【『幕間』十三歳:籠の中の地図】〜勢力〜
「我々を喰い物にしている化け物――その正体について、話す」
若様は、小枝の先で、いま叩いたばかりの大きな三角を、つ、となぞった。
「この三角が――人の世だ。そして」
その外側に、三つのしるしを、描き足してゆく。
鳥居。
蓮の花。
そして――ぐちゃぐちゃの、波線。
「外におる化け物どもは、決して、一つではない。大きく分けて、三つ。『神』『仏』『妖』――まとめて『怪異』と呼ぶがな。その実、奴らは――人という餌を、互いに、奪い合うておる」
小枝の先が、鳥居、蓮、波線の順に、しるしを差してゆく。
――ズズッ、ズッ。
外の音が、ひときわ大きくなった気がした。
あたしは、身震いする。
ササメ様も、微かに、肩を揺らした。
「まず――妖、だが」
波線を、小枝で叩く。
「いつぞや、私と小夜が山で仕留めた、あのウブメ。あれの類よ。神仏の理からも外れた、最も御し難い――剥き出しの、災いだ。妖は、おのれの性と、力の強い弱いだけで動く」
ウブメ。
あの恐ろしい夜がよみがえって、息が、苦しくなった。
「次に、神」
鳥居の、しるし。
思わず、息を呑んだ。
神様を——化け物と、同じところに並べるなんて。
「高天原の……いや――大きなお社に祀られておる神々や、土地土地の主のことだ。あれらのやり口はな――『脅し』よ。人に理不尽な怖れを与え、供物を、差し出させる。その代わり、かの土地に結界を張り、妖から守ってやる。……たちの悪い用心棒が、恩を着せては銭を巻き上げる。まあ、その手のものだ」
「ば、ばちが当たりますよっ、若様」
神様を、そんな人たちと同じに言うなんて。
聞いているこっちの方が、恐ろしくなる。
「事実だ。……だがな、神や妖のやり口は、まだ、分かりやすい」
最後に残った蓮のしるしを――若様は、汚いものでも見るような目で、見据えた。
「最後に、仏だが……。これはな、小夜、姉上。私にも、未だ……底が、知れぬ」
若様が、こんな顔をするのを、あたしは初めて見た。
苦いものを、噛み潰したような顔。
「仏は、慈悲という、美しい衣を纏うておる。だが、その衣の下に何があるのか――私には、見えぬ。……仮に『曼荼羅の檻』と、私はそう呼んでおるが――いずれ、話せる時が来れば、な」
ササメ様の眉が、わずかに、動いた。
あたしはというと――若様が「まんだらのおり」と口にした途端、どうしてだか、うなじのあたりが、ぞわりとした。
慈悲をくださるはずの、仏様。
もし、その本当のお姿を知ってしまったら。今まで信じてきた何もかもが、足元から、崩れてしまう。
そんな気がして――これだけは知りたくない、と、強く思った。
「だが。今夜の本題は、それではない」
ササメ様が、静かに微笑む。
「別のお話を、なさるのね」
「そうだ。刻限を定めてまで、二人をここへ呼んだ――その本題は」
小枝の先が、三角の図から少し離れた場所を、つ、と滑った。
そこには、小さな丸が――ぽつんと、ひとつだけ描かれている。
「この屋敷の周りを這い回る――夜の神。あれの、化けの皮を、剥ぐ」
「夜の、神様……」
その名を聞いただけで、腹の底が、しくりと痛みはじめた。
若様が、立ち上がる。
そして――外扉の方へと、歩き出した。
渦の口が、向いていた――あの、扉へ。
「ここからは」
「えっ、若様、まさか……」
「姉上、小夜。そこから、動かぬように」
あたしたちを振り返りもせず、扉の閂に、手をかける。
扉一枚、向こうで。
――ズル、と。
音がした。
すぐ、そこに、いる。
「さて――ご対面だ。安心しなさい。あれらは、床のこの墨の線より此方へは――来られぬ」
分厚い扉が、軋んだ悲鳴を、あげた。
外の気配が、どっと押し寄せてくる。
「そんなっ、外には、夜の神様が――っ」
あたしが悲鳴をあげるのと、同時だった。
ズズッ……ズルズルッ……。
開いた隙間から、冷たい夜気といっしょに、いやな匂いが、流れ込んできた。
「うっ――」
思わず、口を塞ぐ。
生臭い――どぶ川みたいな、匂い。
暗闇の中から、這い出てきたのは――まっくろな、塊。
絡まり合った、人の髪。
何かの、切れはし。
干からびた、虫。
そんなものたちが、黒い泥の中で、もぞもぞと、うごいている。
これが。
こんなものが――夜の、神様。
それは、大きなナメクジが這うみたいな、いやな音を立てて、こっちへ向かってきた。
泥の中から、いくつもの、濁った目玉のようなものが――ギョロリ、と覗く。
「ひ、ああっ……」
あの、鳥の化け物とも、違う。
ぞわぞわと、総毛立つような、気色の悪さ。
化け物は、土蔵の敷居を――ずるり、と越えた。
そして。
墨の線に――触れる。
「……え」
止まらない。
線を――越えた。
まるで、何も、なかったかのように。
まっすぐ、こっちへ、向かってきた。




