とある箱の入手事情
酒場『ジルとハンナ』のリニューアルオープン――俺が勝手にそう呼んでいる――から、三ヶ月が経過した。
店はおかげさまで繁盛しており、俺の腕もうなぎ登りに上がっている。と思いたい。
この三ヶ月で変わった事と言えば、例の『手押式水圧ポンプ』を、無事に街の全ての井戸に設置することが出来た事である。
一時は見物人で酒場の井戸が観光地化していたほどなので、終わってくれて心底ほっとしている。
心配していた設置費用についても、実物があった事が幸いしたらしく、設置に必要な寄付が瞬く間に集まったそうだ。
他の話題と言えば、俺に彼女が出来・・・・・・る 、はずも無く、店が昼間も営業を開始した事だろうか。
これには止むに止まれぬ事情があって、俺もハンナも乗り気じゃ無かったのだが、常連客である『町会』に泣きつかれたため、致し方なく始める事となった。
その泣き付かれた理由がなんとも脱力したくなるもので、端的に言えば「夫婦喧嘩防止」の為である。
なぜ、昼営業が夫婦喧嘩の防止となるのかと言えば、酒場の営業時間である夜には奥様方は旦那の帰りを待ちつつ、夕食の準備や家族の世話に追われているわけだが、それにもかかわらず、旦那連中は仕事の付き合いの名のもと酒場に集い、巷で噂の新料理を食べて帰ってきたりするわけで、あちらこちらで大喧嘩が始まるわけである。
実のところ俺の本心としては、
(ザマー見ろ、このリア充共め!)
と、思わないわけでは無いが、流石に放置してはやがて店の集客に問題が出る恐れがあり、世の奥様方の理解を得ておく必要が生じたのだ。
そんなわけで、昼間に食事のみの提供を実施する事になった。
昼営業の副次的な効果としては、奥様方が旦那の付き合いに寛容になり、旦那の来店が増えた事や、金払いは断然奥様方の方が良く、ちょっとお高い特別料理を出しても飛ぶように売れる事だろうか。
結局の処、財布の紐を握っている奥様方がいちばん強いのかもしれない。
また、男性陣と違い、奥様方は出てきた料理の作り方を非常に気にするので、希望者にはレシピを教え、フライパンなどの道具の使い方や、オーブンやコンロなどの見学をさせて、無料で設置してくれたメルケル一家の為に営業に励む。
その甲斐あって、メルケル一家への発注は増えてきており、その中でも特にコンロは人気で、徐々に採用者が増えているとの事である。また、コンロに最適な調理具や燃料として、フライパンや炭の需要も増え、供給元に喜ばれた。
こんな感じで些細な変化はあるものの、概ね平穏な日々が続いていた。
そんなある日の午後、昼の営業を終えた俺は、足りなくなった材料を買い出しに市場に足を運んでいた。
季節は二月に入っており、この地域は比較的温暖で滅多に雪も降らないのだが、それでも寒い事には変わりがない。だから俺は足早に買い物を済ませると、酒場に帰るために市場を歩いていた。
それがたまたま視界に入らなければ、そのまま足早に酒場に戻ったであろう。
しかし、それが視界に入ったとき、なぜか懐かしい気持ちにさせられて、そして気になってしまったのである。
それは、旅人が臨時に開くバザーらしき場所で、何気なく売られていた物の一つだった。
市場の片隅を借り、路銀が心許なくなった旅人が持ち物を売るのは良くある事である。
まれに珍しい物なども有り、それを目当てに来る客もいるため、客寄せ代わりと割り切って、あまり五月蠅く言わないのが市場の流儀である。
その人物も、藁で編んだ粗末な敷物の上で、幾つかの品物を売っているようだった。
しかし、誰もその老人を気にとめようとしない。
その老人は、よく見ると異様な面相をしており、それが人々から避けられている原因であるのかもしれない。ざっくり見ても、頭の上に申し訳程度に残った髪は白く薄い、そのくせうなじ付近には、まだ豊かに髪が残っており、長々と風に吹かれている。額は広く、頭の形も歪に見える。顔は小さく、しわが寄っており、その表情を読むのは至難であった。さらに左目が白濁化しており、反対側の右目も何処か焦点が合わぬように彷徨っていた。
俺は「止めておけ」という内心の警告を無視して、老人の目の前まで歩き、どかりと座り込んだ。
