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酒場の親父は転生者  作者: 乱世の奸雄
酒場の親父は転生者 第三巻
41/51

とある恐怖の襲来事情

 キュッキュッキュッキュ

(う~ん、これもいい出来だな)

 俺はカウンターの内側で洗いたてのグラスを磨きながら、その完成度に満足を覚えていた。

 色々あったガラス工房の誘致に関してだが、フォルケルとクロップは俺が伝えた“宙吹き法”によるガラス成形の技法を習得し、さらには俺の助言を元に平坦な板状のガラスを製造する方法を工夫して、頼んだ本人が驚くほどの平坦なガラス板を製造する事に成功するなど、俺の想定を超えた力を示している。

 ちなみに、彼らを招聘する際に問題になったベニッツ一家のその後の話であるが、フォルケルが話していた通り徒弟達は離散し、一家は違約金による莫大な負債を抱え込むことになった。その負債自体を製造法の譲渡や家財の処分によりなんとか相殺すると、ザザニッツの郊外にある彼らの創業の地に、小さな工房付きの家が残った。

 今はそこで細々と製品を作り、家族で暮らしているとのことである。また、散り散りになった徒弟たちのうち、十人ほどがフォルケルを頼ってメセルブルグに移住してきたので、一緒に働いてもらっている。予想外の規模の騒動にはなったが、何とか落ち着くところに落ち着いたといった感じである。

 騒動が落ち着いたことや彼ら自身の努力も有り、当初フォルケルに感じていたわだかまりも今は無くなっていた。そして、今は事業の重要なパートナーとして、この街の一員となって働いて貰っている。

 俺は、次々とグラスを磨きながらバーテンダー気分を味わう。

 後片付けを兼ねた作業を、楽しみながら黙々とこなしつつ店内を見渡す。今日も書入れ時は店内が満席で、凄まじいほどの繁盛状態だった。さすがにもう寝かせているが、クラリッサやヨハイムまで猫の手代わりに駆り出していたほどだ。

 特にヨハイムは、数字に強いという特別な才能があるようで、忙しいときにはとても助かっている。

俺は暇を見ては、子供達三人に簡単な算数等の勉強を教えているのだが、何を教えてもヨハイムが三人の中で一番覚えが早いのだ。

ひと月と立たないうちに、足し算、引き算、九九に割り算を覚え、専門的に誰かを教育するとう訓練を受けたことなど無い俺には、他に何を教えればいいか解らないという頭の痛い問題が起こりつつある。小学校時代の教科書の内容について思い出そうとしても、正直言ってまったく思い出すことが出来ないため、俺の代わりとなる教師を見つけたいのだが、本来それを担うはずの教会組織がこの街にはなく、今はヨハイムが疑問に思ったことを答えることで、何とか体裁を保っていた。

 俺としては、本人が望むなら王都にあるという学院に入学させてもいいと考えているが、入学資格は十歳からなので、今はまだ、時期尚早なのであった。

 そんなヨハイムにとって、酒場の勘定を計算する位は造作もない事らしく、クラリッサと一緒になって集金係を務めてくれていた。

 そんな喧騒も過ぎ去り、今酒場は早めのオーダーストップをかけたおかげで徐々に人が減り始めている。残っているのは、常連か酒好きの若者達だけであった。それでも席は半分が埋まっているから、酔っぱらい達の大きな声が響いて賑やかさも残っている。

 そんな中、グラス磨きに夢中だった俺は、潮が引くように喧騒が収まっていくのに気づいて異常を感じ、怪訝な面持ちで顔を上げた。

 酒場は先程迄の喧騒が嘘のように、静まりかえっていく。だが、その理由を知った俺自身も、気が付けば魅入られるようにして見入っていた。

 静寂の原因となっていたのは入口に立つ一人の女性で、いつの間に酒場に入って来たのか戸惑うように周囲を見回している。

 その女性を見て、まず目に飛び込んでくるのは柔らかい春の日差しを思わせるような聖女然とした笑みを浮かべるその美貌だ。特にどんな暗闇でも照らし出す強い光を宿したような、青い瞳が印象的である。

 顔というのは、整いすぎるとどうしても怜悧に見え、そうするとどこか人間味からは程遠くなり、機械的な冷たさを感じさせてしまうように俺は思うのだが、その女性の顔はわずかに目尻が下がっていることで、印象の強い瞳と合わさってそれを打ち消している。

