【一二歳:なき女】〜業〜
装束の中から這い出してきたのは。羽の抜け落ちた、梟に似た怪鳥であった。
大きさは、せいぜい、人の赤子ほどしかない。まだらに残った羽の下から、粟立った灰色の地肌が覗いていた。
あれほどの巨躯を膨らませていたものの、まことの芯がこれかと思うと、笑いよりも、うそ寒いものが胸に落ちた。
「……おのれを支えて飛ぶことも忘れた、哀れな出来損ないであったか。……だが」
言いながら、足元の手頃な石を右手に拾い上げる。
掌に余る大きさで、角が立っていた。
それで、足りる。
相手はもう、怪異ではない。
子供の非力さでも、弱り果てた鳥の一羽なら、殺せる。
鳥が、怯えた目で私を見上げ、後ずさった。
一歩踏み込み、石を振りかぶる。
その刹那。
血の固まりかけていた肩の傷が、ぶつり、と裂けた。
痛みに、右腕ががくりと萎え、石が手から落ちかける。
咄嗟に左手を伸ばし、震える右の手首を下から掴んだ。
そのまま。両の腕ごと、体ごと、真下へ振り落とす。
ぐしゃり。
小さな骨の、砕ける手応え。
生温かいものが、頬に跳ねた。
その血は、むせ返るような鉄の臭いのする。
ただの、生き物の血であった。
*
緊張の糸が弛むと、まず、おのれの荒い息の音が戻ってきた。
次いで、遠くの沢の水音。
それから、鳴りやんでいたはずの虫の声が、ひとつ、またひとつと、夜の山に灯り直してゆく。
提灯の火はとうに尽きていた。
代わりに、木々の隙間から、微かな白みが差し始めている。
私はその場に座り込んだまま、動けずにいた。
肩の痛みよりも、後から押し寄せた疲れの方が重い。
小夜が、這うようにして赤子のもとへ向かった。
泥の上に投げ出された小さな体を、恐る恐る、抱き上げる。
かすかな泣き声が、上がった。
生きている。
あの汁を含まされて、赤子が生きられる道理はない。
とすれば、あれが赤子へ流し込んでいたのは、私に吐きかけたものとは別だったのだ。
鳥は、おのれの雛にだけは、餌を選ぶ。攫うた子を、あれはあれなりに、雛として養うていたのだろう。
「わ、若様……」
赤子を抱いたまま。その声は震えていた。
「ご無事で……ほんとうに、怖かった、です……それに、その……若様の言葉が、化け物を……」
「そう……言葉だ」
血に濡れた手を、着物の裾で拭う。
「化け物……というものはな、小夜。人の恐れが、長い年月をかけて編み上げた。分厚い着物のようなものだ」
「着物…………」
「その縫い目を、ひとつずつ解いてやれば。中から這い出してくるのは、案外、ただの哀れな鳥に過ぎぬ」
小夜は赤子を抱きしめたまま、ぼろぼろと涙をこぼした。恐ろしさゆえか、安堵ゆえか。おそらくは、その両方だろう。
私は、おのれの左手を、見下ろす。
まだ、震えている。
血を失うて冷えたせいか。
それとも、掌に残る、あの小さな骨の手応えのせいか。
どちらとも、決められなかった。
言葉は、確かに世の理に触れた。張りつめた水面へ小石をひとつ投じたような、あの手応えは、思い違いではない。
だが、と思う。
赤子を抱く小夜の姿を見つめながら、私は、勘定をやり直していた。
一歩間違えば、死んでいたのは私だ。
あのとき、この娘が喉を絞める髪を刈っていなければ、言葉より先に、私の首の骨が鳴っていた。
猶予は、どれほどもなかった。数え三つか四つ、というところだったろう。
理で怪異を解体するなどと、随分涼しい顔で講釈を打ったものだ。だが実のところは、こうである。
言葉がひと足遅れれば、この身はひと振りで裂かれる。学んだ理と、絞まる喉と、どちらが先に届くか。ただそれだけの、綱渡りに過ぎぬ。
肩の血は、まだ、止まらなかった。
*
どれほどの刻が過ぎたか。
気付くと、小夜が隣に座り込んでいた。
赤子を懐に抱き込んだまま、肩と肩の触れる近さである。血を失うたこの体が冷えきっていることに、この娘なりに気づいたのだろう。
私は口をきく気力もなく、ただ、その小さな肩に、おのれの肩を預けた。
触れたところから、娘の熱が、ゆっくりと染みてくる。
木々の隙間の白みが、少しずつ濃くなってゆく。夜明けが、来るのだ。
泥の上に転がる、血に塗れた石が目に入った。
(タネの前には、これを置いてやろう。……いや。置いてやるのは、生きた赤子のほうで、あったな)
口の端が、わずかに吊り上がる。
タネと、産女。
子を奪われた母と、子を奪った、母親。
胸の内で並べて置いた途端、ふたつの境が、すう、と霞んだ。
私は、笑みを浮かべていた口を閉ざす。
冷たい風が、裂けた肩の傷を撫でていった。
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