「ご老人、色々と奇妙な物を売っているようだが、これはなんだ?」
俺は思いきって喋りかける。
老人は俺が声を掛けるまで、俺に気づいていなかったらしい。一瞬びくりと体を震わせてから、焦点の合わぬ目で俺を捉えようとする。
「いひひひ、カモじゃ、カモじゃ、やっとカモが来たわい」
そんな事を口走ったような気もするが、俺は聞こえなかったふりをする。
「これらはのお、儂が若い時分に”迷宮狂い”の迷宮で、拾ったもんじゃ、どれも、ものすごい魔法の道具じゃでのお、いひひひひ」
老人は錆びた蹄鉄のような物を手に取り、
「これはのお、魔法の蹄鉄じゃ、これを履けばどんな馬でもたちまち駿馬となり、一日中走っても、疲れたりせんのじゃ、おぬしには、そうじゃのお、銀貨三十枚(三十万円)で、売ってやろうかのお」
老人は、嗄れた声で途切れ途切れにそう言うと、俺の前にそれを突き出そうとする。老人の言葉が聞き取りづらく、途切れ途切れなのは、前歯が殆ど抜け落ちているためらしい。
「申し訳ないがご老人。生憎と馬を飼っていないのでね、俺にそれは必要ない」
俺はきっぱりと断りを入れる。老人はそれでも諦めずに今度は黒く丸い石を持ち上げる。
「こいつはのお、栄光のタリスマン、といってのお、持つ物に、それは、それは強い力を、授けるん、じゃあ、これをほれ、銀貨五十枚(五十万円)に、してやろう。安いもんじゃろう?」
そう言って、俺に押しつけようとするが、俺の目的はそれでは無かった。
「ご老人、どれも素晴らしいものだが俺には、あまり必要ない物のようだ、失礼するとしよう」
俺が席を立つ素振りを見せると、老人は慌てたように手を伸ばす。
「まて、まつんじゃ、お主なかなかの、目利きじゃのお、この儂の、とっておきを出そうじゃ、無いか」
そう言って老人は、目の前の箱を持ち上げる。幅は三十センチ、高さと奥行きは二十センチぐらいで、どの面もきっちりと蓋をかぶせたような形をしている。
「そう言われてもなあ、そいつは一体何だ?」
俺は素知らぬ風で、老人に尋ねる。俺が気になったのも、まさしくその箱であったが、交渉に不利になる情報はなるべく与えないように気をつける。
「こいつかあ、こいつは、のお・・・・・・」
どうやら設定を忘れてしまったようだ、俺が本格的に諦めようかと思ったら、やっと思い出したかのようにしゃべり始める。
「そうじゃった、そうじゃった、こいつはのお。魔法の箱じゃ」
「魔法の箱?」
俺は思わず反芻してしまう。
(突拍子も無く言いだして、まさか今思いついたんじゃ無かろうな?)
「そうじゃあ、さっきも、言ったとおり、儂は昔、”迷宮狂い”の迷宮に、おってのお。そこで、見つけたん、じゃった。この中には、とてつもない、お宝が、眠っておるん、じゃ~」
老人は、それを捧げ持ちながら、何処か寂しそうに言った。
「じゃが、この箱はのお、儂の手では、開けんかったんじゃ。儂ものお、老い先短いからのお、この夢はお主に、託そうと思う。どうじゃ、金貨三枚(三百万)じゃぞ」
俺は、何とか交渉してみようかと思ったが、そろそろ時間が無くなってきていた。
「すまん、ご老人。時間が無くてな、もう少し詳しい話を聞きたかったが、店に戻らなければならん。もしその気があるなら、この街の酒場『ジルとハンナ』を尋ねてくれ、飯ぐらいは奢ってやるよ。俺はウートだ、店で名前を言えば通じるから、それじゃあな」
俺はそれだけ言うと老人の前から立ち上がり、さっさと店へと向かった。
どれだけ掘り出し物があれど、お金が無ければ買えないし、縁が無くても買えない。俺はそう割り切って買い物をする質だ。
だから、老人が店に来なかったらそれで諦めも付くと割り切った。
それでも、少しの未練に後ろ髪を引かれつつ、それを振り切るようにして俺は店へと向かう足を速めた。
夕方の営業を始めてすぐの時間は、食事目当ての客が押し寄せ店内がごった返す。その客の注文を捌くのに夢中になっている内に、老人の事は忘れ去ってしまっていた。
その流れが一段落し、殆どが酒を楽しむ客になった頃、その老人は店に現れた。
たまたま、フロアを見ていた俺はそれに気がつき、老人をカウンター席の端に案内し、今日のメニューからホワイトシチューとパン、それにお湯で割った葡萄酒を出してやる。
