とある貴族の買物事情
「うあああああ」
俺は初めての『転移』体験に、思わず大声を上げてしまう。周囲の景色が高速で流れるような感覚と、光の線が通りすぎていくような景色を知覚した後、それが急速に和らいで行き、『転移』が完了するのが自分でも解る。段差から飛び降りるような感覚で地面を知覚したときには『転移』は完了していた。
「思ったよりドキドキした。それに、思ったより時間がかかるな」
俺は、今体験したことを素直に口に出してアマーリアに伝えた。俺の体感では、移動に二十秒近く懸かっていると感じたのだ。それこそ一瞬で完了すると思っていたので、その点には驚いていたからだ。
「いいえ、それは多分、ウート様の感覚が特別優れているからですわ。現実の時間的には、詠唱完了してから移動完了までは一秒もありません。ですがその僅かな時間を知覚し、感覚を引き延ばして体験されているのです。それは、優れた魔法使い特有の素質です。その拡張された時間感覚の中で、不測の事態に対処されようとしたのですわ」
アマーリアがそう言って、俺を褒めてくれる。ただのお世辞かと思ったのだが、一緒に初めての転移を体験したゴードンの言葉で、その感覚が自分特有のものであったことを確認する。
「長く感じたのか? 俺には本当に一瞬にしか思えなかったぜ、それにしてもここはどの辺りなんだ?」
俺もゴードンの言葉につられて、周囲を見渡す。どうやら何かの建物の中のようだが、手入れがされていないのか、ガランとした空間に所々崩れかけた壁が荒れた感じを醸し出している。
「王都の郊外にある放棄された教会跡です。王都までは一時間ほどの距離でしょうか、人のいない場所にした方がよろしいかと思いまして選ばせていただきました」
「よくこんな場所を知っていたな」
「実は、昔この辺りに領地を持っておりましたから、若干土地勘がありますの。目覚めてから様子を見に戻りましたのですけれど、その時に初めて千年経っていたことを知りまして、さすがに当時の面影を見つけることはかないませんでした。同じなのは地形ぐらいのものです」
アマーリアは何でも無いことのように言っているが、つまりは浦島太郎状態というやつである。俺なら途方に暮れ、悲しくて泣いてしまうであろう。俺は彼女の心細さを慮り、アマーリアの内心を窺い知ることは出来ないかと、彼女の表情を覗き込んだ。
そんな俺の姿に何を感じたのか知らないが、アマーリアは嬉しそうに微笑むとすぐ側に近寄って来て腕を絡めてくる。そうすると豊かな胸の膨らみが感じられ、俺は焦ってしまうのだが、アマーリアは全く意に返さない。
「嬉しいですわ。私のことを気遣って下さるなんて、お優しいですねウート様は」
「あ、う、いや、そんなこと無いさ、俺は冷酷無比な野獣のような男だよ、だから離れないと襲っちゃうぞ」
「フフフ、望むところですわ」
そんな俺たちのやり取りにゴードンはイラッときたのか、アマーリアに一緒に運んで貰った手押し車の持ち手を掴みながら俺を急かした。
「馬鹿やってないで早く行こうぜ。夕方までにはメセルブルグに戻るんだろ? 時間なくなるぜ」
俺としても断ち切りたい流れだったので、俺はその言葉に素直に従いアマーリアの腕から逃れ、手押し車の後ろに回る。今回、持ち運ぶ荷物が多かったので、アマーリアが転移可能なギリギリの荷物をこれで運んでいるのだった。
俺たちは所々腐りかけている木の床に注意しながら、入口付近に向かって手押し車を移動させる。辿り着いた教会の正面にある入口は、蝶番が腐っているのか開かなかったので、アマーリアが魔法で扉を無理矢理壊して開けてくれた。その後、手押し車を外に押し出した。
今の時間は、ようやく外が白み始めたぐらいで、外の景色の多くは陰影に塗り込められている。雑草が荒れ放題の庭に、辛うじて石畳の痕跡を見つけ、手押し車を敷地の外へと移動させていく。
郊外に建つ古びた教会跡の前に通る道は、普段から人通りがあるのか手押し車を押して歩くのにも問題が無いようだった。
俺達は、アマーリアが案内する方角へ手押し車を押しながら歩き始めたのだった。
「おおい、戻ったぞ」
ゴードンが王都の一角にある、自宅の玄関を開いた。ゴードンの自宅は平屋で、コの字を描いており、左側の一角は厩舎となっている。一番奥が母屋で玄関はそこに有り、手押し車を玄関からは離れた邪魔にならない位置で止めておいた。
