とある聖女の宣誓事情
俺がユーリエを避難させる為に外に連れ出してから部屋の中に戻ると、アマーリアは悠然とした姿でこちらを見ていた。特に避難を妨害する様子もないことから、標的が俺だけであるのは間違いないと悟る。
「座らないか?」
部屋に戻った俺はとりあえず、対話を試みることにした。今のところ問答無用で襲い掛かってくる気配は無い。ならば時間を稼ぐには対話するのが一番であった。
「ええ、お邪魔しますわ」
アマーリアは優雅な所作で示された椅子に座った。逃げる意志がないことを示すために、俺が奥側の正面にある椅子に座る。
「自己紹介がまだだったな。俺の名はウート・ヴォージオン、ウートで構わない」
「ご丁寧にどうも、私はアマーリア・ノイシュティアですわ」
アマーリアの答えはのんびりとしていて、こちらの命を狙っている気配は微塵も感じさせない様子である。
しかし、彼女にとって俺はその程度の相手なのだろうと言う、納得せざるを得ないだけの実力差を感じてもいた。
「どうしても、気になっている事があるんだが・・・・・・、聞いてもいいか?」
俺としては、それを確認せずに話を進めるのは、許容しがたいほどの疑問点であり、それを解消する為に恐る恐る問いかけてみた。
「ええ、どうぞご遠慮なさらずに」
俺の躊躇いがちな問いかけに対し、アマーリアは朗らかに応じる。それは親しみすら感じさせる態度で、俺の緊張も幾分か和らいだほどだった。
「その、アマーリアというのは本当の、自分の名前か?」
「ええ」
アマーリアは躊躇いなく、俺の質問を肯定した。その答えには些かの躊躇も見られず、嘘を言っているようには見えない。
「それは、あなたが叙事伝に謳われている、聖女アマ―リア本人だと言うことか?」
俺の問いに、アマ―リアはフフフっと柔らかく笑う。この緊迫した場面には似合わない、軽やかで明るい笑い方だった。
「叙事伝の事など私は知りませんわ。それに、自分を聖女だなんて言う趣味もありません。過去にそう呼ぶ人がいたことを、否定もいたしませんけれど」
アマーリアの答えに、俺はゴクリと生唾を飲み込み、思い掛けず知る事になった歴史の真実に、現状を忘れて興奮する自分を抑えきれなくなってくる。
「では、あなたが死者の王を倒したと現代に伝わっているのは嘘で、元よりあなた自身が死者の王だったのか?」
俺は歴史の真実を知る事が出来るという期待と、自分の中に芽生えていた偶像崇拝的な聖女アマーリアへの憧れに似た気持ちが綯い交ぜになって、更なる質問を重ねてしまう。
「どう伝えられているのか解りませんけれど、死者の王を倒したのは事実です。彼の研究成果が欲しかったものですから消えていただいたのですわ」
(な、なんだって~! まさか、死者の王に挑んだのはそんな理由? 陰謀とかそういうわけでは無くて?)
