第4話 油断
俺たちが助けたのは行商人の親子だった。各地を回って商品を仕入れて、都市の店舗に卸すというビジネススタイル、いわゆる仲買人というやつだ。
男は人の良さそうな四十がらみで、ダンと名乗った。これといって特徴のないおじさんだ。
娘のアリサはミレーヌと同じか、少し下といったところ。肩までのオレンジがかった金髪に空色の瞳。素朴で朗らかな可愛らしさ。
これまでに異世界で目にした人間は、血走る目で俺を追い立てた騎士か戦闘魔法使いしかいない。普通がとてつもなく新鮮だった。
親子は、俺たちに何度も頭を下げた。とりわけ、直接魔獣に対峙したミレーヌには感謝してもしきれない様子だ。
ダンは何か礼をさせてくれと言ってきたが、ミレーヌが「子羊の救済に見返りは求めなくてよ」と言うと、微妙な顔をした。
そして、馬車を見て盛大なため息をついた。牽引していた馬は首を飛ばされて絶命していたのだ。
「まあ、命が助かっただけでも……」
ダンは、そう自分に言い聞かせるように呟くのみだった。
アリサも助かった安堵と、ミレーヌの強さに少しだけはしゃいだ様子だったが、馬を見ると瞳を潤ませた。
「ごめんね……一生懸命走ってくれたのに」
気の毒とは思うが、俺には何ともしようがない。どうしたものかと思っていたら、ミレーヌが現実的な問いを投げた。
「この辺りには馬を調達できそうな市はございませんこと?」
ダンは少しだけ考える。
「まあ、ご領主の館がある街なら。でも……」
その先の言葉は、言わなくても想像がついた。この親子、あまり生活に余裕があるようには見えない。馬も痩せている。新しい馬を調達する資金がないのだろう。
ミレーヌは、ちらりと俺を見た。
「お師匠さま、あの魔獣ですが食されますか?」
ヒポグリフのことか。美味いのかまずいのか、まったく想像もできない。
「え……いや。俺は熊があれば別に」
その言葉を確認すると、ミレーヌはダンに声をかけた。
「では、その馬とヒポグリフの素材を交換しませんこと? 売れば新しい馬の一頭や二頭、お釣りがきましてよ」
ダンは両手のひらをブンブンと振った。
「いや、冒険者さまが討伐した魔獣を、そんな」
――冒険者?
異世界もののド定番だ。俺たちのことを、行きずりの冒険者と勘違いしているのだろうか。
だがまあ、それならそれでいい。ここに厄災の魔女と聖女がいるなどと言っても信じはしないだろうが、冒険者ということにしておけば、何かと都合は良さそうだった。
それに、俺としては得体の知れない魔獣よりも馬の方がタンパク源としては魅力的だ。
「いいよ、俺たちは食わない獲物には興味がないからさ。その馬、かわいそうかもしれないけど、肉は貴重なんだ」
ダンは、優しげな美女の一人称が「俺」なのを訝っていたが、あえてツッコミは入れてこなかった。
「そう……ですか。では、ありがたく」
「では、取引成立ですわ。今日はもう日が傾きかけていますから、私の家へまいりましょうか」
いつからお前の家になった。まだ住まわせるとは言った覚えなどない。
文句を飛ばそうと口を開きかけたとき、ミレーヌは右手に熊、左手にヒポグリフを持ち上げた。熊もデカいが、ヒポグリフも二トン車くらいのサイズはある。
「お師匠さま、一旦これを置いてまいりますわ」
ルビーの瞳と視線が交差する。
「あ……待ってるからさ」
それだけを絞り出すと、ミレーヌは風のように駆けて行った。俯く俺の心情も知らず、アリサは興奮の声を飛ばした。
「すごーい!! ミレーヌさん魔法使いですよね!? 私、初めて見ました!!」
「そう……か」
俺も魔法使いなのだが、この親子には認識されていないようだった。
アリサは興味津々といった瞳を向けてくる。
「お姉さん、ものすごい美人でびっくりしちゃいました。こんなところで冒険ですか?」
……どう誤魔化したものかな。
自己紹介はきっちり“ベアトリス”だ。ミレーヌの前で偽名を使うと、何が起きるか分からなかった。
どうやら聖女ミレーヌの名前は、この隣国の一般人にまでは知られていないようだった。しかし、ベアトリスの悪評はわからない。
すると、ダンが軽く咳払いした。
「すいません、うちの娘は遠慮がなくて。厄災の魔女と同じ名前……いろいろとご苦労されているかと」
