第3話 魔法使い
魔法使い。
俺の前世知識では、魔法使いとはファンタジー職業のひとつだが、この世界では超常の力を持つ存在全般を指す。
ヒーローや超人と言い換えた方が分かりやすいだろうか。
そして“厄災の魔女”や“聖女”は、魔法使いの中での特別な称号だという。そこまではゼファスに聞いていた。
精霊に愛された者たち。それが魔法使いだという。
「で、さっきからあいつが言ってる戦闘魔法使いってのはなんだ?」
熊の魔獣と対峙するミレーヌの背から目を離さず、俺は使い魔のゼファスに問いかけた。
「魔法使いにもタイプがあるからな。研究者に職人……中でも魔法戦を得意とする者を戦闘魔法使いと呼ぶ。それくらい、分かるだろう」
使い魔のくせに口が悪い。だが、それは受け流す。
それにしても、聖女といえば荘厳な神殿で祈りを捧げているイメージだったが、バトル要員とはな。ミレーヌは対魔女の決戦兵器として育成されていたということだろう。
そして、どうやら俺もそのカテゴリに組み込まれているらしかった。
ゼファスは面白いものを見つけたといった調子で声を上げた。
「あの小娘、身体強化魔法が得意と言ったな。大口を叩くだけのことはあるにゃ」
身体強化魔法ってなんだ? とは聞かなかった。それはさすがに想像がつく。
「お師匠さま」
ミレーヌは背を向けたまま言葉をかけてきた。
「厄災の魔女は最強の戦闘魔法使い。正直、あのとき私が勝てたのは不思議でなりませんでしたの。
まさかセリーナ先生に力を封じられていたとは。得心がいきましてよ」
正確には中身が変わっていたわけだが、それを説明したところで理解は得られないだろう。曖昧に頷く俺に、ミレーヌの言葉が続いた。
「その魔法を解除する術はわかりませんが、戦闘魔法使いの戦い……ご覧いただけましたら、記憶の扉をノックできるかもしれませんことよ」
そう言うと、不可視の力がミレーヌの脚に集まった――気がした。
ドンッと爆ぜるように、紅の閃光が視界を横切った。ミレーヌの動きを目で追いきれない。
熊の魔獣まで、三十メートルはあったはずだ。それが、瞬きもしていないのにもう懐へ入り込んでいた。
魔獣の左胸に、右拳をねじり込む。見えない力が魔獣の背中まで突き抜け、衝撃波が腹の底に響き渡った。
さっき、俺の棍棒を破壊した一撃よりも鋭く強い。ミレーヌが飛び退くと、魔獣は大きく痙攣してドウッと倒れ込んだ。
一撃だと? 嘘だろ。
これがマンガなら、俺のアメジストの瞳は目の玉が飛び出る表現になっているところだ。
ミレーヌがくるりと振り向くと、俺は思わず背を向けて逃走の態勢に入った。
「お師匠さま」
その声に、雷に打たれたように体が硬直した。そろりと振り返ると、ミレーヌは笑顔で手を振っていた。
――可愛い。
などと思いたくもないのに、思ってしまう自分が恨めしかった。
「いまのが、魔法使いの戦いですことよ。何か思い出していただけましたか?」
ハッと我に返ると、反射的にブルブルと首を横に振った。
「そうですか……さすが、セリーナ先生の魔法ですわ。でも、お師匠さまならきっと」
そう言うと、ミレーヌは右手で巨体をヒョイと持ち上げた。再び目の玉が飛び出そうになる。
――こいつ。本当に厄災の魔女の力が必要なのか?
