第1話 厄災の魔女
魔女の朝は早い。
なにしろ、いまの俺は全力の自給自足生活だ。
とはいえ、さすが“厄災の魔女”といったところか、持ち物のマジックアイテムは超一流揃いだった。
無尽蔵かと思うほど収納できるバッグ。その中に入っていたのは、手のひらサイズの家の模型。
ボタンを押すと瞬時に拡大し、女一人が住むには充分すぎるログハウスになる。
おまけに、何かの術がかかっているのか、獣も虫も入ってこない。現代生活に慣れた身の上には、ありがたい仕様である。
――しかし、だ。
水はタンクに貯める式。コンロにガスなんて来ていない。どうやら前人格の魔女は、水も火も“魔法で出すもの”だったらしい。だが、俺には無理だ。
よって、朝も早くから沢へ水くみ。ついでに洗濯。タンクが満ちるまで何時間もかかる。
毎日それを繰り返すわけだが、この体、見た目のわりに妙に頑丈で、ちょっとやそっとの労働では根を上げない。
魔女もフィジカルが強くなければやっていけない世界なのだろう。
火の方は、俺の唯一の協力者――使い魔の黒猫が小さな火炎を吐けるので、どうにかクリアできていた。こいつも俺の弱体化に引きずられたらしく、力はほぼ失っているらしい。
全盛期はだいぶイケイケだったようで、やれ「城ひとつ燃やした」とか「王都の上空を暗黒で覆った」とか、武勇伝をさらっと語る。
……が、いまはせいぜいライターの代用品だ。
ただし知識だけは豊富で、前の魔女の悪行、この家の仕組み、マジックアイテムの扱いなどは、大体こいつに教わっている。
そして食料。こればかりは本気で命が懸かっている。
バッグの中には、成長速度がどう考えてもおかしい“謎の植物の種”が大量にストックされていた。こいつが完全に生命線だ。
朝の水くみが終われば、今度は畑へ。土を耕し、芽を見守り、そして――カラスと格闘する。家庭菜園の管理も、俺の大事な仕事の一つである。
……まあ、他にやることもないのだ。ここには、ガントチャートも納期もない。日の出前に起き、労働し、謎の植物を食して就寝。
そんな、穏やかな毎日だった。
話し相手は、使い魔の黒猫――ゼファス。
この世界と“厄災の魔女”のことについては、当然ながら俺よりも遥かに詳しい。
そいつによると、この体の名前はベアトリス。魔王の三人の娘のうち、長女にして享楽と破壊の権化。その性格は残酷無比――らしい。
しかし、鏡に映るこの姿を見たときは、思わず声が出た。
「これが……私?」
透き通るようなプラチナブロンドの髪。アメジストの瞳。色白の肌に、ほんのり差す朱。
とてもじゃないが、残酷無比の化身には見えない。どう見ても、優しげな“お姉様”だ。
……人は見かけによらないものらしい。
異世界で美女に転生。普通なら歓喜するところだろうが、俺は追われる身である。
ウハウハどころか、楽しみの“た”の字もない。だが、自業自得だ。俺のせいでないにせよ、この体の前歴が酷すぎる。
そんなことを思いながら、謎の植物の煮びたしを昼食につまんでいた。そこへ、ゼファスが尻尾を揺らしながら話しかけてきた。
「で。主よ。やはり、まだ思い出せないのか?」
……しつこいやつだ。
ゼファスには、俺は“前任聖女の謎の一撃を食らって記憶喪失”という設定で押し通している。おかげで魔法も使えないし、使い魔への魔力供給もできない。それが不満らしい。
「ああ。思い出そうとすると頭が割れるように痛くてな。まったく残念だ」
適当な誤魔化しも、これで何度目だろうか。
しかし、この鈴の音のような声。中身がおじさんなのに、この声がついてくるのはどうにも気持ち悪い。
かといって、乙女の喋り方に寄せる気は一切ない。寄せられる気もしない。
「そうか。では、午後は魔法の講習といくか?」
ゼファスが尻尾を楽しげに揺らす。どうにか魔法を思い出させたいらしい。
猫に教わるのもどうかと思う。しかし、現代日本人の俺には、異世界流の魔法のなんたるかがまったく分からない。「魔力の流れを感じろ」と言われても、実感としてどうすればいいのかサッパリだ。
とはいえ、簡単な魔法くらいは使えるようになりたい。せっかくの異世界ライフなんだしな。
地を埋め尽くす騎士団を一瞬で灰にするとか……そこまでの破壊力はいらないが。
「……じゃあ、畑を見たあとで頼もうかな」
そう言うと、ゼファスは嬉しそうに喉を鳴らした。
猫は嫌いじゃない。むしろ好きだ。しかし、こいつは吸おうとすると逃げる。腹も触らせてくれない。もっと関係構築が必要なのだろう。
俺が昼食を終えたちょうどそのとき、ゼファスの尻尾がピクリと動いた。
「主よ。侵入者にゃ」
たまに思い出したように語尾に「にゃ」をつけてくるのは、キャラを作っているのだろうか。だがいまは、そんなことはどうでもよかった。
――侵入者?