まだ自由の効く時間では無いのでしばらく放って起き、ハンナにだけ自分の客である事を告げた。
時折店を訪れている客が、老人の異様な風体に驚いたりしているが、おとなしく食事をしているだけなので、やがて興味を失くし歓談に戻っていく。
しばらく店の仕事に専念して、客の動向が落ち着いたのを見て、ハンナに断りを入れてから老人の元へと歩み寄った。
「すまない、待たせたなご老人」
俺は葡萄酒の湯割りを自分の分と合わせて二杯作り、老人をカウンター席から空いていた入口近くのテーブルへ誘導する。老人は最初に出された湯割りをちびちびと飲んでいたようだったが、二杯目を貰うとそれをすぐに飲み干して、今度は新しい方をちびちびと飲み始めた。
「いひひ、御馳走になって、すまんのお」
老人は美味そうに葡萄酒を啜っている。
「いいさ、飯はどうだった?」
「おお、おお、美味かったのお、はじめて、喰うた味じゃ。粥かと思ったが、違うんじゃの」
「ああ、ホワイトシチューだな。小麦と牛の乳で作ってるんだ」
ここ最近メインで出し続けているこの料理は、比較的作るのが簡単なこともあって、この街の家庭にも広がりつつある。パンとの相性も良く、季節柄体も暖まり、俺としても自慢の料理である。
「満足して貰えたんだったら良かったよ。さて、早速だがご老人、先ほどの箱は銀貨三枚(三万円)でよかったかな?」
俺の言葉に老人は殆ど見えていないであろう両目を、クワッっと見開き、騙されるつもりはないと言うふうに身構えた。
「な、何を言うとるか、金貨じゃ、金貨三枚(三百万)じゃ! 危うく頷きそうに、なったわい、油断も隙も、ない奴じゃ、こんないたいけな、老人を、謀ろうとするとは・・・・・・」
老人はぶつぶつ言い続けているが、俺の目的は価格交渉における、お互いのスタート地点の確認だ。別に騙そうという意図はない。俺は大仰に驚いてみて、その金額の法外さをアピールする。
「金貨三枚だって? 俺の聞き間違いじゃなかったのかよ、ご老人、それは些か暴利が過ぎるというものじゃないのか?」
俺はさっきの発言が、あまりにも価格が高すぎるため値段を聞き間違えたと主張し、騙す意図はなかったと仄めかしながらさらに高値を糾弾する。こうやってお互いの価値観を値段に落とし込んでいくのが、骨董等の値段に定めがない商品の取引価格を決定する交渉だと思っている。
お互いの、物品と価格の価値観が折り合えば交渉は纏まるし、折り合わなければ纏まらないだけのことだ。
「なにを、ゆうとるか、こいつはなあ、儂が苦労して、苦労して、手に入れた、品じゃ、きっと物凄い、お宝じゃ。それをたった、金貨三枚で売ろうと、いうのじゃぞ、安いものではないか」
老人は、頑強に値段を主張する。俺は、実は売る気がないのではと思い始めた。
色々と勿体ぶって、相手の譲歩を引き出すのは良くあることだが、個人間の取引では、ただ自慢したいだけの場合もあり、そうなると取引の成立は困難となってしまう。それを売る気にさせるためには、相手の価値観を揺るがすほどの金額を積まねばならない。
俺にはそんなつもりも無ければそんな資金も無いので、そうなれば縁が無かったと諦めるしかない。
「いひひひ、それにお前さんに、とっては、端金じゃろ? こんな酒場の、主人にはな。極上の料理、極上の酒、客も多い、さぞかし、儲かってる、じゃろうて、いひひひ」
老人は、大金を掴むチャンスを逃すまいと、欲望を全開にして獲物に食いつかんばかりだ。しかし俺としては、余裕で肩透かしを食らわせてやれる。
「ああ、ご老人。期待させてしまったなら申し訳ない。実は俺はただの雇われ料理人でね、あそこの女将がここの主人なんだよ、嘘だと思うなら周りで聞いてきたっていい」
老人は、猜疑心を露わに俺を見やるが、俺は余裕の表情だ。当てが外れたとわかったのか、みるみる希望という名の欲望が萎んでいくのが解る。これで精神的優位に立ったといえ、相手の目算は大きく外れた事だろう。
「まあ、そんな訳で手持ちはそんなに無い。銀貨十枚(十万円)で手を打たんか?」
俺の言葉に、老人はわなわなと震えだす。