聖女アマ―リアの最後については、その悲劇的な結果と合わさって様々な説が語られているわけだが、その中でも取り分け陰謀論が語られることが多いのは、被害も出ていない段階で当時の人々は何故、死者の王の討伐を決めたのかと言う疑問があるからだ。
真っ先に虎の子の戦力をぶつけるという、道理に合わない出来事の説明を求められた叙事伝の脚本家達が頼ったのが、解りやすく説明しやすい陰謀論だったわけである。
しかしその真実が、単なる本人の私利私欲の為だったとは・・・・・・。そんな話で脚本を書いたら、その脚本家は非難の余り職を追われることになるだろう。
「研究成果というのはつまり、死者の王になる為の?」
「そうです。あの時は、どうしてもそれが必要だったのです」
「一体全体どうして? あなたにそんな事をする理由があったとは到底思えないんだが、何があなたをそこまでさせたんだ?」
俺の疑問に、アマーリアは目を伏せ記憶の奥底を探るように沈黙した。しばらくの間、静寂が辺りを支配する。やがて、その煌めくような瞳を上げ、視線を俺へと向けてくる。
気づいた時には、現在自分が置かれている状況を一瞬忘れ、そのあまりにも美しい瞳に魅入られるように、陶然と彼女の顔を見つめていた。
「クスッ、クスクスクス」
突然、彼女は可笑しさを堪えきれないと言う様に、上品に口元を隠しながら笑いだし、揚句には目尻に貯まった涙を指先で拭った。
その姿は、妙齢の人間の女性にしか見えず、俺の危機感を削いでしまう。
ユーリエと過ごすようになって、俺の女性に対するひねた見かたは大分軽減されているのだが、それはユーリエが特別なのであって他の女性に対しては相変わらずの距離感で接している。
ただ、女性の評価を期待する必要が無くなった為なのか、精神的にはずいぶん余裕を持って対応できるようになったはずだった。しかし、長年の間に蓄積された苦手意識はなかなかに拭いがたく、目の前で笑われると自分が何かしでかしたのかと、居た堪れない気持ちになり、居心地が悪くなる。
「あー可笑しい。男性に熱く見つめられる経験はいつ以来かしら。いえ、私の正体を知ったにもかかわらずそうやって見つめてきたのは、あなたが初めてかもしれません」
「そんな馬鹿な、大抵の男なら我を忘れて見とれてしまうでしょうに」
俺は思わずアマーリアの言葉を否定し、賞賛にも聞こえる俺らしくないセリフを吐いてしまう。だがそれは偽らざる気持ちで、これだけの魅力を持った女性に惹きつけられるのは、男にとって、生物としての本能に根差した自然の行動に思えた。
「私を聖女と知りながら、正面から見つめてくる者などほとんどいませんでしたし、私の周りにいたのは狂信的な信仰を捧げてくる者たちばかりでしたから。本当に、思い出せないくらい久しぶりですわ」
アマーリアは淡々と語り、視線を宙に向ける横顔には憂いの表情が浮かぶ。だが、そんな顔すら見とれるほどに美しい。
彼女は確かに死者の王という超越した存在のはずで、幾度もその片鱗を覗かせているが、こうして話しているとそれを忘れそうになってしまう自分がいて、恐怖心を薄れさせていく。
俺は次第に大胆になり、生来の知的好奇心旺盛な本性が勝手に口を開かせた。知りたいことを知らずに死ぬのは、大いなる心残りと言うべきだ。大好きなアニメや漫画の最終回を目前に事故死した人間は、未練の余り成仏出来ないに違い無いのだ。
「良ければ冥土の土産に聞かせてもらえないか? 君が死者の王になった理由を」
「冥土の土産? ずいぶんと変なことをおっしゃいますのね、大病でも患っておられるのかしら?」
アマーリアは意外なことを聞いたと、キョトンとした表情を見せる。俺は多少イラッと来て、強い口調で問いただした。
「だって君は、俺の命を狙いに来たんだろう?」
アマーリアは、次の瞬間、青い目を限界まで大きく見開き、両手でパッと顔を隠すように覆うと、うつむきながら肩を震わせ始めた。
「・・・・・・」
(まさか、笑ってる? それも声も出せないほどの悶えようだ。何がそんなにおかしいんだ?)