 通った鼻梁に、小さく薄い桜色の唇が可憐な印象を与え、妖艶さよりも清らかさを感じる美貌である。

 俺の視線は顔だけにとどまらず、男の性と言うべき無意識の行動で全身汲まなくチェックしてしまうのだが、純白で染み一つ無いワンピースの下から、強い自己主張を示して窮屈そうに布地を押し上げている双房、そこから体に絡みつくようにフィットした被服が示す腰の細さ、広がっていくスカート部に合わせるかのような、大きすぎないヒップが続いている。

 そして、ワンピースの前方部分が膝丈でカットされているのだが、その下からは純白のソックスに包まれたすらっとした足が覗いている。

 その全身を擬音で表現するならば、ボン、キュ、パン、スラー、シュ! とでも言えばいいのか、どこを取っても文句の付け様がない完璧なプロポーションをしていた。

 ボンと飛び出した胸、キュと締まった腰、パンと張った尻、スラーっと伸びた足、シュっとくびれた足首となり、全身が隈無く整っている証となる。

 そして最後に後光が差したかのような、長く豪奢なゴールデンブロンドの髪が広がり、体に纏う清浄な気配と相まって、圧倒的な存在感をその存在に与えていた。

(ななな、何が起こっているんだ? 女神か? 女神降臨か!?)

 俺の内心はその圧倒的な存在に魅入られ、絶賛パニック状態に陥っている。どう考えても、こんな場所に居ていい存在ではなく、場違いなどという次元ですらない。

 この場にいる全員は、彼女という存在に魅入られ、息をすることも忘れて見入っていたはずだった。

 だが世の中には、美に関する感性がマヒしているというか、場の空気を読めないというか、自分を知ら無すぎるというか、単なる無謀というには余りあるどうしようもない人間が存在してしまうのである。そのうえ、酒に酔うという理性を崩壊させる所業が、輪をかけて愚行に走らせる。

 俺たちが女神に見とれて動けないでいる内に、酒場の隅で仲間と飲んでいた若者の一人が、フラフラと、まるで羽虫が蝋燭の光に引き寄せられるかの如く、女神と見紛う美貌を持つ女性に引き寄せられていく。

(馬鹿、やめろ、女神に迂闊に触れでもしたら、不浄なお前なんて蒸発してしまうぞ!)

 俺はそれに気づいて内心で危機感を募らせるが、警告の声を上げようにも、喉が張り付いたかのように引きつっていて声が出ない。俺だけでなく、酒場の一同はその瞬間を幻視して若者の無事を祈ったに違いない。

「よお、別嬪ちゃん。あそこで俺達と一緒に飲もうぜ、奢ってやるからよお」

 若者は女神の様な女性に馴れ馴れしく声をかけ、事もあろうに肩でも組もうとするかのように手を伸ばし始める。もはや無謀を通り越した愚者、もしくは神威を顧みない勇者の所業であろうか。

 女神と見紛う女性は、若者の方を、ちょっと首を傾げながら困ったふうに見ている。

 その様子を気弱な人物の気後れとでも受け取ったのか、若者が断りも無く肩に触れようとしたその瞬間だった。一瞬だけ彼女の目が細められ、彼女を取り巻く雰囲気が豹変する。

 だがその変化は、瞬きをした次の瞬間には元に戻っており、周囲には殆ど気づかれなかったようだ。もし気が付いたとしても、余程のことが無ければ錯覚と思っただろう。

 だが、若者は手を伸ばしたままの姿勢で硬直したかのように立ち尽くしており、彫像の如く微動だにしなくなっている。

(ヤバイ! なんか知らないけど彼女はヤバイ! 俺の生存本能が、今すぐ逃げ出せと言ってやがる。でもどうやって、どこに逃げればいいんだ!?)

 俺は、彼女が一瞬だけ見せた正体の一端に震え上がっていた。

 魔法を使うようになってから、魔力に対する感性が磨かれたのか、自然と魔力の気配を感じ取れるようになって来ている。『片眼鏡モノクル』の補助無しでは目視は出来ないが、自身の魔力を感じて操作する事ぐらいなら、今の状態でも可能となって来ているのだ。例えば、体内の魔力を放出してぶつける事なら魔法を使わなくても出来ると言う事である。

 その、磨かれつつある魔力感知能力が捉えた彼女の魔力は、俺にしてみれば桁というか次元が違うと感じだった。これはもう“人間”ではない何かだ、本当に女神だとしても俺にとっては納得の行く解答だと思うだろう。

 その時、必死に脱出の方法を考えている俺と、彼女の瞳が絡み合った。慌てて逸らそうと思うのだが、そのまま絡み取られたかのように逸らすことが出来ない。

(へ、蛇に睨まれた蛙の気持ちが今解った! これは動けない、上位者からの圧倒的な視線、逸らせばすなわち死を意味し、動けばすなわち死を意味する。正に蛇に睨まれた蛙、俺は蛙や、蛙になったんや!)