「随分早いじゃ無い、何かあったの?」
ゴードンの声を素早く聞きつけたのか、奥からヨランダが現れ心配そうな問いかけをゴードンに投げかけるが、俺やアマーリアの姿を見て、一瞬驚いて体を硬直させる。特にアマーリアを見てからは、喋る言葉が出てこないのか口をパクパクとさせている。
「あなた! 誰なんですかこの人は、まさか私の居ないところで浮気してたんじゃないでしょうね!!!」
「そ、そんな訳ねえだろうが、この人はウートの嫁さんだよ!」
「は? 何を言ってるんですか、ユーリエさんが居るのにそんなはず無いでしょう!」
「だから、そのユーリエも認めたウートの第二夫人なんだよ!」
二人は息つく間もなく言い合って、二人とも息を切らせて肩を上下させつつ睨み合っている。それが済んだかと思ったのも束の間、ギラっとでも擬音がしそうな様子でヨランダが俺を睨み付ける。
「ウートさん、本当なんですか? まさかそんな、節操の無い真似をしていると言うんですか?」
俺を追求し始めるヨランダの口調は、棘を含んで手厳しい。ようやく最近は信頼を掴みかけていたというのに、またもや険悪になってしまいそうな様子である。
(拙い、なんて説明したら納得してもらえるんだ? 貴族でもない俺が、第二夫人とか本来ありえない事だし、だからと言って今さら否定なんかしてアマーリアの機嫌を損ねて見ろ、彼女の信者達が黙ってはいないだろう。全く、なんて理不尽な状況なんだ!)
俺は咄嗟に言葉が出てこずに言い澱んでしまい、ヨランダにはそれが後ろめたさと映ったのか、さらに俺を問い詰めに掛かる。
「ウートさん、いいですか? あなたが浮気をしようが、何人奥さんを迎えようが勝手かもしれませんが、うちのゴードンにまで変な影響を与える様な事があったら、承知しませんからね」
「善処するよ・・・・・・」
俺は、それだけをやっと答えることが出来たのみだった。その間、アマーリアは後ろの方で俺たちのやりとりをニコニコと見つめている。どうやら助ける気は全く無いようである。
正直、彼女の性格をいまいち掴み切れていないため、何を考えているのかわからない。だが、紹介しない訳にもいかないだろうと思い、ヨランダに彼女を紹介した。
「ヨランダ、彼女はアマーリア・ノイシュティア。一応、俺の第二夫人という事になる。リア、彼女がゴードンの奥方でヨランダさんだ」
俺の紹介を待っていたかのように、アマーリアはヨランダの前に進み出る。身長はヨランダの方が高いのだが、醸し出される圧倒的な存在感がそれを感じさせない。
「アマーリアと申します。ヨランダさんはウート様の親友であるゴードン様の奥方という事でお聞きしていますわ。これから仲良くして下さい」
「ヨランダ・フェヒナーよ。アマーリアさんに少しお聞きしたいのですけれど」
「なんでしょう?」
ヨランダは、近くで見るアマーリアの迫力に押されながらも、必死に自分を奮い立たせるようにして対峙している。
「どうして、ウートさんなんです? それも、第二夫人に甘んじてまで、あなたほどの器量なら、それこそ王侯貴族の正妻すら容易に望めるでしょうに」
ヨランダの疑問は、事情を知る人々かアマーリアの信者以外なら感じても当然の事に違いない。正直なところ俺自身も、彼女の真意を正確に信じ切るところまでには至っていないほどなのだ。
ヨランダの真直ぐな気性は、その疑問を疑問のままにしておけなかったのだろう。
「フフフ、簡単な事です。ウート様は、この世で一番私に近しい存在だからですわ。それに、“上位者”たる存在に頭を垂れて慈悲を乞うのは、知恵有る者にとっての必然でしょう。それに・・・・・・。私を女にしていただける方は、ウート様しかおられないと知ったからです」
(“上位者”? 俺が? 一体、アマーリアには俺がどんな風に見えているんだ? もう、訳が解らん)
アマーリアは、彼女だけにしか理解出来ないであろう謎発言の後、際どいセリフを吐いたかと思うと、自身でも羞恥を感じたのか顔を抑えて悶絶している。その姿は恥じらう乙女さながらだ。一方のヨランダは、アマーリアの発言が当然の如く理解できなかったのか、眉をひそめて尚も言いつのろうとした。
「ヨランダ、いい加減にしてくれよ。お客さんを玄関に立たせたまま、いつまでそうやってるつもりなんだ」
