とある鍛冶屋の籠絡事情
俺は祭りの数日後、マルセロと連れだって街の郊外にある、とあるお宅を訪問するためにのんびりと歩いていた。
空は青く澄み渡り、時折薄い雲が遙かに高い場所をゆっくりと流れている。
この世界に来てから比較的慌ただしい生活を送っていた俺には、久々に感じられるのんびりとした時間だ。
それというのも、今日から一週間、お店が臨時休業することになり、気分的に大きな開放感に浸れているからだ。
臨時休業の多い店だとは思わないで欲しい。俺にしてみれば、最優先で取り組みたい厨房設備の改造がついに始まったのだから。
厨房の改造については、オーナーであるハンナに旦那さんとの思い出や、自分なりのこだわりがあるんじゃないかと少し心配していたのだが、「いつかは痛んで立て替えるんだからかまわない」と比較的あっさり了承してくれた。
そんなわけで、今頃はメルケルの弟子達が大張り切りで建て替え工事の真最中である。
しかも、この建て替え費用は全てメルケル側が持つ事になっているため、俺はあまりハンナに気兼ねすることなく、楽しみに完成を待てる。メルケルもこの新しい厨房の調理具に関する建築法をいちはやく習得できるので、それを新築やリフォームの際にセールスポイントに出来るから、費用回収は問題無いらしい。これぞ共存共栄というわけだ。
そして、俺が厨房の建て替えによって発生した一週間の休みをどう使うか悩んでいると、ハンナは「観劇を見に行ってくる」と言って、お友達と隣町に旅行に出かけてしまった。
その素早い判断と行動力に、なんだか負けた気がする俺である・・・・・・。
そんなこともあったりしたが、この貴重な休みを利用し、自分の生活環境の改善を一気に加速させる事を思いたった俺は、その目的の一環として、こうしてマルセロと郊外の道を歩いているというわけだ。
「マルセロさん、紹介していただける鍛冶屋さんて、ドワーフなんですか?」
「ああ、そうだが?」
マルセロは何でそんなことを聞く? という感じだが、俺にとっては意外と薄いこの世界の異世界ファンタジー要素に大いに落胆していたので、これでも結構楽しみにしているのだ。
まあ、これがエルフの女性ならこの程度の喜びでは済まずに、狂喜乱舞して会うなり相手をペロペロなめ回したに違いないのだが・・・・・・。その点だけは無念と言える。
「いえ、ドワーフの知人は居なかったものですから、どんな方かと思いまして」
俺は、もっともらしい理由で、マルセロの懸念を躱す。
「そうなのか? 珍しいな。まあ、俺だって知人と呼べるドワーフは奴だけだからな。それぐらいでおかしくないのか」
マルセロはそう言って納得している。
この街の住人は殆どが人間なので、必然と異種族とは知り合える機会がなく、今まで旅人の中に、時折姿を見かけるぐらいだった。
俺的には「この世界何してる、ファンタジー要素が薄いぞ!」と某艦長さん風味で怒鳴りたいぐらいだ。
しかし、今日はある意味エルフと双璧をなすファンタジー要素、ドワーフを紹介してもらえるとあって、今からワクワクが押さえられなかったのだ。
しかも、しかもだ。相手は鍛冶屋だという。
某クソマゾい、運営の都合ばかり優先してユーザー軽視のMMORPGで、唯一の楽しみとして鍛冶職を血眼になって上げた経験のある俺にとって、他のどの生産職よりも鍛冶屋は特別な存在なのである。
出来ることなら弟子入りしたいぐらいなのだが、やっと安定してきた今の仕事を放り出すわけにも行かず、二足のわらじを履くことは諦めるしかなかった。それに、鍛冶屋と仲良くなり現場を見学させて貰ったり、手伝わせて貰ったりすれば、十分好奇心は満たされるだろうとも思えた。
俺は、鍛冶に関する作業のあれやこれやを思い浮かべながら、終始浮かれっぱなしで歩いて行った。
俺は祭りの準備をした経験により、周囲の協力を得ることの重要性を再認識していた。ある意味、周囲を当てにすることに「吹っ切れた」とも言える。
俺にはこの世界の人達より進んだ教育を受けた事や、恵まれた生活環境にいたという点だけは勝っているが、どんな優れた知識も発揮できなければ意味は無かったし、時には経験が俺の持つ知識を凌駕してしまうのを目の当たりにしたので、自分で形にすることに拘らずもっと周りを巻き込んで利益を共有しようと考えた。
これが一番効率的に環境の改善を図る方法であろうし、その結果得られる利益は自分が一番欲しているものだから、何の問題もない。
そう考えて、俺の望んでいる環境改善を実践しようとした時に、自分の欲しい設備や機器を実現するには高い金属加工技術が必要なものが多いことに気が付いた。
しかし、この世界の今の技術水準が解らなければ、どれだけそれを再現できるかどうかが解らない。それならば、金属加工の専門家である鍛冶屋の知識を頼ればいいそう思った俺は、鍛冶屋の紹介をマルセロに頼んだのだった。
そのとき知ったのだが、俺自身は直接会っていなかったが、既にマルセロやメルケルと言った『町会』の人々を通して、特製のフライパンをはじめ様々な製品をお願いして作ってもらっていたらしい。
らしいと言うのは、それを尋ねるまで件の鍛冶屋の存在を全く知らなかったからで、それならばと今回マルセロにお願いして今日の初顔合わせに向かう事になった。
