とある浜辺の喧嘩事情
海を渡る風が、塩分を含む湿った空気を運び、嗅ぎ慣れない独特の香りを運んでくる。
真っ白な砂浜に仰向けに横たわり、椰子の葉で作った日除けの下で心地よく微睡む俺にとっては、それすらも心地よい眠りへ誘う清涼剤だ。
何十年ぶりか思い出せないほど久々に海で泳いだ疲労感は、真冬とは思えない周囲の暖かな空気と相まって、俺を本格的な眠りへと落とし込もうとしていた。
俺が魅惑的な睡魔への抵抗を諦めるどころか、脳内で擬人化された極上の姿態に喜び勇んでむしゃぶりつこうとしたとき、砂浜の上を軽快に走り寄る気配が、すんでの所で淫夢へ落ち込む俺の意識を繋ぎ止めた。
「ご主人様、見て見て! こんなに綺麗な貝殻が、いっぱい落ちていたの」
子供特有の、しかも女の子の発する甲高い声に、眠りに落ちる寸前だった眠気を削ぎ落とされた俺は、腹筋に力を入れて起き上がり小さな手のひらの上に広げられた大小様々な貝殻に目に止めた。
その手の上に、俺の目から見ても色とりどりの美しい貝殻を広げ、嬉しそうに目を輝かせるクラリッサの顔は、以前瀕死だった頃を思い出すのが困難なほど楽しげに輝いている。 俺はクラリッサの頭をクシャクシャと撫で、彼女の手際を褒めてやる。
「凄い綺麗な貝殻じゃ無いか、良くこんなに集めたもんだな」
「えへへ、凄いでしょう。アマーリアお姉様と拾ったんだよ。ご主人様の分も取ってきてあげるね」
「ああ、頼むよ」
クラリッサは元気よく頷くと、集めてきた貝殻を自分の荷物の側に持って行き、再び浜辺へと走り出した。彼女が向かう先には、俺の感覚から言うとかなり野暮ったく布面積の大きい純白の水着を着たアマーリアが、優しそうな笑みを浮かべてクラリッサが戻ってくるのを待っている。ちなみにクラリッサも、ほぼお揃いのピンク色の水着を着ている。
(うん。クラリッサにはワンピースの子供水着みたいで似合っているけど、やっぱり大人の女性には野暮ったいよなあ、アマーリアならどんな水着でも着こなしそうだし。それに)
俺は視線を動かして、波打ち際でミリィと水遊びしているユーリエに視線を移動させる。
(もしかしたら水着姿、特にビキニならユーリエの方が似合うかもしれん。何というか、グラビアアイドルって感じだな)
俺は碌でも無い思考を飛躍させ、脳内で二人に似合いそうな水着を取っ替え引っ替え着せ替えして、一人で悦に入っている。ただの変態行為だが、男なら誰でもやっている事だ。
しかし少々やり過ぎたのか、下半身がアレな感じに成りそうだったので、俺は再び砂浜に勢いよく寝転ぶ事で卑猥な想像を中断し、大きく満足げに伸びをして再び微睡みに入った。
遠くからは、ハルケートやヨハイムが海辺ではしゃぐ声や、波に驚いて泣くミリィの泣き声も聞こえてくる。みんなそれぞれ楽しんでいるようだ。
俺は再び微睡みに入り込む傍ら、今回の慰安旅行に至った経緯をボンヤリと思い出していた。
レイフル伯爵邸での夜会の翌日、鏡台に関する反応や料理の感想を確認した俺達は、満足出来る結果と共にゴードン宅に戻って寛いでいた。
今日から年明け三日迄の五日間は、以前からハンナと相談して年末年始休暇と決めていたので、慌ててメセルブルグへ帰る必要も無く、のんびりと昼食の後のお茶をご馳走になっているのだ。
本来であれば、俺はこの休暇を利用して家族サービスをしようと思っていたのだが、具体的な計画を立てる直前に今回の話が持ち上がり、必要な準備をする時間が取れなかった為、話す前に半ば断念しかかっていた。
だが、事業の成功を確信して気分がハイになっていた俺は、無茶振りにも程がある計画を思いつき、実行に移すことにした。
その計画とは、アマーリアの『転移』を利用した家族旅行である。
「アマーリア、何処か皆で遊びに行けるような場所知らないか? 出来れば温泉とか」
「温泉とは何です?」
俺は温泉ぐらい有るだろうと当然のように気軽に聞いてしまったが、どうやらこの世界には温泉の存在が知られていないらしい。俺は温泉とは何かを、アマーリアに理解して貰う為に熱く力説した。
