【一五歳:空洞と虚】〜白無垢〜
豪奢な、白無垢を纏っていた。
純白の打掛には、銀の糸で、天へ舞い立つ鳳凰と――その鳳凰を囲み、外へ、外へと広がる無数の細い糸とが、縫い取られていた。
幾十枚もの捨て布を継ぎ合わせ、この手で起こした、あの図。
姫を包む、繭。
姫が最後に納まる、棺。
ササメは今、おのれの棺をその身に纏い、立っていた。
行灯の薄明かりを吸って、刺繍が、濡れたように鈍く光る。
髪は幾重にも高く結い上げられ、鼈甲の簪が数本、まるで供物に突き立てられた串のように刺さっていた。
顔は、分厚い白粉で塗り固められ、その白さは、雪の白さなどではなく。
死人の、肌の白さ。
紅だけが、傷口のように引かれた唇が、人とも思えぬ艶やかさで、笑んでいた。
畳についた私の指が、すり、と、畳の目を掻いた。
その指の動きで、ようやく、己が動じていることに気づく。
「姉上……。その、姿は」
「明日のお衣装合わせが、済んだのよ。……どうかしら。似合う?」
ササメが、くるりと、回ってみせる。
ずず、と。
重い打掛が畳を擦る音が、大蛇の腹這う音のように響く。
神々しい、などという言葉では、生ぬるい。
一分の瑕もなき、人身御供としての美しさ。
それが気圧しとなって、迫ってくる。
紐ひとつ満足に結べず、私の前でだけは泣き言を漏らした、あの不器用な姉の面影は――もう、どこにも、ない。
息を、整えようとした。
だが、吸う息は浅く、胸の上で、いたずらに上滑りするばかりだった。
「……綺麗だ。恐ろしいほどに」
渇いた喉から、辛うじて、声を絞り出す。
御せ、と理が命じる。
何も悟らせるな、言葉を慎め、と。
だが――
「……だが、そのような死装束。姉上には、似合わぬ」
その命に背いて、舌が勝手に、動く。
「脱ぎなさい。……今、すぐに」
言ってしまってから、己の迂闊を悔いた。
だが、一度堰を切った言葉は、もう、止まらぬ。
「あら。どうして」
理を御す手綱が、指の間から、するすると抜け落ちていく。
「……逃げるからだ。明日の、明け方。この家を、出る」
立ち上がり、一歩、姉へ踏み出す。
その身から漂うものに、鼻の奥が、つんと痺れた。
白粉の、粉っぽい匂い。
練香の、甘ったるい香り。
そして、その底に澱む――毒の、臭気。
生きた人の匂いでは、ない。
祭壇に据えられた、人形の匂い。
「今宵、私が、すべての元凶たる『あれ』を解体する。明け方、その混乱に紛れて、裏山から村を抜ける」
早口に、まくし立てていた。
眼前のこの女に、私の言葉が通じているのか――それすら、定かでなかったからだ。
「このような狂うた儀式に、殉じる謂れなど、どこにもない。母上の言いつけも、神の祟りも、ことごとく、私がねじ伏せる。だから――」
姉の、手を取ろうとした。
その時。
「……ふふ」
澄んで、冷たい、笑い。
嘲りも、拒みも、その声にはない。
ただ、どこまでも穏やかで――そして、底が抜けたように、空ろであった。
「だめよ、半兵衛」
伸ばした私の手を、姉の手が、そっと包む。
優しく。
だが、万力のごとき、ふしぎな強さで、ゆっくりと押し戻された。
「正気か……っ。このような因習に、殉じることはない。私が――元凶そのものを、解体すると、言うておるのだぞ」
「私は、正気よ。……だって今、とても、幸せなのだもの」
「幸、せ……」
言葉を、失う。
「ええ。幸せ」
ササメは、白無垢の胸へ手を当て、宙を見つめた。
そして、歌うように、言う。
「やっと、やっと、なれるの。お母様の望むとおりの、傷ひとつない、器に。この身を捧げて、村の穢れを引き受け、清める。……ああ、なんて、素晴らしいこと」
