表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/44

【一二歳:なき女】〜子守唄〜

 「お……おお……」

 

 「ねんねん……ころりよ……」

 

 唄だ。

 

 ――子守唄。

 

 「……小夜、提灯を」

 

 私は足を止め、受け取った提灯を、声のする方へ掲げてゆく。

 

 その時。

 

 「……お願いでございます。その提灯、こちらへ向けるのは、お止めくださいませね」

 

 岩陰の奥から――女の、声。

 

 若い。


 疲れている。


 そして、どこか人懐こい――湿った、声であった。

 

 私は、掲げかけた腕を、宙に留めた。

 

 背後で小夜が、びくり、と肩を震わせる。

 

 「わ……若様、誰か――」

 

 左手を後ろへ回し、その口を軽く押さえた。

 

 「静かに」

 

 掌の下で、小夜がゆっくりと頷く。

 

 「あい、すみませんねえ。明るいものは、赤子の目に障りますもので」

 

 ――赤子。

 

 耳を、澄ませる。

 

 岩陰の奥から、ごく微かに――聞こえる。

 

 泣き声ではない。

 

 吐息にも、なりきれぬような、か細い音。

 

 (……生きている)

 

 私は提灯をゆっくりと下ろし、小夜の手へ返した。

 

 「……灯りは、低く。足元だけを、照らすように」

 

 灯が、足元の泥だけを、丸く照らす高さに。

 

 ――空いた右手は、いつでも腰の鉈に届く。

 

 「ご親切に、ありがとうございます」

 

 女が、礼を言った。


 妙に、行き届いた物言いであった。

 

 「……何用か」

 

 短く、応じる。

 

 「何、と申されましても」

 

 女が、小さく笑う。

 

 「こんな夜更けに、お若い方がどちらへ行かれるのかと。心配で、つい、お声をかけてしまいましたの」

 

 (……若い、か)

 

 「村の、赤子を探している」

 

 「まあ」

 

 女の返事が――ひと呼吸、遅れた。

 

 「それは、それは、ご立派なことで」

 

 「あちきも、赤子を、探しておりますの」

 

 (……遊里の物言いに、在所の言葉が、混じっている)

 

 「もう、ずいぶんと、長うございますけれど。難産でしてねえ。産婆さんが、もう駄目だと言うのを、あちきは、お腹を押さえて、泣いて、(すが)って。……赤子が生きて出てくれれば、あちきの命は、どうなっても構いませぬ、と」

 

 小夜の息が、浅くなってゆく。

 

 口を押さえていた手をそっと離し、代わりに、袖を軽く引いた。

 

 ――動くな、の合図。

 

 「……お腹を、割いて、出してもらいましたの。赤子は、それは元気な声で泣きましたよ。あちきは、お乳をあげようとしました。だけれど、もう、指が動かなくなっておりましてねえ。腕が、重くて、重くて」

 

 ――重くて。

 

 「産婆さんが、赤子を、あちきの胸に置いてくれましたの。あちきは、五日。五日だけ、この子を抱きましたのよ」

 

 ――五日。

 

 「五日、経ちましたらねえ。この子は、冷たくなりましてねえ。あちきは、この子が冷たくなっても、離しませんでしたの」

 

 ぐぽり、と。

 

 女が語る合間に、奥で、音がした。

 

 次いで、ぴちゃ、と――糸を引く、湿った音。

 

 か細い吐息が、一瞬、途切れる。

 

 か、と、小さく喉の鳴る音。

 

 その合間で、女は、慌てたような声を上げた。

 

 「あら、あら、ごめんなさいねえ。この子、泣いて、ねえ」

 

 ――泣いていない。

 

 「おお、よしよし。お腹が空いたのでございますねえ」

 

 ――泣いて、いない。

 

 「すみませんねえ、お若い方。この子、我儘でございましてねえ。すぐに、お腹を空かせますの」

 

 袖を握る小夜の指が、震え続けている。

 

 「ほぅら、もう少しねえ……もう少し、お食べ」

 

 また、ぐぽり、と湿った音。

 

 吐息が――さらに、弱くなった。

 

 「あらあら、ごめんなさいねえ。この子、泣き止みませんで」

 

 気づけば、掌に、爪が喰い込んでいた。

 

 この女、話が通じぬのではない。

 

 こちらには――通じている。

 

 礼を尽くし、気を遣い、詫びまで言う。

 

 通じておらぬのは、ただ一つ。

 

 腕の中の、赤子にだけ。

 

 (語らせ続けてはならぬ。赤子の息が、保たぬ。……だが、断ち切るには、まだ――決め手が、足りぬ)

 

 「……お若い方。少しだけ、お願いがございますの」

 

 女の声の――粘りが、変わった。

 

 「この子を、少しの間、抱いていただけませぬか」

 

 「…………」

 

 「あちきは、もう、指が動きませぬもので。この子に、お乳を差し上げるにも、ねえ……抱いてくださる方が、いれば」

 

 声が、じわり、と近づく。

 

 その時――

 

 小夜が、よろめいた。

 

 見えぬものに気圧されたか、半歩、足が泳ぎ――その手の提灯が、(かし)いだ。

 

 光が、岩陰の奥へ、一条、走る。

 

 岩の上に、(うずくま)る、(おお)きな影。

 

 ぼろぼろの、白い着物。

 

 乾き、ひび割れた、白粉の肌。

 

 はだけた胸元に垂れた、乳房が――ひとつ。

 

 その先から、血とも乳ともつかぬものが、糸を引いて、落ちる。

 

 光が過ぎ、闇が、戻った。

 

 「――――」

 

 「まあ……提灯が、揺れましたねえ」

 

 女の声が、笑みを含む。

 

 「お嬢さん。怖がらなくても、よろしいのですよ」

 

 ――小夜を、見ている。

 

 「お抱きくださいませ。ねえ、お若い方」

 

 私は、乾いた唇を舐めた。

 

 小夜の腕を引き、己の背の、深くへ隠す。

 

 「――断る」

 

 岩陰の声が、ふつり、と止んだ。

 

 残るのは、か細い息の音、だけ。

 

 「お前は――」

 

 息が、ひとつ、弱まる。

 

 「――産女(うぶめ)、か」

 

 か、と。赤子の喉が、鳴った。

 

 岩の上で――闇が、膨れ上がる。

 

 「小夜っ、灯りをっ」

 

 光が、裂け目を薙いだ。

 

 化け物が、牙を剥いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