第2話 押しかけ聖女
ミレーヌ・ド・ランブレッタ。それが俺をこんな僻地まで追い立てた張本人の名前だ。
なんとなく貴族っぽい名前だが、出自は平民。厄災の魔女を退けた功績で、晴れて家名を頂戴したらしい。
前任の聖女に才能を見出され、幼いころから英才教育を受けたという。“選ばれし者”としての自負は相当なものだ。
謎のお嬢様言葉は前任聖女の仕込みなのか、それとも上流コンプレックスの裏返しなのかは分からない。
ともあれ、ミレーヌは今、“退廃した王国”をぶっ潰そうとしている。真の統治者が民を導くべきだと熱っぽく語る。
なぜそんな話を聞かせてくるかと言えば、厄災の魔女ベアトリスに再び王国へ侵攻させるためだ。
王国の主だった連中を全て処す。
仮初めの統治者を失った民は気付くはずだ。愚昧なる羊飼いは去り、くびきは解かれたと。
そして思い出すのだ。希望の導き手である聖女を。
迷いし子羊たちが聖女の光の庇護を得るとき。新たな王国は天に祝福され、千年の繁栄が約束されるだろう――
俺は二杯目の謎植物茶を飲みながら、その壮大なプランに耳を傾ける。
そうしたくてしているわけではない。どうやってお引き取り願うか。それが目下の課題だった。
「お師匠さまは分かっていらしたのですわね、かの地に蔓延る不浄を。それを今になって気付くなんて、聖女として汗顔の至りですことよ」
そして、ぐいと身を乗り出した。
紅の瞳が眼前数センチの位置にくる。そこに宿る冷たく燃える光が俺の網膜に突き刺さり、思わず仰け反った。
「でも安心してくださいませ。次こそは、思う存分に裁きの雷を振るっていただいて構いませんことよ」
「そう……なのか?」
一言だけ呻くと、ミレーヌは力強く頷く。
「そうして浄化された地は、不肖の弟子である私めが教化を……お師匠さまは、さらなる巨悪との終わりなき戦いに身を投じる。
ご武運をお祈り申し上げておりますわ」
こいつ。さらっと、王国を潰した後はもう必要ないから出ていけと言い放ちやがった。
つまるところ、計画はこうだ。
1. ベアトリスと和解し、王国にけしかける。
2. 王侯貴族・新聖女など、現体制の中枢を物理的に消す。
3. 指導者を失った民衆の前へ、かつて国を救った聖女ミレーヌが降臨。
4. ベアトリスには「さらなる巨悪との戦い」を理由に国外へ消えてもらう。
5. 表向きは、ミレーヌが厄災の魔女を再び退けたことにする。
6. 聖女を頂点とする新王国の爆誕。
……なんてやつだ。
身を引く俺にミレーヌは笑いかけてくる。息がかかるほど顔が近い。
こうしてあらためて見ると、やはり可愛らしい。ルビー色に輝く髪と瞳、潤いのある唇。スレンダーだが、出るところは出ている健康的な肉付き。
異世界で美少女に「お師匠さま♡」と懐かれるのは、男子の本懐ともいえるシチュエーションかもしれない。
しかし、まったく嬉しくない。別の意味でドキドキしていると、ミレーヌは笑顔を絶やさずに席に戻った。
「そういうわけで、ウィンウィンですことよ。よろしくやっておしまいですわ」
どこがウィンウィンなのだろうか。
とにかく、このまま押し切られては堪らない。小さく咳払いして言葉をかけた。
「……分かった」
ミレーヌの顔がぱあっと輝く。
「それでは手始めに、ヴァンデル伯の領地からGoですわ。あいつ、汚い金をしこたま溜め込んでやがりましてよ」
気が早い。そして、understand は agree ではないのだ。
内心の焦りを隠して、ヴァンデル伯とやらのことは一旦脇に置く。
「いや、ミレーヌの事情はわかったが。だが、まだそのときではないな」
迂闊なことを言えば、何が持ち上がるか分からなかった。言葉を選ばなくてはならない。
ミレーヌは、ルビーの瞳をぴくりと揺らした。
「お師匠さま、悠長に構えている場合ではありませんことよ。
王国には背信者の豚どもがのさばり、堕落と汚猥の限りを尽くしておりますの。一刻も早く、民草に正しき導きを。
義を見てせざるは勇なきなり……今こそ審判のときですわ」
人の事情にはお構いなし。一刻も早く大魔法をぶち込めという。
できないとは言えないだろう。こいつの計画の大前提は、厄災の魔女ベアトリスの力が健在であること。
しかし、この体はベアトリスだが中身はおじさん。魔法など使えないのだ。
それが知られたら、果たしてどうなる? さらにろくでもないことになるだろう。
ここは誤魔化すしかない。
「俺……んんっ。我とて手をこまねいているわけではない。だが準備不足だと言っているのだ」
その言葉に、ミレーヌは興味津々の顔を見せた。何か企んでいると思わせるのだ。
「ミレーヌ、今日のところはひとまず帰るがよい。我はこれから畑……ではなく、精神統一の儀に入る。
三日後だ。三日後、お前は厄災の魔女の本気を知ることになるだろう」
ミレーヌの頬が上気し、目元に桜色が差した。何に興奮しているのか、想像はつくが想像したくなかった。
――三日だ。
この後、畑で食料を収穫し、本気の全速力で逃げる。
こいつは、この家を発見するまで半年かかったと言った。拠点を変えながら逃げ続ければ、振り切れるだろう。
そうして、こいつが諦めた頃合いで、俺は異世界でひっそりと暮らすのだ。
――小さな村の片隅で孫に手を引かれる俺。そこに、赤毛の女が通りがかり、すれ違う。
「……あの」
赤毛の女は恐る恐る問いかける。
「もしやベアトリス様……では?」
きょとんとした顔を作る俺に、赤毛の女は小さくかぶりを振る。
「いえ……すいません。知り合いに似ていたもので」
「おばあちゃーん、お祭り始まっちゃうよ」と孫が急かし、「はいはい……」と笑う俺。
赤毛の女は、少しだけ寂しそうな笑顔でそれを見送ると、静かに立ち去るのだった。
そんなエンディングの風景が脳内で再生されたところで、ミレーヌは言った。
「それでは、私の部屋に案内していただけますこと?」
……なんだと?