「銀貨十枚じゃと、これでも儂は、大きく、譲歩しとるんじゃ、昔は、こいつを金貨五枚(五百万)で、買いたいという奴も、おったんじゃ、それを、銀貨十枚じゃと? ありえんわ!」
老人の金額の根拠は、昔成立しかけた取引である金貨五枚という事らしい。となると、問題はなぜその取引が成立しなかったのかという事になる。
老人は譲歩と言っているが、その金貨五枚という値段は、交渉の中で釣り上がった限界点だった可能性がある。交渉がエスカレートして行った結果、相手がそこまで提示したが、老人がそこで折れなかったため、相手は諦めたのかそこまでの価値は無いと我に返ったのか、いずれかの理由で取引が成立しなかったと予想できる。
老人の中には、金貨五枚で折れておけばという後悔の念と金額への未練があり、なんとかそれに近い金額を引き出そうとしているのだろう。だとするならば、こちらはその後悔に揺さぶりをかけるのが、有効な戦術だと言える。
「金貨五枚だって? なんでその時売らなかったんだ、ご老人。今、金貨三枚だというなら五枚なんて破格じゃないか! 俺にはとてもとてもそんな金額は出せないぞ、もったいないことしたな・・・・・・」
老人の後悔をあおり、そのチャンスを不意にした老人を憐れんでやる。さらに、俺なら絶対に売ったであろうことを仄めかし、俺自身は、その箱にそれだけの価値を認めていないことを言外に伝える。
正直なところ、俺は老人が持つ魔法の箱とやらを“手に入るなら欲しいが、交渉に負けてまでは欲しくない”と思っている。
長く手元に置きたいと思っている物を買う時、それが勝利の記念であればいいが、敗北の証になったりすれば、素直に手元に置くのを躊躇してしまうからだ。
だから今は交渉を全力で楽しみ、最悪でも引き分け――交渉不成立――に持ち込むのだ。
「あの時は、もっと高く、売れると、思ったんじゃ・・・・・・」
「そしてまだ手元にあると?」
老人は、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「そういう、お前さんは、なんでこれを欲しがる? やっぱり価値が、あるからじゃろ」
老人は反撃を試みるが、それに対する答えはもうすでに用意してあった。別に騙すつもりではなく、本当の理由だから隠す必要もない。
「俺の爺さんから譲り受けた形見の品に、それと似た物があってね。大事にしてたんだが・・・・・・、とある事情で失っちまってね。代わりという訳じゃあ無いが懐かしくてね、興味を持ったんだ」
俺の言葉には真実味が――実際真実なのだから――あっただろう、老人も疑う様子はない。これにより、俺が魔法の箱に抱く興味は、思い出の品の類似品に対する興味と定義された。これでお互いの価値観は出尽くした。後は値段の折り合いだけという事になる。
「そう言う訳で、ご老人。銀貨二十枚(二十万円)なら出そう」
「き、金貨一枚(百万円)じゃ、それ以上、いくらなんでも、まけられん」
「しかしそれじゃあ、絶対に売れませんよ! 銀貨二十五枚(二十五万円)でなんとか」
「銀貨九十九枚(九十九万円)じゃあ、これ以上無理じゃあ」
「銀貨一枚(一万円)しかまけて無いじゃないですか! もう、最後、ほんとうに最後ですよ? 銀貨三十枚(三十万円)こいつでどうですか!」
「いやいやいや、駄目じゃ、駄目じゃ、銀貨九十八枚(九十八万円)なら、売ろう」
「ぐぎぎぎ、しぶとい爺さんだな、もう無理もう無理だから、銀貨三十五枚(三十五万円)、こいつでどうだ!」
俺が銀貨五枚(五万円)づつ、吊り上げれば、老人は銀貨一枚(一万円)づつ、値引いていく、どっちもどっちの攻防がつづき、どっちも折れることなくヒートアップする。ここで、根負けした相手が負けるか、折り合わずに引き分けるかのどっちかになる展開だ。少なくとも、俺に負けはない。
周りが、あいつら何やっているんだという目で見ているだろうが、ヒートアップしつつある二人には全く気にならない。交渉による取引の、いちばん楽しいクライマックスなのだから。
その流れは、俺が、銀貨六十枚(六十万円)を提示し、老人が九十二枚(九十二万円)を提示するまで続く。
(手持ちって、確か銀貨六十枚ちょっとだったよな?)
