第11話 クルセイダーズ
汗の匂いと湿り気にまみれた部屋で、ギシギシと音が鳴る。一人の男が逞しい肉体をさらしながら、荒い息を吐いていた。
クルセイダーの一員であるアーサーは、聖光国に帰国するやその部屋に通されていた。
すえたような獣臭に表情を変えないように注意する。しわぶきひとつ立てずに直立不動。
やがて、男の方から声をかけてきた。
「……ミレーヌがいたのか、あの小娘」
アーサーは「はい」と小さく答える。
「この半年行方不明でしたが、監視の目を振り切って、まさかエルンハルト領に潜伏していたとは……」
男は歯を食いしばると「むうん!!」と力を込めた。ギシギシといっそう激しい音が部屋の空気を震わせる。
呼応するかのように、感極まった興奮の声が響いた。
アーサーは、汗と熱気にそっと額を押さえながら、男に聞こえないように呟く。
「まったく、お盛んだな……」
「なんだアーサー、貴様もやりたいのか?」
「いえ、遠慮します」
男は「つまらんやつだな……」と軽く笑うと、ベンチプレスのバーを下ろした。
周囲の部下たちから「さっすがガーランド隊長、新記録っす!!」と上ずった興奮の声が沸き起こった。
「筋肉にこそ魔力が宿る。アーサー。貴様、足りてないぞ」
別にアーサーも優男ではない。引き締まった体に端正なマスクは、聖光国内の年頃の娘たちの噂の的だ。
しかし、目の前の男はまさに鋼の巌。その巌がゆっくりと立ち上がった。
太い腕に、女性の腰回りほどもある脚。ゴムを詰め込んだかのような厚い胸板に、深く割れた腹筋。
身長は優に二メートルを超え、アーサーの頭ひとつ分高い。
部下のクルセイダーが「ッス!!」とタオルと鶏ササミが詰まった容器を差し出した。
アーサーは、ササミを食うガーランドに「それで、いかがしましょう」と問いかけた。
「いかが……か、そうだな。小娘一人、捨ておいていいだろう」
「いえ、やつはババア……いえ、セリーナ大光聖女の教えを受けた本物の狂犬。このまま大人しくしているはずが……」
ガーランドはハッハと笑う。
「まあ、大人しくはしとらんだろう……そうだな、捨ておくのは少し惜しいかもしれん」
アーサーが黙っていると、ガーランドは続けた。
「貴様が空振りの任務中、聖告が出てな。例のイカれ魔女の魔力反応があったそうだ」
厄災の魔女ベアトリス。
アーサーの脳裏に浮かんだのは、ミレーヌと一緒にいた美女。
鈴の音のような声音で、おじさん言葉全開。透き通るようなアメジストの瞳を揺らし、可憐に微笑む――
「――どうした、貴様、顔が赤いぞ。ビタミンBが足りんな。レバーを食え」
アーサーは、その言葉が聞こえないかのように、ぶつぶつとひとりごとを口ごもった。
「いや、そんなふうには全然……」
ガーランドは部下にレバーを申し付けると、アーサーへと言葉をかけた。
ようやくアーサーの意識が引き戻される。
「厄災の魔女が現れたとて、聖光国の威をもってすれば、何ほどのものがあろうか。
……と言いたいところだが、それではつまらんことになるだろう?」
言いたいことは分かった。王国の現聖女エリスマリアを送り込んだアーメイヤ公爵家は、アーサーたちが属するラドルチェルト派の競争相手だ。
厄災の魔女討伐に命をかけたところで、ライバルを利するだけだ。
ガーランドは続ける。
「小娘は厄災の魔女に異様な執念を燃やしていたからな。敵の敵は味方かもしれん……」
その先は言わなかったが、想像はつく。
ミレーヌをけしかけて王国を混乱させる。もしやつがまた厄災の魔女を討伐することができれば、アーメイヤの地盤を揺るがせるかもしれない。
ダメでもともと、成功すれば王国にラドルチェルト派が食い込む機会到来。
ガーランドは汗を拭き、サイドチェストを決める。特に意味はない。
「そういうわけだ。われわれ『ダイナマイト☆マッスル』はあの小娘を泳がせつつ、イカれ魔女の足取りを追う。貴様の今回のスカにも意味はあったな」
アーサーは思う。