ベアトリスという名前で俺は謂れなき迫害を受け、僻地でひっそりと暮らしている。どうやら、そんな設定をダンの脳内で構築しているようだった。
それならそれに乗っかるまでだ。
「気にすんな。ただ、食糧事情がちょっとばかし貧しくてさー。
うち塩しかないんだけど、なんかいい感じのやつ持ってね? 今日熊鍋だから、お前らも食ってけよ」
鈴のような声音で、おじさん言葉全開。そして、とても大切なことを確認しなくてはならなかった。
「なあ、行商人ならあれあるだろ? 酒だよ、酒。肉が食えるなら、こいつがないとな」
ダンは「はあ……」と目をぱちくりとさせる。荷馬車をごそごそと漁り始めた。
「ありますよ、これでどうです?」
……なんだ、このショッキングピンクの液体は。困惑する俺をよそに、それまで黙っていたゼファスの尻尾が揺れた。
「貴様なかなかの目利きとみた。主よ、今夜はフィーバーにゃ」
「わあ、猫ちゃんが喋った!!」
すかさずアリサがゼファスにタックルし、腹を吸いだす。俺もまだ吸えていないのに……。
そうこうしているうちに、ミレーヌが戻ってきた。
「お師匠さま、お待たせして申し訳ありませんことよ。では、まいりましょうか」
馬の首は、その場の木の根元にダンとアリサが手厚く埋葬した。
ミレーヌは俺たちを荷車に乗せると馬の体を片手に持ち、片手で荷車を引いて駆け出した。息一つ乱していない。身体強化魔法、恐るべしだ。
ミレーヌは道すがら、ダンに王国の様子を問いかけた。
「隣の王国について、何か噂を聞いていませんこと?
たとえば、真の聖女を失って思わぬ災害に見舞われたとか、王都が黒雲に覆われて神獣フェンリルが暴れ出したとか……」
聖女追放ものあるあるだな。だが、ダンの言葉はそっけないものだった。
「いえ、別に。厄災の魔女がいなくなって、大変活気づいているとか」
ミレーヌの肩が揺れる。ゆらりと、見えない魔力の奔流を感じた。
「そう……ですか」
そこにアリサが追撃をかけてきた。
「王国には、聖女エリスマリアさまがいらしてますもの!!
聖光国の公爵令嬢にして、セリーナさまの跡を継いで魔女ベアトリスを打ち倒されたとか。あー、エリスマリアさまって黄金のおぐしにサファイアの瞳、薔薇色の頬……素敵すぎです」
そして、「そうそう」と付け加えた。
「そういえば、その前に誰かいたとか。就任早々、魔女の呪詛を受けて、いまは療養中だとか……お可哀想に」
おい――
王国のやつら、“聖女ミレーヌ”という存在を消しにかかったようだ。
一般庶民には細かいことなど分かりはしないのだ。多少辻褄が合わなくても、それが公式発表なら真実になる。
ミレーヌ? なんかどっかで聞いたかも。
その程度の存在になっていくのだろう。
俺としては、厄災の魔女の噂が廃れてくれるのは願ったり叶ったり。だが、ミレーヌは……。
見つめるミレーヌの背中が、心なしか小さくなった。小刻みに震えている。
俺はそっと声をかけた。
「なあ、ミレーヌ――」
「ですわ!!」
ぐりんと顔を向け、俺にまっすぐな視線を向ける。
「上等でございましてよ、お師匠さま。これがやつらの手口、お分かりになりまして?」
俺は思わず目を逸らした。
「まあ……でもさ。なんか平和そうじゃん」
こいつの理屈では、背信と汚穢にまみれた拝金主義の豚が悪政を敷いているはずなのだが。そんな感じでもなさそうだ。
なら、民草のために波風起こす理由はないんじゃないか。ダイレクトには言えないが、やんわりと言葉の端に乗せてみた。
ミレーヌは前に向き直り、独り言のように呟いた。
「セリーナ先生は、そんな平和のために戦ったわけじゃございませんことよ」
「どういう――」
だが、ミレーヌはそれ以上は答えずに荷車を引く。俺はゼファスにそっと話しかけた。
「なあ、なんか意味深じゃないか?」
「主よ、小娘の事情に深入りはしないことだにゃ。そんなことよりも、魔法が使えるようになったのなら、我への魔力供給をだな……」
こいつに聞いたところで分かるはずもないか。そして、ゼファスへの魔力供給のやり方も、当然のことながら分からない。
さっきはチャンネルとやらにつながった感覚があったが、いまはまったく無いのだ。
なんだろうな。異世界のことも俺のことも、もっと知るべきなのかもしれない。
そんなことを考えていると、家に到着。ミレーヌは、先ほどとは様子が打って変わって、にこにこと笑いかけてきた。