「火山のある場所で、地面から湧き出ているお湯ですか、この“世界”には火山として知られているのは遙かに南のツォルベク大火山ぐらいですから、そこに行けばあるのかもしれませんが、生憎行った事がございませんので・・・・・・」
アマーリアが残念そうにそう答え、その場に居合わせたゴードン夫妻も聞いた事が無いらしく、俺は温泉を諦めざるを得なかった。
(くっそ~、温泉なら合法的に混浴状態に持ち込めて色々楽しめたのに、まさか存在していないとはな。俺史上最大の損失と言っても過言じゃ無いぞ。まあ、ならば次の手だ)
「じゃあ、何処か暖かい場所とか、海とかで泳げる場所とか知らないか?」
俺は温泉を諦める代わりに、時点の策として考えていた海水浴に目的を切り替える。もちろん目当ては女性陣の水着に決まっているのである。
「それなら、一度だけ行った事のある南方大陸の保養地は如何でしょう? あいにくと千年前の話なので今も街が残っているかは解りませんが、真っ白な砂浜が綺麗なところですよ」
俺はアマーリアの話しに興味をそそられ、その場所に行ってみたいと思った。千年前と今がどう変わったのか、それを実際に知るものの言葉で聞けるなど歴史好きには堪らないイベントである。それに、美しい砂浜で美女達の水着姿を堪能出来るなんて、夢にまで見たリア充イベントで男の浪漫じゃ無かろうか。
一方で、ゴードンは南方大陸と言う地名に反応したのだろう、話に割り込むようにしてアマーリアに尋ねた。
「アマーリアさんは南方大陸にも『転移』可能なのか」
「ええ、『転移』は一度行った場所か、明確に目標地点を定められる場所にしか使用出来ませんが、南方大陸は一度だけ訪ねた事がございますので」
「なら、マーレーガへ行く事は出来ないだろうか?」
ゴードンは、アマーリアに期待する眼差しを向け、返事を待った。アマーリアは小首を傾げ、すこし考え込んでから答えた。
「申し訳ありません。初めて聞く地名なので、直接向かう事は無理ですわ」
「そうですか・・・・・・」
ゴードンは、すこし落胆してから考え込む様子を見せている。
(そうか、例の海上輸送をやってくれる船長を捜しに行きたいんだな)
俺はゴードンの目的を察し、調整をしてみる事にした。
「アマーリアは南方大陸には行けるけど、現在のマーレーガという都市を知らないって事なんだよな?」
「ええ、残念ながら私の記憶にはございませんので、私が眠った後に発展した都市なのでは無いかと思います」
「俺もマーレーガには行ってみたいんだが、何とか出来ないかな?」
アマーリアは少しだけ考え込む様子を見せ「すこしお待ち下さい」と告げてから『転移』を使用して何処かに移動し、三十分程して戻ってきた。
戻ってきたその手には、一枚の古いタペストリーが握られていてアマーリアはそれをテーブルの上に広げると、俺たちを招き寄せた。
「これは、もしかして世界地図なのか」
俺はそれを見て、思わず感嘆の声を上げてしまう。タペストリーに描かれているのは、この世界に暮らす人々が“世界”として認識している“人”が住む領域を描いた物だった。そこは、天然の要害に守られて偶然出来た脆弱な“人”が暮らせる唯一の場所とされている。
このタペストリーには、その“世界”が広大な世界から切り取られた箱庭のようにして描かれていた。
「フフフ、さすがはウート様。すぐにこれがなんだかお解りになるのですね」
「普通解るだろう?」
「お解りになりますか?」
アマーリアの最後の言葉は、俺と同じくタペストリーに描かれた地図を見つめるゴードンに向けたものだ。
「言われてみれば・・・・・・、かな。そもそも地図自体、町中の案内図以外では殆ど見る事が無いからな。貴族か許可を得た人間以外は所有を禁じられている物だし」
「地図の所有がその地域の支配権の所有と同義であると言う理屈も解らないでは無いが、世界地図を得たとしても世界征服出来る訳じゃ無いんだから、地図も知識の一つとして解放すべきだと俺は思うがなあ」
地図が身近な世界で育った俺には、貴族階級が作り上げたそのルールに違和感しか無いのだが、この世界のルールを積極的に変えようとまでは思わない。俺はそこまで傲慢には成れないし、俺自身にそれ程メリットのある話しでも無いからだ。