この初顔合わせは、今後の生活改善に重要な意味を持っているため、件の鍛冶屋であるドワーフの御仁に失礼があってはならないと、俺はゴードンからお土産に貰った極上葡萄酒の小樽を背負い、右手にはツマミになる料理を入れた籠を持ち、左手には図面代わりの板切れを抱えている。
ドワーフを落とすなら酒である。そんなの誰もが知る常識だ。つまるところ、こいつは賄賂の品である。
(ゴードンは、丁度良い時に最高の土産を持って来てくれたな。やっぱドワーフ落とすなら酒に限るよな。もしこれが下戸とかなら「俺様一気に大ピンチ!」なんだけど、マルセロに確認したら無類の酒好きという話だし、勝ったも同然だな)
そんな風に思いながら、俺は背負った葡萄酒の重さを頼もしく感じる。
個人的な見解だが、俺は自分から払う賄賂について特別嫌悪感を抱くことはない。なぜならその代りの対価を要求しているからだ。そもそも無償で相手に何かをしてもらおうと考えることが傲慢なのだと思っているし、支払う対価と得る利益が釣り合っているならそれは形を変えた取引でしかない。ただし、立場の強い者が弱い者に対し対価の釣り合わない賄賂を要求することは嫌悪している。
利己的であることはわかっているが、それが俺の基準であった。
俺とマルセロは、しばらくして目的地の鍛冶屋宅についた。
その家は、丸太で建てられた丸太小屋で、外壁には大きな丸太がそのまま使われている。実物を見るのは初めてだったが、想像以上にどっしりと落ち着いた印象を与え、木の外観が暖かみを感じさせてくれる。郊外に建つ家としては、これ以上無いほどの雰囲気のある建物である。
屋根も木製の板を瓦のように張ってあり、他の場所より風雨に晒され黒ずんでおり、建物の外観をより一層落ち着いたものに見せていた。
丸太小屋は床が上げられていて、正面右側についているドアの前には三段ほどの階段がつけてあり、左側には手すりに囲まれた大きなテラスと、俺でも二人は余裕で座れそうなほどに幅の広い、立派なロッキングチェアが置かれているのが見えた。
そして、俺たちの進む道と丸太小屋の前には小川が流れているのだが、その脇に母屋から幾分か離した形で、母屋よりは小さな丸太小屋が建てられている。
母屋に比べるとかなり粗雑な作りで、一見すると倉庫に見えるが、その中央には小屋の規模からすると不釣り合いなほどの大きな煙突が付き出ており、そこが鍛冶屋の工房だと思われた。
俺とマルセロの二人は、小川に渡された丸太造りの橋を渡り、丸太小屋の扉の前に向かう。本心と言えば工房を覗きたかったが、煙突の様子を見るに火が使われている気配は無く、作業音もしないのでそこに誰も居ないことは予想できた。
マルセロは扉の前の階段を上がると、全く躊躇もせずに扉を開けた。元いた世界でも、田舎であれば普通に見られるが、この街の人たちは家の扉に鍵を掛けたりはしない。そもそも、仕掛けの複雑な鍵は高価な代物で有り、付いている家さえ稀であるようであった。
それでも中までズカズカと踏み込むのはどうかと思うのだが、マルセロは気兼ねなく部屋の中央辺りまで進み、辺りを見回すと部屋の主を呼んだ。
「ギリドいないのか!」
その声は遠慮なしに響き渡るが、返事の声はそれに負けず劣らず大きなもので、俺を驚かせた。
「聞こえとるワイ」
すぐ真後ろで聞こえたその声に、俺は驚き飛び上がって退いた。
そして、声の主を振り替えりながら確認すると、想像以上の重量感を感じさせる存在が、そこには立っていた。
その人物は、身長こそ俺の胸辺りまでしか無いのだが、幅は倍、厚みは三倍ほどもあり、一見すると鈍重に見える。しかし数歩歩いただけで、そのイメージは全くの謝りであることが解った。
その動きは素早いわけでは無いが、それは見た目の重量感と、堂々としたその動きがそう思わせているだけで、一度本気で動き出せば、全身の鋼のような筋肉が凄まじい勢いで解き放たれ、辺りに猛威を振りまくだろう。そんな【力】のイメージを体現する存在であった。
(現役力士の上位と相撲取らせても、力だけなら多分引けを取らないだろうな)
俺はそのような感想を抱く、相撲の勝敗で有れば話は変わってくるが、例えば正面からのぶちかましをその場で受け止めそうな予感がするのである。
(流石ドワーフ、こんなのと闘うのだけは絶対にごめんだな。無謀すぎる)
俺はその一瞬で、心にそう刻んだ。
「いるなら返事ぐらいしろ」
「小僧は気が短くていかんな」
マルセロは、無遠慮な口調でいい放ち、ギリドも気にした様子もなく言い返す。二人は気の置けない仲のようであった。
(マルセロを小僧呼ばわりか、凄いな)
俺はその事にも驚きを隠せない。俺は比較的に遠慮無く接しているが、マルセロは街の中では知らない人のいないほどの名士で、人々に尊敬されている。
ハンナの店に集う他の常連客達と一緒になって、街のやっかい事を引き受けたりしているらしい。
言い換えれば町長の様な立場の人であったが、これは正式な役職では無かった。
これは、元々メセルブルグの街を起こしたメセルブルグ伯爵の方針で、この街では問題が起これば直接領主に直訴して良いことになっていたかららしい。
これは「問題の解決が長引けばそれだけ利害関係が複雑化し、解決が難しくなるからその前に訴え出よ」という、伯爵の方針によるものだった。
街の代表者を儲けなかったのも、その時間をなるべく省くためであったらしい。なんとも合理主義者らしい話であると、その話を聞いた俺はいたく感心したものだ。