 俺は息を止めて、逸らすことのできない視線を必死に逸らそうとする。すでに頭の中を走馬灯のような情景が駆け巡り、蛙のキーワード繋がりなのかある情景が脳内にフラッシュバックするように映し出された。

 それは、某蛙型宇宙人侵略者が、自身の存在をごまかすために蛙型のリアルな被り物を被り、逆に怪しさを最大限に発揮して横切るという、漫画の一場面だった。

「僕、蛙~」

 瞬間思わず口に出し、その場面を詳細に思い出したことで当時の感情も蘇り、大きく吹き出しかける。だが、気が付けばそのおかげで、視線の呪縛からは逃れることができたのだった。

(これで逃げられる)

そんな風にホッとしたのも束の間、逸らした視線がとらえたのは彼女の美しい唇の動きで、それは確かにこう呟いていた。「み・つ・け・た・♡」と。

 それの意味することを理解した時、全身の血が一瞬で凍りつく。

 全身がぶわっと総毛立ち、股間にぶら下がる二つのあれが、避難場所を求めるかのように我先に縮こまって体の中へと避難する。

 ワイトに至近距離に迫られた時以上の、絶望的な死の予感が全身を支配し始める。膝は笑い、手は震える。必死で食いしばっているが、気を抜けば歯がガチガチと鳴り出すだろう。

 彼女は呟きの後、にっこりと満足そうに笑いながら俺の方に向けて歩き出している。

 俺は、逃げられないだろうことを悟り、半ば死を覚悟した。

 もしこの時、一言彼女にお願いできるとしたならば、躊躇いも無くこうお願いしただろう。「痛くしないでね」と。

 それは本来、男が女性に言う言葉としては不適切なのかもしれないが、俺としては切実な問題なのだった。

 彼女は俺の目の前にカウンター越しの距離まで近づくと、カウンター席に用意されているスツールに優雅に腰かけた。

「こんばんは」

 耳に残る、いつまでも聞いていたいような美しい声だった。

「ああ、こんばんは」

 挨拶に対し反射的に挨拶を返してしまうのは、染み着いた社会人としての習性だろう。そして、挨拶を交わしたことで、俺の脳は生き残るための思考を全力で模索し始める。

 なぜならば、挨拶というのはコミュニケーションにおいて端緒となる言葉であるからだ。そして挨拶はそれだけの意味に留まらず、敵意がないことを相手に伝えるために行われる行為でもあるはずだからだ。

 例えば戦場において、偶然出会った背を向ける相手に挨拶をしてから襲い掛かるだろうか? 例外はあるかもしれないが、基本的に挨拶というのは発することで自分の存在を相手に伝え、相手の事を認識していることを相手に伝えるために行うものなのだ。

 そう考えるならば、挨拶を交わす相手とは会話なり交渉が成り立つことを示している。

 だから俺は、この時点で生きる意志を復活させたのである。出来れば穏便にお帰り願いたいと考え、その方法を全力で考えようとする。それには相手の要求を、上手く聞き出さねばならない。俺はその為になるべく普段通りに振る舞おうと努力した。

「なんにします?」

 ここは酒場だから、まずは注文を取る。それは当たり前のことだ。だが彼女は、問われた時にはキョトンとした顔をして少しの間沈黙した後、意味を理解したのか微笑みを浮かべながら注文を口にした。

「葡萄酒をいただけますか?」

「かしこまりました」

 俺はカウンターの内側で、上級葡萄酒のために作って貰った濃い色の付いたガラスのボトルを取り上げる。このボトルに葡萄酒を小分けし、冷水で冷やして置いてあるのだ。これは樽では出来ないガラスならではの大きなメリットである。しかも、外気の影響を大きく減らせるので、品質の劣化を防ぐというメリットもある。

 俺はとっておきの葡萄酒を取り出し、一番お気に入りの特別なワイングラスにそっと注いで彼女の前に置いた。

 その時、俺の手が震えていなかったことを、自画自賛してやりたい。

 彼女は目の前に置かれたワイングラスを驚いたように見つめ、そっと手に取ると傍においていた燭台の明かりに透かして、美しい紅色の液体を眺めている。

 それから、クルクルとグラスの中の葡萄酒を回しながら中の香りを少し嗅いだかと思うと、その美しい唇をワイングラスに付けて、中身を少し飲んだ。

 俺は、彼女の美しい所作を見て、感心することしきりだった。ワイングラスが存在しないはずのこの世界で、まるでそれを知っているかのように優雅に味わっている。

 そうすることが自然で当たり前であるかのような動きに、俺ばかりでなく自然と酒場中の視線が集まっているが、特にそれを気にした様子も無く、グラスに残った葡萄酒を一気に飲み干して、ホウっと満足の溜息をつく。

「美味しい。もう一杯頂けるかしら?」

 俺は要求に答え、カウンター越しにワイングラスを受け取ると、同じように葡萄酒を注いでから目の前に返した。

 彼女は、新たに注がれた葡萄酒に一口だけ口を付けてからカウンターに置き、俺の方に向き直った。

「お久しぶりですね」

(お久しぶり???)