ゴードンが本格的に腹を立てたのか、口調に怒りを滲ませてヨランダを制止する。ヨランダはまだアマーリアを気にしている様子だったが、ゴードンの言葉に我に返る部分もあったのだろう、ちらちらと横目で見ながらも俺達を奥へ案内してくれた。
通されたのは居間で、共同の中庭に面し、窓や扉は開け放たれて開放的な空間を作り出している。なお、共同の中庭というのは、街区の一角にロの字に建物を配し、中心部に設けられた空間を中庭として利用している形式の事である。こうすることで、都会の建物に開放的な空間を持たせることに成功しているようだ。
「へえ、いい家だな。この中庭を設けて建つ形式は一般的なのか?」
案内されたテーブルに着きながら、俺は中庭を眺めつつゴードンに聞いた。中庭は建物の高さを超えた太陽の光が徐々に差し込んできつつあり、中心に立つ落葉樹の黄色く染まった葉を通して柔らかな光を届けている。
「どうだったかな? 多分、半分くらいってところだった気がするぜ。元々はこういった中庭を作る貴族様が増えて来て、それを真似しつつ、いくつもの世帯を設けたこういった建物が増えてきたんだったはずだ。でも、最近では減りつつあるようなことも聞いたな、割高だし」
「ふうん、自分で選んだのか?」
「いや、俺は厩舎があればそれでよかったんだが、案内された建物のうちヨランダがここを気に入ったんでここにしたんだよ。今では俺も気に入っているんだがな」
俺たちがそんな風に話している間にヨランダが、朝食の用意を整えてくれる。メニューは、黒パンに豆のスープ、生野菜のサラダである。ヨランダが水差しを持って席に着くのを見計らい、礼を言った。
「ヨランダさん、ありがとうございます」
「いいえ、ウートさんに御馳走いただいたような、立派な用意はできませんが」
ヨランダは料理を準備している間に落ち着いたのか、いつもの調子で返事を返してくる。それを見て、俺は内心で大きく胸をなでおろしていた。何と言っても今回の取引の仲介は彼女の人脈であり、機嫌を損ねたままでは困るのである。
「いえいえ、いきなり来たのに十分ですよ。マヨネーズ使っていただいているんですね」
俺は、食卓に並ぶ調味料の中に、目聡くメセルブルグから売り出している商品を見つけ、話の端緒とする。
「ええ、売店でも徐々に売れ行きが上がっています。仕入れている商品の中では、再度お買い求めになる率も高くて、おかげで他のものも一緒に売れて、以前とは段違いに収益が上がって来ています」
ヨランダはお店の話題が出て、余程好調を維持しているのか上機嫌で語ってくれた。ゴードンには、メセルブルグのアンテナショップになって貰おうと新しい物産を優先的に卸しているのだが、この様子だと売り上げは上々のようだ。
俺は、ゴードンに促されて食事を開始しつつ、王都における商売の状況を二人に聞き取っていく事にした。
「そういえば、王都で店を出す話はどうなったんです?」
「それかあ・・・・・・。ちょっと難しい情勢だな」
その話題が出た途端にゴードンの表情は曇り、ヨランダもどこか焦燥感を滲ませた顔になる。
「金が足りないのか? 商売は順調そうに思えたんだが」
「いや、おかげで今の商売は順調だがな、問題は店が手に入らないってことだ」
「店か、売りに出されないのならしょうが無いか」
「売りに出されないと言うより、買い占められているというのが正しいがな、金があっても買いようが無いって事だ」
ゴードンは溜息交じりに語り、手にしたパンを噛み千切った。怒りを転化するように咀嚼し、カップを手に取り水と一緒に流し込んでいる。その様子からは、思い通りにならない苛立ちが強く感じられた。
「この広い王都の全てを買い占める事何て出来ないんじゃ無いか?」
俺としては素朴な疑問だったが、ヨランダがその理由を教えてくれた。
「お店と言ってもどこでも良い訳では無いんです。私が出したいのは服飾関係のお店です。顧客は貴族のご令嬢や裕福な商家の女性達で、この王都にはそういった女性達が足繁く通う専門店が連なる通りがあるんです。浮き沈み激しい業界なので、今までなら定期的に空き店舗があったのですが、最近では大手商会が次々に店舗を買収して新規参入が難しくなってしまったんです」
「大手商会と交渉する余地は無いのか? 買い占めをする目的は何だ?」
