表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/44

【二歳:夜の帳】〜節穴〜

 その戦慄を胸の奥深くに秘めたまま、私は二年の歳月を生きた。

 

 観れども、声には出さず。

 

 思えども、面には出さず。

 

 乳を含み、湯に浸かり、襁褓(むつき)を替えられながら――私はただ、この家の輪郭を描き上げていった。

 

 そして。

 

 この体も、ようやく二本の足で立つことを覚えつつあった。


 *

 

 私に与えられた名は、「半兵衛(はんべえ)」という。

 

 竹中 半兵衛。

 

 初めてその名の音と文字の連なりとを解した時。


 揺り籠の中で、戦慄と苦い笑いを抑えられなかった。

 

 ただの、偶然か。

 

 生き延びるための策を(くわだ)てねばならぬというに、よりにもよって、この名とは。

 

 だが今は、名のことよりも考えねばならぬことがあった。

 

 私を取り巻く、この屋敷に住まう人の有り様について。

 

 ——ある日のことだ。


 私は廊下で転び、膝から血を流した。

 

 通りかかった奉公人の厳蔵(げんぞう)は、うつろな目で一瞥(いちべつ)をくれただけで、無言のまま通り過ぎた。

 

 次いで現れた母・篝火(かがりび)は、私の流す血よりも床板に落ちた染みを不快そうに見下ろし。

 

 『すぐに、拭き清めなさい。神聖な屋敷が、穢れます』

 

 二歳の私に向かって、そう言い残し、去っていった。

 

 ただ一人。


 篝火の目を盗み小走りに駆け寄って、傷口に小さな(そで)を押し当ててくれたのは。

 

 四つになる姉、ササメであった。

 

 竹中 ササメ。

 

 この娘だけが狂った中に於いて唯一、人らしい揺らぎを残しているように見えた。

 

 しかし。


 その揺らぎすらも、多分に歪みを含んだものではあったが。

 

 姉は普段、四つの(わらべ)とは到底思えぬほどに自らを律し、まるで篝火の写しのように振る舞う。

 

 なのに、私が覚束(おぼつ)かぬ足取りで暗い廊下を行くと。

 

 ササメはいつも小走りに寄ってきて、こう言うのだ。

 

 『半兵衛、あぶないよ。こっち』

 

 私が転ばぬよう、その手を柔らかく握る。

 

 小さな掌から伝わる、その温みだけが――この屋敷で人がまだ人である、ただ一つの確かな印であった。

 

 *

 

 深夜。

 

 私は重い木綿の布団を跳ね除け、目を覚ました。

 

 竹中の屋敷は夜になると、その(かお)を変える。

 

 昼のあいだは、奉公人たちの暮らしの物音に覆い隠されている。


 だが、日が落ちて静けさが訪れると――この家が隠し持つ本性が壁の裏から、じわりと滲み出してくる。

 

 ぴちゃ……、と。

 

 どこかで、ねばついた何かの滴る音。

 

 古い柱が、まるで肺のようにゆっくりと軋み息をしている。

 

 そんな、心地がした。

 

 畳の藺草(いぐさ)の匂いに混じって――甘く腐れたような。


 鼻の奥にこびりつく、獣脂の匂い。

 

 ここは、人の住処ではない。

 

 穏やかな日々の裏側に口を開けた、逃げ場のない圧がそこにあった。

 

 (……確かめねば、なるまい)

 

 私は、よろめく足取りで立ち上がる。

 

 篝火も、厳蔵も。


 日の落ちることを、異様なまでに恐れていた。

 

 陽が沈むや、戸という戸、窓という窓を分厚い雨戸で塞ぎ、決して外を覗こうとはしない。

 

 彼らは、『何』から逃げているのか。

 

 いや、『何』を招き入れまいとしているのか。

 

 学者としての(さが)が、幼な子の肉の発する怯えを上回っていた。

 

 壁の向こうの、その『未知』を、この目で見届ける。

 

 知らねば、いずれ殺される。

 

 ここは恐らく、そういう世だ。


 *

 

 ぺた、ぺた。

 

 素足の裏に、底冷えのする畳が張りつく。

 

 幸い、私の寝間は母屋から離れている。


 夜の見張りの目は、ここまでは届かぬ。

 

 今なら――縁側の雨戸の節穴(ふしあな)から外を覗けるはず。

 

 寝間と縁側とを隔てる障子(しょうじ)に、手をかけた。

 

 鼓動が、早鐘を打つ。

 

 息が、浅い。

 

 私の心が起こした、おびえではない。

 

 まだ育ちきらぬ体が鳴らす、抗いようのない警鐘。

 

 これ以上、進むな、と。

 

 肉そのものが叫びを上げている。

 

 (……黙れ。知らねば、生き残る手立ても、打てぬ)

 

 肉の反乱を理で抑え込み、縁側へと這い出した。

 

 冷気が、薄い寝間着越しに肌を刺す。

 

 縁側の突き当たり。

 

 そこに、外とこの屋敷とを隔てる分厚い雨戸が一枚。

 

 その雨戸に張りつくようにして、小さな『節穴』を探す。

 

 ――あった。

 

 大人の腰ほどの高さに、豆粒ほどの、いびつな穴。

 

 今のこの背丈では、爪先立ってようやく右の目が届く。

 

 雨戸の枠に両手をかける。

 

 だが――妙、だった。

 

 板が、ひどく湿っている。

 

 冬の……乾いた夜気の露ではない。

 

 ねばついた湿りが、板の向こうから木目を伝って染み出している。

 

 震えるふくらはぎに力を込め、その穴へ、右の目を近づけようと背伸びをした。

 

 その、時――

 

 「……っ、だめ」

 

 背後から、声を押し殺した鋭い悲鳴。

 

 同時に、私の体は強い力で後ろへ引き倒された。

 

 ドサリ。

 

 無様に尻餅をつき、驚いて振り返ると——そこに少女が立っていた。

 

 白い、寝間着姿。


 髪は乱れ、肩で、激しく息をしている。

 

 ササメ、だった。

 

 姉は、蒼白な顔で私を見下ろしていた。

 

 見開かれた両の目は、黒目が、おそろしいほど大きく広がり、華奢な全身が小刻みに震えている。

 

 「あ、ね、あねうえ……」

 

 呼びかけても、答えない。

 

 姉は、覆いかぶさるように抱きついてくると、私の口を小さな両手で痛いほどに塞いだ。

 

 その(てのひら)からは、冷たい汗の匂い。

 

 「しっ……静かに……半兵衛、静かに……」

 

 耳元で、囁く。

 

 「見ちゃ、だめ……。外を、ぜったいに、見ちゃ、だめ……」

 

 「……?」

 

 「目が、合うの……。のぞいたら――目が、合っちゃうの……」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
Xでフォローしていただいたので、早速読みにこさせていただきました。 とても読みやすい書き方に続きが気になる終わり方でどんどん先が読みたくなってしみいます。 なのでブクマして、仕事の合間にまた読みにこさ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