれば矛先は全てこちらに向き、全面対決を余儀なくされてしまうだろう。一方で、西方域の人々を広く巻き込んで利益を共有してしまえば、俺達だけを狙ったところで交易ルートは残る事になり、俺達が標的となる可能性を減らせるかもしれないというのが狙いである。
(まあ、まずは交易を担ってくれる海洋商人を見つけられるかが肝になる訳だが、その為にもしっかりとリサーチしないとな)
俺はそんな事を考えつつ、ゴードンと二人で女性陣を庇いつつ人混みをかき分けてメイン通りを進んでいくのだった。
メイン通りを真っ直ぐ南に抜けると、海に面した大きな船着き場に到着する。
船着き場には大小様々な船が停泊しているが、その殆どは幅が広く喫水が低い近海用の帆柱が一つしか無い輸送船だ。
極稀に帆柱が三本有る大型船も見受けられるが、幅がより大きくなっているだけで構造は余り変わらないようだった。
(なんというか、不格好な船が多いな。速度も遅そうなんだがこれが普通なのかな)
俺の脳裏にある中世の船と言えば、帆柱が二、三本有り、喫水が高い帆船のイメージである。船に詳しい訳では無いが、これでは外洋への航海には向かないのでは無いかとの漠然とした思いがある。
(ふむ、もしかしてこんな所にも商機が有ったりするのかな。心に留めておこう)
俺は目の前に広がる光景を見ながら、ついそんな事を考えてしまう。最近は、折りあらば新しい事業に関するヒントが無いか考えている気がする。もしかしてこれがワーカホリックというのだろうか、似合わない事この上ない。
(いかんな、せっせと仕事するのは俺のスタイルでは無い筈なんだが、新規の事業や計画が成功するとなんとも言えない充実感があって、そいつを再び味わう為に新たな事業を探し求めている気がするな、気をつけよう)
俺は、自分が暴走し掛かっているのを感じ、抑制する為に自を戒める。こういった、仕事の成功から得られる達成感は、怒りや悲しみといった一瞬の感情の高ぶりとは違うだけに、それに酔っている事に気づくのが難しい。それに釣られて自身の手に余るだけの仕事量を抱え込んでも、その先には破綻する未来が待つだけであり、常にその事は自覚していなければならない。
俺はそんな事を頭の片隅で考えながら、様々な荷が積み上げられ、肩に大きな荷物を担いだ人足が行き交う船着き場をゆっくりと見て回る。
南方大陸最大の港街と言うだけの事は有り、行き交う人と荷物の量は相当なものがある。多くの場合、荷物は人足達の手で船着き場に近い商人達の倉庫に運ばれ、そこで売買されて新たな交易先へと送られていくようだ。
そんな商人達の倉庫が建ち並んでいる一角に、一際大きい倉庫群が立ち並ぶ場所がある。今も大きな輸送船から次々と荷が運び込まれ、人足達が忙しなく行き来していた。
「ウート、あれがマーレーガで最大の規模を持つマテラッツィ商会の倉庫らしい。表に荷車に麦の穂が描かれた、奴の商会の看板がありやがる」
ゴードンは、倉庫の正面に掲げられた木製の看板を、反対を向きながら右手の親指でクイッと指し示す。確かに言われたような意匠が描かれた看板が掲げられていた。
「っち、忌々しいほどに盛況を誇ってやがるな。今に俺だってこれに負けないくらいの倉庫を建てて、大量の商品をやり取りしてやるからな」
ゴードンは倉庫に背を向けつつ、一人気炎を上げている。俺はそんなゴードンを宥めつつ、腹をさすりながら言った。
「急いては事を仕損じるってな。気長に行こうぜ、気長にさ。それより腹が減ったよ、何処か飯屋にでも入らないか?」
「そうだな、地元の商人が集まる店がこの辺りにあると宿屋の親父に聞いてきたんだ。そこに行ってみようか、なんでも魚を丸ごと包み焼きにして奴がめっぽう旨いと評判らしいんだ」
俺の提案にゴードンはあっさりと頷き、俺達は倉庫街から少し町中に戻ったところにある、多くの商人達が集う飯屋に入った。時間は丁度昼を過ぎた辺りで、客が徐々に引き始めていた事も有り、店内は混雑していたが割とすんなり席に着く事が出来た。
奥目の席に着いたのだが、アマーリアが顔を覆ったベールを脱いだとき、予想通り店内が揺れるようにざわめく気配がしたが、俺達は努めて無視して店員を呼んだ。
「い、いらっしゃいませ。ご注文は何に致しましょう」