恐る恐る、疑問を口にした。
「なあミレーヌ……少し……いや、けっこうできるじゃないか。お前一人で貴族の首を飛ばすくらい、わけないんじゃないか?」
ミレーヌがぴくりと肩を揺らすと、俺はとっさに後退りした。どこに地雷が埋まっているか、わからないのだ。
しかし、ミレーヌは口を尖らせて拗ねるように言った。
「貴族や郎党くらいなら、そりゃあものの数じゃありませんことよ。けど、あのエセ聖女……」
熊の魔獣を片手で持ち上げながら、こちらへやってくる。
「聖光国の秘宝、最強の防御結界。あいつ、たいした力もないくせに、親の七光りで御大層なアイテムを持参してきやがり……ましてよ」
その言葉にゼファスの尻尾が動いた。
「聖光国の秘宝……アイギスの盾か。にゃるほど、小娘には手に余るにゃ」
「猫ちゃん賢いですわねー」と、ミレーヌはにっこり。
続いて、小さなため息。
「そう、悔しいですが、あれに打ち勝つのは容易ではありませんことよ。所持していることが最初から分かっていれば、迂闊に仕掛けることもなかったのに。
一生の不覚……ですわ」
騎士団長を巻き込んでのクーデターのことだろうな。単純な武力勝負なら分があったのだろうが、その防御結界なるものに阻まれたということか。
ゼファスはその予想を補完してくれた。
「確かに、強力。物理攻撃には無類の防御を誇る。お前に対抗するために持ってきたんじゃにゃいか?」
ベアトリスの脅威が去った王国は、この危険思想の聖女を持て余していたのだろう。
ミレーヌの暴発を予期して策を講じていたのか。なるほど、王国もボンクラ揃いというわけでもなさそうだ。
そしてミレーヌも諦めが悪い。ベアトリスの大魔法なら、そのアイテムにも勝てる。そういう算段なのだろう。
思わず首筋を撫でる。
ミレーヌには俺を生かす理由がある。奇妙な力関係で繋がっている。そう思うと、少しだけ気が楽になってきた。
ルビーの瞳を見つめ、少しだけ表情を緩める。返ってきたのは、にこにことした笑顔。
「お師匠さま、今夜は熊鍋ですことよ」
肉……。
「へ……へへ」
つられて思わず笑いが漏れる。これが元のおじさんの姿だったら、不審者にしか見えなかったことだろう。
――なんだ、いけるじゃないか。
異世界スローライフの第一歩は衣食住だ。これが充実していなければ話にならない。
最大の課題だった食。それがいま、サバイバー戦闘民族によって変革のときが訪れていた。
「いいな、ジビエ。これだけの量があれば、当分の間はカロリーに困らなさそうだぜ」と、喜びの声を上げる俺。いまこの瞬間は、食への期待が恐れを上回っていた。
「それは良かったですわ。頑張って魔法を思い出してくださいませ」
……これだ。テンションが上がったと思ったら、冷水を浴びせかけてくる。
こいつの目的はベアトリスを養うことではない。肥え太らせたところで、大魔法を吐き出させる。そのための投資。
――油断するんじゃない。
あらためて言い聞かせる。やはり、計画どおりだ。今夜は食えるだけ食って、明日はトンズラ。
こいつに破壊兵器として運用され、用が済んだら体よく追い出される。そんな異世界転生物語は望むところではなかった。
魔法を思い出すフリをしながら、引っ張れるだけ引っ張るか?
その考えも無くはないが、期待を持たせれば持たせるほど、裏切ったときの反動が恐ろしい。今ならまだ、地の果てまで追っては来ないだろう……と思う。
ミレーヌは俺の脇をすり抜け、先頭に立って山を下りだした。熊を片手に持ち、スタスタ山道を進みながら楽しそうに言う。
「お師匠さま、明日は実技ですことよ。私の拳から直接魔法を受ければ、何らかのショックで思い出せるかもしれませんわ」
なんだその雑な見積りは。しかも、思っていた魔法の訓練と違う。
だが好きに言わせておく。明日、一撃くらって魂が再び飛ぶ前にグッバイ聖女。そうすればいいだけの話だ。
そんなことを考えていると、ミレーヌの足がぴたりと止まった。
目論見に気づかれたかと、思わず焦る。しかし、止まったのはミレーヌだけではない。ゼファスもだ。
「この気配……」
「猫ちゃんにも分かりまして? 急ぎましてよ」
言うが早いか、巨大熊を片手に、足元の悪い山道をぐんぐん下っていく。
……あのフィジカル。果たして逃げ切れるのか?
脳裏に「お師匠さま〜♡」と笑いながら追いかけてくるミレーヌの姿が浮かぶ。
俺はゼファスを肩に乗せ、泣き叫びながら走る。そんな数時間後の未来予想図。
いや、怖い怖い怖い。
固まる俺に、「どうする、主もいくのかにゃ?」と声がかかった。
「え……」
尻尾を揺らしながら、ゼファスは続けた。
「まあ、やめておいた方がいいな。いまの主では手に負えまい……あの小娘はどうかな」
正直、ミレーヌが手こずる相手というのは想像もできない。
――だとするとチャンス?