アマーリアの様子は俺を困惑に突き落とすが、やがて大きく息を切らした様に肩を上下し、大きく深呼吸している。その様子は人間と全く変わらず、まるで呼吸をしているようで、不死者に対するイメージを粉砕され、俺をさらに困惑させる。
それからアマーリアは、まるで独り言のように、自分に言い聞かせるような素振りで言葉を発した。
「そうでした。また忘れていましたわ。私は、もう人では無いのだと言うのに、そう思われても全然不思議ではありませんのね」
アマーリアはその細く美しい左腕をスッと前に翳し、右腕で感触を確かめるように撫ぜていく。それは自身の肉体を愛でるようで、どこか艶めかしさを伴う動作だ。
「この体は、二十歳の自分を細胞の一片に至るまで忠実に再現したものです。ですから肉体自体は普通の人間と変わらず、全く違和感を覚えることはありません。ですから、ついつい忘れてしまうらしいのです。自分がもう人ではない事を」
腕を下し、俺の方をじっと見つめる目には真剣さが籠っている。ありえないと否定する心もあるが、嘘をついていない様子なのは明らかなようだ。アマーリアは尚も話し続ける。
「今回こちらに赴いたのは、あなたを狙ったものではありません。むしろ逆ですわ、あなたにお礼をしたくてお伺いしたのです」
「お礼?」
「はい。千年ぶりに目覚めることができたのは、あなたのおかげですから」
「・・・・・・?」
アマーリアの余りにも意外な言葉に、俺は訳が分からなくて脳内がフリーズした。
「千年も経っていたことは、私自身も驚きました。死者の王となる秘術に成功した後、その代償に失った肉体を再生する秘術に成功したまでは良かったのですけれど、その事により魔力を使い果たした私は、つい何時もの癖でと言いますか、人間だった時の様に寝ることでそれを回復させようとしたのです」
「え? 不死者に睡眠が必要なのか?」
俺は、疑問に思ったことをつい聞いてしまう。不死者は生物学的には死亡している状態であるにもかかわらず活動しているが、それは魔法的な力が影響を及ぼしているからに他ならない。
本来、生あるものは肉体から精神活動のエネルギーを得ており、そのエネルギーは幽体や霊体へ供給されていると考えられている。この状態では肉体の影響が最も強く、肉体が死亡した場合にはエネルギーの供給が止まってしまう為、幽体や霊体の活動も停止することになる。
だが、何らかの原因――主に魔術による作用や、超自然的魔法現象――により、霊体が魔力による直接的なエネルギーの獲得に成功するようになると、エネルギー供給の逆転現象が起こる。これが不死者の発生原理だと考えられている。
問題は、霊体は肉体とは異なり確たる形を持たないため、自我を含めた意識を維持するのが難しくなり、容易く暴走して人を襲うようになる。これは生者の肉体が正常な霊体を持つため、それを取り込むことで自身の霊体を復元しようとする本能的な行動と考えられている。――このことが、不死者が生者と相容れない状況を作り出している。
霊体に対する魔法エネルギーの供給が続く限り不死者は活動を続けるのだが、低位の不死者のうち肉体を保持するタイプは、エネルギーの循環が逆転した後も肉体からの影響を幽体が受けている状態にある。そのため肉体の破壊により幽体が影響を受けてしまい、間接的に本体である霊体を崩壊させ、倒すことが出来る。
これが高位の不死者ともなると、肉体からの影響を幽体が受け付けなくなり、通常の武器で肉体を傷つけても霊体に影響を与えられなくなる。その結果、肉体に与えたダメージは無効化され、魔法の武器等で幽体等を直接攻撃しなければダメージを与えられなくなるのだった。
そして、死者の王は、最高位の不死者である。自らの術式により霊体へ直接的に魔力エネルギーの獲得手段を持たせる事に成功し、何らかの方法により霊体の変質を防いでいる為、しっかりとした自我を保っている。
活動に必要なエネルギーは、霊体が魔力エネルギーを吸収することで行う為、肉体から間接的にエネルギーを補給している生物と違って、自然回復という概念が無い。よって、肉体疲労の回復、幽体を介した霊体の回復――言わばエネルギーチャージ――を行う為の睡眠は必要ないはずであった。
「そうですね。本来、不死者となった私に睡眠は必要ありません。ですが、この完璧な肉体を再現してしまったことで、生前と同様の感覚が蘇り、肉体に影響を受けていると錯覚した結果、精神疲労を睡眠で回復しようとしたのです。不死者に成りたての初心者が犯しがちなミスですわ」
(そんな、馬鹿なあ!!!)
