第10話 三者三様
クローゼットに隠れていた、怪しい女は自身が領主だと言った。
襟がよれたリネン生地のシャツに半ズボン。庶民のアリサの方がまだマシな格好をしている。
肌と髪の艶は良く、栄養状態は悪くないように見えるが、しかし――
アーサーに問いかけた。
「なあ、あれがマルグリットなのか?」
「いや……俺も先ほどの貴婦人としか応対したことがなかったから、てっきり……」
女に相対するミレーヌは「魔力反応がありますわね」とぽつり。
「私たちはここの領主の顔を存じ上げませんの。
あなたの主張は曖昧でしてよ。戦闘魔法使いは常在戦場……迷いは死……」
短剣に魔力を込めて、喉元を正確に狙う。俺は思わず叫んだ。
「おい、待てって!!」
喉元に当てられた刃が、真一文字に引かれる前に、ミレーヌの腕に植物の蔓が絡まっていた。
女は「なんだお前!! マジでヤル気満々じゃねえか!!」と喚き散らす。
赤い戦闘民族に威嚇という概念はないのだ。
リズは腹を鳴らしながら、「まあ落ち着きましょう」と儚げな表情で言う。
「怪しい存在は死あるのみ……ですが、まずはどこの手の者かを探りましょう」
そう言うと、バッグから瓶を取り出した。ドブ川のような色をした液体に満たされた瓶の蓋を開けると、シトラスの香りが仄かに漂った。
ニョロニョロと、瓶の口から妙な触手が蠢いているように見えたが、きっと気のせいだろう。
リズはゆっくりとクローゼットへと近づいていく。
「ちょっとだけ、喉の滑りを良くするお薬……頭の中のあれやこれやを、喋りたくなる。そんな不思議なマジカルポーション」
領主を主張する女の緑の瞳と、儚げな琥珀の瞳の視線が合わさる。
「さあ……」
「さあ……じゃねえよ!! 後ろのお前ら、見てねえで止めろって!!」
女の耳に触手が伸びていく。喉の滑りを良くするのでは?
触手の先端が耳に入っていく。
「おおおおおーーー!?」
瞳孔が大きく開き、焦点が揺れる。
口元が緩みきったそのとき。部屋の扉が開いた。
「あらあら、マルグリットさま。もうそんなに打ち解けて」
先ほどの貴婦人の声。
触手はスルリと耳から抜けて瓶の中に入る。リズは何事もなかったかのようにバッグにしまった。
気付くと、ミレーヌの短剣も腰の鞘に収まっている。
そしてミレーヌは堂々と挨拶の声を上げた。
「マルグリット・セレスタ・エルンハルト様、本日はお招きいただき感謝いたしますわ。
私、ミレーヌ・ド・ランブレッタと申します。お見知りおきいただいてかまわなくてよ」
マルグリットは、徐々に目の焦点が合ってきた。
「あれ? あたい……なにして……」
目の前のリズとミレーヌを見ると、軽く照れ笑い。
「ありゃ、隠れてたの何で分かったんだ? やるな、お前ら」
俺はちらりとアーサーを見る。端正な口を半開きにして、瞬きを忘れていた。
「俺は何も見てなかったからな」
そう言うと、アーサーは小さく頷いた。
一流の戦闘魔法使いとは、あそこまで突き抜けてこそなのだとしたら、こいつは確かに下っ端認定かもしれない。
しかし、それなら俺も下っ端でいいと思った。
***
貴婦人はここの家のメイド長のフランシーヌ。
マルグリットはいつも勝手にフラフラといなくなるので、その間の客人の応対はフランシーヌが行うのだと語った。
それならそれで、説明のひとつもあるべきだと思うが、これが異世界の貴族というやつなのだろうか。
食堂に通されると、宝石のような前菜が乗った皿がテーブルに並んでいた。
マルグリットはお誕生日席につくと、「まあ、気楽にやってくれよ」とフレンドリー全開で話しかけてきた。
さっきのことは、完全になかったことになっている。これが不思議なマジカルポーションの効能……恐ろしい。
俺がフォークを取るよりも早く、リズの目の前の皿から料理が消えていた。こちらの皿をじっと見てくる。
「お姉様……」
「何で俺に言うんだよ。こういうのは順番ってものがあるんだろ? あんま詳しくないけどさ」
しかしフランシーヌは心得たもので、即座にリズの前に巨大な皿をおいた。前世の世界のオフィス机ほどはあるだろうか。そこに様々な部位のステーキが熱々の湯気を上げていた。
肉体労働者の三日分は優にありそうだが、儚げな咀嚼にみるみるうちに消えていく。
アーサーはそんな様子に、小鳥がついばむほどの量を口にしただけで、フォークをそっと置いた。
一方のマルグリットは上機嫌な声を上げた。
「おっ、姉ちゃんいい食いっぷりじゃん!!」
うんうんと頷きながら、言葉を続けた。