「あいにくだが、手狭でな。今日のところは帰って欲しいんだが」
これで二度目の「帰れ」だが、さっきは聞こえていなかったのかもしれない。だが、さすがに通じたと思いたい。
ミレーヌは床に置いていたバッグを取り上げた。
「構いませんことよ。私の荷物はこれだけですから、寝る場所さえあれば。
戦闘魔法使いは常在戦場、もっと過酷な場所での訓練も受けておりますわ」
なんだ戦闘魔法使いとは。いや、そんなことよりも。
迷惑だから帰れ。そこまで言わないと分からないのだろうか。
言葉に詰まっていると、使い魔のゼファスが足音も立てず近づき、テーブルに跳び乗った。俺とミレーヌのあいだにチョコンと座ると、まっすぐミレーヌに向き直る。
「図々しい小娘だな。わが主は貴様に言われるでもなく、世界に破滅をもたらす厄災。
とっとと失せて、王国が塵と化すのを指を咥えて見ているが良いにゃ」
煽るんじゃない。しかし、はっきり追い払う言葉は、ナイスアシストだ。
だがミレーヌは表情を綻ばせ、ゼファスの頭をぐしゃぐしゃに撫ではじめた。
「あら、可愛らしい猫ちゃんだこと。お師匠さまの大魔法で、豚どもはつま先からマイクロ単位で削れていく……楽しみですわ」
うっとりと瞳を潤ませ、ゼファスを撫でまくる。
「であれば、なおさらのこと。弟子としては、彼らの穢れに満ちた魂を地獄へ送り届ける義務がありましてよ。
還りなさい――そしていつか、私の民として生まれ変わるそのとき。光に満ちた生を歩むの……ですわ」
ゼファスはたまらず身をよじると、俺の方へ逃れてくる。
「主よ。危ないやつにゃ」
まったく同意だ。どこまでも自分の都合に変換してくるとはな。
ゼファスは警戒の態勢に入り、低く唸る。いまのこいつができることは、小さな火を吐くくらい。
やめておけ。制そうとしたそのとき、黒猫の口から禁断の言葉が放たれた。
「勝手なことばかり言うがな、小娘。そもそもそれを邪魔してくれたのは前任の聖女だ。
おかげで主は魔法を忘れてしまったではないか」
「……え?」
同時に呟いたのは、ミレーヌと俺。ゼファスには、前任聖女の一撃で記憶喪失という設定で通していたのだ。
俺は慌ててゼファスの口を押さえた。
「おいっ、変なことを言うんじゃない」
だがゼファスは退かない。
「小娘、弟子というなら主にかかった怪しげな魔法を解け。話はそれから。できないなら、こっちこそ用はないにゃ」
…………。
数秒の沈黙のあと、ガタリ、とミレーヌが立ち上がった。俺の肩が跳ね、ゼファスの毛が逆立つ。
テーブル越しに身を乗り出し、俺の目を下から覗き込んできた。
「魔法を忘れた……セリーナ先生の魔法で……?」
――終わりだ。
いまのベアトリスは無能の役立たず。王国を潰す手駒に使えない。だとしたら、どうなる?
視界いっぱいに広がるルビーの瞳の妖しい光を見ながら、この次の展開を想像する。
ベアトリスの首を取るのだ。
厄災の魔女の悪評は健在。まだ完全に危機は去ったわけではない。それを忘れて政争に明け暮れる王国の上層部から迫害を受けながらも、苦難の果てに人類の敵を討ち滅ぼす聖女。
ただ、ひたすらに民のために。
そんなナラティブで勢力を集め、無為無策の王国を糾弾。ミレーヌは革命の乙女となるのだ。
俺の脳内には、白銀の鎧に身を包む凛とした女騎士の姿が浮かぶ。
民衆の先頭に立ち、剣を顔の前に掲げる――
そのルートに向けて、フラグが立ったのかもしれない。
異世界に来て早々にバッドエンド。いや、最初からグランドフィナーレの構想は持ち合わせていない。
背中の嫌な汗が止まらない。だが、予想に反してミレーヌはにこりと微笑んだ。
「そうだったんですの。それならそうと、最初から相談していただければよろしかったのに」
――?
