<間話>とある女将の憂鬱事情
「はあ、やっぱりやめとくんだったかねぇ」
ハンナは憂鬱そうに溜息をつき、眉間に深い皺を寄せながら言った。
「なんだ? お嬢ちゃんのことかい」
酒場の常連客の一人、マルセロがハンナに尋ねた。声には心配そうな響きがある。
酒場は夕食時の一番混雑した時間が終わり、一定の落ち着きを取り戻している。後は、食事を終えてゆっくりと酒を楽しむ客が残っている程度だ。閉店までには時間があるが、ハンナは仕事をユーリエに任せて常連客に混じって歓談していた。
マルセロがお嬢ちゃんと呼んだのは、数日前から酒場で働くことになった少女、ユーリエ・ハーフェンの事である。
「まあ、そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかねぇ。ウートが最近妙に浮ついてるんだよ、落ち着かないというか、心ここにあらずというか。仕事に支障は出てないんだけど、普段のウートらしくないのは間違いないねぇ」
ハンナは、彼女が落ち着かない時やる癖である、額と髪の境目辺りを掻く癖を無意識に取りながら、厨房の方を見やる。そこで忙しく立ち働いているであろう、ウートの事を心配しているのだろう。
「もしかして、もう、お嬢ちゃんに手を出したとか、それとも惚れちまったって事かい?」
もう一人の常連客、メルケルが呆れたように言う。そこには多少の驚きも含まれている。
だが、ハンナはその言葉に首を降ると、気落ちした声で、「その方が、まだましだったさ」と嘆息した。
ハンナは声を落とし、常連客達はハンナの方に身を乗り出して話を聞き漏らすまいとする。
「初日のあの子は、そりゃあオドオドビクビクしていてねぇ、特にウートに対する反応は過剰な程だった。訳ありなのは解るんだけど、ウートはそういうのに敏感だからねぇ、あの子を怯えさせないために自分から距離を置いているんだよ。もう既に恋愛対象どころか、女性として扱う事すら避けているかもしれないねぇ。単なる同じ職場で働く人って扱いだ」
ハンナは、ちらりと横目にフロアで立ち働くユーリエを見てから、常連客達に視線を戻して話を続ける。
「ユーリエには、その辺りの事を注意して関係改善を促すように言ってあるんだけど、取り付く島も無いみたいでねぇ。挨拶もするし無視したりはしないんだよ、勿論いじめたりもね、むしろ丁寧に対応してる。でも殆ど目も合わさないし、必要最小限の接触だし対応なんだ」
ハンナの言葉に、常連客である『町会』の一同は、思わず唸りを上げた。彼らの思惑とは大分外れた、深刻な事態に直面しつつあるらしい。
「そいつは、うまくない展開だな。しかし、ウートの奴はどうなってやがんだ? 男なら押し倒すぐらいはしてみろってんだ」
マルセロは、八つ当たり気味に吐き捨てた。しかし、ハンナはそんなマルセロを見て呆れたように言った。
「ウートはねぇ、あんたが普段仕切ってる街の男達のように単純な男じゃ無いんだよ、そんな了見だからウートの気に入るような娘一人見つけられないんだ」
「なんだ、気づいてたのかよ」
ハンナの言葉に、マルセロは目を丸くする。
「ふん、何年あんた達とつきあってると思ってんだい? あんた達の考えそうな事はおみとおしさね」
ハンナはすまし顔で言った。
「ならよぉ、ハンナも手伝ってくれよ。お嬢ちゃんが眼中に無いなら寧ろ好都合だ。なんだかんだ言って、お嬢ちゃんはこの町の人間じゃあ無いからな。出来ればこの街の娘を娶らせて、この街との縁を結んでおきたい。今あいつにこの街を去られたりしたら困るんだよ、ウートはどんな娘なら気に入るんだ?」
マルセロは、ハンナに期待するような視線を向け、他の『町会』メンバーも同意するかのようにハンナの言葉を待つ。ハンナはそんな彼らを頭痛に耐えるような素振りを見て、どう説明すれば無理解な生徒に理解させられるか考え込む教師のような顔つきで黙り込んだ。