硝子玉のような瞳が、私を素通りして、遥か遠くの何かを見ている。
「この中にはね。もう、神様をお迎えするための、清らかな空洞しか、ないの」
うなじの産毛が、ぞわりと逆立った。
完成して、しまっている。
篝火の仕込みは、もはや寸分の隙もなく、この姉を、空の器へと縫い上げていた。
「それが、この世に生まれ落ちた、たったひとつの、意味なのだから」
「……そんな、馬鹿な話が、あるか」
ササメの肩を掴み、強く揺さぶる。
もう、理など、どこかへ消し飛んでいた。
「……戻ってくれ」
ただ、それだけが、喉の奥から、絞り出された。
ササメの肩を掴み、強く、揺さぶる。
「戻るんだ……頼む……」
理も、証も、何ひとつ伴わぬ、ただの――懇願だった。
叫びは虚しく、部屋の闇へと、吸われていく。
ササメは、揺さぶられるまま、こてりと首をかしげた。
そして、表情のすとんと抜け落ちた顔で、私を見る。
言葉の通じぬ、異国の童でも見るような、目で。
「半兵衛」
冷えた手が、私の頬に添えられた。
「賢い、賢い、弟。……でもね。理屈では、ないのよ。この、愛は」
「愛……。これが、愛だと……」
「竹中の家への、愛。村への、愛。そして――お前への、愛よ」
ふいに、ササメが、私を抱きすくめた。
白無垢の重みと、冷えきった身が、のしかかる。
姉弟の、抱擁ではない。
蛇が獲物を絞めるように。
あるいは、蜘蛛が糸で搦め捕るように。
逃れようのない、ねばつく力だった。
「私が犠牲になればね。この家の血の掟は、満たされる。白繭様も、満足なさる。……そうすればね、半兵衛。お前は、自由に、なれるのよ」
白粉の匂う唇が、すぐ耳の傍で、動いた。
言葉の一つひとつが、私を、内から、撫でてゆく。
「お前は、男だもの。一生、飼われる謂れなど、ないわ。この身の犠牲の上に、お前の自由が築かれるのなら……私は、地獄の底でだって、笑うていられる」
喉が、塞がった。
――ああ。
道理で、私の言葉が、届かぬわけだ。
この姉は、おのれの死を、私への愛と信じている。
それを解くことは、ササメの生のすべてを、否むことに、ほかならぬ。
「だからね。お行きなさい。小夜と、二人で。遠い、遠いところへ」
ゆっくりと、私を突き放した。
抗いようのない、強さだった。
一歩、退く。
ササメは再び、あの能面のごとき笑みを浮かべた。
「さようなら、半兵衛。……来世では、ふつうの姉弟に、生まれ変われるといいわね」
優雅に一礼し、踵を返す。
白無垢の裾を翻し、音もなく、私から遠ざかり。
そして、暗がりへと、溶けていった。
――私は、動けなかった。
追わねばならぬ。
腕を掴み、頬を張ってでも、引き戻さねばならぬ。
なのに、足が、床に縫いつけられたように、動かなかった。
あの、完き笑みが――私を、内から、押し潰していた。
噛みしめた奥歯が、みしり、と軋む。
口の中に、鉄錆の味が、滲んだ。
その不快な味だけが、辛うじて、私の理を、現へと引き戻す。
諦めるわけには——いかぬ。
呪いが解けぬことは、織り込んでいた。
覚悟の、うちだ。
今宵、大元を解体し、この村の呪縛そのものを瓦解させてしまえば、後はいかようにもなる。
計画に、変わりはない。
そして――ササメが、首を縦に振らぬというのなら。
あの、針を使う。
眠りの毒。
あれを、うなじへ打ち込む。
言葉で解けぬのなら、是非もない。
眠ったその身を背負うてでも、この村から連れ出すまでだ。
……たとえ目覚めた姉に、永久に恨まれることに、なろうとも。
ここまで読み進めて頂きましてありがとうございます。
さて、次回更新日ですが、本業の都合により、六月二六日(金)となります。
間が空くことを、お許しください。