「交渉は無理だな、彼らの目的は市場の独占だ。服飾関係の仕事をしたいなら、彼らに頭を下げて傘下に入れと言うことだ。そうなると、安い給料で指示された物を作る仕事になってしまう。自分の思い通りの服を作れなければ、ヨランダにやらせる意味は無いからな」
ゴードンは悔しそうに歯ぎしりしてから、豆のスープを勢いよく掻き込んだ。
「俺としては、メセルブルグに本拠地を作る考えもあるんだが、一方でこのまま引き下がるのは負けた気になるんで釈然としない。取り敢えず、もう暫くは王都で資金を貯めながらチャンスを窺うつもりだ」
ゴードンの意見にヨランダも頷いて賛意を示し、食べ終わった食器をかたづける為に立ち上がる。アマーリアがすかさず手伝いを申し出て、女性二人で食器を下げてくれた。これで少しは仲良くなってくれると有難い。二人の後ろ姿を見送りながら、俺はそう願わずにはいられなかった。
「しかし、王都の商売事情は益々窮屈な状況になってきてるんだな」
それはそれを知って、ゴードンへの同情を禁じ得なかった。俺はメセルブルグでのびのびやっているので、そんな俺とは対照的な苦労と言える。
「それなんだが、大商会の奴らどうもグレーテル王妃を通じて、王の後ろ盾を得てるんじゃ無いかと思われる節がある。グレーテル王妃としては、第一王女への対抗する為の資金が必要という事情があるから、大商会の連中はそこにつけ込んだんだろうな。多少あくどいことや無理難題でも、その力を背景に押し通せてしまう雰囲気があって、彼らの力は益々強大になっている。最近では、寡占化が進んだ分野なんかでは価格の上昇が起きる弊害も出ているんだが、取り締まりの気配は無い」
「フレデリカ第一王女もその状況を放置しているのか? グレーテル王妃の勢力が増すのを放置しているなんて、おかしい気がするが」
「そこはまあ、複雑なところだな。まず、王に対する遠慮はやはりあるだろう。そして、大商会は多くの貴族とも繋がっているからな、自陣営に亀裂を生じかねない判断はしかねるだろう。彼女が王位を継ぐまでは現状のまま推移するだろう」
「そうなったら逆に、大商会はフレデリカ第一王女の不興を買っていると言うことにならないか? それはそれでリスクがありそうだが」
「多分そうなったらあっさりと手のひらを返すんだろうさ、親しい貴族を通してな。フレデリカ様も積極的に敵に回すようなことはなさらないだろうから、現時点での利益を最大限に活用する為に、今はグレーテル王妃に近づいているんだろう。忌々しいが、商人としての手腕の確かさは認めざるを得ないな」
ゴードンが腕を組みつつ唸っていると、ヨランダとアマーリアが戻ってきた。この短時間では、さすがに打ち解けるまでには至らなかったようだが、最初の時のような刺々しさも感じないので、後はゆっくり仲良くなってくれれば良いだろう。
二人が元の席に着くと、ゴードンはヨランダに向き直り、今回俺が来た目的を話し始めた。
「ヨランダ、今日ウートの奴を連れてきたのはレイフル伯爵の件で力を借りる為と、ウートの方でもレイフル伯爵と取引したい案件があるからなんだ。早速で悪いが、あちらへ相談してみてくれないか?」
「そうね、夕食会の件では是非力を借りたいわ。私一人の力じゃ荷が重くって、多分伯爵も奥様も御屋敷にいらっしゃるでしょうから、今からお手紙を書いて午後からお目にかかる段取りで良いかしら?」
「ああ、それで構わないな?」
ゴードンが俺の方に問いかけてきたので、俺は頷きを返す。その後、段取りを幾つか打ち合わせしてから、ヨランダは手紙を書く為に部屋を後にしたのだった。
ヨランダに手紙を書いて貰い、午後一での面会の約束を取り付けた俺たちは、レイフル伯爵の屋敷へと向かった。メンバーは、俺とゴードンにヨランダの三人である。因みにアマーリアは、教会の方で用があるとのことで一旦メセルブルグに戻って行った。
レイフル伯爵の屋敷は、王宮にほど近い貴族達の屋敷が集まっている区画の中にあった。さすがに貴族達の屋敷が多い場所だけあって、敷地の取り方も贅沢で地面も丁寧な石畳で舗装されている。
例の如く手押し車を引いた俺たちは、辿り着いた屋敷の正門付近で門番をしている青年に声を掛けた。
「商人のゴードンと申します。レイフル伯爵様に面会の連絡をお願いしたい」
「ゴードン様ですね、お話はお伺いしています。通すように申しつかっていますので、お通り下さい」