俺は再び地図を眺め、自分達が暮らす北方大陸からメセルブルグの位置を探す。フロイツ山脈というランドマークのおかげで、割合直ぐにその位置は推測出来た。地図に描かれた“世界”の中でも、随分と西に位置している。そもそも、レーゼンハイムが“世界”の中でも西に位置する国で有り、そのさらに西の辺境近くがメセルブルグのある場所なので、ある意味当然なのだが・・・・・・。
俺は地図をざっと眺め、視線を南方大陸に向ける。実のところ、海に隔てられて直接行く事が出来ないと考えられている為に南方大陸と呼んでいるが、西や東の果てには、広大な辺境域が広がっている為に確認出来ないだけで、実は北方大陸も南方大陸も一つの大陸であるとする言い伝えがあったりする。
もし本当にその言い伝えが真実だったとしても、直接向かうなら船の方が断然早いので確かめる気にはならないのだが、この世界の広大さを計る一つの情報ではあった。
「ゴードン、マーレーガの位置は解るか?」
俺はタペストリーに描かれた南方大陸の周辺を眺めながら、ゴードンに尋ねた。地図を見た事が無いゴードンに正確な位置が示せるのか、若干の不安を感じてもいた。
「ああ、解るぜ。マーレーガは南方大陸から付き出た半島の東側中央付近にある湾の内側に築かれた街なんだ、だからこの辺りの事だろう」
ゴードンは具体的な位置に関する伝聞を元に、その場所を指し示した。その言葉に淀みは無く、かなり特徴的で具体的な表現で有るため信頼出来そうだった。
「アマーリアが『転移』で飛べる位置は?」
今度は、アマーリアに『転移』可能な位置を指し示して貰う。アマーリアは長く美しく整った優美な指先で、ゴードンが指し示したマーレーガの位置より、さらに南の地点を指さした。
「たしか、この辺りですわ」
「以外と近いな。陸路なら二日から三日と言うところか」
俺はそれを見てスケールを目算し、大体の距離を思い描く。この距離感は、現地で馬車を調達すると仮定しての時間だ。
「行くか?」
「ああ、もちろん。行くに決まってんだろ!」
ゴードンの威勢の良い声に俺はニヤリと笑い、俺も自分の計画を遂行する事に決める。
「決まりだな。早速準備しようぜ、俺は家族を連れて旅行のついでに付き合うよ」
「ついでかよ」
「この案件は、そっちが主体だからな。俺は向こうで新たな食材探しがやりたいだけだし。アマーリアも問題無いか?」
「ええ、あちらは今が夏ですから、海で泳ぐ事が出来ますわ。皆さんで一緒に泳ぎましょう」
アマーリアは、珍しくはしゃいだ様子で笑顔を見せて、俺の案を積極的に賛成してくれる。その事で、移動を気軽に頼めるようになり、安心して計画を進めることが出来る。
俺とゴードンは、計画の大筋を話し合い、大まかな段取りを決めた。
「よし、そうと決まれば早速準備に掛かろう。先にメセルブルグに戻って皆に知らせてくるから、その間に準備しててくれ、後でアマーリアに迎えをお願いするから」
俺の言葉にゴードンとヨランダも頷き、俺はアマーリアとメセルブルグへ戻ったのだった。
(あの後は怒濤の準備に追われることになったが、皆満足そうに楽しんでいるし、来て良かったな)
俺は子供達を中心とした歓声を遠くに聞きながら、慰安旅行兼家族旅行の決行に満足を覚えていた。最初は全員が驚いていて、それでも問答無用で準備させて連れてきたのだったが、今回の様な計画には多少の強引さも必要なのだし、サプライズプレゼント的な仕掛けのつもりでもある。
俺達は、アマーリアの『転移』でマーレーガの南にあるカチュアと言う街の側に移動した。残念ながらアマーリアの記憶にある街では無かったが、保養地であることは同じで、美しい砂浜を最大の売りとした観光の街であった。
街の郊外には宿泊用のロッジが建ち並び、観光客の為に貸し出されていた。俺はそのうちの一つを借り上げると、残りの必要な物をカチュアで調達し、数日間家族が滞在出来る準備を整える。特に水着は好みの物を熱心に探したが、生憎とビキニなどの際どい水着を見つける事は出来ずに、密かに悔し涙を流したのだった。
一方でゴードンは、カチュアで馬車を調達してからヨランダと二人でマーレーガに向かった。マーレーガは馬車で二日程かかり、十分な家族サービスが出来ないと判断した俺は、一緒にマーレーガに行くことは止め、後から魔法で合流する事にし、それまでここで家族と共に過ごすことにしたのだった。
