とある酒場の団欒事情
暴走の限りを尽くした翌朝、俺は微睡みの中で、腕の中の柔らかな感触を無意識に確かめようとしていた。
しかし、そこにはいつも通りの空隙しかつかみえず、次第にクリアになっていく頭の中で、全ての事象が繋がったとき、ハッとして目が覚めた。
「やっちまった・・・・・・。ついに、やっちまった・・・・・・・・・・・・」
その途端に俺は、後悔などと言うのも生ぬるい程のプレッシャーに包まれる。
俺は、確かにモテない男だ。
だからと言って、女性を無理矢理襲うような事をするつもりなどこれまで全くなかった。いや、全くと言ってしまうのは語弊があるかもしれないが、それがもたらす一時の快楽に比べて、その後の長い人生における安定した一生を棒に振る気などサラサラ無いと、理性で容易に押さえ込む事が出来ていたと言っていい。
一時期は、金で解決を計るような付き合いをしてみた事はあるのだが、そこには自身が求めたような充足感を見出す事は出来ないと気がつき、虚しくなって直ぐに止めた。
それ以来、俺の中で女性というものは、求めても永遠に得る事の出来ない幻想の存在へと昇華された。自身の望みがどれだけ無謀で、大それたものなのか自覚したと言っていい。
自分に見合った相手に妥協すれば良かったのかもしれないが、男にとって相手を選び、付き合って結婚するというのは、かなりのリスクを背負う事になる。
結婚を考えない気楽な付き合いなど出来る性格では無かったし、しようとも思わない。そうなるとどうしても慎重になるし、歳と共に審美眼も磨かれ辛くなっていく。
やがて、高すぎる理想と現実のミスマッチに絶望し、リスクを取る勇気を放棄して楽な方向に逃避するようになっていた気がする。そして逃避するには、元の世界、とりわけ日本においては、楽しい物が沢山ありすぎた。
『人は易きに流れる』の言葉通り、楽で楽しい物が溢れる世界は、甘い毒に自らを浸すようなものだ。俺はそれに耽溺し、感覚は麻痺して、それで十分に満足していたはずだった。
確かにユーリエは、俺の高すぎる理想と照らし合わせても十分すぎるほど水準をクリアする女性だ。リスクに関しても、経済的不安の無くなった今の俺には、彼女とミリィの一生を背負う事になっても、殆ど問題に感じるような物では無い。
しかし、だがしかし、最低限必要な行為が、相手の意思を確認するという最低限の行為が昨日のアレからは抜け落ちていた。
無理矢理では無かったと、誰が胸を張って言えるだろうか?
確かに、抵抗らしい抵抗はされていない。だが、二人の関係は対等と言えるだろうか? ユーリエとの関係は改善しつつあったとは言え、ちょっと前まではどちらかが店を去る事になりかねないほどの緊張状態であった。
俺には彼女を追い出す気など無かったとは言え、彼女がそれを知っていたわけでは無い。
拒絶できない立場、だったと言っても過言では無いとしたら、自身は唾棄すべき最低の行為をしたことになる。
部屋を一歩出れば、人々が自分を白眼視して待ち構え、兵士に捉えられ牢に連れて行かれるのでは無いかとの、強迫観念に捉えられる。
(お、俺のマジカルゆるふわセカンドライフがぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・)
今更後悔しても、遅い訳である。
それに、後悔はしても反省はしていないのかもしれない。反省などしたところで、犯した罪が無くなるわけでは無い。反省して許されるなら罪を犯しても良い事になるでは無いか、罪は本来絶対に犯してはならないものなのだ。それを犯した俺に出来るのは罪に相応しい罰を受ける事だけだろう。
(潔く罰を受けるしか無い)
そう覚悟したのに、すぐに挫けそうになる。
(「責任取って、一生面倒見て下さい」って事にしてくれないかなあ? あ、でもそれって罰と言うよりご褒美じゃね~か・・・・・・)
・・・・・・どうやら本格的に馬鹿に付ける薬は無いらしかった。
俺が何時までも逡巡していたからなのか、思ったより遅い時間だったのか、外から足音が響いて小屋の扉が開く音がし、ハッと身構えた瞬間に自分の部屋の扉も開け放たれた。
「ウート、あんた一体何時まで寝てるつもりなんだい! 早く起きな!!!」
ハンナの威勢の良い声が響く。
だが、ハンナは部屋に踏み込んで、直ぐにピンと来たように俺をにらみつけた。
「ウート、あんたユーリエに手を出したんだね?」
俺はベッドの上で体を硬直させる。しかも、全裸の上に辛うじて毛布が下半身を隠しているだけの、情けない姿でだ。