一方この制度には大きな欠陥がある。それは、制度を布く側に相応のやる気が必要になると言うことである。
たった千人規模の街であっても、人が生活をすると言うことは、そこに争いが発生すると言うことでもある。メセルブルグ伯爵はその明晰な頭脳と合理的な判断力に基づき、時には強権を使い、またあるときは知恵を絞って時間を掛けずに争いを捌いていたそうだ。
しかし代が変わり、さらには領地替えも発生して、領主様は統治の能力も意思も欠如した現在のメセルブルグ男爵となってしまった。当然、領民の訴えは「話し合え」の一言で無視された。
街の人々は困り果てた、そして自分たちで自分たちの生活を維持していくために探しあてたのである。領主の代わりに裁定を行ってくれる人達を。
彼らは現役を引退し、ハンナの店で飲だくれていたが、現在でもある程度元の組織に顔が利いたし、それぞれが顔の広い人物であった。彼らは後を譲った組織の長の顔を潰さぬよう、大人しく飲だくれていただけである。
そんな彼らに街の人たちはことあるごとに相談を持ちかけ、仲裁を頼んだ。
特に定められた役職では無いので、当然の如く無料奉仕である。だが彼らは、自分たちが築き上げたこの街を大切に思っていたし、領主の所行に怒りを覚えてもいたので、それを快く引き受け、何とか解決を図ってきた。
そうしている内に『町会』と呼ばれる自然発生的な組織が成り立って、今日に至っている。
俺の目から見て、メセルブルグの街は言わばこの世界では珍しい『民主主義の街』であり、マルセロはこの街の議員、あるいは町長と言っても差し支えの無い人物である。
だから、マルセロが小僧呼ばわりされているのを見て、俺が驚いたのは当然のことであったのだ。
小僧呼ばわりされたにも関わらず、マルセロは気にした様子を見せずにそれ以上の皮肉を返し、ギリドもそれを受けて立つ。ひとしきりやり合った後、あっけにとられている俺を思い出したかのようにマルセロは振り返った。
「そうそう、忘れるところだった」
(忘れていたのかよ・・・・・・)
長い放置状態にしびれを切らす寸前だった俺は、その言葉に毒気を抜かれて脱力した。
「紹介するぜ、ウートだ。ハンナの店に最近入った。お前さんに用があるんだとよ」
「初めまして、ウート・ヴォージオンです。お世話になっていたそうで、ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」
俺は好印象を与えようと、きっちりした態度で営業スマイルを浮かべながら挨拶した。取引先の社長に挨拶されたときのように、好印象を狙う。多分好感度はバッチリだろう。
しかし、そんな思いはすぐに誤りであったと気づく。当のギリドがあからさまに嫌悪感を浮かべた顔で俺をみるや「ケッ」と言ったきり、そっぽを向いたからだ。
俺は困惑して、マルセロに視線を送る。そのマルセロは苦笑いして俺を見ている。
「ウート、そのかしこまった言葉遣いはよせ、いつもどおりでいいんだ、ギリドはそういうかしこまった感じは苦手なんだよ」
マルセロはそう俺に教えてくれる。流石は頼りになる男だ。
「いやあ、すいませんね。なんせ、マルセロさんをいきなり小僧呼ばわりするんで、これはやばい爺さんかと思って、とりあえずかしこまってみたんです」
俺は取りあえず、いつも通りに聞こえるよう砕けた口調に直し、背に背負っていた酒樽を下ろしつつ、ギリドに差し出した。
「これ、お近づきの印にどうぞ、貰いものですけど」
俺としては、機嫌を直して貰う方法がそれしか思い浮かばなかったわけだが、それは予想以上の効果があった。ギリドは最初不機嫌そうに俺と樽を見やったが、その樽に書かれた銘柄に目をとめると、急に表情が変わる。純粋な驚きに満ちた表情だ。
この酒はゴードンが好意で送ってくれたもので、ゴードンにその意図があったとは思えないが、俺がこれを贈り物にしようと思ったのは、普通お酒以上に効果が見込めると判断したからだ。その予想は間違っていなかったようだ。
「こいつは、ドワーフの火酒じゃないか、こんな物よく手に入ったな!」
ギリドは樽に手を伸ばすや、俺の手から取り上げて捧げ持つように高々と頭上に持ち上げた。
ギリドが驚いたのは、この酒がそれ程に貴重な物だからだ。
市場には滅多に出回らず、出所も解らない。それを取り扱う商人が、出所を秘匿していると言われているらしい。
その商人曰く「あるドワーフの一族が代々受け継いでいる特別な製法により実現した貴重な品で、しかもその一族は自分達の為に製造しているため、本来外には出回らない品である。それを何とか頼み込んで少量を分けて貰っているもので、当然数は手に入らない。入手先も秘密です」としており、未だにその秘密は維持されている。
希少性を煽り、価格をつり上げるのは商人にとっての常道で有り、王道の戦術だ。だからその言葉がどこまで信用できるのかわからないが、その酒がアルコール度においてこの世界では飛び抜けた存在であるのは間違いが無かった。
火酒とは実際に火が付くわけでは無く、火を噴くほど酒精が強い酒の意であるらしい。
俺は醸造すれば本当に火が付く事を知っていたが、この世界にはまだ蒸留の知識は広まっていないらしかった。