門番はそう言ってあっさりと鉄門を開け、中に通してくれる。その対応は警備と言うよりも、取り次ぎ役と言った感じだ。中に入っても、案内などはしてくれず自分達で屋敷に向かうことになった。
門を抜けてそれ程たたないうちに、レイフル伯爵邸の正面が見えてくる。敷地はそれ程広くないらしい。見えてきた屋敷もそれ程新しい物では無いが、手入れは行き届いている印象で、中々に趣のある建物だった。
正面にある出入り口のドアをノックしようとすると、その前に内側から扉が開き、中から壮年の男性が姿を現した。
身長はヒョロッと高く、百八十センチ位はあるだろうか、グレーの髪を短く刈揃えている。服装はありきたりな作業用のシャツとズボンを履き、表情はどこかのんびりしていて、最初は使用人が出迎えに出てきたのだろう位に考えていた。
「やあ、お待ちしていましたよ」
「「レイフル伯爵!」」
男性の穏やかな声に、ゴードンとヨランダの驚きの声がピッタシにハモる。どうやらこの方がレイフル伯爵その人らしい。
当主自ら出迎えとは、とても貴族とは思えない腰の軽さだ。服装を見ても、とても貴族とは思えず、街の中に出れば完全に町民に溶け込んでしまうであろう。
そんなレイフル伯爵は、俺たちに対しても貴族的な尊大な態度を表に出すようなことはせず、気軽に屋敷に招き入れ先に立って歩き始めた。俺たちもその後について、屋敷の中にお邪魔する。
案内された先は、屋敷の奥の中庭に面した小さな応接室で、庭には丹精された薔薇の生け垣が見える。今の時期は花が咲いていないが、開花の季節とも成れば美しい薔薇が咲き誇るのだろうと思われた。
小さな応接室の中には、貴族の館で使うには不釣り合いに思えるほど質素な応接セットが置かれ、全体的にも華美な印象は無い。だが、ソファーやテーブル等には上品なカバーが掛けられ、特にテーブルクロスに施された繊細な花々の刺繍は、派手では無いものの精緻で美しい物だった。
俺が感じた部屋の印象としては、全体的には暖かみが有り居心地良く整えられているが、貴族の応接室と言うよりも少し裕福な農家の居間と言った風情だった。
「今、家内がお茶を用意しているから少しお待ち下さい」
「恐縮です」
レイフル伯爵の言葉にゴードンが代表して返事を返すが、この口ぶりだとお茶すら使用人では無く自分達で入れているらしい。ゴードンの話ではそこそこ裕福なはずで、そうで無ければ鏡台を売る相手としては不適格なので、そこはかとなく不安が募る。
俺達は、レイフル伯爵に促されてソファーに腰掛ける。二人がけのソファーに奥からゴードンと俺が座り、ヨランダは側に置かれていた予備のスツールに腰掛ける。
レイフル伯爵がゴードンの前に腰掛けようとしたとき、ドアがノックされると、レイフル伯爵は座るのを中断しそのまま扉へと移動してドアを開き、外から茶器一式をトレイに乗せた夫人を中に招き入れた。
レイフル伯爵の言葉の通りなら、彼女がレイフル伯爵夫人と言うことになるのだが、これまた貴族というイメージは浮かばない。これと行って特徴の無い顔立ちだが、不美人では無いし、目尻に刻まれた笑い皺が柔和な印象を伝えてくる。ブラウンの髪を編み込んで纏め、着ている服も仕立ては良さそうだが布は質素に見える物だ。
体型はややふっくらとしているが他人に不快感を与えるほどでは無く、ヒョロッとした夫の脇に立っても違和感は無い。この二人が並ぶと身長差がかなりあるのだが、二人が纏っている空気が同質のものであるせいか、実に似合いの夫婦であった。
(この二人を貴族っぽく感じ無いのは、俺の中にある偏見のせいなんだろうな。どうしても貴族とか偉い人とかは、高慢で自尊心が高く他人を見下すことに喜びを感じるタイプの人と言う、凝り固まったイメージから抜け出せないんだよな。少なくともこの世界の貴族なんて殆ど知らない訳だし、全員がこの二人のような感じならかなり好感度が上がるんだけどな)
俺はそんな風に考えながら、二人を失礼にならない程度に観察していた。
レイフル伯爵は夫人を部屋の中に通すと、トレイを受け取りサイドテーブルへ持って行く。さり気ないサポートだが、ごく自然にやっているのが凄いなと思う訳である。多分俺がやったらわざとらしすぎて、露骨な点数稼ぎに見える気がしなくも無い。多分格好はどうあれ、この辺りが俺のような“ド平民”との違いなんだろうと思わずにはいられなかったのだった。