呼ばれてやってきた店員は、十四歳か十五歳くらいの小柄な地元の少女で、黒髪をお下げのように編み込み、クリッとした黒い目でチラチラとアマーリアに視線を送りながらも、何とか注文を聞いてくれた。頼んだのは四人分のエールと黒パンに野菜サラダの盛り合わせ、そしてゴードンが聞いてきた魚の包み焼きである。
先に運ばれてきたエールで、俺達は乾杯する。特別冷えている訳ではないが、南国の太陽に焼かれた後では、普段の何倍も甘美に感じる。
「旨い! おーい、エールおかわりくれ」
「は~い、ただいまー」
一気に飲み干してしまい、つい大声でおかわりを頼むが、すぐに応えがあっておかわりを用意している気配がする。反応が軽快で中々好印象だと考えてしまうのは、同じ商売をしている関係上、気になってしまうからだろうか。
エールのおかわりを貰ってから、それ程待たずに料理が運ばれてくる。特にメイン料理の魚の包み焼きは、所謂岩塩の包み焼きというやつで、少しオレンジ色っぽい岩塩に覆われている。
先程の少女が、目の前で木槌を使って岩塩を叩き割り塊を粗方取り除くと、その中から現れた大きな魚の上にスープをかけてくれた。それから魚にナイフを入れて切り分け、俺達の目の前にある皿の上に取り分けてくれる。
「ありがとう」
「いえ、どうぞ召し上がって下さい」
俺が礼を言うと、少女はニッコリと笑って食事を勧めてくれる。俺達は早速料理に舌鼓をうった。
魚は鱸に似た大ぶりの白身魚で、淡泊な味に絶妙な塩加減と香辛料の効いた甘辛いスープが絡み、絶妙なハーモニーを奏でている。噂に違わぬ美味な味に、俺は夢中になって味わい、舌鼓を打った。
気づいたときには粗方食べ終えていたが、少女はそんな俺達をあっけに取られたように見ている。店も昼の書き入れ時を過ぎており、徐々に人が引き始め手が空いているのかも知れない。俺達が食べ終えるのを待って、話しかけてきた。
「お客さん達は北の方から来たんですか?」
「ええ、そうよ」
少女は興味津々と言った様子で明るく話しかけてきて、ヨランダがすぐに愛想良く答える。ヨランダの気さくな様子に気を良くしたのか、少女は好奇心を全面出して瞳を輝かせ話し掛けて来た。
「うちも北の方のお客さんにもよく利用して頂いているんですよ、ほら大きな商会の人達で確かマテラッツィ商会さんだったかな。みなさんもそちらの関係者ですか?」
「ううん、私達は違うの。どちらかというと商売敵かしら? まあ、とても太刀打ち出来る規模じゃないのだけど」
「へえ、そうなんですか? 珍しいですね、マテラッツィ商会さん以外の商人さんがこの街に来るなんて」
「そうなの?」
「何でも、昔はあちこちの商人さんを見たって話ですけど、最近ではマテラッツィ商会さん位しか来られなくなったんですよ。この街に来ると必ず寄ってくれる常連さんは、そのせいで商品の値段が年々下がって行くんだって、ぼやいてました。お客さん達が北の方なら、どんどん来て商品を買って行って下さいよ」
少女は常連客の商売が上手く行って欲しいのか、期待を込めて言った。
「う~ん、うちは自前の船を持っていなくてなあ、出来れば来て貰って買い取りたいと思っているんだが、誰か北まで運んでくれるような人を知らないか?」
良い機会だと思ったのか、ゴードンが横槍を入れる。この店は商人達の溜まり場でもある為、もしかしたら最適の人物に心当たりがあるのではないかと期待を持ったように感じられた。だが、少女の口から語られたのは、あっさりとした否定の言葉である。
「それはちょっと難しいかも知れないです。北に行くのは大変らしくて、暗礁領域とか海賊に襲われるとかで、この街でも随分被害が出たみたいなんです。それに何とか向こうについたとしても、向こうの港はマテラッツィ商会さんが牛耳っていて、ここで売る値段と同じ値段でしか買って貰えないとかで、それならここで売っちゃった方が危険も無いし儲かりますからねえ」
流石にこう言った店で働いているだけ有り、しっかりとした情報を持っていて、世間話でもするように事情を説明してくれる。その話は概ね俺達の知る情報と同じであったが、こちら側の人間がどう考えているか知る事は貴重な情報だと言えた。
「そうか、残念だな」