そんな経緯も有り、この酒は中々手に入らない。以前、ゴードンにウイスキーやブランデーの話を漏らしたとき、ドワーフの火酒より強いはずがないと反論していたから、それを証明するためにわざわざ手に入れてくれたらしい。友に感謝だ。
「早速飲みましょう、つまみは持ってきましたから」
俺は酔わせてしまえばこっちのもの、親父同士のつきあいで飲みニケーション程有効な戦術は無いと知っていた――酒好き限定だが――ので、一刻も早く吞ませてしまいたかったのだが、ギリドは何を思ったのか、部屋の中央にある丸いテーブルの上に樽をのせると「座って待ってろ」と告げつつ奥の部屋に引っ込んでいった。
「どうしたんでしょう?」
俺は内心焦りを覚えつつマルセロに聞くが、マルセロは素っ気なく「さあな」と言って、椅子に座ってしまった。仕方なく俺も残された椅子に座る。――サイズ的にギリドの椅子はすぐに解ったので残った椅子は俺が座ったやつだけだ。
それ程待つ事も無く、ギリドは両手に小ぶりの木箱を持って戻ってくる。その形状は如何にもファンタジーに有りそうな宝箱という感じだ。
それを見て、思わずときめきを覚えずにはいられない。
(如何にもなんか出てきそうじゃ無いか、でもテレポーターだけは止めて欲しい)
そんなベタな感想を思い浮かべる。猫のリセットボタンキックと同じくらい怖ろしいものだあれは。
ギリドはその宝箱を俺たちの待つテーブルの中央に置くと、腰から鍵束を取り出し目線を動かして形状から目的の鍵を探す。やがて目的の形状を見つけ出したのか一本の鍵を選び出すと、テーブルの上に置いた宝箱の鍵穴に差し込みそれを回して鍵を開けた。
カチリという、軽い音を確認してから鍵を引き抜き、蓋を開ける。中には深紅の高そうな布によって布張りがしてあり、中央には同じ布に包まれた物体が納められている。ギリドは慎重にそれを取り出すと、俺たちの前に置いておもむろに布を取り去った。
俺とマルセロは勿体ぶったその姿をいぶかる前に、そこに現れた物体に目を奪われた。
昼間の太陽光を取り入れるために各所の窓は開け放たれており明るさに不自由は無いが、それでも室内特有の薄暗さは残っている。その薄暗さの中でも表面が美しくカットされたそれは、各所が光を反射して美しく輝き俺たちの目に優美な姿を浮かび上がらせている。
素人目に見てもそれは「高そう!」と思う事を躊躇わないような、見事な工芸品であった。しかも、この世界では珍しい透明な容器でもあり、俺の目にはクリスタルガラス製の水差か、ワインを入れるための専用容器で有るデキャンタに見えた。
「ふん、小僧これがなんだか解るか?」
ギリドはその容器を指さしながら言う。俺は、この場面で水差しを出す意味が無いと考えた。
「『デキャンタ』ですね」
俺は自信ありげに答える。だが、ギリドは怪訝な顔をして、
「『デキャンタ』? なんだそれは・・・・・・。これはクリスタルボトルというのだ、美しいものだろう?」
どうやらこの世界には『デキャンタ』の概念が無く、旨く翻訳されたかったため、ギリドに旨く通じなかったようだ。ギリドのたどたどしい発音からそれが解る。まあ、そんな事はたいしたことでは無いので、俺は目の前の『デキャンタ』を見ながら素直に頷く。美しいのは間違ってないからな。
「一度、コイツを使ってドワーフの火酒を吞でみたいと思っていたところだ、中々手に入らないので諦めていたんだが、やっと念願が叶う、礼を言うぞ」
ギリドは俺に向かってそう言うと、ニィっと笑顔を浮かべた。どうやら機嫌は直ったらしいと知って、俺は内心で胸をなで下ろした。
ギリドは、テーブルに置いた小樽を持ち上げ栓を抜くと、クリスタルボトルにドワーフの火酒を慎重に注ぎ始めた。使い方から見ても、『デキャンタ』で間違いなかったらしい。そういえば俺自身が『デキャンタ』を日本語に訳す言葉が思いつかないので、そのせいで旨く言語の変換が行われていないのかもしれない。
透明なボトルに、美しく澄んだ赤褐色の液体が注ぎ込まれていく。全体の三分の二程注いだ後、ギリドは注ぐのを止め、小樽をテーブルに戻した。
「きれいな色だな」
マルセロが心底から感嘆したように、そう感想を述べた。どうやらクリスタルボトルの事では無く、ドワーフの火酒の色合いの事らしい。
この世界では、透明なグラスが殆ど見当たらないため、普段は木のコップで酒を飲む事が多い。木のコップは当然の如く光を通さないので、本来の酒の色は注ぐ時ぐらいしか解らない。こうして色を楽しめるのも透明な器のおかげであった。
(そういう意味では、透明なガラスコップの製造も有りだな)
俺は一つ商売のネタになりそうな事を思いつき、脳内にメモする。この世界では「あったら良いな」がすぐさま商売に結びつくので、アイデアに困る事だけは無い。後は実現可能かどうかを確認するだけで済む。
俺がガラスの製造法を思い出そうとしていると、ギリドがクリスタルガラスの縁を軽く撫でながら、なにやらブツブツ呟き始めた。すこし、いや、凄く不気味な姿である。何というか似合わない感じだ。
だが、呟く言葉は聞こえても、意味が全くわからなかった。どうやら普段話している言葉とは違う物であるらしい。
そんなギリドの様子に気を取られていたので、気がつくのが遅れたのだが、クリスタルボトルが淡い光をまとっている。
その光は、以前王宮の地下室で、ヤンの奴が俺に魔法を掛けたときに杖から発していた光に酷似している。
(魔法か! ギリドは鍛冶屋なのに魔法も使えるのか!)