と、一瞬考えて、強く頭を横に振った。何を考えてんだ。そこまで落ちてどうする。
「……案内してくれよ」
ゼファスは「ふうん」とだけ呟き、駆け出す。
「しっかり付いてくるにゃ」
転ばないように必死になりながら、山道を急ぐのだった。
***
「おい、どこまで行くんだよ」
「まったく、魔力反応も分からなくなるとは、嘆かわしいにゃ」とゼファスは振り向きもせずに言う。
魔力というのは、さっきミレーヌと魔獣から感じた、あの見えない力のことなのだろう。反応なんて分からない。あれは偶然だったのだろうか。
「上にゃ。気をつけることだな」
見上げると、頭上を大きな影が横切った。鷲の頭と翼、そして馬の胴と四肢。
「ヒポグリフ……こんなところに珍しいやつもいたものだな。まあ、我の全盛期なら餌に過ぎないがにゃ」
こうやってたまに武勇伝を飛ばしてくるが、本当なのかどうか分からない。
視線を地上に戻すと、ミレーヌの前には馬車が一台。
……誰だ?
ありがちな話では、姫がモンスターに襲われているといったところだろうが、王侯貴族が乗るようなものには見えない。幌付きの荷馬車だ。
ミレーヌは、一人の中年男を庇うように馬車の前に立つ。その馬車から少女が顔を出すが、ミレーヌが何か声をかけると慌てて引っ込めた。
「旅人か行商人といったところだろうな。街道から外れたこんなところまで……追われてきたのではないかにゃ」
説明サンキューだ。
ミレーヌは腰の短剣を抜くと、構えを取った。その様子を見て、ゼファスは解説を続けた。
「あの小娘、遠隔攻撃魔法は持ち合わせていないのか。前の聖女は、ゴリゴリに強力な時空魔法を放ってきたものだがな」
前任もたいした戦闘民族だったようだが、タイプが異なるようだ。
しかし、そうなると空飛ぶ相手には不利だろう。どうするつもりなのかとミレーヌを観察していると、ゼファスは決断を迫ってきた。
「主よ、戦わないなら首を突っ込まないことだな。戦うのなら、今まで教えたことをよく思い出すにゃ」
思い出すと言っても、こいつの言うことは抽象的すぎるのだ。
魔法使いは、魔力というエネルギーを使って魔法という現象を引き起こす。
だが、その間にもう一段挟まっているのが精霊という存在。魔力を使って精霊の力を呼び出し、魔法として顕現するという。
そして精霊の力を呼び出すには、チャンネルを開けという。異世界の常識は、俺には意味不明だった。
「主の得意は四大属性魔法。中でも上位精霊――炎雛、雷轟、氷華、鋼刹とのチャンネルを開けば、あの程度の魔獣は秒もかからずに始末できるな」
そんなご立派そうな存在はさっぱり分からない。上位とは言わなくても、何かとチャンネルが開けないものだろうか。
まごつく俺。だがヒポグリフはこちらには興味がないようで、空中で蹄を鳴らすと、馬車へ向かって急降下した。
獰猛な嘴を突き出してくる巨体を、ミレーヌは寸前で躱す。続いて、前脚を短剣でスパリと斬り落とした。
ゼファスは「ほお」と唸りを一つ。
「全身を覆う魔力……生半可な武器や攻撃魔法は通さないだろうな。それに、短剣にも強化魔法。殴るだけが能じゃないようだにゃ」
やっぱり俺は要らなかったのかもしれない。だが、それならそれで少しだけ安堵した。そこに、ゼファスの声。
「主よ、あの小娘だけなら心配は無用だろうな」
「どういうことだ?」
ゼファスは、ハーと息を吐く。
「魔力を感じるにゃ」
前脚を切断されたヒポグリフは大きくいななき、再び空へ。感じろと言われても、よくわからない。
……いや。ヒポグリフの周囲の空気が歪む。
ミレーヌは両腕をクロスさせ、自身の魔力を高める。腰布が大きく後方にたなびいた。
風だ。
あの魔獣、風の魔法を使うのか。空中で空気が歪むたびに、ミレーヌの周囲に風が吹き荒れた。
「私の側から離れないでくださいまし!!」
ミレーヌは大声で男に言葉をかける。しかし、見たところミレーヌにはかすり傷一つない。
たいした攻撃じゃないんじゃないか。そう思ったところで、馬車を牽引していた馬の首が跳ね飛ばされた。
さあっと、血の気が引いた。
「おい!! ヤバいじゃないか!!」
「ヤバくないとは言ってないぞ。あの小娘だけなら心配無用。そう言っただけにゃ」
空中に視線を向けると、ヒポグリフ周囲の空気の歪みから、力の流れが見えるような気がした。
力の流れの方向は馬車か? ミレーヌには効かないと見たヒポグリフは目標を変えたようだ。
あの馬車の中には、人がいたはずだ……。ミレーヌになんとかできるのだろうか。
――ミレーヌがなんとかする? 俺はボサッと見ているだけなのか?
