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【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

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【一二歳:結び目と紅葉の誓い】〜誓い〜

 「……そろそろ、戻ろうか」

 

 私が促すと、小夜は「もう、そんな刻限ですか。せっかくササメ様が息抜きできてたのに。お日さまは意地悪ですね」と、唇を尖らせた。

 

 ササメは着物の埃を払いながら、静かに首を振る。

 

 「だめよ、小夜。私はこれから『お清め』をして、お母様のところへ行かなくちゃ」

 

 「あ……そう、でした」

 

 小夜の顔から、遊びの熱が、すっと引いた。

 

 今年に入って、夜の奥座敷の『仕込み』は、また一段と厳しさを増している。

 

 三年の後に控えた、白繭大祭。

 

 神への供物となり、その裏で、都の上つ方(うえつかた)に供される。

 

 その日のために、身も心も、念入りに仕込まれていくのだろう。

 

 「あの、ササメ様」

 

 ふと、小夜の声から、いつもの快活さが消えた。

 

 見れば、夕日に染まった瞳が、まっすぐにササメを見据えている。

 

 「私、決めたんです」

 

 小夜の言葉は、そこで止まった。私は、その先を促した。

 

 「……何をかね、小夜」

 

 「若様。……あたし、大祭の時、ササメ様の……お付きに、なります」

 

 ササメの唇が、わずかに、ひらいたように見えた。

  

 ――お付き。

 

 大祭のあいだ、(まゆ)に籠もる巫女の身の回りの世話を、一手に引き受ける役目。

 

 表向きは誉れとされるが、これまでお付きを務めた娘たちが、その後どうなったのか。村の者は誰も、語りたがらぬ。

 

 「――駄目よ、小夜」

 

 その声は鋭く。そして、怯えたように震えていた。

 

 「それは大人が決めること。それに、お付きの役目は……あなたには、とても」

 

 「平気です。ササメ様をひとりになんて、できませんっ」

 

 姉の言葉を遮って、小夜が叫んだ。

 

 夕日を弾いて、その目に涙が盛り上がっていた。

 

 「さっきだって、紐が結べなかったでしょう。お茶もこぼすし……あたしが支えないと、神様の前で転んで、また篝火様に叱られて……」

 

 「小夜……」

 

 「だから、あたしが、おそばにいます。大祭の時も、ずっと。ササメ様のお世話は、ぜんぶ、あたしがしたいんです。……ぜったいに、ひとりにはしませんから」

 

 小夜は、姉の手を、両の手で握りしめた。

 

 その小さな手が、小刻みに震えている。

 

 この娘もまた、肌で感じ取っているのだろう。

 

 竹中家という箱の、尋常ならざる気配を。

 

 姉は眉を下げ、小夜を、ふわりと抱き寄せた。

 

 背に回された、白く細い指。

 

 その先が、小夜の着物に、強く食い込んでいた。

 

 (……大祭の、重荷ゆえか)

 

 「ありがとう。あなたは、本当に強い子ね」

 

 誰の目にも、美しい姉妹の情と映ったことだろう。

 

 だが、私の頭の芯は冷えきっていた。

 

 おのれを捨てて尽くすこと。


 身を捧げて守ること。

 

 それは、いつの世も美しい話として語られるが。民俗学の野帳の上では、しばしば、『生贄(いけにえ)』の別の名となる。

 

 小夜の、この混じり気のない想いこそが。

 

 怪異にとっては、最上の供物となり得ることを。私は、(あや)ぶんでいた。

 

 「……若様も、です」

 

 不意に、小夜が、こちらを振り返った。

 

 涙目のまま鼻をすすって、笑う。

 

 「若様は、何でも知っていて、何があっても動じなくて……でも、あたしがいないと、すぐにお腹を空かせて野垂れ死にしそうですし。ササメ様をお守りしたら、次は若様の面倒を、あたしがずっと見てあげます」

 

 「……お断りだ。私には、一人で生きてゆけるだけの、人並み外れた胆力が備わっておる」

 

 「じゃあ、もう、お芋もいらないんですね」

 

 「…………」

 

 小夜が、笑う。

 

 姉も、笑う。

 

 私も、わずかに口の端を緩めた。

 

 ふと。はしゃぐ小夜の笑い声と、憂いを含んだ姉の横顔とが。遠い昔、病の床で痩せ細っていった、娘の面影と重なった。

 

 (……守るべき者のためなどと。そのような甘い感傷に浸るほど、若くはない。……だが)

 

 その先は、言葉にならぬまま。胸の奥へ、沈んだ。


 (かり)の声が、空を渡ってゆく。

 

 遠い山の端では、秋の雷が低く、尾を引いて鳴っていた。

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