俺は驚き目を見張る。この世界に召喚された時に見て以来の、本物の魔法なのである。
(こんな身近に魔法使いがいたのなら、もっと早く教えて貰うのだった)
後悔が浮かぶが、今からでも遅くは無いと考えを改める。
(ガンガン吞ませて、気分の良くなったところで言質を取る方法で行けるかな、最悪泣き落としか酒樽による物量作戦で行くか)
などと姑息な算段を思い浮かべていると、ギリドは呟きを止め、最後にクリスタルボトルの縁を指で軽くはじいた。
キンという、高く美しい音と共に、クリスタルボトルがまとっていた光は内部に溶け込むようにして消えた。
ギリドはそれを確認すると満足そうな笑みを浮かべ、クリスタルボトルを手に周囲を見渡す。
「コップを忘れとったな、これはいかんワイ」
そう言ってクリスタルボトルを再度テーブルに置くと、先ほどとは違う部屋に向かい中から木製のコップや木皿なを運んでくる。俺は席を立ち、そのうち幾つかの配膳を手伝い、持ってきたつまみを配ると即席の宴席が完成した。
ギリドは、クリスタルボトルからマルセロや俺のコップに火酒を注ぎ、自分の分も注ぎ込む。三人はコップを掲げ、マルセロの音頭で唱和した。
「出会いを祝して、乾杯!」
「乾杯!」
ギリドはよほど待ちきれなかったのか、言い終わるやいなや火酒を口に運んでいる。マルセロと俺はそれを見やり苦笑しながら、コップに口を運んだ。
一口飲み、驚きで体が固まる。恐る恐るもう一口味わい、気のせいで無かったと解ると、思わず全部飲み干してしまった。
「ほうっ」
思わず満足の溜息がこぼれ落ちる。
だが、それは俺だけで無く、ギリドもマルセロも全く同じ様子であった。
「う~ん、これほどの味とは。以前飲んだときとは全く別物じゃ無いか」
マルセロは、唸りを上げつつ余韻を楽しむように手の中でコップを弄んでいる。どうやら以前にもドワーフの火酒を吞んだ事があったらしい。それと比較しての言葉なのだろう。
だが、それを聞いたギリドはテーブルの上から小樽を取り、少量を余っていたコップに注ぎ込んだ。それを「飲んでみろ」とマルセロに差し出す。
マルセロはコップを受け取ると、それを一口飲んだ。途端に怪訝な顔をする。
意味が解らない俺に、マルセロさんは酒の残ったコップを回してくれたので、俺も一口飲んでみた。
俺も困惑に首を傾げる羽目になる。不味いわけでは無い、普段飲んでいる葡萄酒に比べれば遙かに旨いというのは解る。しかし先ほどの酒には遠く及ばない事もハッキリと解ってしまう。
香りや味に近い物は感じられるが、先ほどの酒に比べるとまろやかさが無く、舌が感じる刺激が強すぎて味わいを上書きしてしまう。そんな感じだろうか。
俺は答えを求めて、ギリドに視線を送る。
「コイツは、以前飲んだ火酒に近いな。旨くはあるが、さっき飲んだやつには遠く及ばない。となれば、さっきの呪いが答えなんだろうが、そいつはなんなんだ?」
マルセロは首を傾げつつ、唯一の答えを求めてギリドを見た。
「こいつはな、俺が若い時分に“迷宮狂い”の迷宮で手に入れた、魔法の道具なのよ」
そう言いながらクリスタルボトルを持ち、全員のコップに新たなる火酒を注ぐ。
「魔法の道具って、これがですか?」
聞き慣れない固有名詞についても気にはなったが、それより何より目の前にあるものが魔法の道具だと知って、思わず食いついてしまう。確かに魔法を発動させているように見えたが、ギリド本人の力では無いと言う事だろうか?
「ああ、若い時分に手に入れた物でな、鑑定してくれた魔術師によると入れた酒のいちばん良い状態を引き出すという効果があるらしい。今まで気休め程度にしか思っていなかったが、どうやら酒の方に問題があったらしいな」
ギリドはしゃべりながらも、手酌でぐいぐい飲んでいる。それに負けじと、俺もマルセロさんもおかわりを頼んだ。たちまち三人とも顔が赤くなってくる。ドワーフの火酒は、通常の葡萄酒に比べるとアルコール度数が高い。それを割らずに飲んでいるのだから、酔いが早いのも当然であった。
「俺は、若い時にドワーフの里を出て冒険者になった。理由は色々あったが、まあ最大の理由は腕試しだな。それで、手っ取り早く名を上げるために”迷宮狂い”の迷宮に潜った。最大二十三階層まで行ったが、そこで負った傷が基で冒険者を続けられなくなった。俺は所持品を売り払い、コイツだけ持ってここに流れてきたわけだ」
ギリドは過去の栄光を懐かしむようにクリスタルボトルを引き寄せると、自らのコップを満たし、何でも無かったようにテーブルに戻す。――単に飲みたかっただけのようだ。
「ギリドさんは魔法を使えるんですね」
俺は何気なく言った。目の前で見たのだから疑う余地は無いが、それを切掛けに魔法の話に結びつけようと思っただけである。しかし、返答は意外なものだった。
「いや、勘違いしているようだが、儂は魔法が使えん。これはコイツ自体の力だ。魔法の道具を見るのは初めてか?」
「いえ、魔術師の方達が装備しているのを見た事はありますが」
「ふむ、魔術師達の装備品と魔法の道具は少し違うな。いや、中には同等の性質を持つ物も有るかもしれないが、基本的に魔術師達は自ら魔術を発動できるからな、彼らの装備品はその殆どが自らの魔術行使を増幅するためのものだ。だが、魔法の道具は違う。使い方さえ理解していれば誰にでも使う事が出来る」
ギリドは、空になったクリスタルボトルに再びドワーフの火酒を注ぎ入れ、俺の目の前においた。
「教えてやるから、やってみろ」
「え!?」
「何処でも良いから触れた状態で、こう唱えるんだ」
ギリドは三節からなる不思議な呪文を俺に教えてくれる。それを十回繰り返せば良いらしい。俺はドキドキしながらそれに従った。
「エルファトラ シニファトラ ングヴィレージ ・・・・・・」
唱えている内に、クリスタルボトルに触れている場所が熱く、いや冷たくだろうか? どちらとも判断が付かないような不思議な感覚がして、徐々にクリスタルボトルが淡く光を発し始めた。
(魔法? 魔法! 俺、今、魔法使ってる!!!)