ゴードンは無念そうに話を終え、少女は一礼すると俺達が食べ終えた皿を片付けて、厨房に運んで行く。俺達はその間に代金を机の上に置き、再び身支度を調えると店を後にしたのだった。
食事を済ませた後、俺達は全員でマーレーガの市場を見て回る。
丁度夕飯の買い物に出てくる人々とかち合う時間帯なのか、市場は熱気で溢れ、多くの人で賑わっている。この世界でこれほどの賑わいを見たのは、ルーデンブルグの祭り以来であり、これが日常の風景だというなら、祭りでも行われた日にはどうなってしまうのか、想像するに恐ろしい光景である。
買物は主に香辛料の補充、メセルブルグで待っている家族へのお土産、それからヨランダがさらに買い込んだ布地である。おかげで俺とゴードンは、大きな荷物を背負い両手にも抱え込んでいる。
女性達も何某か抱えており、これ以上の続行は無理と判断したところで、俺達は一旦宿屋に戻った。
「これからどうする? 俺はもう一度市場を見て回りたいんだが」
俺が三人に確認すると、ヨランダは買い込んだ荷物を見てしばし考え込み、やがて諦めたように首を振りながら言った。
「私ももっと買い物がしたいと言いたいところですけど、今回はこれで十分です。出来れば一旦帰って整理したいところですね」
「じゃあ、俺はウートに付き合うとするか」
「何を言っているんです? 私ひとりじゃ整理しきれませんから手伝って下さいな」
「え? マジで?」
「当然です!」
ヨランダの宣言に当てが外れたのか、ゴードンはガックリとうなだれた。大方二人になった所で飲みに繰り出そうとでも思っていたのだろうが、ヨランダには完全にお見通しのようである。
「行ってまた戻って来るか?」
「そうだなあ、正直に言って飯屋のお嬢ちゃんが言っていた事からすると、ここでも荷を運んでくれる人材を探すのは難しいのかもしれん。俺達が買うから来てくれと言ったとして、どれだけの信用を得られると思う? 正直難しいだろうぜ」
俺はゴードンの言葉を反芻し、自分でも検討してみる。商売というのは何より信用が大事なわけであるが、その信用とは別に人柄の事ではないのだ。
商売における信用とは、実績に培われた評判、資本の大きさ、簡単に言えば商人としての名声と金払いの良さである。当人の人柄なんて最後の最後にしか考慮されない類のものである。
南方大陸の商人達は、北方大陸の、とりわけレーデンハイム王国における商取引がマテラッツィ商会に牛耳られている事を承知している。そんなところへ俺たちがノコノコやって来て取引を持ちかけたところで、マテラッツィ商会を敵に回してまで取引する事が得かどうか天秤にかけるだけであろう。そして、まず間違いなく選ばれるのは信用のある方、この場合マテラッツィ商会の方である。
そしてそんな話がマテラッツィ商会の耳に入れば――これはまず間違いなく伝わると考えるべきだろう――、報復を覚悟して臨まなければならなくなる。
「確かにな、思った以上にハードルが高いな。まあ、それが解っただけでも良しとすべきか」
「ああ。帰って作戦の練り直しだな。俺達はこれで引き上げる事にするぜ」
俺は同意のしるしに頷いてから、側に立つアマーリアの方に向き直った。
「俺はもう少し一人で骨董屋巡りをしてくるよ。アマーリア、すまないが二人を送り届けて欲しい」
「ええ、承知しました。夜にはお迎えに上がります」
「そうしてくれると助かる。じゃあ、俺達はその後直接メセルブルグに戻るから、またなゴードン」
「ああ、またなウート」
俺は、ゴードンとあいさつを交わしてから一人で市場に戻る為、宿を出たのだった。
ゴードンたちと別れた俺は、足早に市場へと戻って行った。
市場は俺達が確保した宿屋から徒歩で二十分程の距離であるが、足早に歩いた俺は十五分程で市場に戻ると、骨董品が立ち並ぶ一角へと向かった。
先程見かけたときは荷物が多くなっており、じっくり見ることが出来そうに無かったので素通りしたのだが、さすがに交易地に開かれた市場の出店とあって、なかなか興味深そうな品が取り揃っている。
ただ残念なことに、夕刻が近づきつつある事もあり、そろそろ市場は閉まる時間に近づいている。俺はポーチから慌ただしく『片眼鏡』を出して装着すると、早歩きしながら魔力の痕跡を探して歩き出した。