内心ではそう思ったが、口には出せない。
「あの時私は、疲れたので寝ようと思い、ベッドの上で意識を手放したのです。しかしそれは、不死者にとって自らを活動停止へと追いやる禁断の行為だったのです。本来肉体が備わっている生者なら、生理的現象が目覚めを促すことになるのですが、不死者にはそれがありません。以来目覚める切っ掛けも無く、千年が経過したというわけです」
「つまり、あれですか? ちょっとうっかり寝入ったら、千年が経過していたと?」
「はい、そうなのです」
アマ―リアは、どこか戯けたような表情で、楽しそうに答えた。
こんな荒唐無稽の話を、ほいほい信じるほど俺の頭は柔軟では無いのだが、一方で否定する根拠も無いのだった。
「えっと、つまり千年ぶりに目覚めたのは、俺があの部屋を覗いたからだと?」
「そうです。精神活動を意図せずに停止してしまった私には、自ら活動を再開する切掛けが存在しなかったのです。これほど長期にわたり、寝入ってしまったのはその為です。ですが、あなたが私の体を、タップリと食い入るようにご覧になったおかげで、その視線に反応することが出来たのですわ。女は異性の視線に敏感な生き物ですから」
(なんだろう、なんだか責められている気がする。ここは謝った方がいいんだろうか?)
何というか、女性の寝姿を無断で見るというのは、本来許されざる行為では無いだろうか? 本来見ていいのは、恋人ぐらいのものだという気がする。アマ―リアの言葉にも、どこかその事を揶揄する意思が込められている気がするのだ。
だが、俺は謝らないことにした。あれは不可抗力だし、俺に非は無いはずだ。むしろ、アマ―リアの言葉通り感謝されるべきでは無いか。堂々としていればいいのだ。
そう思ったはずだが、俺は酷く動揺していたのか、あらぬ事を口走ってしまった。
「それは失礼した。あまりにも美しい骨格だったので、どこかの芸術家の作品なのかと食い入るように見てしまったのです。左右が完全なシメントリィを形成し、染み一つありませんでした」
俺は、喋ってしまった途端にしまったと思ったが、完全なる後の祭りというものである。
恐る恐るアマ―リアを見ると、またもや腹を抱えて笑っている様子だった。どうやらこの死者の王は笑い上戸なのでは無いだろうか?
「あ~もう・・・・・・、こんなに笑ったのは、人間であった頃から考えても初めてですわ。笑い死にしそうです。それに、私の体を見て褒める人はいても、まさか骨格を褒める人が現れるなんて、思ってもいませんでした。長生きした甲斐がありますわ」
(これは突っ込むところ? アマ―リアさん渾身のギャグなんだろうか? でも無理、俺にはツッコミとか無理だから)
だが、それは杞憂のようだった。先程から本人が話しているとおり、自己認識に混乱が見られるのだろう。
「とにかく、もう少しで望みも叶えないままに、永遠の時を過ごす羽目になるところでした。先程も申し上げましたが、何かお礼をさせていただけませんか? 私に出来る事でしたらなんでも致します」
「なんでも!?」
思わず食いついてしまった。女性に、それもこれだけの美人に、男なら一度は言われてみたい台詞では無いだろうか? 一瞬彼女の正体のことすら意識から吹っ飛び、脳内に妄想が爆発する。
『なんでも、という事なら遠慮はいらないな。さあ、今すぐその服を脱いでもらおうか』
俺はアマーリアににじり寄り、服に手をかける。
『え、え? なんでもとは言いましたが、決してそういう事では』
アマーリアは、戸惑いと羞恥を浮かべ、顔を赤くしている。
『男が“なんでも”なんて言われて考える事なんて“ソレ”以外あるわけないだろう。今さら我慢なんて無理なんでね、諦めてもらおうか』
俺はそのまま、手にかけた服を引き裂いていく。羞恥で逃れようとするアマーリアを背後から抱きすくめ、その美しい双房を下から掬うように手に収める。
『あ~れ~おやめになって~』
いささか時代錯誤に感じる抵抗の声を無視して、手にずっしりと重く感じる双房を揉みしだく。それは、この世のどんなものよりも心地の良い肌触りと感触を持ち、揉みしだく握力に呼応して変幻自在の反応を見せる。
アマーリアも口では抵抗していたもののそれ以上逃げようとはせず、どこか心地よさげに身を委ねているように感じる。
(これは、行ける! 間違いなくこのまま最後まで行っていいサイン。嫌よ嫌よも好きの内ってこの事か!)