俺は自分の手持ちの金額を記憶から引っ張り出して、確認する。つまり、もう打ち止めのはずだ。
「爺さん、ちょっと待ってろ」
記憶だけでは心もとなくなった俺は、老人を残して部屋に戻り、隠し場所から貯蓄していた銀貨の袋を引っ張り出す。それを中身も確認せずに、持ったまま老人の前に戻る。
俺は銀貨の詰まった袋を老人の前にドカンと置き、腰の財布を取り出して、それも放り出し、ベルトの裏から隠していた銀貨を取り出す。
「俺の全財産、銀貨六十三枚(六十三万円)と銅貨八十九枚(八千九百円)。これで無理なら諦める」
老人は、唖然として、俺と銀貨の袋に、定まらない視線を彷徨わせる。これで老人が折れれば俺の勝ち、折れなければ引き分けだ。負けではない、縁がなかっただけである。
老人は、そわそわと魔法の箱と銀貨の袋を交互に見て、銀貨の袋に手を伸ばした。俺の勝ちである。
「儂のじゃあ、儂のもんじゃあ・・・・・・」
「取引成立、だな。」
俺は確認するように言って、老人の傍から魔法の箱を取り上げる。
そして確認するように、色々と眺め、ある確信を得る。それと同時に疑問も浮かぶ。
(しかし、なんでこんなものがこの世界に? 単なる偶然、なのか?)
とりあえず、俺としては満足行く取引だった。いそいそと出て行こうとする老人を呼び止める。
「ご老人。今夜は泊っていけ、こんな遅くにそんな大金抱えて外を歩くのは危ないからな」
老人は、慌てて辺りを見回す動作をすると、銀貨の袋を体で抱え込むように持つ。稀なる幸運を逃がすまいと言う風に、必死の姿だ。
俺は許可を取り、空いている部屋に老人を案内する。ゴードンが泊まったりするので、最近はいつでも使えるように整えてある。
ベッドの上で、老人は銀貨を抱えるように丸くなり、俺はそっとドアを閉めた。
閉店準備のため店に戻ると、常連たちにつかまった。
「おい、ウート。おめえ馬鹿か、あんなのに騙されやがって、全財産放り出すなんて正気の沙汰じゃねえぞ」
マルセロが怒って言えば、
「あんたのお金だから、なんに使おうがとやかく言うつもりはないけど。無駄遣いは感心しないね」と、ハンナにも説教される。他のメンツもほぼ同じような反応だ。
「まあ、ああいう出物は、見たときに買っとかないと後悔するんですよ。俺達の仲間内では『見つけたら取り敢えず買え』って言うんですけど」
俺が言い訳すると、全員が処置なしといった雰囲気で黙り込んだ。
その後、常連客達を追い出し、ハンナと閉店作業を終えると、俺は手に入れた魔法の箱を手に持ち、自室へと引き上げる。
部屋に入ったとき、ギリドに頼んで作ってもらい、自分で付けた閂をかける。これは別に用心ではなく習慣で、完全に孤立独立した空間を、自分のものと認識することで一定の安心感を得るための、儀式のようなものだ。
俺は、ベッドのそばに置かれた簡素な机の上に、魔法の箱と手明りにしている蝋燭を置き、椅子を引いて座る。それから、蝋燭の明かりで、魔法の箱をじっくり眺め、あちこち撫ぜたり触ったり、こすったり、力を入れて押してみたりを繰り返す。
ある部分を押しながら表面をスライドさせるように押したとき、唐突に表面の図形が横に滑る。
「思った通りだな」
俺は確信とともに、そうつぶやいていた。
「間違いなく『からくり箱』だよな、これ・・・・・・」
老人が手にしていて、俺が気にしていたものの正体がこれである。もちろん、似て非なる物である可能性もあるが、原理的には同じ仕掛けが施され、中を開くことが出来るのだと確信する。
俺は、一度作業の手を止めると箱を机の上に置き、それを眺めた。
普段はほとんど忘れている、微かな郷愁が胸をよぎり、目をつむって背もたれに身を委ねると、しばし思いを過去に馳せることにした。
俺が、『からくり箱』を知っているのには訳があった。
