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【怪体新書】〜民俗学者、異世界で本物と出逢う  作者: 可和
第一章:竹中家の繭

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【八歳:焼印の慈悲と共犯の傷】〜穢れ 〜

 「小夜。歯を食いしばれ」

 

 「わ、若様……何を……」

 

 私は、答えなかった。

 

 炭の中で、鉄箸の先が、色を変えてゆく。

 

 赤から、朱へ。――やがて、灼けきった赤橙(せきとう)へ。

 

 火は、足りた。

 

 これが、いま私に打てる、ただ一つの――そして、最も野蛮な、療治(りょうじ)

 

 「動くな。……舌を、噛むぞ」

 

 懐の手拭いを、小夜の口にねじ込む。

 

 己の帯を引き抜き、その右腕を、部屋の太柱へ縛りつけた。

 

 灼けた鉄箸を、火鉢から抜く。

 

 先から、ゆらり、と陽炎が立ちのぼった。

 

 「んんっ、んぐぅっ」

 

 小夜が目を見開き、後ずさろうと、もがく。

 

 当然だ。


 ――正気の沙汰ではない。

 

 だが、逃がさぬ。

 

 暴れる体を膝で敷き、その右腕を、掴む。

 

 黒く染まった肌と、まだ白い肌との――境。

 

 蟲どもが、なお奥へ喰い進もうと蠢く、その(きわ)へ。

 

 躊躇なく、鉄箸を押し当てた。

 

 ――ジュッ、と。


 次いで、ジュウウウッ、と。

 

 生肉の焦げる音。


 脂の、爆ぜる音。

 

 胸の悪くなる臭気が、鼻の奥を刺した。


 八つの胃の腑が縮み上がり、酸いものが喉へ込み上げる。


 ――奥歯を噛んで、呑み下す。

 

 「あ……あ゛んんあああああああっ」

 

 手拭い越しに、言葉にならぬ絶叫が漏れた。

 

 小夜の体が、跳ねる。

 

 その上に、馬乗りになる。


 暴れる右腕を、膝と体の重みとで敷き伏せる。

 

 (急げ……)

 

 小夜は白目を剥き、総身から脂汗を噴いていた。

 

 やがて――じわり、と。


 温いものが、私の膝を濡らす。

 

 それでも、緩めぬ。離さぬ。

 

 離せば、蟲が逃げる。

 

 一匹でも残れば、また殖える。

 

 生半な情けが、この子を殺す。

 

 私はさらに深く――骨に届けとばかりに、鉄箸をねじ込んだ。

 

 キチチチ、と断末魔の音を立てて、黒い蟲どもが焼け爆ぜてゆく。

 

 (ただの、療治だ。……ただの療治だと、思え)

 

 目から、涙がこぼれていた。

 

 小夜が哀れだからでは――ない。

 

 これは、怒り。

 

 あのとき、娘ひとり救えなかった、おのれの無力への。

 

 いままた、友の腕を焼くことでしか救えぬ、この世の(ことわり)への。

 

 やがて、小夜の体から、力が抜けた。

 

 気を失ったのだ。

 

 右腕には、焼け爛れた火傷の痕。

 

 ――それを縁取るように喰い広がっていた黒い痣は、跡形もなく消え失せている。

 

 (……焼き、切った。だが、早く手当てをせねば)

 

 焦げた肉の臭いが、部屋に満ちていた。

 

 赤みの失せた鉄箸を火鉢へ戻し、私は、畳に手を突いて、肩で息をする。

 

 ――ドン、ドン、ドンッ。

 

 戸が激しく打ち叩かれたのは、その直後だった。

 

 「半兵衛。開けなさい。――今の悲鳴は、何ですか」

 立ち上がる。

 

 一つ、深く息を吸い――心を、胸の奥へ沈める。

 

 心張り棒を外し、戸を引き開けた。

 

 戸の外には、篝火。

 