「飯に呼ばれたらよ、その家にあるもの全部食うくらいの勢いが気持ちいいよな。こっちも招待のしがいがあるってもんだ」
そう言って横目でアーサーを見ると、彼は再びフォークを取った。
俺は気になることを一応確認することにした。
「あの、何でクローゼットの中に……?」
マルグリットはワインをクイッとあおると、八重歯を見せて笑った。
「いやー、お客人をちょっと観察してみたいかなってさ。あたいの趣味なんだ、気にしないでくれ」
いや、気になるだろ。
こいつ、フランシーヌに領主のふりをさせて、俺たちが何かボロ出さないか見てやがったな。意外と策士なのかもしれない。
だとすると、ミレーヌが隣国の元聖女であることも聞かれたか。
……だからどうだ、の判断が難しいところだ。
まともな感性の領主なら、そんな面倒な存在にはお引き取り願いたいだろう。せっかく拠点も落ち着いてきたというのにな。
ミレーヌはワインに口をつけ、落ち着いている。この世界の飲酒可能年齢は何歳からなのだろうか。
静かにマルグリットへと問いかけた。
「それで、観察の結果はいかがでした?」
マルグリットは「お? そうだな……」と言うと、途端に目の焦点がぶれた。
「あれ……なんだろ。よくわかんねえ……」
数秒の沈黙が流れたあと、緑の瞳を輝かせる。
「まあ、細かいことは忘れちまったけどよ。
いいんじゃねえの、たぶん」
俺とアーサーは黙って前菜に舌鼓を打っていた。
コースはメインの肉料理となり、リズの前には三皿目のステーキが置かれた。リズは味変のため、大量のワサビとトロロをすりおろしてかける。
俺は一言も喋らないアーサーに少しだけ同情していた。
あの真亜を放ったのがこいつなら、とんでもない悪党だが、まだそうと決まったわけでもない。
任務を果たせず、手ぶらで帰国。ミレーヌにしてやられたなどという報告ができるのだろうか。思わずサラリーマン的発想で考えてしまう。
しかし、ミレーヌは容赦がなかった。肉にナイフを入れながら、チクチク攻撃している。
「マルグリットさま、ご存知でして? 最近、『無料床下点検』とか称して人の家に上がり込んで持ち込んだ白アリを撒く連中。
まったくろくでもない豚どもですわ」
マルグリットは付け合わせのピーマンを除けながら楽しそうに笑う。
「おいおい、なんだそりゃ。タダより高いものはねぇな!!
……クルセイダーさんもそう思うよな」
アーサーは「そうですね」と一言同意しただけで、パンをちぎっている。どっちなんだろうな。
そしてアーサーは「んんっ」と咳払いし、居住まいを正すと、マルグリットへと向き直った。
「先ほどフランシーヌ殿へは申しましたが、クルセイダーは聖なる教えのもと、困窮する人々のために力を振るう存在。
今回はイカれ……冒険者たちの活躍がありましたが、何か困りごとがあればご遠慮なく」
マルグリットは「気前がいいねえ!!」と、にこにこ笑うが、こいつも食えなさそうだ。
おそらく俺たちを同席させたのは、クルセイダーへの牽制。こちらにも戦力はあるぞ、というサイン。
マルグリットは今度はミレーヌへ話を振る。
「なあ、ミレーヌさん。うちの領で冒険者やってくれるんだろ? けっこういい狩場あっからさー」
「そうですわね……冒険者はワクワクとお宝を求めて旅するワンダラーでございますことよ。
風のことは風に聞いておくんなましですわ」
こいつもこいつで、足元を見て値を吊り上げようとしている。
だが、マルグリットは気にした風でもない。
「まあまあ、けっこう楽しめっから。それにしても、あれだけの魔獣が出るとなると、魔法使いがいてくれると心強いな」
俺は話題を繋ぐつもりでさらりと口にした。
「あの、マルグリットさまも魔法使いの素質あります……だよな、ミレーヌ?」
きょとんとするマルグリット。ミレーヌはたいして興味なさそうに小さく頷く。
「まあ、常人よりは。けれど私は五歳の頃より、セリーナ先生に滝壺に落とされるところから始まりましてよ。一流への道は、険しく長いものですわ」
基準がわからずアーサーを見ると、軽くかぶりを振っている。そうだろうな。
マルグリットは食いついてきた。
「そうなのか? あたいのひい爺さんが魔法使いだったって話は聞いたことがあるけどな。面白そうじゃん、どうやんだ?」
俺は「あの、まずは魔力集中ってやつらしいです。心臓に力を集めるイメージで……」と言う。
「へえ……」
マルグリットは軽く目を閉じて、呼吸を整える。
――これは?