本来であればじっくりと、魔法道具とは関係なく見て回りたいところなのだが、何事にも優先順位というのがある。
骨董屋の店先には、いかにも曰くありそうな商品が並べられ、一癖も二癖もありそうな店主たちが、手ぐすね引いて鴨を待っている。そんな中、掘り出し物を探し出して丁々発止とやりとりするのが醍醐味であるのだが、生憎と期待したような魔法の反応は見つけられないようだった。
それならそれで問題は無い。価値ある物を見つけたいのは当然の事だが、価値ある物と欲しい物が一致しないのも良くあることだ。例えば俺の一番のお気に入りはアマーリアの木造であるが、それ自体には何の力も無い。だが、あれを見た本人でさえ感嘆するほどの出来栄えであり、芸術品的価値は計り知れない物なのだ。
俺は一度早足で通り過ぎた通りを、今度はゆっくりと戻りながら見て回る。
目に映る殆どは『片眼鏡』を通さなくても解るガラクタばかりだったが、俺は途中で武器を売る店に立ち寄り、短刀を物色する。ハルケートに与える練習用の短刀を見つくろうためだ。
店主に断わって鞘から抜いて中身を確認したり、抜身のバランスを確認したりしながら数本をチェックする。特に気に入った物は無かったが、練習用と割り切り、そのうちの一本を選んで店主と交渉を開始する。
最初に銀貨十枚を吹っかけられたが、刃元の汚れや柄頭の摩耗、刀身の傷や刃が欠けた場所など根掘り葉掘りクレームをつけて、銀貨三枚にまで値切った。
正統な交渉をしたはずだったが、最後は泣き顔になりながら店を片付けさせてくれと懇願される羽目になった。俺が頑として譲らないと知ると、銀貨三枚を奪い取る様にして受け取り、売買は成立した。
(なかなかいい取引だった。「二度と来るな!」とか言われたけど、必ずまた行く事にしよう。交渉も次はすんなりと纏まるだろうし)
俺は納得の値段で買えたことでホクホク顔だったが、気付けば日がとっぷりと暮れている。
(思ったより夢中になっていたようだ、こんなに時間が経っていたとは。三時間位しか粘っていない気がしたが、時間があればもう少しまけて貰える箇所も探せたんだが・・・・・・。まあいいか、急がないとアマーリアを待たせてしまう事になるし)
焦った俺は宿屋へと帰る足を速め、脳裏に描いた宿屋までの道を短縮するため、来た道とは違う横道に入り、裏の路地を抜けようとした。
だからその場所を通りかかったのは全くの偶然であった。
そして、それを見つけたのは『片眼鏡』を付けた儘だったからである。
『片眼鏡』を付けていなかったら、暗闇でそれを見つけるのは到底無理だったと断言してもいい。そこは樽の残骸や廃材が無造作に積まれた一角で、それらが作り出す物影は暗闇に包まれ、常人の目には見通す事など不可能だからだ。
『片眼鏡』に暗視機能などついてはいないので、俺がとらえたのは魔力の痕跡と言う事になる。
そこに昏く蠢めいていた、黒く、藍く、粘着質な、気味の悪い魔力を感じたのだ。
“好奇心は猫を殺す”ということわざがあるが、俺の厄介な好奇心は結果的に逆の結果をもたらす事になる。
俺は暗闇を見通すため、最近覚えた『暗視』を使用する。この魔術は、暗闇では真価を発揮するが、路地裏のような窓から明かりが漏れたりかがり火が焚かれていたりするような場所では、頻繁に変化する光の調整が難しくて使い難い魔術である。
そのせいもあって、その時まで使用していなかったのであるが、使用して物陰を確認した途端、俺は驚愕に目を見開いて思わず暗闇に手を伸ばし、それに触れようと試みた。
その瞬間、それの表面を蠢くように這い回り、縛り付けるようにしていた魔力が、鎌首を擡げた蛇の姿を取ると、伸ばした俺の手に素早く噛み付くように攻撃してきた。
「ウッ! クソ、いてえじゃねえか!」
手の甲に噛み付かれ、強い痛みが走る。血は出ていないが、一部焼けたような感覚がある。それでも俺は諦める気にはならない。
何故そんな事になっているのかは解らないが、忌々しい魔力が縛っているのは俺にとって絶対に見捨てる気にはならないものだからだ。
(とりあえず、このへんな魔力の塊を何とかする方が先だな。相手を縛る拘束系の魔術か何かだろうか? まず、視てみるか)