 彼女の思いもかけなかった問いかけに、俺の顔と頭の周囲は疑問符で覆い尽くされる。こんな美人に、俺が出会っておきながら忘れることなどあるだろうか? いや無い。断じて無い事は断言できる。

「人違いではありませんか?」

 俺はやんわりと、だが声には確固たる信念を込めて答える。人違いで目を付けられたとあっては、目も当てられないからだ。

 だが、彼女は首を振りつつ尚も言い張った。

「いいえ、まさか忘れたと仰るつもりですの? 私の寝姿を、ねっとり、じっくり、たっぷりと見ておられたではありませんか。私、一糸纏わぬ姿でしたのに・・・・・・」

 ビキッ

 その瞬間、空気が軋む音が響いた。

 もちろん幻聴だが、酒場の人々の嫉妬の感情が、一斉に俺に向けて放たれた瞬間、全員が間違いなくその音を聞いた。

 男達からは、これほどの美女をモノにしたのかという嫉妬が放たれ、剣呑な空気が形成される。

 だが、それよりも恐ろしい気配が、すぐ傍から放たれている。もちろん、ユーリエさんからである。

「あ・な・た、ちょっといいかしら?」

 いつの間にか背後に立つと、形容しがたい声音で俺に語りかけ、グイグイと腕を引っ張って奥へと連れ出そうとする。

(ちょ、今は、今はそれどころじゃないから、落ち着いて)

 そう思うのだが、先ほどまでとは別種の恐怖に縛られて声を上げることが出来ない。たちまちのうちに連れ出され、そのまま離れへと引っ張られて行ったのだった。



 離れに入った途端、ユーリエは手を放し、くるりと振り返って両腕を前で汲む。そうすると大きな胸が強調される結果になるのだが、さすがに今はそれどころでは無いのは俺にもわかる。

「どういう事ですか? いつの間にあんな美人に手を出して、私に不満があるのですか? それとも美人なら誰でも構わないんですか?」

 ユーリエの、畳み掛けるような矢継ぎ早の質問にタジタジとなりながら、俺は必死に否定する。

「待て、落ち着け、何かの間違いなんだ。その誤解を解こうとしていただけだ。大体俺は彼女の名前すら知らないん――」

「アマーリアですわ」

「そう、アマーリアなんて女は知らないんだって、え?」

 俺は一瞬釣られかけてから、思わず振り向いた。

そこにはいつの間にか現れたのか、酒場にいる筈の彼女が立っていた。

「な、なんで勝手に入って来て居るんですか。ここは私とこの人の家ですよ、部外者は出て行ってください!」

 ユーリエが、プライベートエリアを犯された怒りで咄嗟に食って掛かった。

(止めて、彼女を刺激するのは危険だから止めて!)

 そう思ったが止める間は無く、アマーリアと名乗った女性はスッと目を細めてユーリエに向き直った。

「先にお話しの邪魔をされたのは、そちらの方ではないですか。これからが大事なところでしたのに」

「この人は貴方なんて知らないって言ってます。変な言いがかりは止めて頂けますか?」

 ユーリエは、敵愾心むき出しで食って掛かる。俺からすると、ライオンにチワワが吠えかかっているように思えてならない。危なっかしくて見ていられないのだ。案の定、ユーリエの言葉を受けたアマーリアの表情から微笑みが消える。

「そう、あくまで白を切ると仰いますのね? そうであれば、私にも考えがございますわ」

 そう答えた瞬間、アマーリアの気配が瞬時に切り替わった。

 今まで溢れていた清浄な気配が、打って変わったように恐ろしい気配に切り変わり、彼女の周りに吹き出し始める。

「ヒッ」

 ユーリエは、一瞬で息がつまり体を硬直させる。俺は咄嗟に間に体を割り込ませ、彼女を背後に庇う。だが、本気で立ち向かったとしても勝てる相手ではない事は理解できてしまう。彼女がライオンなら俺はせいぜいヤママヤーイリオモテヤマネコ位のものだろう。