レイフル伯爵夫人が丁寧にお茶を入れてくれ、全員に配ってくれる。俺は礼を言って受け取り、入れ立てのお茶の香りを嗅いでみた。まず感じたのは、日向で嗅ぐ枯れ草のような香りである。それから、極めて僅かに花の香りがして、その香りが俺の中で菊のイメージを呼び覚ました。総合的にはどこかほっとするような、落ち着ける香りである。俺はそこまでを確認してから、音を立てないようにそっと応接テーブルの上に置いた。
全員にお茶が配られ、レイフル伯爵夫人が席に着いたのを見計らって、ゴードンが挨拶の口火を切る。
「本日は、急にお時間を頂きましてありがとうございます。お二人に是非紹介したい人物が王都に来ることになりましたので、ご連絡させていただきました。こちらがメセルブルグで数々の名物料理を編み出している料理人、ウート・ヴォージオンです」
ゴードンに促されたのを感じたので、俺は立ち上がり、自己紹介した。
「初めまして、ウート・ヴォージオンと申します。以後お見知りおき下さい」
俺としては、精一杯丁寧な挨拶を心がけ、お辞儀をする。それに対して、レイフル伯爵夫妻も立ち上がり、俺に挨拶してくれた。
「ベムベン・フォン・レイフルだ。よろしく頼む」
レイフル伯爵が差し出す手を俺も握り、握手を交わす。その手はゴツゴツとしていて、まるで職人の手のようだった。
「フィリーネ・フォン・レイフルです。お噂は、かねがねお聞きしていますわ」
レイフル伯爵夫人であるフィリーネは、柔和な笑顔で挨拶してくれた。
「さあさあ、お茶が冷めますわ。自家製のハーブティなの、お口に合えば嬉しいわ」
フィリーネ夫人に進められて、俺はカップを取り上げて一口味わってみた。その味は苦みや渋みは無く、サラッとしていて爽やかな感じだ。先程感じた菊に似た花の香りが、嗅いだときより強く感じられた。
「美味しいですね、なんだか気持ちが落ち着くようなほっとする味です」
俺は素直に感想を述べ、それを聞いたフィリーネ夫人は嬉しそうに破顔する。どうやら自慢のお茶だったらしい。俺としては素直な感想だったので、おかわりを勧められて素直に礼を言って二杯目を注いで貰った。
「本日お伺いしたのは他でもありません。先日ご相談いただいていました舞踏会前の夕食会につきまして、考案した本人に相談をしましたところ、別件の相談と合わせて話がしたいという事でしたので、連れて参った次第です」
ゴードンがタイミングを見て用件を切り出し、レイフル伯爵夫妻は軽く頷きながら聞いている。ゴードンは俺の方に視線を向け、続きは俺が引き継ぐ事になった。
「こちらに居るゴードン夫妻から相談を受けまして、メセルブルグの料理を夕食会で希望されているとお伺いしたのですが、正直言いまして私の出している料理は庶民向けの域を出ていないと思っておりまして、夕食会などで出すには相応しくないと思っているのですがいかがでしょう?」
俺は、一番不安に感じていることを率直にぶつけてみた。正直に言って、貴族の夕食会に出すコース料理など俺の手に余るのだ。出来れば考え直して貰いたいのが本音である。
だが、俺としては残念なことに、レイフル伯爵はすぐさま首を振って俺の考えを否定してきた。
「庶民向けなんてとんでもない。あれが庶民向けなら、大半の貴族が食べている物が庶民向け以下と言うことになってしまうよ。特にカルボナーラだね、あれはホントに素晴らしいよ」
「本当にこの人ったら、毎日のように食べているんですよ。よく飽きないものだと思うわ」
レイフル伯爵の言葉に、フィリーネ夫人はすぐさま合いの手を入れ、伯爵はばつが悪そうに頭を掻いている。
「それ程気に入っていただけているとは、料理人冥利に尽きるというものです。パスタは色々な調理法がありますし、お望みでしたらこちらの料理長殿辺りにレシピをお教えしましょう。本番には、その中から気に入った料理を出されればよろしいかと」
俺は自分が出しゃばったあげくに、こちらの料理長の顔を潰さないようにするための配慮をし、自身が夜会の料理長を務めるようなことにならないように誘導したつもりだった。しかし、レイフル伯爵が微妙な顔をしたので、怒らせたかと少し心配になる。レイフル伯爵は砕けた人のようだが、曲がりなりにも伯爵位を持つ貴族である以上、その扱いは慎重にしなければならないとの警戒感は一応ある。
だが、レイフル伯爵から語られたのは、そんな俺を拍子抜けさせる事実だった。