この“厄災の魔女ベアトリス”のアジトと知っての狼藉か。
俺は防犯用の棍棒を握りしめ、部屋の隅にそそくさと立てこもる。威勢のいいことを考えつつも、現実には無力なのだ。
裏口をちら、と見る。いざとなればあそこから――。
そのとき、玄関のドアをノックする音がした。
「……あの、こちらベアトリス様のお宅でよろしくて?」
女の声だった。ほんの少しだけ安心したが、向こうはこちらの正体を把握している。警戒は一ミリも緩められない。
恐る恐る、返事をした。
「……えっと、どういったご用件で? うちは営業はお断りしていて、その……申し訳ないんですけど」
ドアの向こうでしばしの沈黙。
「えいぎょう……? 私、ベアトリス様にお願いがありますの」
俺はゼファスに目配せし、小声で囁く。
「……向こうの人数は?」
「ひとりだな」
なら、先制の一撃を与えれば。何とかなるか?
棍棒の柄を強く握りしめる。そろりと玄関のドアの前に立ち、鍵を開けてドアノブをひねった。ドアを開けたその先には、おずおずとした様子の少女。
だが、こいつは――
俺の背筋に、氷を流し込まれたような衝撃が走った。
「あ、ベア様。ごきげんよう」
少女が上目遣いに、まるで懐いているかのように微笑む。
ベア様だと?
この小娘――俺を僻地まで追い立てた張本人。聖女じゃないか。
反射的にドアを閉めようとした、その瞬間。聖女は足でガッ、とドアを押し止めた。
「素敵なお家ですわ。隠蔽の術式も完璧で……探すのに半年もかかってしまいました。さすがですことよ」
俺はガツンガツンとドアを閉めようと躍起になったが、聖女が踏み込んだ細い足は微動だにしない。
……俺にとどめを刺しに来たのか?
殺られる前に殺れ。おばあちゃんの言葉が脳裏をよぎる。ドアノブから手を離し、棍棒を両手で握って振りかぶった。
そのとき。
聖女の拳が輝いた……ような気がした。
次に目に映るのは、根本だけを残して粉々に砕け散った棍棒の残骸。続けて、パァンッと音が追いついた。
「……っ」
こいつ、聖女のくせにフィジカル系。とても敵いそうにない。
自分でも情けないほど素早く、俺は身をひるがえして裏口へと駆け出したが――右腕を、ガッと掴まれた。
「……玄関先じゃ、なんですから。ゆっくり、お話しをしませんこと?」
……。
数秒の間を置いて振り向くと、そこには一見、柔らかな笑顔。ぞわり、と背中が震えた。
俺は口元をひきつらせながら、ぎこちなく首を縦に振る。
聖女の目の奥の妙に冷たい光に寒気を覚えつつも……こうなっては仕方がない。観念して、部屋に通すことにした。
***
「……めずらしいお味ですわ。舌の上でえぐ味のピラミッドが立ちますことよ」
テーブルを挟んで向かい合う聖女は、俺の淹れた茶を両手で包むように持ちながら、静かに啜った。異世界の謎の植物を乾燥させた葉っぱだ。嗜好品なんて、こんなものしかない。
俺は、“厄災の魔女”らしい余裕の笑みをゆっくりと作った。いまの俺にとって、このブランドこそがハッタリ。押し負けないための唯一の武装だ。
「それで、この私に何用かな。聖女……ええと……」
こいつの名前なんて知らない。前任者もだ。
聖女は一瞬だけ目を細め、そしてにこりと微笑んだ。
「ミレーヌと呼んでくださいませ。ベア様」
ベア様って言うな。
なぜ馴れ馴れしいのかはまったくの謎だ。あらためて聖女を観察する。
赤髪のロングポニーテールに赤い瞳。俺の中の偏見では、聖女といえば金髪に青い目だが。まあ、それは良しとしよう。
年は、まだ十代だろうか。肌は健康的で張りとツヤがあり、これまた勝手な聖女イメージからは遠い。
しかし、可愛らしい顔をしていて、品もある。黙って座っていれば、どこぞの良いところのお嬢様と言われても違和感はない。身につけている服も仕立てが良い。
――だが。
拳には指出しのタクティカルグローブ。
胸元から首筋にかけては白いハイネックのインナーで覆われ、その上を黒いビスチェが締めていた。
下は黒ショートパンツ。腰には金糸で縁取られた赤い腰布を垂らし、太腿までのタイツにブーツ。