「大体あんた達は、何で自分が失敗したと思っているんだい?」
ハンナは、彼らの現状認識から質すべく、問いを返す。
「そりゃあ、ウートの奴が鈍いからじゃねえのか? もしくは好みの娘がいなかったからだろう」
ハンナの洞察通り、マルセロ達からは単純な返答しか帰ってこない。ハンナはやれやれと首を左右に振りつつ言った。
「だから、そんなに単純じゃ無いって言ったろう。あんた達が何て言ってその子達をウートに近づけたか知らないけど、ウートが見ていたのはその娘達のこの店の中での振る舞い。簡単に言えば私に対する態度だよ」
「なんでそんなもんが気になるんだ?」
ハンナの答えに、『町会』メンバー一同は、一様に理解しかねるという反応をしている。
「もし、ウートがその娘達の誰かを選んだ場合は、どうしたってこの店との付き合いが出てくる。一緒に働くことになるかもしれないし、自分が養うにしたって無関係じゃいられないだろう? ウート程の腕があれば、本来独立したっておかしくは無いんだし、その方が儲かるだろうしねぇ。その娘がそう望むかもしれないとなれば、揉めることになるだろう?」
ハンナの言葉に、マルセロは「まあそうかもな」と言って頷いた。
「だからウートはそういった面倒事を嫌って、無意識に選別しているんじゃないかねぇ。簡単に言えば、その娘が自分に何を求めているのか、思惑は何なのか、そういった事を瞬時にかぎ分けて、女性を選別してしまっているんだよ。それを判別するのに一番簡単なのが、その娘の私に対する態度なんだろうさ」
「そんなめんどくさい事、いちいち気にしてたら相手なんか見つからねぇだろう?」
マルセロの言葉にハンナも頷きを返しつつ、葡萄酒で喉を潤してコップをテーブルに戻した。
「そうだろうねぇ・・・・・・、だから、ウートを落とせるとしたらそういった打算を働かさない、もしくは気付かせない娘じゃないと無理なんだよ。それに、ユーリエの事もある」
「なんでお嬢ちゃんがここに関係してくるんだ?」
再び『町会』メンバー一同は、ハンナの不可解な話に、一様に首を傾げている。
「同じ事だからじゃないかねぇ、下手な娘が来てごらんよ、ユーリエが安心して働けなくなるじゃないか」
「自分を嫌っている相手を、何だってそこまで気使う必要があるんだよ」
ハンナの言葉に、益々納得できないという体で、マルセロは驚きと呆れの混じった声音で言った。
「知らないよぉ。そう言った性分なんだとしか言いようが無いねぇ」
ハンナはそう言いつつ、そんなウートの性質を好ましく思っている事が、厨房の方を見る優しい目つきから窺える。
「難儀な性格してやがんなあ」
しかし、マルセロはそんなハンナの気持ちが理解できないらしく、肩をすくめながら言った。
「そうは言うけどね、そんなあの子に気に入られたら、そりゃあ大事にして貰えるんじゃないかと思うんだよ。それだけに、その辺から適当に見繕ってきただけの娘じゃあ物足りないし、無理に引き合わせるような真似もしたくないんだ。ユーリエの事も、早々にそういった対象から外しちまったから、側に置いても問題ないかと思ったんだけど、最近の様子を見てるとやっぱり無理をさせてるのかねぇ」
ハンナは悩みが振り出しに戻った形で黙り込む。『町会』メンバー達も思案顔だ。
「どうする? ユーリエに別の仕事でも探した方が良いか?」
「それもねぇ、あの子もやっと少し落ち着いてきたところだし、情も移っちまった。娘のミリィちゃんの事もあるし、不安定なあの子を拒絶するような真似はしたくないんだよ・・・・・・」
「八方塞がりじゃねえか」
マルセロ達『町会』メンバー一同は、一様に腕を組んで考え込んだ。簡単に解決できる問題では無いと、改めて理解した様子だ。
「とにかくさ、もう少し様子をみようかねぇ・・・・・・」
それ以上、良い案が浮かぶことも無く、ハンナは溜息をつく。女将の憂鬱は当分続きそうであった。