相手の反応を都合のいいように解釈し、俺はアマーリアの下半身を包む下着に手を伸ばそうとした。
バタン
その時、勢いよく離れの扉が開かれた。
音に反応して思わずそちらの方を見ると、ユーリエが大きなフライパンを手に踏み込んできた所だった。後ろにはギリドやボルク達冒険者の姿が見える。
俺はと言えば、今にもアマーリアに襲い掛からんとする位置で、ほとんど覆いかぶさるようにして両手を前に出し、何かを掴み取ろうとしている。つい、その手を所在無げにニギニギしてしまう。
傍から見れば、どう考えても俺がアマーリアに襲い掛かろうとしている様に見えるだろう。まあ実際その寸前だったのだが・・・・・・。
ちなみにアマーリアは、聖女の如き微笑を浮かべて、今から何が起こるのかしらという風情で佇んでいる。どこからどう見ても幼気で清らかな乙女に襲い掛かる変質者の図式が完成している。
それを見た瞬間、ユーリエはすべてを悟った様だった。こめかみにビキッと青筋が走ったように見える。
「へえ、私達を遠ざけるように言ったのはそういう事だったのですか、心配したのに!」
ユーリエは、鬼の形相でフライパンを振りかぶって俺に迫ってくる。俺は慌てて部屋の中を下がるが、狭い部屋の中だ、すぐに壁際へ追い詰められ尻餅をつく。
「ま、待て、誤解だ誤解。まだ何にもしてないって」
「まだ? つまり未遂だっただけで、私達が来なければその限りではなかったという事ですよね?」
「え、いや、それは・・・・・・」
こんな時、咄嗟にうまく言い逃れできる奴は天性の詐欺師だけだ。俺の思考は後ろめたさが邪魔をして、上手く働いてくれない。だらだらと冷や汗が全身を滴り落ちる。
ユーリエは、ゆっくりとフライパンを振りかぶる。
「大丈夫、痛いのは一瞬です。多分」
(一瞬って、多分って、おい。殺す気か!)
必死で助けを求めるように辺りを見回したが、全員が呆れたようにして見守っているだけだ。――なんて薄情なんだ!