俺が突発的に計画した家族旅行だったが、今回の旅行を一番喜び、誰よりもはしゃいでいるのはクラリッサだろう。
特に彼女は、いつの間にかアマーリアを『お姉様』と呼ぶようになっており、俺の第二夫人となった事にも異を唱えなかった。これはユーリエに対する態度と比べると不可解にも思える出来事で、アマーリアが第二夫人なのを認めることは、ユーリエが第一夫人で有ることも認めることになると思うのだが、以前のようにユーリエに突っかからなくなった事を思えば、それをも受け入れたと言うことなのだろう。
俺個人としても家庭内が平穏なのは願っても無い事であり、クラリッサの態度に手を焼いていた俺としては有難い話であった。
(ああ、平和だなあ。家族旅行万歳だ。元の世界じゃ出不精で「別に海外旅行なんか行かなくても、ゲームで異世界旅行楽しんでるようなもんなんだから、別に何処にも行かなくて平気だ」なんて言ってた過去の俺に教えてやりたいぜ)
俺は計画を遂行した達成感と満足感に浸りながら、取り止めの無い思考を微睡みの中で繰り広げていた。
だが、その平穏は突如として響き渡ったクラリッサの声によって終焉を迎える。
「なんなんですの、貴方達は! お姉様に近づかないで!!!」
切羽詰まった焦りと怯えの混じった声が、俺に危機感を抱かせる。咄嗟に跳ね起きると、浜辺の全体を視界に捉える。
声のした方角を見ると、クラリッサとアマーリアが四人の男達に囲まれている姿が見えた。どうやらナンパか何かでアマーリアが絡まれたのを、クラリッサが警戒して声を上げたと言うところだろう。
(やれやれ、相手の正体も知らないでいい気なもんだな。放っておいてもアマーリアなら大丈夫そうだが、一家の大黒柱としてはそう言う訳にもいかないか)
俺は、自分の荷物の中から『片眼鏡』を取りだして装着する。絡んできている男達は、遠目にもいい体格をしている様に見えたので、自衛手段の為である。
俺は立ち上がると、小走りに二人の元へ向かった。走りながら『物理守護』『魔法の盾』を展開し、『魔法の矢』を千分の一分割で発動待機状態にする。
「クラリッサ、アマーリア、一体どうした?」
俺はわざと大きな声を出して、二人に絡んでいる男達の注意を引く。アマーリアを、下卑た視線でニヤニヤと見ていた男達は、俺の声に胡乱な視線を向け、俺の姿を認めると振り向いて拍子抜けしたかのような嘲りの笑みを浮かべた。
俺は男達から二メートルぐらい離れた位置に立ち、全員を素早くチェックする。
男達は四人いて、全員が南方大陸に住む人種特有の明るい褐色の肌をしており、いずれも鍛え上げられた逞しい体付きをしている。そして、海に来ているというのに全員が腰の後ろに反りのある刃物を差していた。
そして、全員が頭にそれぞれ赤、黄、青、緑色を基準としたカラフルな布を巻いており、端っこを顔の横で垂らしている。どことなくターバンのようだが、頭髪は見えており全体を覆う物では無く、厚みも薄かった。全員が上半身をはだけており、簡素な袖の無い単衣を羽織っている。腰から下は黒っぽい膝上丈のズボンを履き、足には革のサンダルを履いている。
男達は全員が、荒事に慣れた空気を醸し出しており、俺を見て一瞬で格下と判断したのだろう、一番近くに居た青色の布を巻いた男が、俺の事を虫でも払うかの如く手を振りながら言った。
「痛い目を見たくなけりゃ、オッサンは引っ込んでろや」
その男の言葉に同意するかの如く他の三人も俺を嘲笑い、アマーリアに向き直ると粘っこい視線を露出した腕や足、そして大きく膨らむ胸に向けた。だが、俺はそのタイミングを捉えて恐れる気配も無く男達の間を通ると、男達の視線を遮るようにクラリッサとアマーリアの前に歩み寄った。
俺のその様子を見て、自分達が歯牙にも掛けられていない気配を敏感に感じたのだろう、男達が気色ばむのを背中に感じる。普段暴力を頼みとしている男達は力による序列に敏感だ。俺は嘲られた報復に、それを知りながらワザと煽って見せたのだ。