俺は『片眼鏡』を使用し、魔力の流れを見極めようと試みる。魔力は自然界では非常に不安定なエネルギーであるため、偶然そこに発生している等と言う事はありえない。
魔術による術式か、何らかの物質や物体に宿って効果を発現し安定化させているはずである。俺には注意深く観察すればそれが解るという自信があった。
(みつけ・・・・・・た! これが魔力の核を成しているみたいだな)
俺が見つけたのは、気味の悪い魔力の源となっている首輪状の物体で、喉元にある核となる部分がその中心であった。
「今、助けてやるからな『解呪』」
俺は『片眼鏡』で見つけ出した魔力が宿っている物体の核を解呪し、気味の悪い魔力を霧散させる。
それを『片眼鏡』で確認した俺は、再びそっと暗闇に手を差し伸べ、弱々しく横たわるものをそっと腕の中に抱き上げた。
重量はほとんど感じられないほどに軽く、大きさは両掌に僅かに余る位しかない。全身を真っ黒な毛並みに覆われ、しなやかで優美な肢体を今は力なく横たえている。
それは極上の柔らかさと温かさを掌に伝えて来て、俺は甘美な幸福感に全身がつつまれるのを感じた。
そしてそれは抱き上げられた事が解ったのか、俺の指先をペロっと弱々しく舐め、それきり身動きしなくなってしまう。かなり衰弱している様子だった。
だが、その様子は儚げで、保護欲を誘い、俺のハートを一瞬で鷲掴みするには十分であった。
(大変だ! 急いで帰ってアマーリアに診てもらわないと)
抱き上げてからよく見ると、全身のあちらこちらに切り傷や、擦り傷があり、そこから血も滲んでいるようだ。
その状態で、さらに気味の悪い魔力に縛られ衰弱してしまったのだろう。
(クソ、誰がこんな目に。わかったらとっちめてやるぞ)
俺は強い憤りを覚えながらも、急いで宿に向かうため立ち上がる。その拍子に、先ほど俺が『解呪』したものが首から外れて指の端に引っかかった。
(一応持って行っておくか、後から手がかりになるかもしれないし)
俺は負担のかからないように気をつけながら片手を空けると、それを腰に下げたポーチに放り込み、宿へと急ごうとした。
「おい、そこのお前! 今すぐそいつをこっちに渡せ!!!」
ドスの利いた声に振り向くと、声をかけてきたらしいガラの悪い男と、その背後に数名の男たちが続いている。もう一方の通路にもいつの間にか男たちが現れ、両側を完全に挟まれ逃げ場を無くした格好だ。
「そいつ、というのはこの子の事か? この子をどうする気だ」
俺は怒りを押し隠し、極めて冷静な声を出そうと努める。そうしてしまわないと、ついつい暴発してしまいそうな状態なのだ。
「てめえにゃ関係ねぇ! 痛い目見たくなけりゃあ、大人しく言う事を聞いて、そいつを置いて行けば良いんだよ」
益々ドスを効かせて俺を脅そうとするが、俺もすっかりこういう事に慣れっこになってしまった。正直スピッツの吠え声ほどにも心に響かない。
「この子の傷もあんたらの仕業か?」
「だったらどうだって言うんだよ、このボンクラ親父が!」
「いやなに、こっちも丁度こんな事をした奴らに、この子と同じ目に遇わせてやりたいと思ってたところなんでね。丁度良かった、この腐れ外道の屑どもがあ!!!」
俺は奴らが現れた瞬間に用意しておいた『魔法の矢』を発動し、男たちの全身に傷を負わせていく。死なないように威力は加減しているが、形状は鋸の歯をイメージして痛みを強調するように調整している。
「グアッ!」
「ギャア!」
「痛てぇ!」
一瞬で、その場が阿鼻叫喚に包まれる。
だが、威力を加減した分相手を倒す迄の力は無く、男たちはそれぞれ刃物を抜いて向かって来ようとする。
だが俺はそれを許さず、再び『魔法の矢』を発動すると顎先に強い衝撃が起こる様に当てて行く。
脳を激しく揺さぶられた男達は、脳震盪により立っていられなくなり次々と膝から崩れ落ちて行く。それでも健気に立っている者もいるが、生まれたての小鹿のような足取りでは俺の脅威にならない。
俺はその効果を確認すると、彼らを無視してサッサと立ち去ることにした。
「クソ、待ちやがれ、ぶっ殺してやる!!!」
立ち去った後には、負け犬の遠吠えが響いていたのだが、先を急ぐ俺の耳には一切届く事はなかったのだった。