厳密には違うのかもしれないが、自分の意思で魔法的な事象を発生させているという意味においては間違いなく、それが俺の人生初の魔法行使の瞬間だったのだ!
十回唱え終わった後、ギリドが指で弾けと言うジェスチャーをしたので、先ほどのギリドの真似をして指で弾く。キンと言う高い音がした後、光は内部に吸い込まれた。
「おお、おおおお、出来ました!」
俺はつい、大声を上げ、二人を見やる。マルセロは苦笑し、ギリドはニヤニヤ笑っている。
「すげえ、魔法すげえ、これが魔法の道具なんですね」
俺は早速二人に酒を注ぎ、自分も飲んでみる。その味は、まろやかで、喉越しの良い芳醇な味わい。間違いなく正しく魔法は発動したらしい。
それで俺は楽しくなってしまい、やって来た目的は完全に忘れ去ってしまう。
魔法を使うには、酒が空になる必要がある。だから、二人にどんどん飲ませ、自分でも飲む。無くなったら、魔法を使う。これを三回は繰り返したところまでは覚えているが、そこから記憶がぷっつりと途絶えている。
翌朝起きた時には、客間らしき部屋にマルセロと二人で寝かされていた。
よろよろと起き出し、トイレに向かう。
少し、酔いが残っているような感覚はあったが、二日酔い特有の頭痛は無く、どちらかと言うとグッスリ寝た後のスッキリとした目覚めだった。
これも、魔法の道具の効果だろうか?
(良い酒は悪酔いし難いとか言うし、クリスタルボトルの効果で最上級の酒になったから悪酔いもしなくなったと言う事かな)
俺は、二日酔いしていないことに適当な理由を付けて納得する。
部屋に戻ると、マルセロも起きていたので、挨拶を交わして二人でリビングに行くと、ギリドも起きて朝食の用意までしてくれている。
「すいません。ご迷惑掛けまして・・・・・・」
俺が謝罪すると、
「気にするな、久々の旨い酒だったわ。旨い酒を差し入れた奴が畏まる必要など無いぞ」
そう言ってギリドは豪快に笑った。
ギリドに進められて三人で朝食を取り始める。
「そう言えば、クリスタルボトルのような魔法の道具は幾らぐらいする物なんですか? 俺でも買えますかね?」
俺は魔法の道具が欲しくなっていたので、興味本位で聞いてみた。
「無理、じゃろうな・・・・・・」
ギリドは少し思案顔をしてから答えた。俺には残念すぎる答えだ。
「いいか、ウート。魔法の道具はピンからキリまで有るとはいえ、どれも希少な物なんだ。持ち主は滅多な事で売りに出さないし、売りに出されたとしても欲しがる奴は大勢いる。今のお前のようにな」
マルセロが、噛んで含めるように説明してくれる。
「大抵途方も無い値が付く、安くとも金貨数十枚という感じだ。しかも有効な効果を持つ魔法の道具ともなれば、その値段はとんでもなく跳ね上がる傾向にある。ギリドのクリスタルボトルは酒好きの好事家や貴族が金に糸目を付けずに欲しがるだろう。正直途方も無い金額になるだろうな」
「なるほど」
う~ん、と俺は唸る。
「自分で何とか手に入れるしか方法は無いと言う事でしょうか? 例えば”迷宮狂い”の迷宮でしたっけ? そこに潜ったりして」
俺は、何でも無い事のように言うが、ギリドもマルセロも呆れたように俺を見ている。よほどあり得ない事を言ってしまったらしい。
「止めておくんだな、お前じゃあ一階層も突破できないうちに死ぬのがオチだ」
ギリドは頭を抱えたように言う。
「すいません・・・・・・、よく知らなくて、そもそもどういう場所なんですか? ”迷宮狂」い”の迷宮って」
「お前、”迷宮狂い”の迷宮を知らんのか?」
ギリドは目を見張る。そんな常識的な知識だったのだろうか? それにしてはこれまで聞いた覚えが無い。俺は頭を掻きながら自分の不明を恥じるように曖昧に答えを返す。
ギリドはヤレヤレという風に、俺に説明してくれた。
「”迷宮狂い”というのは、大昔に実在した大魔術師の異名でな、その名の通り迷宮を作り出す事に、狂気に近い情熱を注いだ事で知られておる。そやつが作り上げた迷宮だから”迷宮狂い”の迷宮と言うわけだ」
俺は、神妙かつ真剣な面持ちでギリドの言葉を聞く体制を取る。重要な講義を受ける学生の気分である。
「”迷宮狂い”は自身の欲望を満たすために広大な迷宮を作り上げた。どれくらい広いのかは未だに解明されておらんし、踏破された最深部は二十五階層・・・・・・、位だったはずだが、それが全体の内のどの辺りなのかさえハッキリしておらん。とにかく、呆れるほどに広いと言う事は確かなようだな」
ギリドは喉の渇きを覚えたのかコップから水を飲み、咳払いをしてから話を続けた。
「迷宮を作り上げた”迷宮狂い”は自分の作り上げた迷宮を試したくなった。作るだけでは満足できなくなったわけだ。”迷宮狂い”は後世の人々が付けた異名で、当時の奴は優秀な魔法道具の製作者としての方が有名だった。様々な魔法の道具を作成し、巨万の富を築き上げていたと言われる。そして奴は宣言した『我が迷宮には数多くの魔法の道具が眠り、最深部には我が全ての財産を置いてある。我が迷宮を踏破せし者に全てを与える』とな」
俺はゴクリと唾を飲み込む。そんな事をすれば、起こる事態は自明であろう。人々が、特に冒険者達が黙って見過ごすはずが無い。ギリドの話は、そんな俺の想像を裏付けるものだった。