「ご主人様、この野蛮人達がアマーリアお姉様にいやらしい事を言って連れて行こうとするんです」
傍に来たクラリッサの頭を安心させるように撫でてやりながら、アマーリアとアイコンタクトを交わす。彼女の瞳は冷静で男達に対する怒りは無く、どうやら様子見といった感じだ。
彼女ならこんな連中歯牙にも掛けずに追い払ってしまえるのだろうが、それはそれでどんな事態を招くか知れた物では無い。ここは俺が“穏便”に解決を図るべきだろう。
俺のそんな優しい心を知らない男達は、煽られた怒りもあってか乱暴に俺の肩を掴んで振り向かせようとする。遠くの方でユーリエがミリィを抱えて心配そうにこっちを見ているし、ハルケートとヨアヒムもその側に立ってこちらを見ていて、段々と場には緊張感が漂いだしている。
(まったく、せっかくの楽しい家族旅行の雰囲気が台無しじゃねえか。大体、アマーリアに声を掛けるとか、少しは身の程を知れよ。俺なんて向こうから迫られても遠慮しているというのに、どう言う神経してたらこんな真似が出来るんだか、あきれ返るわ)
相手を選ばぬ男達の無神経さと、家族旅行に水を差された事で、温厚な俺も怒りを覚え始めていた。
その事を男達に態度で示すべく、肩を掴まれた手を振り向きざま強引に打ち払った。
俺に振り払われた頭に青い布を巻くその男は、直ぐに怒りの余り顔を紅潮させ、拳を振り上げて殴りかかってきた。
俺は避けずにその拳を受け、左の頬を強く殴られる。だが、密かに発動させていた魔法が殴打の衝撃を和らげ、ダメージを緩和する。俺は殴られた場所を軽くさすり、倒れずにその場に立っていた。
如何にも「大した事の無い攻撃だ」と言わんばかりのその様子に、殴った男は逆上し、さらに殴り掛かろうとするがそうそう何度も殴られてやるほど俺もお人好しでは無い。
最初に殴らせたのも「正当防衛」を成立させる為で、それさえ済めば遠慮など無用だ。
俺は殴りかかろうとする相手にスナッピィなジャブを放つ。そして、その拳の先にこっそりと『魔法の矢』を発動させて相手に命中させる。
千分の一に分割されたとは言え、今の俺が使う『魔法の矢』の威力は中量級のプロボクサーほどの威力がある。カウンター気味にその攻撃を食らった男は、一メートル以上吹き飛んで砂浜の上に倒れ、俺を信じられないと言う顔で見ていた。
「アマーリア、子供達とユーリエを頼む」
「かしこまりました」
アマーリアはクラリッサの手を引いて、その場を離れていく。俺は安心して男達に向き直った。
「オッサン、てめぇ、覚悟は出来てるんだろうなぁ」
四人の中で、ややガッチリした体格に黄色い布を頭に巻いた男が、苛立ちを隠そうともせずに俺に凄んでくるが、まがりなりにもワイトと言う上級怪物を相手に死線を潜り抜けた俺には、そよ風のような圧力でしか無い。
「お前らこそ、せっかくの家族旅行を台無しにしやがって、盛ったガキは家に帰って○○でもかいてろ」
俺はそう言って、野良犬でも追い払うように男達にシッシッと手を振った。四人の男達の顔が、怒りの余り赤からどす黒く染まる。
男達が今にも殴りかからんとするのを挑発するように、俺は波打ち際まで下がり彼らを誘導する。冷たい波がくるぶしの辺りを時折撫でて通り、心地よい刺激を感じる。男達の猛り狂った態度を見ても慌てることは無く、かえって冷静に対処することが出来ている。
「死ねやクソオヤジが!」
そう言って殴り掛かってきた黄色の布を頭に巻いた男の腕を払いつつ、腹に拳を軽く当てる。それと同時に『魔法の矢』を当て、拳では有り得ないダメージを出すと、男は体ごと浮き上がり腹を抱えて崩れ落ちた。
次に殴り掛かってきたのは、先程俺に逆襲された一番年の若そうな頭に青色の布を巻いた男だ。俺はその男も同じようにして足下に打ち倒す。自分でも驚くほどあっさりと二人を打ち倒して、俺はニヤリと残りの二人を見て笑う。さすがに二人は怯んだ様子で、怒りで黒くなりかけていた顔色は青白くなり血の気が引きかけている。それを見て、逆に俺は自信を深めていた。
俺が彼らのような荒事に慣れた連中を、こうやって軽々とあしらえるのには、もちろんちゃんとした理由がある。