老人に話したとおり、祖父の形見として管理していたからだ。
もちろん、失ったというのは異世界転生により元の世界のあらゆるものを失ったからで、もし俺の部屋が残っているなら、今も大切に飾られているに違いない。
俺の母方の祖父は、骨董収集を唯一の趣味としていた人で、会社を定年退職した後は、骨董市を覗くか、骨董屋にいるか、自宅で骨董を磨いているかという人だった。
今も昔も骨董収集には浪費という側面があり、特に母の姉である伯母は、祖父の趣味が許せないらしく、時折母に愚痴っているのを聞いた覚えがある。母としては、趣味ぐらいなら問題ないとの立場だったが、表立って姉に反対したりはしていなかった。
身内すらそんな感じであったから、他の親戚からも浪費家と思われていたようだ。
俺は家が近かったこともあり、行けばお菓子をくれたりするので、小さな頃は結構入り浸っていた。子供には大人の事情など、関係ないのである。
浪費と言っても、思い返せば祖父のあれは道楽の域を出ていない。買っているのはせいぜいが数千円から数万円で、それも気に入ったものだけを稀に買う程度だったように思う。
それに祖父にとって、骨董そのもよりも、骨董を通じて人と知り合い、骨董談義に花を咲かせ、値引き交渉で熱くなる。その全てを楽しんでいたように思う。
だから祖父にとって骨董で手に入れたものは、自分の気に入ったものであると同時に、勝利のトロフィーだったのだ。
特に借金するでもなし、他人に迷惑をかけた訳でもない他人の趣味に口を出すのは、いくら親子でも行き過ぎではないだろうか。
しかし、祖父に言わせれば伯母のあれは「独身アラフォー女性特有のヒステリーだから仕方がない、好きに言わせてあげなさい」と結構な毒舌だったので、どうやら似た者親子のようである。
小さな頃は入り浸っていた俺も、大きくなるにつれ自分自身の付き合いや、自身のオタク趣味に没頭し始め、お盆と正月位しか会わなくなっていった。
それでも自身の趣味に目覚めた俺は、先駆者である祖父を尊敬していたように思う。
そんな祖父は、俺が高校を卒業する前に脳卒中で倒れ、そのまま息を引き取った。
その祖父の初七日が終わった頃、伯母が遺品整理で祖父の骨董を全て処分すると言い出した。
祖父は公正証書を用いた正式な遺言で、小さな庭付きの家を全て伯母に残し、残りの貯金を均等に分けるよう言い残していた。
独身であった伯母に家を残したのは、憎まれ口を聞いてもやはり娘が可愛かったらしい。親戚一同はその思いを汲み取り、誰も遺言に異論をはさまなかった。
家に残されたものは全て伯母のものだから、それは伯母の自由と言えるが、最後に示した父親の愛情への返答としては如何なものだろう。誰もがそう考えたに違いないが、口に出しては誰もなにも言わなかった。
俺としても、価値のわからない伯母の手にあるより、骨董屋の手を介して価値のわかる人のもとに買われていく方がいいと考えていたから、その事に異論を挟むつもりはなかった。
ただ、俺は伯母に手伝いを申し出て、祖父の集めた骨董品の旅立ちを見守ろうと思った。
遺品整理に来たのは、四十代のエネルギッシュな鑑定士の男で、芸能人でも通りそうなほど顔の作りがよく、ことあるごとに伯母に対して愛想を振り撒いていたが、連れてきた部下をぞんざいに扱い、俺としてはいけ好かない男だった。
鑑定士の男は全ての査定を終えると、いかにも残念そうにしながら、
「特に価値のあるものは有りませんでした。処分費を差し引くとこのくらいになります」
そう言って差し出した電卓には、二十五万円の表示があった。
俺は薄々察していたが、男にはまともに査定する気など初めからなく、伯母を騙す気で近づいて来たのだと知った。
確かに祖父の骨董品には値打ち物が少ないが、それは数十万数百万するものが無いという事で、どんなものにも収集家というのはいるから、そういう人たち相手ならソコソコの値段で売れる物はあるのだ。