「人々、特に冒険者達だが、一攫千金の餌に飛びつかぬ訳が無い。たちまち迷宮は人であふれかえった。そして”迷宮狂い”の言葉どおり、そこには多くの魔法の道具が眠っていた。それがさらなる人々を引き寄せた。しかし、容易く探索できたのは一階層迄だった。徐々に迷宮の罠や、どこからか召喚された怪物達により、多くの命が失われた。だが、人々は諦めなかった。諦めるはずが無い。一つでも魔法の道具を手に入れれば、大きな富を手に入れられるのは間違いないのだからな。やがて、迷宮に挑む者達の為の宿が出来、鍛冶屋が出来、道具屋が出来た。気づけばその規模はどんどん拡大し、やがて街となり、都市となった。これが”迷宮都市”の誕生に至る歴史だ」
ギリドは大きく溜息を吐く。改めて人々の業の深さにあてられたかとでもいう風に。
「”迷宮狂い”の迷宮は未だに多くの冒険者達を引きつけておる。誰も到達できていない階層は、それこそ宝の山だからな。だがそこにたどり着けるのは一部の優秀な冒険者達だけで、その者達ですら戻ってこない事がざらにあるのだ。かく言う儂も、パーティごと転送の罠に飛ばされてな、助かったのは儂だけだった。加入したての盗賊が罠の解錠に失敗して、気がついた時には左足が岩に埋まっていた」
そう言って、ギリドは左足のズボンを捲ってみせる。そこには、今まで全然気がつかなかったが、義足が嵌まっていた。
「悪い事はいわん。その年で冒険者なんぞ今から目指しても遅い。それよりも金を稼いで手に入れる方が、まだ遙かに可能性があると言えるな」
ギリドの言葉にマルセロも「うんうん」と頷いている。もとより俺は、自分の命を賭けてまで欲しいとは思っていないので、そんな危険な場所に挑むつもりなど無い。ただ、魔法に関する事は俺のライフワークと定めているので諦めるつもりも無い。
魔法の道具は無理でも、自力の魔法は可能かもしれないのだ。その辺りの事をついでにちらっと聞いてみたが、ギリドもマルセロもよく知らないと言う事だった。
俺はギリドに礼を言うと、魔法の事は一旦忘れる事にした。時期尚早であることが解ったし、生活環境改善の方が急務であると思い出したからだった。
「実は、ギリドさんにお聞きしたいと言うか、作っていただきたいものがあるんですよ。それが可能かどうかについてと、金額の見積もりをお願いしたくて」
俺は図面を書き溜めた板きれを持ち出し、ギリドに見せる。今回作ろうと考えているのは『手押式水圧ポンプ』である。
俺の勤める酒場『ジルとハンナ』には、贅沢な事にすぐ裏の敷地に井戸が掘られている。
井戸は掘るのに結構な資金がいるので、街にだって他に十数カ所、それも共同の井戸があるだけなのだが、そんな設備を何故か個人が所有しているのである。
水くみは大変な重労働なので、これだけでも十分恵まれていると言えるのだが、俺としては水くみの効率の悪さには、ほとほと嫌気がさしていた。
初めのうちこそ珍しさも手伝い、なんとかこなせていたのだが、それが過ぎれば苦痛でしか無くなった。しかも、店が客で溢れかえるような忙しい時でも、その効率の悪さを甘受しなければならないのだ。
俺はギリドに熱弁を振るい、水くみの大変さと効率の悪さ、それを改善する手押しポンプの必要性を説く。図面を基に各部の構造を詳細に説明し、材質や技術的な懸念事項を伝えていく。
ギリドは、疑問点を的確に質問し、マルセロとも相談しつつ全体の検討を行った結果、結論は「恐らく可能だろう」というものだった。
「ところで、費用はどのくらいかかりそうです?」
俺は肝心の所を聞く。予想では結構かかるかもしれなかったからだ。
「そうだな、本体部分は青銅の鋳造で、ピストンとやらは木製、井戸までの管は銅で、摩耗の激しい部分には鉄を使う。材料費、制作費、そうだな最低でも銀貨六十枚(六十万円)、最大で百枚(百万円)位だな」
ギリドは、ざっくりとした見積もり金額を教えてくれるが、その最低額でも結構なお値段である。俺の手持ちは銀貨五枚(五万円)程度、なんせ日給大銅貨二枚(二千円)なので自由に使えるお金はまだまだ少ない。これは、ハンナに相談が必要と判断する。制作が可能と解っただけでも今日は御の字であろう。
俺はその時、そう納得しかけた。だが、それに待ったをかけたのがマルセロである。
「もし本当にそんなものが作れるなら、金は『町会』が出してやろう」
その言葉に、俺やギリドは驚きを隠せなかった。
結構な大金だし、これは個人的に利用するための設備である。なぜ無料奉仕団体でしかない『町会』がそんな大金を出すのだろうか、納得できなかった俺は、そのあたりを率直に尋ねてみることにした。
「なぜ『町会』が出費を? これは、お店の設備にするつもりなので、ハンナさんと相談するか、俺がお金を貯めてから作るのが筋だと思うんですが・・・・・・」
「まあ、そうだな。これは言わば、俺たちのこの街に対する恩返しの一環と考えてくれていい」
「恩返し?」
「ああ、俺たちはこの街が誕生した時からここにいて、その発展に尽力して来た。木工ギルドを中心にして雇用を増やし、新たな住民を誘致し、住居を建てて街を発展させて来た、この街の発展は俺たちの人生そのものだったと言ってもいい、この街は俺たちの誇りそのものなんだよ」