「……やってやるよ」
ゼファスの尻尾がぴくりと動いた。
「主よ……」
「やってやるって言ってんだよ!!」
勢いよく右手を空に向かって突き出す。
この世界に来たとき、“俺が考えた最強呪文”の詠唱をひたすら繰り返していた。だが、言葉じゃないという。すべては魔力を制御できるかどうかだ。
異世界に来て早々に黒歴史……いや、雑念は捨てろ。この魔女ボディが精霊とつながっているというのなら。
――チャンネルを開くんだ。
ヒポグリフの魔力が高まる。
ミレーヌは、馬車の中の少女に「逃げろ」と叫ぶ。てっきり、頭が危ないやつだと思っていたが、聖女してるじゃないか。
なら、俺は……。
魔力は心臓に集めろと、ゼファスは言った。それが魔力集中。いままで何度試してもダメだった。
「ここでやらないで、どうすんだ。精霊とかいうやつ……ひとつ頼むよ」
意識を心臓へ向けたそのとき。何かがカチリとはまった。
……これ。
視線の先のヒポグリフがぴくりと反応。いままで気にもしていなかったのに、初めてこちらを向いた。
やつの周囲の空気が歪む。風魔法がくる。
「それがどうしたよ」と、ニヤリ口元を上げた。
「これが魔法を使う感覚ってやつか? チート覚醒きたぜ、おい」
右手から力が溢れてくる……気がする。
「厄災の魔女の爆炎を食らってイッちまいな」
魔法を放出。
炎が渦を巻き、魔獣を包み込む。叫び声すら上げずに溶けるように塵へと還っていく。
という想像とは裏腹に、出てきたのは百円ライターよりも小さな火。
「主よ……」
「えっ、おかしくね!?」
焦る厄災の魔女と使い魔。ヒポグリフは高い鳴き声を上げ、風魔法を射出――する寸前、ミレーヌが空中に跳び上がり短剣で首を切断した。
俺は口を半開きでそれを見ていた。ビル三階分は優にある高さを……。
「お師匠さま、隙を作っていただいて助かりましたわ。あの方たちを庇いながらでは、仕留めきれませんでしたの」
「あ……うん」
ミレーヌは軽やかに着地し、小さく呟くだけの俺に満面の笑みを向けてきた。
「魔法、出せましたわね!!」
「え……あ、うん。でも、こんなんじゃ……」
ミレーヌは大きく頷く。
「確かに、それでは私たちの仇を消し飛ばすには不十分。けれども、復活の第一歩ですことよ」
いつの間にか“私たちの仇”になっていることに引っ掛かりを覚えたが、それよりも魔法だ。右手を開いてじっと見る。
「こんなんで、いけるのか?」
だが、まったく絶望的でもないのかもしれない。開いた手をぐっと握り締めた。
「……異世界スローライフ。“無自覚チート美魔女、わたくし何かやってしまいましたか?”からの――」
「豚どもが蔓延る王国の浄化!! ですわ!!」
俺は途端に嫌な顔になる。だが、確かにミレーヌの言う通り最初の一歩は示された。
空を見上げ、思わず笑顔になるのだった。
***
――同じ頃。
遠く離れた地、とある建物。
高い天井、壮麗なステンドグラス。差し込む陽光は万華鏡の輝きとなり、磨き抜かれた大理石の床を照らしている。
そんな静謐な空間の中央に、精緻なレリーフが施された石造りの台座が佇む。
台座の上には、小さな鈴がひとつ。
それが微かにチリンと鳴った。厄災のときを告げる音色だった。