祖父の骨董はそういうものが大半で、金額が手頃なので売れ行きもよく捌きやすい。それを考えれば、少なくとも売値ベースで二百万くらいになるはずで、業者の一括買い取り価格であったとしても、暴利としか言い様がなかった。
何よりも、伯母が祖父を見直す最後のチャンスを棒に振ったこの男に、俺は強い怒りを覚えた。だから俺は祖父の名誉のため、せめてもの意趣返しをすることにした。
「ガラクタばかりですか・・・・・・、伯母さん残念ですね」
「そうねえ、お父さんのやることだから仕方ないわね」
そういう伯母の声にも落胆がある。やはり少しは期待していたのかもしれない。
「そうだ、伯母さん。俺、お祖父ちゃんには可愛がって貰ってたから、ガラクタの中から何か一つ、思い出に貰っていいかな?」
「でも、査定して貰っちゃったし・・・・・・」
「いえ、そういうことでしたら、私共は構いません」
自分の査定に間違いなど無いと印象付けたいのだろう、鑑定士の男はにこやかな対応を見せる。
「そうですか、ありがとうございます。すぐに選んできなさい」
「了解」
伯母の許しを得て、俺は家の中に入る。元より目的のものは決まっているので、迷ったりはしない。
それは一見すると只の古い木箱でしかなく、査定の際に無造作に放置されてあった。
俺はそれを大事に抱えると、二人の元へ戻った。
「伯母さん、これにします。ありがとう」
それを見て、伯母も鑑定士の男も怪訝な顔をしている。
「本当にそれでいいの? もっと高そうな物も有ったでしょうに」
「いや、本当に思い出の品なんだ。お祖父ちゃんによく手解きして貰ってたんだよ、それに、結構古い品で珍しい物なんだって」
そう言って、二人の前で素早くからくりを操作し、箱を開ける。
「まあ、面白いのね」
「鑑定士さんにとっては、ガラクタでも俺にとっては思い出の品だからね、大事にするよ」
俺の言葉に、鑑定士の男は額をピクピクひくつかせていたが、何とか自制したようだ。ここでごねるようなら取引自体をつぶせたのだが、相手もそこまで馬鹿じゃあ無いらしい。
俺はそれ以上何もする事は無いので、トラブルにならないためにも家に帰った。
部屋に入ると、持ち帰った木箱を布に包んで棚に大切に保管する。
周りは美少女フィギアばかりで違和感があるが、そこしか場所が無かったので仕方が無い。
ちなみに、俺が持ち帰ったのは、祖父が懇意にしていた骨董屋さんから、特別に譲り受けたものだ。たまたまその場に居合わせたので、間違いない。
その骨董屋さんが言うには、江戸時代後期の作で鑑定書も付いている。出所も確かな物なので、以前から希望していた祖父に譲るとの事だった。
「確か、金額は五十万円だったかな」
俺は記憶の中から金額を引っ張り出す。祖父の反応からして、買値としては破格の安い値段だったはずだ。祖父が最初は遠慮していたぐらいだからな。
それでも、骨董屋さんは譲らず、
「それでも儲けは出ているし、欲しい人のところに欲しいものを届けるのが骨董屋の仕事ですから」
そう言って、祖父に押しつけて帰って行った。それを見送った祖父の上機嫌な顔は、今も思い浮かべる事が出来る。
祖父はその後、お土産などで売られている『からくり箱』にはまり、だんだんと複雑な箱を買ってきては、俺に手ほどきしてくれた。開けると中にはお菓子が入っており、俺はお菓子欲しさにせっせと開け方を覚えたのだった。
そんな記憶を振り返えった数日後、当の本人である骨董屋さんに出会ってしまった。と言うよりも待ち伏せされた感がある。
喫茶店で奢るというので、ケーキセットをぱくつきながら話を聞いた。
「すまない。お祖父さんの遺品整理がもう終わったと聞いてね」
「伯母が骨董嫌いで、どこぞの鑑定士さんに売り払っちゃいましたね」