 その半歩後ろに、薙刀を提げた、厳蔵。

 

 篝火の目が、部屋の中を素早く撫でる。


 気を失った小夜。


 濡れた畳。


 ――そして、隠しようもない、肉の焦げた臭い。

 

 「……これは、どういうことですか」

 

 「お戯れが、過ぎました」

 

 私は、嘘を吐いた。

 

 「小夜と、火遊びをしておりました。灼いた鉄を押し当てれば、人はどこまで保つものか。――試してみとう、なりまして」

 

 「火遊び……お前が」

 

 呪いの気配は、もう消えている。

 

 残っているのは、ただの、酷い火傷だけ。

 

 「ええ。退屈だった、もので。……玩具(おもちゃ)が、驚いて。粗相をして、気を失うまで泣き喚いて、おりました」

 

 私は、わざと、着物の裾をまくって見せた。

 

 そこには、小夜の粗相の染みが、ついている。

 

 「私の不始末で、玩具を壊すのは忍びない。手当てを、と思うていたところです」

 

 篝火は、じっと、私を見下ろしている。

 

 やがて目を細め――気を失った小夜の、焼け爛れたその腕を、扇子の先で、無造作に突いた。

 

 つ、と。血の玉が、膨れる。

 

 私は、眉一つ、動かさなかった。

 

 「……壺が、割られていましたよ」

 

 「壺。……はて、存じませぬが」

 

 「この、肉の焦げた臭いの奥に。蟲の焼け死ぬ臭いが、混ざっています。――半兵衛。お前が、焼いたのですか」

 ――見抜かれている。

 

 (詰まるな。詰まった刹那、小夜の首が落ちる)

 

 「……本当のことを、申しましょう」

 

 私は、口の端を、ゆっくりと吊り上げた。

 

 酷い遊びに目のない、悪童の面を――作る。

 

 「忌庫の掃除をこれに命じたのは、母上の下知(げち)でございましょう。封の甘い呪物のせいで、私の気に入りの玩具が、穢れるところでした。――ならばこそ。不浄の蟲ごと、この女の肉を骨まで焼いて、『浄め』てやったのです。……私の持ち物を、母上の不始末で勝手に始末されては、困りますので」

 

 (穢れは、すでに焼き浄めた。――掟の上、これを屠る道理は、ない)

 

 篝火は、しばらく、私の目の奥を値踏みするように見つめ――やがて、口の端に、歪んだ笑みを浮かべた。

 

 「……なるほど。無能な種馬かと思うていましたが。竹中の血らしい、酷たらしい執着は持ち合わせているようですね。――よろしい。穢れが浄められたのなら、その壊れた玩具は、お前の好きになさい」

 

 無能な種馬が、下賤の娘に、酷い遊びを覚えた。

 

 ――そう侮らせることだけが、あの目から小夜を隠す、ただ一枚の幕であった。

 

 「母上。これの手当てを、させていただきたい。ここまでして壊しては、つまりませぬ」

 

 「……薬師を呼ぶまでもありません。手前で、程々に(つくろ)っておきなさい」

 

 篝火は、もう用は済んだとばかりに、踵を返した。

 

 厳蔵が一瞬だけ、油断なく部屋を見回し――無言で、その後に従う。

 

 足音が、廊下の奥へ、遠ざかってゆく。

 

 それが消えきるのを待って――私は、止めていた息を、細く、長く、吐いた。

 

 全身の毛穴から、どっと、嫌な汗が噴き出す。

 

 首の皮一枚は、繋いだ。

 

 だが――

 

 (……ここからだ)

本作のプロローグにあたる【晴親の苦悩】が、シリーズ作品として独立させています。


良ければ、そちらもお読み頂けると幸いです。

※要望があれば、プロローグに留まらず、晴親を主人公とした物語も書くかもしれません。


※どのタイミングで読まれてもお楽しみ頂けるかと思います。ではでは

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