ハンナはベテランの刑事が、犯罪者の嘘を見抜くような目つきで俺を睨み付けてきた。
元より、言い逃れできようはずも無い。俺はガックリと項垂れつつ、首を縦に振った。
「ふうん、それでかい・・・・・・」
ハンナは得心いったような顔をして、俺を責める素振りを見せない。
「それであんたは何でそんなに悄気た顔してんだい? まさか手を出しておきながら、知らん顔するつもりじゃないだろうね! あたしゃそんな事許さないからね!!!」
俺は、元よりそんなつもりは無い。慌てて首を振る。
「それなら、もっとシャンとしな! 忙しいんだから、さっさと着替えて仕事しな!」
ハンナは最後まで威勢よく言い切ると、部屋を出て行った。どうやら、想像していたような状況にはなっていないのだろうか。
そうなると気になるのは、ユーリエの状況である。俺は慌てて服を着ると、エプロンを片手に部屋を飛び出した。
「おはようございます。今日は遅いんですね、朝食は作っておきましたから、早く食べて下さいね。開店まで後半時しかありませんよ?」
ユーリエは顔を合わせるなり、今まで見た事も無いほど溌溂とした笑顔で、俺に挨拶するなりそう話しかけてきた。
一瞬「あんた誰だよ!」と叫びたくなるほど、今までと表情が違う。心なしか、背負っているミリィまで、笑顔三倍増しのように見える。そして、よく見ると耳が真っ赤だ。
俺の方と言えば「おはよう、うん、ああ」としか、返す事が出来ないほど狼狽しているというのに、昨日までの立場が全く逆転してしまったかのようだ。
(コレハドウイウコトデショウカ、ダレカオシエテクダサイ)
人間は経験の無い事態には知識を持って対抗するしか無いわけだが、俺の豊富な漫画ラノベ知識を持ってしても整合性のある答えを導き出す事は出来なかった。
あんな事をしでかして許してもらえるのは、超美形もしくは超イケメン主人公か、本人は平凡とのたまう割にどこから見てもイケメンのラノベ主人公しかあり得ない。それが自分に当て嵌まらないと言う自信が、間違いなくあるのである。
俺は考えを纏めるため、いつもの開店準備をするためのルーチンワークへと身を委ねた。
(えー、まさかのお咎め無しか? 喜んで良いのだろうか? わからねぇ)
やがて開店時間になり、いつも通り注文を捌いているうちに、細かい事を悩んでいる暇が無くなっていく。昼の営業を終えた頃には、このまま流れに身を任せるのが一番良さそうだとの漠然とした思いが出来上がっていた。――考えてもわからないから、面倒になったとも言う。
ユーリエの中で、昨夜の一件がどういった整理をされたのか解らなかったが、少なくとも後悔や嫌悪、怒りなどネガティブな感情を覚えている様子は無く、寧ろ今迄より屈託無く接してくるほどだ。
俺の方が戸惑って、ついユーリエの姿を目で追ってしまう。
そんな俺の様子で、何があったか周りにはバレバレになってしまうらしい。
『町会』のメンバーには代わる代わる嫌味を言われたり、からかわれたりして、身の置き所がなかった。
「か~、ウート一応お前も男だったんだな」
そう言って、マルセロがしつこく絡んでくる。
「どういう意味ですか、男に決まってるでしょうが!」
「はあ? 今まで綺麗所を送り込んでも、てんで反応しねぇから、こっちは心配してたんじゃねえか」
マルセロの挑発的な物言いに、俺は閃くものがあった。時折やけに愛想のいい、この街娘達にたじたじとなっていた記憶だ。
「え? あれってそういう事だったんです? てっきり、この街の娘さんは皆、誰にでも朗らかないい娘達なんだろうとばかり思っていたんですが・・・・・・。それに、幼すぎましたよ、彼女たちほとんどが十三歳から十四歳ぐらいだったじゃないですか!」
俺は、記憶の中の心当たりを何件か探って、容姿や喋り方等から推測した年齢を思い起こす。ハッキリ言って、日本人のそのくらいの年齢よりかは大人びて見えるものの、やはりどこか幼さを残し、それ故に自分を隠しきれていない未熟な少女たちの面影に、そういった対象としてみることの禁忌的な感情がどうしても湧いてしまう。つまりは、手を出したら犯罪だろうという感情だ。
だが、マルセロや他の『町会』メンバーは、あっけに取られた顔をしている。
「はあ? そりゃお前、当たり前だろう。普通、あの位の年頃になればどんどん相手を見つけて行くもんなんだから、さすがに相手のいる娘を紹介する訳には行かないからな」
