表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/42

予備

 ――無、では、なかった。

 

 意識が切れたと思った、次の瞬間。

 

 奇妙な、浮遊の中に――私は、いた。

 

 肉体は、ない。

 

 視覚も、ない。

 

 だが――私という意識の核だけが。


 冷たく透き通った虚無の中を、溶けもせず漂っている。

 

 ――脳が止まった後も、意識がある。

 

 いわゆる――霊界、と呼ばれるものか。

 

 だが、宗教めいた飾りは――一切、なかった。

 

 三途の川も、お花畑も、ない。

 

 あるのは――途方もない量の何かが、流れ、渦巻く、その奔流(ほんりゅう)のみ。

 

 地鳴りのような音が、四方八方から響き、光の粒が、明滅しながら、川のように、流れていく。

 

 誰かの、記憶。


 未練。


 歴史の、断片。


 柳田の常民概念(じょうみんがいねん)に通底するような『集合的無意識』の海。


 その概念に、極めて近かった。 

 

 私は、その奔流に呑まれまいと――必死に、おのれの輪郭を保つ。

 

 この無機質な流れに溶け、ただのモノへと還元されるなど――あってはならぬ。

 

 私は、木崎数史郎だ。

 

 まだ――何一つ、満たされて、いない。

 

 その時。

 

 奇妙な、匂いが、漂う。

 

 思わず、在るはずのない鼻が、ひくつく。

 

 それは――生前、いかなる採訪(さいほう)でも、ついぞ嗅げなかった匂い。

 

 濃い、獣の、臭気。

 

 鉄錆のような、血の、匂い。

 

 そして――もっと根の深い。


 私が培ってきた論理を、真っ向から拒む――知り得ぬものの、香り。

 

 ――いるのか。

 

 魂が、歓喜に震えた。

 

 探し求め、殺し尽くし――それでもなお、出会えなかった『本物』が。

 

 ズズッ。

 

 不意に――凄まじい、引きの力を感じた。

 

 虚無の、底の、底から。


 何かが、私を選び――手繰り寄せている。

 

 意図ある――選り分け。

 

 まるで、底知れぬ巨大な何かが、私の匂いを嗅ぎつけ。


 ねっとりと、舌を這わせ――すくい上げようとするかのような。

 

 離せ……いや。


 離す、な。

 

 私は、矛盾した叫びを上げた。

 

 引きずり込まれる。

 

 ぐるぐると、回りながら――堕ちていく。

 

 堕ちていく、その最中。


 一瞬だけ――何かを、見た。

 

 闇の奥に広がる、いびつな、紋様を。

 

 六角。

 

 いや――あれは。


 網、か。

 

 世界の裏側に張り巡らされた、巨大で、精緻で。


 途方もなく、おぞましい――

 

 そして――甘美な、捕食の構え。

 

 なんと――美しい。

 

 そう思った途端。


 私の意識の糸が、ぷつり、と途切れ――視界は、白く、塗り潰された。

 

 *

 

 熱い。

 

 狭い。

 

 そして――とてつもなく不快なものが、全身に纏わりつく。

 

 次に私が捉えたのは――肺を押し潰されるような、息苦しさ。

 

 水の、中か。

 

 いや。


 もっと粘りの強い、生温かい、液。

 

 全身の肌が、分厚い膜のようなものに、包まれている。

 

 ――ここは……胎の、中か。

 

 壁を通して伝わる鼓動が――あまりに冷たく、規則正しい。

 

 血の通った生き物の脈、というよりは。


 巨大な、機械仕掛けの時計の、秒針のような。

 

 壁が、激しく、収縮した。

 

 ――産み月、か。

 

 私を、外へ――吐き出そうとしている。

 

 頭の骨が、締めつけられる、激痛。

 

 まだ固まらぬ関節の、軋む、嫌な音。

 

 私は流されるまま――狭い道を、潜り抜ける。

 

 そして。

 

 外の気が、羊水に濡れた肌を、叩いた。


 ――冷たい。

 

 ――息が、苦しい。

 

 重く、淀んだ空気。

 

 そして――湿った土と、古い(かび)と、むせ返るような白粉(おしろい)の、匂い。

 

 「……また、男か」

 

 その声を聞いた瞬間――背筋を、悪寒が駆け抜けた。

 

 ――ひどく冷ややかな、女の、声。

 

 ――母親、なのだろうか。

 

 「……まあ、いい。予備には、なるでしょう」

 

 予備。

 

 私は――生まれた、その瞬間に。


 何かの、部品として――定められたのか。

 

 胸の内で、声を立てて、嗤った。

 

 面白い。

 

 ――ここは、地獄だ。

 

 あの老婆の呪詛が、今まさに、形を持ったかのような――歪みではないか。

 

 私は、まだ育ちきらぬ肺に、ありったけの空気を吸い込み――産声を、上げた。

 

 その泣き声は――

 

 反響し、誰かが、気味悪く嗤う声に。


 かき消された、ような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