華美な装飾はなく、ヒラヒラは最小限。腰のベルトには二本の短剣。
戦う令嬢――そんな微妙な出で立ち。
先ほどの動きといい、素人の俺から見てもこいつが一流の戦闘民族であることは分かった。下手に刺激はできない。
しかし、舐められるわけにもいかない。ギリギリのラインを踏み越えないように注意しつつ、俺はミレーヌの目を見た。
「そうか、ミレーヌ。で、何用かな?」
軍勢も引き連れず、一人でやってきて、しかも妙なフレンドリーさ。目的がまったく読めない。
思考を回転させながら、余裕顔を作る俺。一方のミレーヌは、微笑みを崩さない。
「厄災の魔女を訪ねる用事なんて、一つしかありませんことよ」
討伐か? だが、その気ならとっくにやっているだろう。わからない。
俺は余裕顔を作りながらも、早鐘のように打つ心臓の鼓動を必死に静める。そこへ予想外の言葉が返ってきた。
「私、間違っていたことに気づきましたわ」
何がだ。
俺のアメジストの瞳が、心臓の鼓動に呼応するように揺れる。それを悟られないように沈黙していると、ミレーヌは話を続けた。
「子供のころから、ずっと厄災の魔女のろくでもない話を聞かされて育ちましたの。
セリーナ先生が倒されたときは、私が代わって王国を守らなきゃって……」
セリーナ。それが、前任の聖女の名前か。しかし、俺が聞いてもこの魔女の所業はろくでもないと思うがな。
謎植物の種を炒り、塩を振ったお茶請けを口に放り込む。艶やかな唇からボリボリと音を立てていると、急に強い調子の声がかかった。
「でも、あの猿ども……ですわ」
ミレーヌの目に鋭い光が灯る。
「脅威が去ったら、今度はくだらない政争に明け暮れやがり……ましてよ。安寧を求める民の心に光を灯す。それが為政者の努めではありませんこと?」
言っていることは分からんでもないが、それを脅威本人である俺に聞かせる意図はなんだ。
そんな内心の戸惑いに構わずに、ミレーヌは塩を振った種を皿から鷲掴みにして頬張る。ひとしきりの咀嚼音が続く中、次を待つしかなかった。
余裕の笑みを作る口元が疲れを見せ始めた頃、続きが再開された。
「正しき権威と権力は、正しき器に。それが天の采配であり、王道ですことよベア様。そこで私は、顔だけはまあ悪くない王子と婚約関係までいったんですの」
その飛躍はなんだ。俺は少しだけ視線を落とした。
「この私という新たな統治者を得て、王国の栄光は約束されたも同然でしたの。でも、新しい聖女候補が横からモーションかけてきやがり……ましてよ」
そして、大きなため息がひとつ。
「あいつ、何が真実の愛ですの。おかしいと思いませんこと?」
お前にも真実の愛なんぞなかっただろうに。おかしいことだらけだろう。
もちろん、そんな余計なことを言うはずもなく、俺は黙って種を食う。ミレーヌの語りは佳境に入った。
「やはり、ろくでもない王国には、ろくでもない王族や貴族しかいない。それがよく分かりましたわ。
そこで私は騎士団長の協力を得て涙ながらに正義の刃を掲げたのですが……彼は哀れにも断頭台の露と消えましてよ」
――おい。
話をまとめると、ミレーヌはクーデターに失敗したものの、厄災の魔女を退けた功績で恩赦を与えられ、なんとか国外追放だけで済んだそうだ。
解き放ったのは失敗だったな。こいつの目を見れば分かる。まるで納期直前に仕様変更を食らった時のような……。
で?
「……用件は何だったかな」
その言葉を待っていたように、ミレーヌは力強く宣言した。
「あんなクソ王国、ぶっ潰しましょう。
ベア様、ううんお師匠さまが正しかったと、私やっと分かったんですの。あの無能たちを駆逐して……真の栄光の王国を打ち立てましてよ!!」
そして、にっこり。
「お師匠さまは、思う存分破壊の限りを尽くしてくださいませ。私の次の聖女も、まとめて塵にしてくれて構いませんことよ」
俺が言葉を挟む隙もなく一気にまくし立てると、ミレーヌは謎植物茶をグイと飲みほした。
――こいつは、一体何を。
かくして、最強魔女ボディに転生した俺は、修羅と化した聖女の復讐に巻き込まれていくのであった。
いや、平穏に過ごしたいんだが。