(なるほど、この世界ではそういうものなのか、平均寿命もそれほど長くない世界だと、どうしても人は早熟にならざるをえないってことかな。昔の日本でも十三歳位で結婚しているような時代もあったはずだしな)
「しかし、ユーリエ嬢ちゃんには見事にしてやられたな。こうもあっさりこの堅物を落としちまうとは・・・・・・。それになんか見違えるように明るくなったしよぉ」
マルセロの言葉に、他のメンバーも頷いている。
「まあ、あの子ならハンナともうまくいっているし、我儘もそんなに言いそうにない。結果的によかったのかもな」
マルセロはそう結論付け、俺はようやくこの話題から解放されたのだった。
その後、四日間は特に大きな変化もなく、過ぎていった。
俺はユーリエの真意を掴みきれず距離感を図りかね、一方のユーリエは特に何か求めてくることもなく、極々自然に接してくるだけだった。
ユーリエが怯えなくなったので、俺は以前ほど、挙動不審になる事もなく話をすることが出来るようになったが、それ以上何かが進展することもなく、日が経つにつれて薄れていくあの夜の記憶に、焦りともどかしさだけが募っていた。
(とにかく、一度、二人で話し合う必要がある)
たったそれだけの結論を出すのに四日間が必要だったのだから、俺のへたれっぷりは筋金入りだと言わざるをえない。
(よし、明日だ。明日、ユーリエを捕まえて話をしよう)
すでに、明日に先送りしているあたり、逃げ腰なのは否めない。それでも、そう方針を決めれば何とか相対できるような気がしたので、その日は寝ることにした。
蝋燭の火を消すため、寝転がっていた寝台を下りて立ち上がり、燭台を置いた机に歩み寄ろうとした時だった。
コンコンコン
扉がノックされる音が聞こえた。一瞬、空耳かと思い耳を澄ませるが、コンコンコンと扉が再びノックされる。
俺は扉に歩み寄って内鍵を外すと、扉を開けた。
こんな遅い時間に、この部屋を訪ねる者など他に考えられないとは思ったが、そこには夜の闇を背にして、ユーリエがひっそりと立っている。
身に着けているのは、薄いベージュ色をした膝下まである長衣で、締め付けている箇所がなく、体のラインが判りにくい服だった。それでも、彼女の体の中で最も自己主張の激しいその部分は比較的はっきりとその存在を主張していた。
彼女はうつむき加減で、右腕は支えるように胸の下を通って左腕を掴むと、消え入りそうなほど小さな声で言った。
「入っても・・・・・・、いいでしょうか?」
俺は、言葉ではなく、体を少しずらして、彼女のためのスペースを開けてやることでその言葉に答えた。
喉は緊張でカラカラに干上がっており、喋れば声は裏返って、みっともない姿を晒す所だったろう。
ユーリエはするりと体をスペースに入り込ませ、部屋の中へと侵入してくる。その足取りには躊躇いや戸惑いは感じられず、深夜に男の部屋を訪ねる非常識な行動を思えば、とても大胆に感じられた。
俺は、ゆっくりと扉を閉め、内鍵をかける。
誰かに入られることを警戒したわけではなく、そこが自分のテリトリーであることを確認するための儀式のようなものだ。
本来は自分一人の空間を構築するためにやるのであるが、今回は自分の有利なフィールドであることを確認するための行為だ。つまりユーリエは自ら自身のフィールドに踏み込んできたことを確認し、無理強いした訳ではないという事を自覚することで、心理的防御を解除する行為と言えた。
自分より一回り以上年下の少女に相対するのに、些か大げさな行動だと自分でも思うのだが、さまざまに張り巡らされた心理的防壁は、自身はもちろん他人に対しても容易に踏み込んだり踏み込まれたりするのを拒んでいる。
それを一つ一つ解除していかなければ、この前のように勢いに任せて突っ走る以外、方法が無くなってしまうのだ。
ユーリエは大胆にも、座るところはそこしかないと言うふうに、ベッドの中央付近に腰かけた。
俺が押し倒そうと思えば、容易に可能な場所である。ここまでされれば、ユーリエがそのつもりで部屋を訪れているのは、俺でも容易に理解できる。問題は、その理由が俺には皆目見当がつかないことだ。
それを知らなければ、これ以上彼女に踏み込むことは躊躇われた。かっこつけるわけではないが、嫌々体を投げ出すような真似をされても嬉しくはないし――逆に傷つくくらいだ――、既に関係を持ってしまった以上、彼女とミリィを庇護することは、俺に生じた義務のようなものだと理解していた。
「どうしたんだ? こんな夜更けに」