――うちの団名は『白狼の爪』だろう。
アーサーが黙り込んでいるのを別の意味に解釈したのか、ガーランドは大胸筋を動かしながら裏声を出した。
「アーサーくん、上司の軽い嫌味は潤滑油。微笑みを返すのが戦闘魔法使いさ」
アーサーが肩をぴくりとさせると、ガーランドはハッハと笑う。
「まあ、あの小娘ならギガントレックスごとき敵ではなかろう。運が悪かったな。
レッツ・パンプアップ。ネクスト・マジカル・トライ・アゲインだ」
アーサーは「いや……」と声を上げかけたが、
「……ッス」と、飲み込んだ。
作戦は追って伝えるとガーランドは言い、報告は終了。アーサーは大量の豚レバーを持たされて退室した。
***
クルセイダーの組織は聖光国に三つ存在し、いずれも本部を聖都に置いている。
ひとつは、ラドルチェルト家を頂点とする一派の『白狼の爪』。
もうひとつは、アーメイヤ家が擁する『紫竜の翼』。
最後はヴィエール家麾下の『金獅子の牙』。
アーサーはガーランドの執務室を出ると、その足で紫竜の翼の本部へ向かった。皇宮を挟んで三キロメートルほどの距離だ。
大聖堂かと見まごうほどの荘厳な宮殿を横目に歩く。クリスタルのような透明な石造りの尖塔が立ち並び、輝く陽光を受けて虹色に輝いていた。
聖都にはゴミひとつ落ちておらず、貧しき者も飢えたる民もいない。みな、シミひとつない礼服に身を包み、輝く宮殿に向かって祈りを捧げていた。
地上の楽土がここにあり、信徒の心は安寧に満ちている。アーサーは眩しげに目を細めてそれを見た。
――お花畑の連中はお気軽なもんだな。
この生活を実現するために、何が行われているのか知らない。それは幸せなことだ。
だが、その無辜の民の信心を集めるために、この国は競い繁栄してきたのだ。
アーサーは自虐気味に口元を歪めた。
「こいつらがいてこそ、クルセイダー様の存在価値があるってもんだからな」
道行く信徒たちの恭しい礼をいちいち受けながら進む。
背筋を伸ばし、白い歯を見せる。筋肉を強調しろという団則は無視していた。
やがて重厚な石造りの建物へと辿り着く。紫竜の翼の本部だ。
竜を模した隊章旗が風に翻る。高き空を舞う、高貴なる竜の砦。
アーサーは小さく舌打ちしながら建物に入った。
受付嬢には澄ました笑みを送り、ツカツカと奥の一室へと迷いなく進むと、扉を蹴り飛ばして開ける。扉を開け放ったまま、室内にいる人物へと鋭い声を上げた。
「おい。ラーヘルンてめえ……真亜じゃねえか、どういうことだ?」
中にいた銀髪の男は机の上に足を乗せ、爪を研いでいた。アーサーにはたいして興味なさそうに「あー?」と生返事。
ラーヘルンは、ぐりっと顔だけをアーサーへ向ける。
「真亜……だったんだ。珍し」
「すっとぼけてんじゃねえぞ」
アーサーが腰の剣に手を添えると、「それ、一ミリでも抜いたらドンパチなー」と口元を上げる。
そして、楽しそうに目を細めた。
「なんかさ、地元の冒険者に手柄かっさらわれたんだって? せっかくおたくらのために一肌脱いでやったってのによ」
「恩着せがましいこと言ってんじゃねえよ。お前ら、真亜だってこと知ってたんじゃねえのか!?」
「真亜だろうが何だろうが、手足の二〜三本持ってかれても首を取るってのが、戦闘魔法使いの生き様ってもんざましょ、お坊っちゃん」
ラーヘルンは、フッと爪の削りカスをアーサーへ向けて吹き飛ばした。
「ボンボンは根性も魔力も足りてないのなー」
アーサーは後ろ手に扉を閉めると、ラーヘルンへと詰め寄った。
「てめえらが行かねえで、こっちに回してきたのはそういうことか? おかしいと思ったぜ」
エルンハルト領の主要産業であるミスリル鉱山に魔獣が出現。御前会議で、白狼の爪の担当に決まった。
この手の案件は、あまり一派が独占しすぎても角が立つ。適当なものは適当に散らしながら、本当に美味いものは逃さない。
そういうやり方で三派閥は奇妙なバランスを保っていたのだ。