まず第一に、ワイトとの死線を潜り抜けた事により、荒事に対する耐性が出来た。人間は経験により物事への対処を学んでいく訳だが、その経験が死線を彷徨うほど濃厚で有ったが故に、俺は大抵の事には動じないだけの胆力を得たように感じていたのだ。
次に、アマーリアに指摘されて気が付いた、魔法使用中の知覚能力の増大がもたらした恩恵がある。
アマーリアと初めて『転移』したときに感じた不思議な感覚は、魔法使用時の知覚増幅と言うべきもので、脳の動きが活発化するのか通常時の何倍もの処理能力を発揮することが可能になる。
人間の脳は、視覚情報の処理に大きなリソースを割いているのだが、魔法使用時には脳の動きが活発化することによりその視覚情報の処理に占有されているリソースの割合が総体的に減少する。その事により余裕が生じた脳内のリソースは、より多くの情報を的確に迅速に処理することを可能にする。
それを単純に時間に置き換えると、一秒間が二十秒間に感じられるようになるのだ。
流石にそれだけの違いがあれば、特に戦闘の訓練をしていない俺でもこの程度の相手になら対処することが十分可能で、俺はその効果を存分に実感していた。
「どうした? もう終わりか、ならさっさとこいつらを連れて帰れ」
俺が足下で悶絶する二人を指さし、残りの男達に圧力を掛ける。だが、二人の内のリーダー格とみられる顎髭を生やした頭に赤い布を巻く男が、海だというのに何故か腰の後ろに差していた、前方向に反りのあるナイフを抜いた。俺の知識に寄れば、ククリナイフと呼ばれる大型のナイフだ。
剣ほどでは無いとは言え、十分な殺傷能力がある歴とした武器だ。喧嘩で刃物を抜くのは、情けない話だと思うが、それだけ相手も必死だと言うことなのだろう。だが、刃物まで持ち出されてはこちらも手加減などしようが無い。
俺は『魔法の矢』を百分の一分割で発動待機させ、相手の戦闘力をすぐさま奪い取る方針を固めた。これは当たり所が悪ければ、相手を死なせる可能性もある微妙な出力である。
頭に赤い布を巻いた男が、ククリナイフを構えたままジリジリと俺の方に迫ってくる。残されたもう一人の、緑の布を巻く男も躊躇いがちにククリナイフを抜き、回り込もうとする。さすがに挟まれると、視界が効かない後ろから狙われる可能性も有り、不安が大きい。俺はその前に勝負を決めるべく、赤い布の男に向け自ら間合いを縮めた。
近寄る俺を、そうさせまいとナイフを大きく振って遠ざけようとする男の手を狙って、軽くジャブに見せかけた『魔法の矢』を放つ。
それは強化された威力を存分に発揮し、強い衝撃で男の腕から無理矢理ククリナイフを吹き飛ばす。さらに俺はそのまま踏み込むと、男の下顎めがけてパンチに見せかけながらアッパー気味に『魔法の矢』を撃ち放った。
威力を増した攻撃に、男は盛大に打ち上げられる。そしてクルクルと体を回転させながら、海の中に頭から落下していき、最後には盛大な波音を立てて海中に没した。
(○ャラク○ィカ○グナム!!! なんてな)
俺はレトロな決め技を内心で呟きながら、ただ一人残った緑の布を巻く男に眼光を向けた。さすがにここまでの実力差を見せつけられては、抗しきれないことを悟ったのだろう、男は「ヒッ」と呟きながら手にした刃物を投げ捨て、背を向けて逃げ去ろうとした。
「待て!」
普通は「待てと言われて待つ馬鹿はいない」と言いたいところだが、声に込めた威圧のためか、それともたった今見せつけた実力からなのか、男は立ち止まり、恐る恐る振り向いた。
俺は親指を立てた手で頭の後ろ方向を指さして、逃げようとする男に言い放つ。
「アレを回収していけ、放っておいたら死んじまうぞ」
男はしばし逡巡したものの、俺の怒りを買う愚を避ける為かそれとも意外に仲間思いなのか、俺の言葉に素直に従い海面にプカプカと浮かびだしていた男を岸にあげ、立ち直りつつあった他の男達と這々の体で逃げ出していった。
(やれやれ、とんだ騒ぎに巻き込まれたな。今日は早めに引き上げるか)
俺が男達を見送って、ユーリエ達を連れてロッジに戻ろうと歩き出したとき、またしても不穏な気配を感じて視線を浜辺の端に向け、それを確認して目眩がしてくる気持ちになる。
(何だろうなあ・・・・・・、あれ、大名行列か何かだろうか?)
