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【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

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【一二歳:なき女】〜業〜

 装束の中から這い出してきたのは――羽の抜け落ちた、(ふくろう)に似た怪鳥であった。

 

 大きさは、せいぜい、人の赤子ほどしかない。

 

 「……おのれを支えて飛ぶことも忘れた、哀れな出来損ないであったか。――だが」

 

 私は、足元の手頃な石を、右手に拾い上げた。

 

 相手はもう、怪異に非ず。

 

 子供の力でも、弱り果てた鳥の一羽なら――殺せる。

 

 鳥が、怯えた目で私を見上げ、後ずさった。

 

 一歩踏み込み、石を振りかぶる。

 

 ――その刹那。

 

 血の固まりかけていた肩の傷が、ぶつり、と裂けた。

 

 痛みに、右腕が、がくりと萎える。

 

 咄嗟に左手を伸ばし、震える右の手首を、下から掴んだ。

 

 そのまま――両の腕ごと、体ごと、真下へ振り落とす。

 

 ぐしゃり。

 

 小さな骨の、砕ける手応え。

 

 生温かいものが、頬に跳ねた。

 

 ……祟りを呼ぶ、呪いの血では、ない。

 

 むせ返るような鉄の臭いのする――ただの、生き物の血であった。

 

 *

 

 静けさが、夜の山に戻る。

 

 提灯の火はとうに尽き、代わりに、木々の隙間から、微かな白みが差し始めていた。

 

 小夜が、這うようにして赤子のもとへ向かう。

 

 泥の上に投げ出された小さな体を、恐る恐る、抱き上げた。

 

 ――かすかな、泣き声。

 

 生きて、いる。

 

 私はその場に座り込んだまま、動けずにいた。

 

 肩の痛みよりも、どっと押し寄せた疲れの方が重い。

 

 「わ、若様……」

 

 赤子を抱いたまま、小夜が私を呼ぶ。

 

 その声は、震えていた。

 

 「ご無事で……ほんとうに、怖かった、です……それに、その……言葉で、化け物を……」

 

 「……そう。言葉だ」

 

 血に濡れた手を、着物の裾で拭う。

 

 「怪異というものはな、小夜。人の恐れが、長い年月をかけて編み上げた――分厚い、着物のようなものだ」

 

 「…………」

 

 「その縫い目を、ひとつずつ、解いてやれば。中から這い出してくるのは――案外、ただの、哀れな鳥に過ぎぬ」

 

 小夜は、赤子を抱きしめたまま、ぼろぼろと涙をこぼした。

 

 恐ろしさゆえか。


 安堵ゆえか――。

 

 私は、己の左手を、見下ろす。

 

 ……まだ、震えていた。

 

 言葉は、確かに、世の理に触れた。

 

 張りつめた水面へ、小石をひとつ――投じたかのような、あの手応え。

 

 だが。

 

 (おもむろ)に、小夜へと目を移す。

 

 赤子を抱く、その姿を見つめながら――思う。

 

 一歩間違えば、私は、死んでいた。

 

 あの刹那。


 この娘が、喉を絞める髪を刈っていなければ。


 言葉より先に、首の骨が鳴っていた。

 

 理で怪異を解体する――随分と涼しい顔で講釈を打ったが、実のところは、こうだ。

 

 言葉がひと足遅れれば、この身は、ひと振りで裂かれる。

 

 ただ、それだけの――綱渡りに、過ぎぬ。

 

 肩の血が、まだ、止まらなかった。

 

 *

 

 どれほどの刻が、過ぎたか。

 

 気付くと、小夜が、隣に座り込んでいた。

 

 赤子を懐に抱き込んだまま――肩と肩の、触れる近さに。

 

 ……血を失ったこの体が冷えきっていることに、この娘なりに気づいていたのだろう。

 

 私は、口をきく気力もなく、ただ、その小さな肩に己の肩を預けた。

 

 木々の隙間の白みが、少しずつ濃くなってゆく。


 ――夜明けが、来る。

 

 掟を破り、化け物の腕から、生きた赤子を取り返した。

 

 泥の上に転がる、血に塗れた石を、見下ろす。

 

 (タネの前には、これを置いてやろう。……いや。置いてやるのは、生きた赤子のほうで、あったな)

 

 口の端が、わずかに、吊り上がる。

 

 タネと、産女。

 

 子を奪われた母と――子を、奪った、()()

 

 ふたつの境が、すう、と、霞んだ。

 

 笑みが、消える。

 

 冷たい風が、裂けた肩の傷を、撫でていった。

本日もお読み頂きましてありがとうございます


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