「待て、いったい貴女は何者だ? 本当に俺には心当たりがない。一体何時、会ったというんだ、教えてくれ」

 少しでも意識を自分に向けさせるために、俺は必死で言いつのる。勝てない相手と喧嘩をする気は毛頭ない。出来る事なら逃げ出したいのだが、街の中ではそれも出来ない。この場は交渉に唯一の望みを託して切り抜けるしかない。

「仕方ありませんわね~、もう少し優雅に駆け引きを楽しみたかったのですけれど。その子のおかげで台無しですわ」

 そう言うと、再び一瞬で気配を収める。ユーリエは俺の背中に縋りついて震えていて、気配が収まった後もそれは変わらなかった。

「出会ったのは三か月前、私の寝室に貴方が見えられたのですわ」

「三か月前?」

 そう言われた俺は、ふと、三か月前に見た地下迷宮ダンジョンの一室で見た、ある情景を思い起こす。

(しかしあれは、こんな姿では・・・・・・。まさか! そんな馬鹿な!)

「どうやら、お心当たりがおありになる様子ですね。きっと、その『まさか』ですわ」

 俺の内心を見透かすかのようなセリフに、俺の心は凍りつく。今さらながら己の軽率な行動に思い至り、内心で呪詛を唱える。鬼や蛇どころか、とんでもないものを引き当ててしまったらしい。


“其は死を従えるもの”

“心弱き者の魂を刈り取るもの”

“過ぎたる後に生命無く”

“歩む大地は腐れ落つ”

“生ある者よ恐怖せよ”

“其は偉大なる死の化身”

“絶対なる死の君臨者死者の王リッチなり”


 叙事伝サーガの一節が脳裏をよぎり、俺は絶望を色濃くする。あの場所で、尤も存在する事を恐れていた者、居ないと確信したはずの者、敵にしてはならないはずの絶対的存在が出現し、わざわざこの場に現れる意味を思い描く。ここに現れた目的は復讐、もしくは秘密を知る者への口封じなのではないかと。

(なんてこった! 完全に死亡フラグを踏んじまってる。ここに来られた時点で人質を取られたようなものじゃないか、逃げようがない。俺が自分で撒いた種だし、街の人を巻き込むわけにはいかない。かくなる上は、被害を最小限に抑えるように動くべきだ・・・・・・)

 恐怖が極限を超えた結果、合理的な判断が残る。自己犠牲ですらない、ただの自己満足だ。

「思い、出したよ・・・・・・。確かにあなたの言うとおりだな。出来れば二人っきりで話し合いたいのだが?」

 俺は、緊張に張り付く喉を必死に働かせて掠れた声でアマーリアに告げる。

「フフフ、もちろんかまいませんわ。私としてもその方が望ましいですし」

 アマーリアが余裕の表情で、俺の提案を肯定する。

 俺は、必要な時間を稼ぐ為に、ありとあらゆる時間稼ぎをするつもりだった。アマーリアの了解を得てユーリエに向き直ると、そっと囁くように指示を出した。

「いいか、よく聞くんだ。ここを出たらマルセロさんに事情を話して、街の人をなるべく遠くに避難させるんだ。俺は出来るだけその為の時間を稼ぐから。いいね」

 俺はユーリエに、優しく諭すようにその瞳を見つめながら言った。

「嫌です、逃げるなら一緒に」

 ユーリエは、瞳に恐怖と悲しみを浮かべながら、必死に俺に縋りつこうとする。

「無理だ、聞き分けてくれ。俺の予想だと、彼女の正体は死者の王リッチだ。怒らせて本気になれば街ごと滅ぼされるかも知れない。自分で蒔いた種だ、俺が何とかする」

 ユーリエは、イヤイヤと言う風に俺に縋りついて離れようとしないが、俺は強引に彼女を抱え上げ、離れの外に連れ出した。

「みんなの事を頼む。大丈夫、死んだりしないって」

 俺は精いっぱいの笑顔を作り、尚も嫌がるユーリエを押し出して扉を閉める。それが、その場で俺の出来る精一杯の強がりであった。

 扉の外で、ユーリエの気配が遠ざかるのを確認し、安堵の溜息を吐く。それからアマーリエに向き直り、対峙する。

 彼女はそんな俺を興味深そうに見つめ、最初から全く変わっていないような聖女の如き微笑みを浮かべ、そこに存在するだけで俺を圧倒するような気配を漂わせていた。

 俺は覚悟を決め、アマーリアの印象的な美しい瞳を正面から見つめた。ここからは生き残る為の闘いであり、初めての時のように魅入られる事は無くなっている。

 それから俺は、生き残る為の手がかりを求めて、彼女との対話をスタートさせたのだった。


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