俺は必死で両手を翳し、ユーリエの攻撃から身を守ろうとした。
今にもユーリエが鉄槌を下さんとしたその時、突如として奇妙な声が室内に広がり、その動きを止めた。どうやら奇妙な声の主はアマーリアのようである。
この、笑い上戸なきらいのある死者の王は、またも顔を伏せ必死で笑い声を堪えようとしているが、上手くいっていないようだ。
やっとのことで笑いの発作を抑え込んだのか、顔を上げると涙の滲んだ両目から指で優雅に涙をぬぐった。そんな動作も嫌みがなくて絵になっている。
その姿に気圧される様にしながら、ユーリエは気丈に問いかけた。その顔には「負けるもんか」と書かれている。
「何がおかしいんです!? 大体、人の旦那を誘惑していいと思っているんですか!」
「誘惑? 私が? 誘惑なんてしていません。ただ私は、この方に恩がありまして、それをお返ししようと思っただけですわ。ですから『私にできる事なら“なんでも”いたします』とお伝えしただけですわ」
アマーリアがそのセリフを言った時、その場にいた男の全員がゴクリと生唾を飲み込んだ。その様子に女性陣からは男性陣への非難の視線が飛び、レオーレはボルクの向う脛を蹴飛ばしていた。
ユーリエは一瞬ひるんだ様子を見せたが、歯を食いしばって再び食って掛かる。その様子は傍から見ても必死の様子である。俺は場違いながら、ユーリエの本気の嫉妬を見て愛情を実感していたりもする。
「それが誘惑してるって言うんです。そんなこと言われたら、男の人はどうしたってその気になるに決まってるじゃないですか!」
「そうなのですか? 知りませんでしたわ・・・・・・。でも、よく考えて見たら、問題無かったかもしれません」
「な、な、なにを。開き直るんですか?」
(ヒイッ)
ユーリエはアマーリアに向き直り、フライパンを構え直す。その過程で振り抜かれたフライパンが俺の鼻先一センチも無いところを通過するが、本人は気づいていない。
アマーリアは、いきり立つユーリエを見ても悠然と構えている。本人の実力、過ごしてきた経歴を考えても、アマーリアのそれは英雄と呼ばれるに相応しいものだ。多少、色々な経験を積んでいたとしても、ユーリエに太刀打ちできる相手ではない。もちろんそれは俺にとっても同様なのだが。
「フフフ」
アマーリアは、ユーリエを前にして悠然と笑い椅子から立ち上がると、机を回り込むようにして俺とユーリエの傍に歩み寄る。丁度三人が等間隔となるような位置だ。
「ウート様、まだお話ししていませんでしたわね。私があのような事をしてしまった理由を」
アマーリアは、ユーリエを無視したように喋り出す。「あのような事」の意味が解るのはこの場では俺だけだろう。その表情は真剣で、ユーリエさえ完全に気圧されて口を挿むことが出来ない様子だ。
「私は、ただ・・・・・・、“恋愛”がしてみたかったのです。そう、燃えるような恋をしてみたかった。しかし、そう気づいた時には時すでに遅く、誰も私を女性として見ることが出来ない事に気が付きました。すでに人々にとって、私は“人”ではなかったのです。私は焦りました。気がつけば肉体は女性としての峠を迎えつつあり、肌は張を失くし、二の腕はたるみ、胸の形も理想から外れつつありました。悔しかったし、悲しくなりました。だから私は、取り戻すことにしたのです。それにはどうしても、さらなる力の向上が不可欠でした。もとより、私は“人”ではないのだから、それを躊躇う理由など何も無かったのです」
アマーリアは壮絶な思いを語り、俺はその中に含まれた彼女の孤独が何となく理解出来るような気がした。彼女はあまりにも強大な力を持ち、数々の実績を築き、いつしか人々から神の如く信仰される対象として位置づけられていたのだろう。
人は自分と違う異質なものに対して、敬うか、敬遠するか、どちらにしても距離を置き、交わることを避けるものだ。これは言うなれば自己防衛本能と言うべきで、自分より遙かに優れた者に対しては、超越的な存在として敬う事で距離を置き、それによって自分との比較から来る劣等感を感じないようにしているのだ。