「聞いているよ、業界でも評判の悪い男なんだが、女性受けは良くてね。良く出し抜かれる」
「ああ、なんかこう、クソ野郎な感じですよね」
俺が素直な感想を述べると、老紳士然とした鑑定屋さんは苦笑いを浮かべている。
「まあ、確かにそうだ。しかし本当に悔やまれる。せめて『からくり箱』だけでも何とかしたかったんだが」
骨董屋さんは、心底悔しそうに顔を歪めた。
「ああ、それなら俺が確保しました」
俺はその時の経緯を骨董屋さんに説明した。途中で初老を過ぎた、外見上は紳士な骨董屋さんが大笑いしだし、周りの顰蹙を買いまくったが止まらなかった。やっと笑いの発作を抑えて、涙を拭きつつ言った。
「その話、業界に流しても良いかな?」
「どうしてです?」
俺は不思議に思って問い返した。
「まあ、意趣返し第二弾と言うところかな。プロが子供に出し抜かれたとあっては、面子も何もあったもんじゃ無い。この業界では仕事にならなくなるさ」
「逆恨みされません? 俺が」
俺は面倒臭いのはごめん被りたいので、一番気になる事を確認しておく。
「流石にそこまで馬鹿じゃ無いだろう、恥の上塗りになるだけさ」
老紳士は、自信ありげに言うので、俺はそういうものかと納得する。
「わかりました、どうぞやって下さい。骨董は騙される方が悪い、自分の勉強不足だからだって、祖父ちゃんがいつも言っていたんで、口挟むつもり無かったんですけど、祖父ちゃんの見る目まで否定されたのは頭に来てるんで」
「任せておいてくれ」
骨董屋さんは大きく頷いた。
「『からくり箱』お渡しした方が良いですか?」
「売りたいのかね?」
「いえ特に」
「なら、売りたくなったら来てくれれば良いよ」
「解りました」
「じゃあ今日は、ありがとう」
骨董屋さんは伝票を持って席を立つと、支払いを済ませてお店を出て行った。
俺の気分も軽くなり、残りのケーキに舌鼓をうった。
(そう言えば、あのケーキ美味しかったな。今度食べに行こう)
そんな思いが浮かんで、それが無理な事に思い至り、郷愁に胸が締め付けられる。それがきっかけとなり、過去に向かっていた意識が現実へと浮上した。
気が付くと朝になっており、いつの間にか無意識にベッドで眠っていたようだった。
魔法の箱はそのまま机の上に有り、蝋燭は燃え尽きている。
俺は苦心して作った隠し場所に魔法の箱を隠し、部屋を出て顔を洗い、水鏡に自分を映してナイフで髭を剃る。一度、伸ばしてみたのだが、山賊見たいと言われてからまめに剃っている。自分でもそうかなと思っていたので、もう伸ばす気は無かった。
俺は、昨日の残り物のパンで自分とハンナの朝食を作ってから、残りのパンと干し肉等、携帯しやすい食料を纏め、革袋の水筒に葡萄酒を詰める。
それを持って、老人を起こしに行く。
ノックすると、程なく扉が開き老人が現れる。昨日以上の猜疑心をむき出しにして、銀の革袋を入れた自分の懐をかき抱いている。俺はそんな爺さんに用意した食料と水筒を渡してやる。
「選別だ、残り物で悪いな」
老人は、中々焦点の定まらぬ右目で俺を見て、不思議そうに聞いた。
「なんで、ここまで、してくれるんじゃ? 儂がお主を、騙したとは、考えんのか?」
俺は肩をすくめながら答える。
「俺の爺さんが言ってたんだよ『骨董は騙される方が悪い、不勉強な自分を責めろ』ってね。俺は自分の目利きに自信がある。騙されてもそれは勉強代だと割り切る。そう決めてるんだ」
俺は自信ありげに微笑んだ。老人には見えなかったかもしれないが、納得はしたようだ。
「儂は、後悔するかもしれん。いや、きっと、するんじゃろう。そのたびに、昨日の、シチューの味を、思い出すんじゃろう」
老人はそう呟くと、曲がった背に荷物を抱えながら部屋を出て、旅立っていった。
俺はそれを黙って見送った後、気合いを入れ直して、仕事に取りかかるのだった。




