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【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

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【一三歳:泥の中の微笑みと老いた魂の春】〜濁流〜

 神聖な、巫女。


 選ばれし、聖女。

 

 ――否。

 

 あの者たちは、年端もいかぬ娘を、欲望と嗜虐の祭壇として貪っているのだ。

 

 我が子を喰らうにも等しい所業。


 それを、信仰という包装紙で包んで正当化しているに過ぎぬ。

 

 「あ、あぁ……」

 

 ササメの身体が、再び震え始めた。

 

 「寒いの……半兵衛、寒いの……」

 

 私の着物の襟を強く掴み、すがりついてくる。

 

 その力は弱々しく、今にも壊れてしまいそうなほどに。

 

 「抱っこして……。お母様みたいに、壊して、ね……。そうしたら、楽になれるから…」

 

 その瞳には、私など、映ってはいなかった。

 

 彼女が見ているのは、この身に注ぎ込まれた毒が魅せる、極彩色の幻覚と、逃れられぬ依存の闇。

 

 ――もう。


 半分は、壊れてしまっている。


 震える身体を、強く、抱きしめた。

 

 優しくではない。

 

 崩れかけたその輪郭を、無理やりにでも繋ぎ止めるように、力任せに。

 

 その、時だった。

 

 胸の奥底で、何か黒いものが、音もなく弾けた。

 

 (……なんだ。この、(にご)りは)

 

 戸惑った。


 己の(うち)で起きていることが、わからなかった。

 

 永きに渡る生涯を、私は、すべてを(ことわり)()し取って生きた。


 愛も、憎しみも、悲しみも、ことごとく。


 人の死は、ただの理。


 因習が生む悲劇など、棚に並べた標本の一つに過ぎぬと――そう、断じて、枯れ果てた観察者として、死んだはずであった。

 

 その、はずであったのに。

 

 今。この腕の中で、一人の娘が壊されていく。


 その、ただ一事を前にして。

 

 私の裡から、ありとあらゆる理を押しのけて。

 

 獣じみた衝動が迫り上がってくる。

 

 ――篝火を、殺せ。

 

 ――厳蔵を、殺せ。

 

 ――この村の因習を。崇め奉る神を。


 何もかも、根絶やしにしろ。

 

 血の(たぎ)るような、熱い怒りではなかった。

 

 もっと、静かで。


 もっと、重く。


 底まで透き通った――殺意。

 

 今、この腕の中にあるものは、もはや、観察すべき対象ではない。

 

 この娘を損なう、ありとあらゆる理不尽を。


 己が持てる、すべてを以て。


 解体し屠らねばならぬという、狂念にも似た義務感。

 

 滑稽な、話だ。

 

 たかが、肉の身の迷いに引きずられて。


 娘一人のために、この村のすべてを敵に回す算段を立てはじめているなどとは。

 

 「姉上。……どうか、見ないでくれ」

 

 「え……」

 

 「私は――あなたを、壊さぬ」

 

 声が、震えた。

 

 恐れからではない。


 殺意と、この娘への名状しがたい情と。


 その二つに、まだ年若いこの身が追いつけずにいる。

 

 「……半兵衛」

 

 ササメが、不安げに見上げてくる。

 

 その唇の端から、一筋、よだれが垂れた。

 

 それでも、なお。


 彼女は、口の端を上げて、微笑もうとする。

 

 「大丈夫よ……。私は、汚くないわ。……ね」

 

 「……ええ。汚くなど、ありません」

 

 懐から手拭いを取り出し、その口元を、拭ってやる。

 

 抱いていた腕を、少し緩めた。


 とたん、糸の切れた(あやつ)り人形のように、その身が、床へ崩れ落ちようとする。

 

 すかさず細腕を引き、震えるその体を背に()った。

 

 まだ育ちきらぬこの足腰が、娘の重みに軋み――

 

 いや。

 

 軋むには、あまりにも軽すぎた。

 

 毒に蝕まれ、満足に物も食べられぬのだろう。


 背の温もりは、私如きの足で難なく支えられてしまうほどに、削げ落ちていた。

 

 その軽さが、何よりも恐ろしかった。

  

 「部屋へ戻ろう。……私がついていますので」

 

 娘を背負い、長く、暗い廊下を歩き出す。

 

 背に伝わる、頼りなく乱れた鼓動。

 

 うなじをかすめる、あの甘ったるい匂い。

 

 そして――暗闇の、どこか奥で。

 

 何かが、くすくすと、嗤った気がした。

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