「お前ら、俺の失敗込みで作戦立ててやがっただろ。真亜が出たとなりゃ、緊急出動。最終的には、うちの面目を潰して、お前らが手柄総取りって絵を描いてた……ってとこか。残念だったな」
アーサーの剣幕をラーヘルンは意にも介さない。
「無能を棚に上げて失礼なやつー。てめえの実力過信して一人で行くからだろ」
ぐっと詰まる。通常のギガントレックスなら一人で十分。そう高をくくったのは、確かに自分だ。
ラーヘルンは机に足を乗せ、視線は指先に落としたまま。アーサーのことなど相手にもしないという態度を崩さない。
「で、なにしに来たのよ。ストレスはパンプアップで発散してこいよ。お前んとこの肉ダルマが、がっぷり相手してくれんだろ?」
勢い込んで乗り込んだはいいが、軽くあしらわれたアーサーは、頬の痙攣が止まらない。
そこに、おずおずとした声がかかった。
「ああ、あの。ラーヘルンさんも……ちょっと言い過ぎ……な、なん……じゃ……」
ラーヘルンが頭だけぐりっと回すと、声の主はびくりと全身を震わせた。
目元を長い髪で隠し、おどおどとした女性。もう逃げ出す態勢に入っていた。
「セルシェ……俺は戦闘魔法使いの心得を、お坊っちゃまに教えて差し上げてんの。お前も教育されたいのか?」
あうあう……と、言葉にならないセルシェ。アーサーは庇うように声を放った。
「身内を脅してんじゃねえよ……邪魔したな」
「おい、ちょっと待て」
踵を返したアーサーの背に、ラーヘルンの問いかけがかかる。
「お前がしてやられた冒険者っての。どんなやつだ?」
アーサーは緊張を悟られないように、魔力と呼吸を整える。
「大食い、だな」
「……大食い?」
「ああ、牛一頭は軽くいってたぜ。触手を使いやがる」
アーサーは扉を開けて退室。床を叩く靴の音に重なって、ラーヘルンの呟きが漏れた。
「なんだ、その妖怪は」
そして、セルシェへと顔を向ける。
「ああ、あう……」
「あいつ、デタラメじゃねえよな。真偽鑑定魔法は?」
「ほ、ほんと……です」
ラーヘルンは頭をガリガリとかいた。
「おい、手配できてるんだろうな。あの使えねえクソボンのせいで、めんどくせえことになってんだからよ」
「は……はい。マニッシュさんが対応に……」
ラーヘルンは、ぶつぶつと呟く。
「謎の触手魔法……牛一頭……古の巨人の末裔……か?」
「あ、あの……あの……」
「第一種兵装を出せ。真亜を狩る巨人……あんなド田舎に大物がいやがるとはな」
セルシェは落ち着かない様子で前髪に手をやる。
「で、でででも、あれは……隊長の許可が……」
「あのろくでなしがいねえ間は、俺が任されてんだよ。分かってんのか? あれだけの量の魔石が奪われてんだ。回収しねえでどうするよ」
黙り込むセルシェに向かって、「復唱ぉー」と声を上げる。
「は……い」
謎の巨人に対抗すべく、聖光国の謎の兵装が動き出す。
その頃、エルンハルト領にも小さな動きが起きていた。
***
俺は顔をしかめながら、寝転がっていた。
リズの植物魔法で生まれた、先端に鋭い針のようなトゲを持つ管状の植物。その針が腕に突き刺さり、血が管を通して瓶に採取されていた。
先日、真亜を倒した光魔法。その発動の鍵は血ではないか、というのがリズの仮説だった。
魔力制御を駆使しての戦いがまだ難しい現在、もしもの時のために血を取っておこうと言い出したのは俺だ。しかし、この手のやつが苦手なのだ。
じっと我慢していると、ようやく試験管ほどの細長い瓶に血が溜まった。
「今日はこれくらいで……顔色が優れませんわね、お姉様」
「こういうの慣れなくてさ。まあでも、戦闘中に手首切るとか、そういうダークファンタジー的なやつは勘弁だしな」
「お肉いっときますか? ガツンと……」
それも悪くない。食料事情が改善されてから、舌が贅沢になってしまった。せっかくの異世界転生なのだ。堪能しなくては甲斐がないだろう。
最近は俺も簡単な料理なら作るようになっていた。前世知識で、それっぽいものにもトライしている。ミレーヌも「こんな感じのもの」と伝えると、わりと器用に再現してくれた。