一方で、自分が理解できないような異質な相手に対しては、距離を置き、迫害し、排斥することで異物を排除し、危害を加えられるのを防いでいる。
しかし、周囲の人々と同化出来ず、自分を理解してもらえないほど孤独を深めるものは無い。一人でいることを孤独と感じるのは一時的な感情で、人のいる所に行けば解決される程度の問題だ。しかし、人々の中で自分を異質だと感じ、疎外感を憶えて感じる孤独は、救いようがなくて根が深く、解決策は人から離れることでしか得られない。そしてそれは、自分を理解してくれる相手を見つけるまで続くのではないだろうか。
俺はそう考えて、ふと気が付いた。
(そう言えば、最近孤独を感じ無いな)
以前は、正確には元の世界にいたときは、時折感じていた記憶がある。
なぜ、自分は周囲に同化し溶け込むことが出来ないのか。なぜ、周囲は自分を理解し受け入れないのか。学生時代はその事で周囲と軋轢を生むことも多かったが、社会人になってからは自分を偽ることで取り繕うことが多くなっていた。表面上は上手く相手に合わせているように見えて、実は相手の考えに絶句したりしていることは普通にあった。それを相手に気づかせないことが、社会人にとっての必須スキルなのかも知れなかった。
しかしこの世界に来てから、俺は偶然にも居場所を見つける事が出来た。この街の人々は、多少異質なことも含めて俺を受け入れている気がする。だから俺は俺のまま振る舞うことが出来、ストレスも孤独感も感じることが無いのだった。
アマーリアは、かつてこの世界に生きながら、超越的な存在であるが故に、俺と同種の孤独を感じていたのでは無いかと思う。
俺は、それが理解出来てしまうが故に彼女に同調し、それ故に同情してしまう。
「ですが、今なら解ります。これらは全て、神が私にお示し下さった道なのでしょう。今、この時この場所にいる為だったのです。私がどんな存在であろうとも受け入れ、私の望みを叶えてくれる御方にお会いするための試練、これはきっと“運命”だったのです」
アマーリアは、左手を天空に伸ばすように掲げる。その場所に突如として銀の錫杖が出現し、アマーリアがつかみ取ると銀環が触れ合う美しい音が響き渡る。それを手に、右手で印を切り、神への感謝となる祈りを捧げた。
「ですから、私はここに『宣誓』します」
アマーリアがその言葉を発した瞬間、アマーリアを中心に神聖な気配のする魔力が発せられて周囲に満ちて行く。それは、この場にいる誰の目にも明らかなほどの密度を持ち、青白い光となって周囲を照らし出す。
「『宣誓』なんてそんな! 法術最上位術式ですよ、何者なんです彼女は?」
唯一その術式を知っていたらしいアウグスティアが、思わずレオーレにしがみつきながら、戦慄を感じさせる声で叫ぶ。
「どんな術式なんだ?」
ボルクが緊張を孕みつつ、判断材料を得る為にアウグスティアに問いかけた。
「言葉や誓いに強制力を持たせる術式です。彼女は自身を対象にしているようですが・・・・・・」
そんな緊迫したやりとりが繰り広げられる中、アマーリアだけは術式に集中していた。
「我、アマーリア・ノイシュティアはここに誓う。この心、この体、この魂が尽きるまで、傍に寄り添い、共に歩み、共に闘い、共に喜び、共に怒り、共に泣き、共に楽しみ、共に死を迎えん事を、我が力、我が身、我が愛情の全てを、御身に捧げる事をここに誓う!」
あっけに取られている俺たちを尻目に、アマーリアは俺の側にしゃがみ込むと、そっと手を伸ばして俺の右手を取り上げその甲に口吻した。
その瞬間、周囲に満ちていた魔力は一気に収束し、アマ―リアの額と、俺の手の甲に集まっていく。光が消え去ったときには、彼女の額に金色に光る小さな紋様が現れ、俺の手には同じような青い痣が浮き出ていた。
「どうなった? 俺には愛の告白にしか思えないんだが」
ボルクが再び問い、アウグスティアが答える。俺はその声を遠くに聞いている。
