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【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

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【四歳:無能の証明】〜土蔵〜

 「ササメ、下がりなさい。……半兵衛」

 

 期待は、していない。

 

 見る、値打ちもない。

 

 そんな(あなど)りが、篝火の視線に乗って、圧となって突き刺さる。

 

 私は、黙って、祭壇の前へと進んだ。

 

 異なる世の記憶を持ち、老いた心を抱えたこの私が――この巨大な蚕に触れた時、何が起こるのか。

 

 恐怖よりも――確かめずにはおれぬという、抗いようのない興が、勝っていた。

 

 冷ややかに観察しながら、その柔らかそうな塊へ、躊躇なく手を伸ばす。

 

 指先が、触れた。

 

 (……冷たい。いや――違う)

 

 微かに、眉を、ひそめる。

 

 表は、爬虫(はちゅう)のように冷たい。


 だが、薄い皮一枚隔てた内側で――どろりと熱を帯びた何かが、指の押す力に反発するように、蠢いている。

 

 腐った肉の中に、無数の蛆を飼い慣らし、無理やり脈打たせているような――『間違った生き物』の、感触。

 

 ただ、虫酸(むしず)の走るような嫌悪だけが、指先から、這い上がってくる。

 

 やはり、入れ物などではない。


 これは――肉だ。

 

 ……。

 …………。

 

 何も、起きなかった。

 

 ササメの時のような、淡い光もない。

 

 ぺた、ぺたと、角度を変えて幾度か触れてみたが――何の応えもない。

 

 肌を酔わせる、あの甘い気も――こない。

 

 私の心が、向こうの干渉を拒んでいるのか。

 

 それとも――この私が、この生き物の選ぶ条件に、適わぬのか。

 

 「……ふ」

 

 背後で、短く、息を吐く音がした。

 

 「やはり――空っぽ」

 

 その言葉が、線香の立ち込める部屋の静けさに、冷たく響く。

 

 「霊力もなければ、白繭様を惹きつける、芳香もない」

 

 (霊力……。在るのか――そのようなものが)

 

 「母上。これは、生き物としての――」

 

 「厳蔵」

 

 「は」

 

 奥に控えていた厳蔵が、音もなく、姿を見せる。

 

 「その抜け殻を、連れて行きなさい。……当面は、生かしておきます」

 

 「は。……よろしいので」

 

 「血筋だけは、竹中ですからね。いずれ、血を絶やさぬための器には、なりましょう。早く、連れて行きなさい。――儀式が、濁ります」

 

 厳蔵の、丸太のような腕に肩を掴まれ、強引に立たされた。

 

 去り際――祭壇の脇に座る、ササメと、目が合う。

 

 姉は、恍惚の余韻も醒めやらぬ顔のまま――ひどく、悲しそうな目で、こちらを見ていた。

 

 桜色の唇が、声もなく――ごめんね、と、動く。

 

 ――謝ることなど、どこにもない。

 

 だが、私たち姉弟の間に、決して越えられぬ壁が築かれたことは――確かであった。

 

 神に選ばれし、聖女。

 

 見向きもされぬ、無価値な、弟。

 

 私は一切抗わず、ずるずると、部屋から引きずり出される。

 

 廊下に出ると、厳蔵は、私の腕を乱暴に放した。

 

 「……若様。部屋に戻って、大人しくしておられることですな。これより先は――奥方様に、余計な望みなど、抱かれぬことです」

 

 吐き捨てるように言い、厳蔵は、奥座敷の重い扉を、閉ざす。

 

 海老錠の落ちる音が――胸の奥で、何かの切れる音と、重なった。

 

 薄暗い廊下に、ひとり、取り残される。

 

 常の子供であれば、ここで絶望し、母の愛を求めて、泣き叫ぶのだろう。

 

 だが――私は、涙の一滴も流さなかった。

 

 悲しみなど、ない。

 

 ……いや。


 そう、おのれに言い聞かせている、だけか。

 

 理性で蓋をしても――この未熟な肉の奥底で。


 生みの親に、存在を否まれたという事実が、軋み、ひびを入れている。

 

 ――だが。

 

 (……結構。大いに、結構)

 

 私は、悟った。

 

 閉ざされた奥座敷の扉を、薄く笑って、睨みつける。

 

 神に愛されぬということは――この屋敷の仕組みから外されるということ。

 

 ならば。


 愛されぬこと、それ自体が――『自由』の証ではないか。

 

 とはいえ。


 無力のままでは篝火の言う通り、いずれ竹中の家のために使い潰されるだけの生涯。

 

 力が――要る。

 

 霊力では、ない。

 

 神頼みでも、ない。

 

 まして――あの気味の悪いものに、酔いしれることでも、ない。

 

 この狂った信心の仕組みを根こそぎ壊すための――『知識』という名の、確かな力が。

 

 私は、小さな拳を握りしめ、(きびす)を返した。

 

 向かう先は、自室などではない。

 

 この二年、夜ごとの彷徨いで――密かに見当をつけていた場所。

 

 屋敷の北外れ。


 埃を被ったまま打ち捨てられている――『土蔵』の方角。

 

 わが武器となるものは、そこにしかない。

 

 親に見捨てられ、もはや誰の目も向けられぬ、今この時こそが。


 何者にも邪魔されず――知識の刃を研ぐ時。

 

 口の端に、己でも気づかぬほどの、笑みを()いて。

 

 私は、ゆっくりと、歩き出した。

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― 新着の感想 ―
主人公に宿る大人の精神が絶望を自由に変える発想良いですね。こういう展開ゾクゾクするくらい好きです
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