遠くから、ど派手な集団としか言いようのない、煌びやかな派手な集団がこちらに向けて近づいてくる。
その集団の先頭には、頭に金色の布で出来た顔の隠れるフードを被り、首や腕、足首など至る所に金の輪を嵌め、胸と腰を僅かな布で覆っただけの、金色か肌色か目のやり場をどこにすれば良いのか迷う格好をした女性達の一団が、手に持った大きな籠から花びららしき物を振り蒔きつつ、段々とこちらに近づいてくる。
そして、その女性達に隠れてよく見えないが、後ろにはその他にも沢山の人がいて、最後尾には兵士らしき槍を構えた一団も見える。
一見しただけで、身分の高い人間が大勢のお供を連れて外出している様子だと推察出来るのだが、一直線にこちらに向かってくる様子を見ると、厄介事の臭いしかしない。
出来ればサッサと退散してやり過ごしたいところであったが、既にそのタイミングは過ぎ去ってしまった。
俺達が呆然と固まる中、その煌びやかな集団は俺達に近づいてくると、先頭が五メートルほどの距離を空けて立ち止まる。それからさっと人々が左右に分かれ、ちょうど中央に道を空けるようにして傅くと、あっと言う間に人垣で作った道が完成した。その道には、赤や黄色の花びらが蒔かれ、さながら花の絨毯と言った趣である。
(派手だなあ、目が疲れる)
俺はわびさびを旨とする日本人の感性に影響を受けているのか、あまり派手な事は好まない。他国の習慣や美意識にまでケチを付けようとは思わないが、好まないものを押しつけられるのも耐えがたいものがある。目の前で繰り広げられるこの光景は、そのギリギリのラインを踏み越える寸前であった。
そして、道の先から現れた人物を見るにつけ、俺の反感は一気にピークを迎えることになる。
その人物は、頭に先程の男達がしていたような布を蒔いているが、その布地からして金一色なうえに金糸による精緻な刺繍がされているのが見て取れる。布の覆っていない部分から見える頭髪も明るい金髪で、ウエーブの掛かった長い髪が巻き付けた布の間から所々覗いている。
肌はこの国の人種特有の明るい褐色で、身長は百八十センチ以上有りそうである。体付きはやや細身だが貧弱な印象は受けず、ほどほどに鍛えられた印象を受ける。はだけた上半身に単衣を羽織っているのは先程の男達と同じだが、これを同じと言っていいのか憚られるほど煌びやかな衣装で、表面を余すところなく金糸と銀糸の刺繍が覆っている。
下半身のズボンは先程の男達と同じ黒い膝丈の半ズボンだが、チラッと見ただけで明らかにな程に品質の違いが有り、否応事無く格差を感じさせる。
そして何より俺がその男を気に入らなく思うのは、彫りの深い顔立ちに力強いパーツをバランス良く配置し、自信に満ちた表情を浮かべる口元にはキラリと白い歯が覗く、その美男子ぶりである。
(なんだこの嫌みな男は、間違っても知り合いになりたくない。とっとと消え失せろ、天罰でも喰らいやがれ!)
正直に言って、美男子やイケメンでない者には、それらを生まれ持つ者を恨み、呪い、罵る権利がある。
なぜならば、人間が生まれ落ちた瞬間から平等な存在ではない事を、尤も早く自覚させられるのが容姿に関しての事であり、その事により生涯において明確なハンデを負わされることは明白な事実であるからだ。
にもかかわらず、この男は一見して地位も財産も持っている。世の不平等を体現するこの存在に対して、俺がうっかり『火の玉』を落としたとしても、世界の男性陣は俺の擁護に回るに違いない。その代償として女性陣から迫害を受ける事になるかも知れないが、それはやってもやらなくても変わらないので問題にならないのだ。
俺の美男子への憎しみを一身に体現するその青年は、事もあろうにその後ろに数名の女性を引き連れていた。
先頭を歩いていた花を蒔く女性達よりもかなり際どい衣装に身を包み、殆ど体を隠す意味を成さないような、僅かな布を纏っただけで肉感的な肢体を晒している。いずれも艶やかな空気を纏う美女達で、これだけの美女を侍らせているだけでも普通の男が殺意を抱くには十分すぎる理由となるだろう。
(やっぱり、今すぐサクッと焼いておくか・・・・・・)
俺がそんな殺伐とした心情を抱えているとも知らず、男は自信満々に歩み寄ってくる。何をするつもりかと身構える俺を無視して、俺の脇を通りすぎると一直線にアマーリアを目掛けて歩み寄った。
(あ~、またか。アマーリアには失礼だが、野郎ホイホイだなこりゃ)
俺は、アマーリアの男共を引き付ける吸引力の強さに感心する。そして、それにも増して厚かましいこの国の男達に辟易してもいた。
「おお、麗しの我が女神よ。あなたに出会えた事を我が神に感謝します。さあ、私に愛の祝福をお授けください」