マルセロは一旦言葉を切り、思い出に馳せるように遠い目をしてしばし黙り込む。俺もギリドもマルセロの言葉を反芻するように沈黙し、続きの発言を待った。
「しかし、ここに来てこの街は停滞を見せ始めるようになった。簡単に言えば成長の限界を迎えたんだろうな。木工ギルドはその性質上、森という生き物を相手にしている。過度な伐採をやるわけにはいかんし、需要にも限りがある。新たな産業も育っていないからな、どうしても若手の人材流出が起こる。俺たちに出来るのはそれを維持し、衰退を少しでも食い止めることだけだった」
「お前たちはよくやっている。本来ならそれは領主がやるべき仕事だろう」
ギリドがマルセロを庇う発言をし、俺もそれに同意する。これは本来税金を取り、領地経営を行う領主の責任においてなされるべきことで、マルセロが責任を感じることではないはずだ。
「ここだけの話にして欲しいのだが・・・・・・、今の御領主様は別に無能でもやる気がない訳でもない。強いて言うなら目立つ訳には行かんのだろうな。なんせ、政争の家中、真只中のお人だ、変にやる気を見せては第一王女派の反感を買う恐れがある。積極的な領地経営をした結果『兵を養い、反乱でも企んでいるのか』と勘繰られる恐れがあるわけだ。それでも街道の維持や水路の補修なんかは、俺たちに資金提供したり、兵の訓練に見せかけたりしてやっているんだ」
マルセロは話のついでのように、俺たちが知らない意外な領内の内情を暴露する。俺としては、その事に驚き、それだけ彼に信用されたとの実感も湧き、両方が交じり合った複雑な感情がこみ上げた。
「だから今の御領主様はプラスにもマイナスにもならない、この街の置かれた状況はそれ以前の構造的な問題だ。森林以外に特段目立った資源もないし、新たな産業も育っていない。そんな中で若手の流出が続けば、今度は町の高齢化が進んで行く。八方塞なわけだ」
マルセロはなぜかそこで俺の方を見て、にやりと笑う。
「だがここに来て、風向きが変わりつつある。ウートお前のおかげでな」
「へ? 俺がですか」
突然の指名に俺は間抜けな顔をして、マルセロを見る。一体何の話だろうか?
「ウート、お前を酒場に勤めさせたのは、半分成り行きだったが、もう半分はちゃんと理由がある。それはお前がゴードンの奴に信頼を寄せられていると、一目でわかったからだ。ゴードンの奴は、酒場の前亭主であるジルが、若い時から目をかけてきた商人でな。ジルの人を見る目は一流だったから、俺たちもゴードンには目をかけてきた。そのゴードンが信頼してる人間なら、まあ大丈夫だろうと思ったわけだ」
俺は、やけに簡単に人を信じる人達だなとの思いはあったが、自分の就職に懸命で気が付かなかったので、そんな経緯があったのかと改めて感心した。
(何も考えていない訳じゃあ無かったんだな・・・・・・)
そして、そんな失礼極まりないことを考えていた。
「雇うのに一役買っちまった以上、俺たちにはお前を見極める責任がある。そう思って、ここしばらく見てた訳だが・・・・・・、まあ、何というか大混乱だったな」
それには本当に同意する。決して意図した結果ではないのだが、この街の住民は生命力過多すぎると思っていたぐらいだ。
「街じゃあ、お前の料理や指示して作らせた物の話題が出ない日はない。特に料理は、食った奴が自慢げに喋るもんだから、食ってない奴は悔しがり、次は自分が一番最初になるってんで躍起になってる。先の楽しみがあるから、仕事にも身が入るし活気が出る。新たな金儲けの話を得た連中も出て来てる。驚くことばかりだが、みんなお前が何かをするたびに街が活気づいてる。だから俺達『町会』は気づいてるんだよ、お前を助けた方が自分たちの得になるってな」
マルセロは、悪だくみを告白する悪党のようにニヤリとする。街の利益のために、堂々と俺を利用していると言いたいのだろう。俺にしてみれば、自分の利益を優先しているだけだから何とも思わない。何度も言うようだが、利害が一致しお互いに幸せならそれはWin-Winの関係だという事だ。お互いに遠慮する事など無いのだ。
「まあ、こいつもその一環だな、こいつを酒場に設置して見本にした後、町中から寄付を募って同じものを全ての井戸に付ける。多分王国中探しても、そんな街は無いだろうし、そうなればそれは街の象徴になり誇りになる。それが俺たちの狙いだな」
マルセロは、語り終えて満足げに俺たちを見ている。俺としては何も言うことがない。相手がそれに納得しているのに、断るのは野暮というものであろう。
それに、生活環境の改善が加速するのは願ったり叶ったりであった。
「そう言う事なら、儂も一肌脱がねばならんな」
ギリドは立ち上がりながらそう言って、マルセロを見る。
「材料費はどうにもならんが、製作費はなるべく抑えよう。その代り、お前たちにも手伝ってもらうぞ」
そう言って、工房に歩き出す。俺としては、鍛冶屋の工房を見学出来る、願ってもないチャンスだ。大喜びで後に続く事にした。
こうして、俺達の『手押式水圧ポンプ』制作が始まったのだった。