「実は、この館には料理長なんて居なくてね。何時もは私と家内で作っているんだが、それで問題無いかと思っていたんだ。しかし、今回急にこういうことになってしまってね。さすがに主催者自ら台所に立つのは無理だと、途方に暮れていたときに思い出したのが、ヨランダさんに振る舞って貰った珍しい料理だったんだ」
レイフル伯爵は前方に身を乗り出し、熱心に語っている。
「どうせなら夕食会を開くなら、美味しい物を食べていって貰いたいからね。自分が知る限り、一番美味しい料理を出したいと思っただけなんだ。それに、珍しい料理で新しい料理でもある。食べた人達が驚くのは間違いないし、貴族社会で話題になることは間違いないと踏んでいるんだよ」
レイフル伯爵の言葉に、フィリーネ夫人も頷いている。料理の感想についての意見は一致しているらしい。
「それに、我々は新興貴族で普段は社交界とは距離を置いているが、今回の夜会には娘の将来が懸かっている。思い掛けずに伯爵なんてものになってしまったからね、あの子が望む相手なら誰でもいいと言ってやりたい所なんだが、そういう訳には行かなくなってしまった。それならなるべく選択肢の幅を広げてあげるのが親の勤めというものだろうし、それには社交界で娘に一定の地位を確立する必要がある。そんな願いをフレデリカ殿下が汲んで下さり、今回の夜会を開催することになったんだが、出来ればその機会に色々と娘のことを印象づけたいと思っていてね。その為の手段の一つが、貴族達が知らない料理の提供だったんだ」
レイフル伯爵はどうだろうかという風に、俺の顔を覗き込んでいる。俺としては自信があるわけでは無いが、頼まれた料理を提供するだけなら構わないかなと思い始めていた。この世界の貴族達の食生活を深く知らないし――もしかしたら、レイフル伯爵も知らないかも知れないが――、珍しい料理であることは確かなのだから貴族っぽく無いレイフル伯爵が振る舞う料理が、多少貴族っぽく無くても誰も気にしないのでは無いかと思ったのだ。
人間の味覚は嗜好に左右される面が大きく、中には気に入らない人もいるかも知れないが、それはどんな場所でも起こりえることだし、出す料理を事前に相談すれば問題無いと結論付けた。だが、ただ単にこの話を受けるよりも、交渉の材料とすべきだと俺の感ピュータが知らせて来ている。俺はそれに従うことにして交渉を切り出した。
「お話は解りました。ところで、私もレイフル伯爵に買って頂きたいものがございまして、今のお話をお聞きして尚更その思いを強くしました。なぜなら、我々の目的とレイフル伯爵の目的は合致するのでは無いかと感じたからなのです。ご説明の前に、実物を今からお見せしたいのでこの部屋に運んでもよろしいでしょうか?」
返事が貰えると思ったところで、肩すかしを喰らった気にはなっただろうが、レイフル伯爵の人柄か短気を起こしたりはしなかった。俺とゴードンは許しを貰って鏡台を部屋の中に運び込み、厳重な梱包を解いていく。最後に鏡を覆っていた布を勿体ぶりながら取り払った。
「これがメセルブルグで売り出すことになった、鏡台です。ご覧の通り、大きな鏡が特徴の女性用家具です。この鏡が特別製でして、“世界にまだこれ一台”しかありません。どうです? これを所有する最初の一人になる名誉を、ご購入頂けないでしょうか?」
俺は、ここぞとばかりにこの鏡台の現時点でのセールスポイントと考えている希少性をアピールする。
どの世界でも“先駆者”というのは尊敬されるものだ。それは製作する側に止まらず、所有する側にも当て嵌まる。それを手に入れるだけの財力、価値ある物を見抜く目、そういった物を持つ者だけが手に入れうる名誉である。
レイフル伯爵夫妻は、食い入るように鏡を覗き込んでいる。十分なインパクトを与えているのは間違いないらしい、これなら交渉の余地は十分にあるとの手応えを得た。
「我が家には、鏡と言えるのは古い青銅製の鏡だけで、こんなにハッキリと映る鏡を見たのは初めてで、特別製と言うのも頷ける。大した物だ」
「確かに仰るとおり、素晴らしいわ。ちなみに、お幾らなのかしら?」
フィリーネ夫人は鏡台に見とれながらも、値段という現実的なことを聞いてくる。どうやら、この家で財布を握っているのは夫人の方であるようだ。