「えっと、多分、基本的にはウートさんの傍にいて、その行動に寄り添いますよと言う宣言かと。彼女はあれでウートさんの意に染まぬ事は『宣誓』によって制限される事になるでしょう。額に浮かんだ印がその証で、もし誓約に背けば“神威の炎”で自身を焼く事になります。そればかりか、このままだとウートさんが死を迎えたときには、誓約の力で彼女自身も死んでしまいます」
俺はその声を聞き、ハッとなってアマ―リアを見据える。彼女は純粋な微笑みを浮かべ、満足感に浸っているようだ。
「アマ―リア、何故そんな事を!」
「いいのです。この誓いは、私が何処にいてもあなたの影響下にある事を周囲に示す為に行ったものです。そうしなければ私のような者は周囲から恐れられ、遠ざけられてしまうでしょう。それに、私の時間はこの望みを達成する為に得たものです。永遠の時を過ごしたいなんて思っていませんから、区切りとしては妥当なものでしょう」
ガラガラガラン
俺とアマ―リアのやりとりを聞いていたユーリエが、手に持っていたフライパンを床に取り落とし、ペタンとお尻を床に付けて座り込んだ。どこか放心した様子で、ガックリと項垂れている。アマ―リアの覚悟は壮絶なもので、相当にショックだったのだろう。
「そんな事をされても、俺としては君に報いてやるのは難しいよ」
俺は一旦立ち上がると、ユーリエの後ろにしゃがみ込んでから抱きすくめ、そのまま立ち上がらせた。
「この通り、嫁もいる。同時に何人も愛せるほどの甲斐性も無いし、器用な性格でも無いんだ」
俺は、ユーリエを安心させるように強く抱きしめながら、困惑を交えつつ伝えた。正直に言って、一方では本心でもあるし、もう一方では建前でもある。俺はどこか、これ以上踏み込まれていることを恐れているのかも知れなかった。
「あなたは、あなたの思うままで居て下されば良いのです。これは私の決めた事ですから、私が頑張ってあなたを振り向かせれば良いだけです。むしろ、障害がある方が恋は燃え上がると言うものですわ」
アマーリアはニッコリと笑って宣言するが、何というか、断る相手に構わずアタックを続ける宣言を聞いていると、もうこれは完全にストーカーの理屈では無かろうかと思うのである。
「それに、彼女の説得は私にお任せ下さい。『拘束』」
アマーリアが法術を使用した瞬間、部屋の中に居た全員が体を縛られ身動き一つ出来なくなる。彼女はそのまま、俺の腕の中にいたユーリエの手を引いて離れの奥にあるユーリエの部屋へと引っ張って行き、中に入ると扉を閉ざしてしまった。
(何をするつもりだやめろ!)
内心でそう叫んで何とか術式に抵抗しようとするが、指先一つ動かせるようにならない。
じりじりと、発狂しそうなほど長い時間が経過したように思えたのだが、実際には五分程度だったらしい。ユーリエの部屋から、二人が連れ立って現れた。
ユーリエの無事な姿を見て、俺は思わずほっとする。それに、先程までとは打って変わった晴れやかな笑顔をユーリエは浮かべている。
そのあまりにも極端な変わり様は、まるで洗脳されたようであった。
アマーリアが両手をパンと叩くと、拘束が解けて体が自由になる。俺は勢い込んでアマーリアに詰め寄った。
「ユーリエに何をした?」
「ご心配には及びません。私は誠心誠意お願いしただけですわ」
俺は御思わずユーリエを見て、目で問いかける。彼女はアマーリアの言葉にあっさりと頷いた。
「はい、二人で話し合った結果、私が第一夫人、彼女が第二夫人と言うことに決まりました。私にとってもあなたにとっても、これが最良の選択だと理解しました」
(はい? ナニヲイッテイルノカワカリマセン)
いつの間にか仲良さげに笑い合っている二人を見ながら、俺の論理的思考能力は限界を超えて容易くフリーズした。
そこに俺の意思は全く反映されていなかったのだが、そんな物は全く必要とされておらず、俺の理解の及ばぬうちに決定されたあげく、その後どんどんと既定事実化されて行くことになるのだった。