派手派手しい衣装に身を包んだその美男子は、アマーリアの前で両手を大きく広げ、仰々しいセリフを吐いたかと思うと、いきなりアマーリアを抱き寄せ唇を奪おうとした。
「お姉さまに何をする気なの、離れて!」
その行動を咄嗟に止めようとしたのは、一番近い位置にいたクラリッサである。おかげで男の行動はすんでの所で阻止される。
それが気に食わなかったのか、男は乱暴にクラリッサを手で振り払った。
「キャッ」
そこには子供に対する加減など無く、小さく軽いクラリッサは、大きく跳ね飛ばされて砂浜に倒れ込む。砂浜の上とはいえ、子供に与える衝撃としては無視できないほど大きなものだった。
ブチッ
俺の中で、何かが盛大にブチ切れる音がする。
せっかくの家族旅行を、楽しい家族の団欒を、勝手に無為にし、あまつさえ家族に手を上げる等、とてもじゃないが許せる事ではない。
俺の怒りに呼応するかのように魔力が自然とあふれ出し、渦となって周囲の砂を巻き上げる。俺は怒りを剥き出しにして、派手男を睨みつけた。
「な、な、なに者だ、まさか私に逆らう気か、私を誰だと思っている! 聞いて驚け、この私こそがこの国の次期国王であるラジーヴ・クシャート・スチャーダ=ラパーなるぞ、下男なら下男らしく隅に畏まっているがいい」
喋っているうちに自分を取り戻しつつあるのか、どんどんと元の尊大な口調が戻ってくる。アマーリアはいつの間にか男の腕から逃れてクラリッサに駆け寄っており、ハルケートはクラリッサの傍らに膝をつきながらラジーヴを睨みつけているし、ユーリエもミリィを抱えて心配そうにアマーリアに介抱されるクラリッサを見守っている。ヨハイムはハルケートの陰に隠れているようだ。
「お前たち、何をしているその不届きものを捕えよ! いや、王族に対して敵意を向けるなど不敬罪だ、殺してしまえ!!!」
集団の後ろにいた兵士たちが、前に出てきて槍を構え、瞬く間に俺を取り囲む。その動きはかなり訓練されたもので、澱みがなく、抜け出す隙は無いように思われた。
ラジーヴは勝利を確信したのか、蔑みと嘲りの表情を浮かべると容赦せずに言い放った。
「殺れ!」
だが、合図とともに槍を付き出そうとした兵士達は、逆に驚いたような表情と共に後ずさる。見れば、兵士達が構えていた槍の穂先はもちろん、根元の方までバラバラに切断されている。
「!!!」
余程訓練が行き届いているのか、誰一人として声を上げる者はいないが、その驚愕ぶりは十分に伝わってくる。当然である、気づかれずに槍の穂先を落とせるのなら、同じようにして首を切り取ることは造作も無くやってのけるに違いないのだ。
それでも兵士達は誰一人逃げ出すことなく、次々に腰の剣を抜き放ち構えを取る。その様子には悲壮感に満ちた決意が漂っており、全員が死ぬ覚悟を決めている気配がする。
(脅しは効かないようだ。ならばせめて全力で苦しませないようにしてやろう)
相手に殺意がある以上、躊躇うつもりは毛頭なかった。何より家族を傷つけられた怒りで理性はとうに消失している。
俺は一つの魔術に込められる限界の魔力を込めて『魔法の矢』を発動待機状態にし、兵士達の人数に一本だけ足した数を複写した後、発動させる。
それは俺の上空に次々と出現し、輝かしい魔法の光を放ち出す。一本一本が込められた強大な魔力で膨張し、もはやそれは矢というよりも投槍にしか見えなかった。その穂先が、それぞれ兵士一人一人に向いている事を、当の兵士達もすぐに気が付いた。気づいていないのは、自称次期国王のラシーヴただ一人である。
それが放たれれば、間違いなくその場の全員が一瞬で死ぬ。それが解っているから、その時を速めようとする兵士は一人もいない。だが、判っていない馬鹿がいて、当然の如く自らの死刑執行書にサインを入れた。
「何をしている、早く殺らないか!」
その声に反応して、兵士達の幾人かが剣を振りかざして前に出る素振りを見せた。対する俺も、せめて苦しまぬようにと、一撃必殺を狙い心臓に狙いを定めた『魔法の矢』を発射する。正にその瞬間であった。
「お待ちなさい!!!」
もしその声が、百分の一秒でも遅れていたら俺は目の前の敵を蹂躙し、辺りには三十体以上の死体が出来上がっていたはずだ。だがその声に反応した俺は、辛うじて大量殺戮にブレーキを掛けた。
俺を制止した声は、不思議な強制力を伴って俺や兵士達の耳に届き、思わず耳を傾けてしまう威厳と、自信に満ちた声だった。
その声の主は、堂々と争いの場に姿を現し、躊躇う事無くこちらに歩いてくるところだった。俺は警戒を続けながらも、しばらくの間成り行きを見守る事にしたのだった。