それを知った俺は、意外感と共に警戒感を抱く。こと、家計に関する女性の感覚はシビアで、男性よりも大きな買い物には慎重なように思う。それを考えれば、交渉のハードルは上がったと言える。だが、交渉を止める訳にもいかなかった。
「お値段は、金貨百枚を考えています」
「金貨百枚!?」「まあ!?」
レイフル伯爵夫妻は、俺が告げた値段に案の定、驚きの声を上げる。しかし、俺としても初物の値段を上げるのは、今後しばらくの価格維持の為には譲れない。最終的に合意を得られない場合は、レンタルという手もあるのでそのまま説明することにした。
「確かに、法外と思えるようなお値段です。しかし、これには幾つかの理由がございます。まず、第一にその法外な値段そのものに価値があると言うことです。世界初の製品で有り、品質にも自身がありますし、今後暫く社交界の話題の中心になるとの自負があります。そして、高価であると言うことは、それを売った私共の利益となるだけでは無く、それを所有している方に対してもメリットを与えてくれます。つまりは、希少で高価な特別な品を所有しているという評判です。人々は羨望の眼差しで所有者を見るでしょう」
俺は、自分の言葉が二人に浸透しているか確認する為に言葉を切り、レイフル伯爵夫妻の表情を窺う。二人の表情から戸惑いや困惑を感じないことを確認して、続けることにした。
「次に、この製品は大量生産に向いておらずコストも高額となっています、これは希少価値が高いと言うことでもありますから、製品の値段を高止まりさせます。さらに、技術的な要因から私共以外では製作する事は当分出来ないと断言します。そうなれば、当分の間は独占的な販売となりますので競争性は働きません。よって、簡単には価格が下がることも無いでしょうから、益々価値は高まります。以上が、この製品が高額な理由となります」
俺は自信を持って、説明を終えた。俺としては、この世界初の技術を使った鏡台に、製品としての価値や希少品としての価値、世界初の製品を所有する事への名誉的な価値など、様々な目に見えないメリットを説明したつもりだ。正直、これで解って貰えないのなら今回はレンタルにして、夜会に来る貴族令嬢の誰かに売り込むつもりであった。
「よし、買わせて貰おう」
「え!?」
俺はてっきり、フィリーネ夫人が決定権を持っていると思っていたのに、あっさりとレイフル伯爵が承諾したので驚いてしまった。
「あなた、いいんですか? 結構な大金ですよ」
案の定、フィリーネ夫人が難色を示す。矢張り一筋縄ではいかなさそうである。
「確かにそうだが、言わばこれはカトリーンの花嫁道具みたいな物だろう? お金は殆どあの子の結婚資金にと貯めているんだし、それがこれに変わるだけだよ。それに、この鏡台が話題になれば、あの子の社交界入りも凄くスムーズな物になるのではないかな。若い令嬢達がこの鏡台に興味を持たないわけが無いからね、ウートさんはそれを解った上で、これを私達に売るつもりなんだ」
レイフル伯爵に意味深な視線を投げかけられて、俺は表情を殺した曖昧な笑みを浮かべて誤魔化す事しか出来なかった。やがて、フィリーネ夫人も理解したかのように頷いた。
「そうね・・・・・・、確かに効果的だと思うわ。何度見てもこの鏡は素敵ですもの、いいでしょう。買わせて頂くわ」
フィリーネ夫人の決断の言葉に、俺はほっとして胸をなで下ろした。
「ありがとうございます。お礼と言っては何ですが、先程の夕食会の件は、全てこちらの負担で準備させて頂きます。それから、最低三ヶ月間は次の製品を販売しないことも成約いたしましょう」
俺は機嫌良く宣言し、売買交渉を終える。もっと揉めるかと思ったのだが、現物を持って来ていたことが功を奏したらしい。
俺はそれから、契約についての細部を話し合い、夜会の準備についての情報交換を行う。準備期間は約一月で、それまでに料理の決定や様々な段取りを話し合わなければならない事となった。
「それでは、本日はこれで失礼いたします。後日改めて打ち合わせにお伺いさせて頂きます」
俺はレイフル伯爵夫妻に辞去の挨拶をすると、その日は屋敷を後にした。気が付けば時刻は夕方になっており、俺を迎えに来たアマーリアが待ちくたびれていると思われた。
「急いで戻ろう」
俺はゴードン夫妻に声を掛け、待ち合わせ場所であるゴードン夫妻の自宅への道を急ぐ為、足早に屋敷を後にしたのだった。