「ハンバーグはどうだ? アリサからニンニク仕入れてるから、たっぷり効かせてさ」
儚げな腹の音が響いた。
ミレーヌは今、狩りに出ている。大物を仕留めてくると、やる気満々だった。
真亜騒動からこっち、平穏だ。そこそこ資金もできたし、いまはリズと組んでポーション作りが軌道に乗りつつある。
なんでも、魔王一家の極貧時代は、リズが作ったお薬を荷車に乗せて行商していたらしい。それが現在の躍進の礎となったというのだから、泣かせる話だ。
なお、ベアトリスは物作りが苦手なため、絡んでくるチンピラに爆炎を浴びせてお薬を売りつけていたという。俺はそれを聞かなかったことにした。
リズは血の入った瓶を俺に手渡しながら言う。
「お姉様は新規事業推進と、戦闘用魔導ギアの実演販売が役割でしたから。最前線で私たちの未来を切り開いていましたわね」
それっぽい言葉が並んだが、要するに、有象無象の連中を分からせてシマを拡大する武闘派ということだろう。
三姉妹のうち、末娘にはクラフトの才があるようで、魔導ギアの製造で一家をライジングさせたという。
その魔導ギアを魔法使い以外にも普及させようというのが魔王の事業プラン。となると、そのエネルギー源である魔石を求めるのは必然だ。
「で、王国に取引を持ちかけたけど、聖光国の息がかかった一派にあしらわれて、物理的排除のために殴り込みをかけていたと……ろくでもないな」
思わずデカいため息が漏れる。ミレーヌのことを言えない狂犬ぶりだ。
ゼファスは「やれやれ……日和ったものだにゃあ」と、毛づくろいしながら言う。
「この世は食うか食われるかだぞ。主が取らなければ誰かが取る。事実、そうなってるにゃ」
異世界もなかなか世知辛い。重要資源を巡る争いなんて、どこも同じということか。
魔石といえば、先日真亜から採れたやつは相当な量だった。豆粒みたいなやつでも相当な魔力があるらしい。
あの個体は前の世界でいうところの超大型タンカーに匹敵する資源を抱えていたようだ。
ゼファスをからかうように話しかけた。
「なあ、お前。魔力マックスならイケイケみたいなこと言ってただろ。あの魔石使ってパワーアップできるんじゃね?」
「まったく……あれだけの量だぞ。魔王様の事業に使うに決まってるだろう。主がさっさと魔力制御を思い出せば済む話にゃ」
「そんなことよりも、ハンバーグを……」
最後に割り込んできた儚げな要求に、「分かったよ……」と腰を上げる。
魔石は魔王のもの。なにしろ、この体はそのために戦争まで仕掛けたのだ。手ぶらで帰ろうものならタダでは済まされないとゼファスは言った。どんなやつなんだか。
そんなことを考えながら鹿肉のミンチをこねていると、表で馬のいななきがした。続いて、ドアをノックする音。
「おーい、冒険者さんたちよお。ちょっといいかな?」
あの声は、ここの領主のマルグリットだ。街からこんなに離れた場所まで、わざわざ向こうから来たというのだろうか。
リズがダイニングに通すと、「あの赤い姉ちゃんは?」とキョロキョロし出した。メイド長のフランシーヌも一緒だ。
「あ、ミレーヌはいま外出しててさ。何か用だったか?」
「そっか、待たせてもらっていいか?」
いきなり遠慮がない。まあ、領主だしな。
そして、見たところお供はフランシーヌ一人。大丈夫なんだろうか。
とりあえずお茶を出すと、マルグリットは喋りだした。
「先日だけどさ。冒険者はワクワクとお宝を求めるって言ってたじゃん。うちにもそういうのがあんのよ、これが」
そう言って、古めかしいノートをテーブルに置いた。
俺が身を乗りだして覗き込もうとしたとき、ゼファスが口を開いた。
「主よ、魔力反応だな。かなりの相手だ」
人前で気軽に喋るんじゃない。
「お、何こいつ。おもしれえな」
マルグリットが嬉しそうに言ったのと、ズンッと地響きがしたのは同時だった。
俺の短い平穏な時間は終わりを告げた。