「では、さっそく歓迎会ですことよ。料理は戦場で仕込まれていますから、お任せくださいませ」
その言葉に、俺の中での優先順位が食に切り替わる。ゼファスの尻尾も揺れた。
肉の予感に沸き立つ厄災の魔女と使い魔。こうして、慌ただしい一日は暮れていくのだった。
***
魔獣と馬の本格的な解体は明日ということで、今夜の食事に必要な分だけ切り取って俺のバッグへとしまい込んだ。
こいつは魔法のアイテム。大きなものでも転移で出し入れでき、収納したものは腐らず保管できる、異世界便利グッズだ。
ダンとアリサは、目を剥いていた。
収納アイテムは超高級品。それも、これだけの性能のものは大商人でもなければ所持していないという。それだけで、俺を見る目が変わったようだった。
ダンは命を助けてもらった礼も兼ねて、酒以外にも食材や調味料をいくつか提供してくれた。塩と謎植物しかなかった我が家の食卓は、一気に彩り豊かとなる。
俺はテーブルにつき、コップに注がれたピンク色の液体に恐る恐る口をつけた。
「……いいじゃないか」
色からなんとなく苺味を想像していたが、洋梨のようなすっきりとした味わい。なんでも、原材料はマッキンメッケンの実で、この色は十二年ものだという。
そう言われても、俺には「ふーん」という感想しか出てこなかった。
ほどよく回ってきたところで、熊鍋と、香草を混ぜて焼いた馬肉の腸詰めが出てきた。戦場仕込みというだけあって、ミレーヌの手際は鮮やかなものだった。
さっそく一口。
謎植物のモノトーンな味に慣れきった舌に、いきなり多重奏の爆撃。脳が痺れ、意識が別の異世界へ飛びかけた。俺のアメジストの瞳から、涙が一筋落ちる。
「……異世界で、まともな飯が」
それ以上は言葉にならず、ひたすら咀嚼。俺の隣ではゼファスが、熊と馬の合い挽き肉を焼いたものをひたすら食べ、ピンク色の液体に舌をつける。
ちなみに、猫にアルコールは厳禁だ。しかし、こいつは普通の猫ではない。
フィーバーなどと言いながら、早々に酔っぱらって腹を見せて寝だした。アリサが撫でまくる。
落ちついたところで、ミレーヌは熊鍋をつつきながら、ダンへ提案を持ちかけた。
「市では熊と馬の素材も換金してくださいませ。それを元手に、商売をされるとよろしくてよ」
「え……そんな、ヒポグリフの素材までいただいたのに」
遠慮するダンに、ミレーヌは箸を置いて静かに言う。
「差し上げるのではなくて、投資ですの。商いの手を広げて、物資と情報を私たちに提供……特に王国と聖光国の動きについては、逐一教えてくださいませ」
――何か始める気だ。
アルコールが回った頭で、赤女を観察する。俺の視線に気づいたミレーヌは、うっすらと笑いかけてきた。
この表情。
昼間の勢いでは、今すぐベアトリスをけしかけて王侯貴族を排し、聖女再臨を演出するつもりだったのだろう。
しかし、その聖女ミレーヌは王国の物語から抹消されつつある……。
「作戦変更ですことよ、お師匠さま」
最初から作戦に乗ったつもりは一切ない。首を縦にも横にも振れず、俺は肉を食う。
ミレーヌは、空になった俺の皿を取り上げて、肉を盛りに盛った。
「お師匠さまは、魔法の訓練を続けてくださいませ。ただ、急いては事を仕損じる……新国家千年の計は、慎重にまいりましてよ」
ドンッと肉を目の前に置かれた。
……これを食ったら、もう戻れない。そんな気がした。いや、もう力いっぱい食っているのだが。
一つ言えるのは、すぐに大魔法を発動しなければ何をされるか分からない。そんな切迫した状況ではなさそうなこと。
今すぐ逃げるか? それとも……。
「さっ、まだまだありますから、たくさん食べてくださいませ」
その言葉に促され、箸を取り、微かに震える手で肉を口に運んだ。
王国の民とやらは別に困ってなさそうだし。こいつが革命する意味がないなら、そのうち諦めるんじゃないか?
「……美味いな」
ルビーの瞳が笑う。それに魅入られたように、俺は「へへ……」と不審な笑いを漏らした。
酒を一口飲む。もしかすると、このまま異世界スローライフの展開になだれ込めるかもしれないな。
美女と美少女。片田舎でのんびり、ときどきトラブル。
アリサと一緒になってゼファスの腹を撫でながら、俺はそんな甘い夢を見るのだった。