微かな魔力を感じるが、それとは別に何か……。だが、すぐに気配は無くなった。
この場にいる魔法使いたちの反応を窺うが、とくに変わりなく肉を口に運んでいる。
「……はぁ、どうだ美人の姉ちゃん」
目を開けたマルグリットが、八重歯を見せて問いかけてくる。
「えっと……」
「マルグリットさま、確かに才能はありますが。
魔法はそう簡単に使えるものではありませんことよ」
ミレーヌが静かに言葉をかけると、「だよなー」と頭をかいた。
会談は進み、それ以降は当たり障りのない地方情勢の話になる。
この世界に疎い俺にはさっぱりな内容が多かったが、ミレーヌは気のないふりをしながらも、目の奥には鋭い光が宿っていた。
猫のふりをして腹を見せて寝ていたゼファスも、耳をぴくぴくさせて注意深く聞いていたようだ。
こうして、俺にとって初の貴族の食事会は終わる。これがスタンダードなのか、最後まで分からなかった。
リズはキレイに食べ尽くした十二皿目を名残り惜しそうに見る。
「御領主さま、次のお食事は海鮮を……」
「お、いいな。またおいで」
リズが「では、さっそく今夜……」と言い出すのを宥めながら、俺は領主の館を後にした。
馬車に乗り込む前に、アーサーが「おい」とミレーヌに話しかけてきた。
「確かに、ここにお前がいること自体に文句はないけどな。何か企んでるだろうことは報告させてもらうぜ」
ミレーヌは長い赤髪のポニーテールを揺らし、胸を軽く反らせる。
「あらあら、企みだなんて物騒ですこと。私とお師匠さまには、汚穢に満ちた闇を切り裂き、真の光で“私の王国”を照らす崇高な使命がございましてよ」
アーサーの視線がこちらを向くと、俺は目を逸らした。
「あんた、早く逃げた方がいいぜ……」
クルセイダーはそれだけ言い残して去っていく。俺だって、そうしたかった。
聖光国の人間との初の接触。これから何が起きるのか。
スローライフに暗雲が漂い始めたのを感じながら、俺は落ち着かない心で馬車に揺られるのだった。
***
領主の館――
小さな部屋は、乱雑に積まれた物で溢れかえっていた。
襟のよれたシャツに半ズボンの女がゴソゴソと何かを漁っている。
そこに貴婦人フランシーヌが部屋に入ってきた。
「マルグリットさま、いかがでした?」
マルグリットは「んー?」と物を探しながら声を上げた。
「なかなか面白いじゃん、元聖女だってよ。王国もまたキナ臭くなってきたな」
フランシーヌは「厄災の魔女がいなくなっても大変ですね」と小さくため息。マルグリットは笑う。
「まあ、こういう時代だからな。馬鹿つええ魔法使いは貴重だぜ。
真亜やっちまうなんて、勇者クラスだろ……いや聖女か」
そして、一冊の古いノートを取り出すと、目を細めて呟いた。
「さて、こいつはお気に召してくれるかな……」
じっと、埃を被った表紙を見つめる。
「……でも、あたいが見つかった後の記憶、なーんかハッキリしねえんだよな。ヤベえことが起きたような……」
瞳孔がゆっくりと開き、沈黙。
「マルグリットさま?」
フランシーヌの言葉にハッと我に返り、埃を払う。
「まあ、いっか」
いたずらっぽく八重歯をのぞかせるのだった。