俺は話の端緒として、普通に問いかけてみる。自分のテリトリー内という認識が、自身に少しずつ余裕を与えてくれる。ユーリエは虚を突かれたような顔をして、俺の方を見た。それからちょっと拗ねたような顔をして、考えながら口を開いた。
「胸がまた、張ってしまって……」
その言葉で、先日の光景がフラッシュバックする。確かにあれから四日が経過しており、そういう事もあるのかもしれない。しかし、その事が何を意味するのか、彼女が判らないはずがない。つまりは、婉曲な誘いと考えていい気がした。彼女にとって、大胆な行動を肯定する表面的な理由なのだろう。
だが俺はさらに切り込んでみた。そこから彼女の本心を聞き出すためだ。
「それだけでは済まないことは、当然解っていて言っているんだよな?」
俺の言葉に、ユーリエは頬を朱に染める。やがて、躊躇いがちにコクンと頷いた。
「どうしてそこまでする? 俺が君をここから追い出すと考えてたり、無理にそうさせるような態度だと誤解させたのか?」
「違います」
ユーリエは慌てたように立ち上がり、両手で手を振って、否定するジェスチャーを見せた。
「最初は、ウートさんの事がよくわからなくて、男の人が信じられなくなるような事があって怖かったし、私のことが嫌いなのかって誤解したりしてしました。でも、ミリィを助けてくれて…………」
ユーリエは、そこまで告げると感極まったように涙ぐむ。
「……それで、私は気づけたんです。そっけない態度も、私が怖がらないようにするためだったって。そんな人を、誤解して傷つけたんだって、それなのに優しくしてくれてたんだって。……だから、だから欲しくなったんです。誰にも渡したくなかったんです。今なら、私しか傍にいない今ならって、浅ましくも思っちゃったんです。ウートさんの優しさに付け込んだんです。だけど、傍に居たいんです……」
俺はそれ以上言わせないようにするため、ユーリエを抱きしめた。
ユーリエは俺の胸にすがりつき、嗚咽から、本格的に泣き出すと、子供のように縋りつきながら泣いている。
(ここまで言わせる必要はなかったんじゃないか?)
俺は自身の臆病さからくる猜疑心の強さに、忸怩たる思いを噛みしめるしかなかった。
俺は、ユーリエと出会ってからの出来事を振り返り、それほど優しく接した覚えも無く、一方で彼女を落とすために打算的な行動をとった記憶も特にない。酒場で働く同僚として、出来るだけやりやすいようにとは心がけていたつもりだが、それがうまくいっていたとはとても言えない状況だったはずだ。
ユーリエの中で、それらがどう消化され、この結論になったのかは皆目見当がつかなかったが、思いがけないほど高い評価であるらしい。
それを理解した時、俺の中にはある感情が芽吹いていた。
封印し、心の奥底に無理矢理に押し込め、それから目を背け、絶対に存在しないものと諦念の基に厳重に鍵をかけていたはずのものだった。
自分の腕の中ですすり泣く、やわらかで、たおやかで、瑞々しい一人の女性を自分のものにしたいという思い。
それは、美しい言葉を使うなら「愛情」とか「愛おしさ」と言うのかもしれない。
だが、俺の中には美しい言葉を否定する自分がいて、その思いを種の保存本能に根差した欲望以外の何物でも無いと断じ、単なる「支配欲」であると非難して、感情の暴走に歯止めをかけようとする心の動きも存在している。
それらの理性と感情が複雑に絡み合い、鬩ぎ合って、一つの回答に至る。
(「支配欲」だというのならそれでいいじゃないか、俺は彼女を手に入れ、自分のものとして彼女とミリィを力の限り守って、大事にしていけばいいんだ)
それは、欲望に理性が負けたのかもしれない。
だが、その結果もたらされた結論は、俺にとって自に課した枷であり、破る事の出来ない誓いとなる。
ユーリエは泣き止んでおり、俺の腕の中からそっと距離を取り、指で涙をぬぐい取った。
「えへへ、泣いちゃいました」
そう言って、はにかむ姿は超絶的に魅力的で、大抵の男を虜にすることが出来るだろう。もちろん、俺も例外ではない。
この少女を我が物にできる幸運に、興奮で頭がクラクラしてきそうなほどだ。
「俺の思いは、結構重いかもしれないぞ?」
「私の思いも、結構重いかもしれませんけど覚悟してくださいね」
俺の挑発的な問いかけに、ユーリエは微笑みながら答えた。俺は答えを返す代わりに唇を奪う。
そのまま柔らかな唇を堪能した後、ユーリエを寝台にゆっくりと押し倒す。
そして、何の抵抗も見せずに従う彼女に安心し、その美しい体を味わうため、ゆっくりと服に手をかけていったのだった……。