固まる俺をよそに、ゼファスが期待のこもった声を飛ばした。
「魔法を解くことができるのか?」
ミレーヌは小さく肩をすくめた。
「そうしたいのですが、私の得意は身体強化魔法ですわ。
セリーナ先生は時空魔法と聖魔法の使い手……そのどちらかとは思うのですが、私には使えなくてよ」
またよく分からない用語が出てきたが、口は挟まなかった。ミレーヌは続ける。
「お師匠さまは自力で解くつもりでしたのね、三日で。
私もお手伝いいたしますわ。弟子に遠慮は無用、ビシビシ指導して差し上げましてよ」
話が変な方向に転がってきた。なぜ弟子がビシビシ指導するんだ。
ミレーヌは席を離れ、俺へと近づいてくる。反射的に身を引く俺の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。
「それでは、まいりましょうか」
「……どこへ?」
問いかけに、小さな微笑みが返ってきた。
「魔法を思い出す訓練に決まっていますわ。ついでに、私の歓迎会の準備を兼ねて食料調達。
さあ、忙しくなってまいりましたわ」
歓迎した覚えは一切ない。だが、逆らうことはできそうになかった。
それに、いまこいつは気になることを言った。
「食料?」
異世界に来てから、謎植物しか口にしていないのだ。そんな俺に、魅惑の言葉がかかる。
「健全なる魔力は健全なるカロリーに宿る。王国の殲滅の前に、美味しいもので景気づけといきますわ」
その力強い目の輝きに、心が奪われた。恐る恐る問いかける。
「肉……があるのか?」
「もちろんですわ、お師匠さま。さっそく行きましてよ」
俺は金など持っていない。だが、ミレーヌの身なりは悪くない。どこかで買い出しでもするのだろう。
こくり、と頷く俺。
「いいじゃないか。魔法がモリモリ思い出せそうだぜ」
思わず地のおじさん言葉になるが、ミレーヌは気にした素振りもなかった。
いそいそと付いて行こうとする俺に、「主よ」と声がかかった。
「いいのか? 相手は聖女にゃ」
黒猫と視線が交差する。俺は軽く口元を上げた。
「まあ、協力してくれるってんなら悪くないさ。今日はお前も久々に三大栄養素を摂れるぞ」
その言葉にゼファスの尻尾が揺れた。こいつも案外チョロい。
こうなったら、今夜は腹一杯食って精をつけるのだ。明日、適当な用事を言いつけてミレーヌを外出させる。その隙をついて逃走すればいい。
完璧なプランだ。まだ、異世界スローライフの芽は潰えていない。
そんな野望を胸に、厄災の魔女と使い魔は、聖女の導きによって買い出しに出る。
――そう思っていたのだ。このときまでは。
***
「お師匠さま、いましたわ」
隣でミレーヌが、小声で嬉しそうに囁く。
俺たちは繁みに身を潜めていた。覗く視線の先には――デカい熊。
「知ってます? 熊はハチミツをすくって食べるから、掌が美味ですことよ」
なぜウキウキしているんだ?
てっきり買い出しかと思ったのに、山を登りだした。
戦闘魔法使いは常在戦場。食料は現地調達……らしい。
それを聞いたときは、期待とは違ったものの、てっきり野ウサギの罠でもしかけるのかと思っていた。
まさかのジャイアントキリング。
俺は、ゴクリと喉を鳴らした。
「なあ……」
「ですわ!!」
掛け声とともに、ミレーヌは茂みから飛び出す。
熊に立ち向かう背が、ゆらりと揺らいだ。そんな気がした。
「お師匠さま。戦闘魔法使いは、何をおいても魔力集中。そして、魔力を魔法の力へと変える魔力制御ですわ。
記憶を無くしても、これはお忘れなきよう……」
ミレーヌの体をまとう、見えないはずの力が見えた。不思議な感覚。
その力に、熊がぴくりと反応。すると、熊からも同じ力が溢れ、ベキベキと姿が変わっていく。
あんな妙な生き物がいるとは、さすがは異世界。だが、感心している場合ではなかった。
「おいっ、なんだあのヤバそうなのは」
「魔獣にゃ。別に珍しくもない」
そうなのか? いやいや……。
爪と牙が異様に発達し、目が血の色に爛々と輝く魔獣。
ミレーヌは臆することもなく、拳を握りしめた。タクティカルグローブの革がギュッとしなり、見えない力が溢れ出す。
「まずは、弟子が手本を……次はお師匠さまですわ♡」
なんだ最後のハートは。
――俺の異世界スローライフ。
それは魔法使いのバトルとともに、新たな展開を迎えようとしていた。




