青の残滓。あるいは、次世代に引き継がれる負け戦の作法について
2040年代も終わろうとしている。
世の中はAIだの仮想空間だのと、僕たちが中学生の頃に夢想していた未来を地で行っているけれど、結局のところ、人間の悩みなんてものは100年前から大して進歩していない。
特に「誰かを好きになる」なんていう、非効率極まりない感情のバグに関しては。
僕、西野和彦は、かつての母校の面影をわずかに残す記念公園のベンチで、小さな訪問者を迎えていた。
それは、僕たちの誰かの面影を色濃く継承した、新しい世代の少年少女たちだ。
「……ねえ、和彦おじいちゃん。おじいちゃんたちは、どうしてずっと五人で一緒にいるの? 喧嘩とか、しなかったの?」
幼い瞳が僕を見上げる。その無垢な問いに、僕は苦笑いを浮かべるしかない。
喧嘩? そんな生易しいものじゃない。僕たちは、お互いの人生という名の領土を侵食し合い、時には決定的な敗北を喫しながら、それでも離れられなかっただけだ。
「……喧嘩なら、今でもしてるよ。……ただ、僕たちの場合は、負けることが日常になりすぎて、勝敗をつけるのを忘れてしまっただけさ」
僕がそう答えると、隣で日向ぼっこをしていた羽賀杏菜が、クスクスと鈴の鳴るような声で笑った。
彼女の髪はすっかり白くなったけれど、僕を見つめる瞳の温度は、あの夏の屋上で僕の袖を掴んだあの時と、驚くほど何も変わっていない。
「そうだよ。和彦くんはね、いっつも『やれやれ』って顔をしながら、最後には私たちのわがままを全部聞いてくれたんだから」
「……杏菜。語弊がある。僕はただ、君たちの執念に合理的な妥協点を見出していただけだ」
僕がいつもの調子で反論すると、背後から「査定」の声が飛んできた。
「西野。過去の改竄は認められないわ。……杏菜、あなたのその情緒的な回想も、私のデータベースにある『西野和彦・完全敗北の記録』とは著しく乖離しているわね。……ほら、和彦。あなたの補聴器の調整が0.5デシベル狂っているわ。私の手で完璧に同期させてあげるから、動かないで」
一ノ瀬佳樹だ。彼女は今や国の教育指針にまで口を出す立場になっても、僕の耳元のボリューム一つを調整することに、人生の情熱を注ぎ続けている。
佳樹の独占欲は、もはや「健康管理」という名の不可侵の正義となり、僕の余生を緻密に包囲していた。
「あはは! 佳樹は相変わらずだな! ほら、子供たち! おじいちゃんの昔話より、私と一緒にキャッチボールしようぜ! 青春は体が資本だぞ!」
和久井檸檬が、現役時代と変わらないエネルギーで子供たちを連れ去っていく。
彼女はスポーツ界の伝説として教科書に載るような存在になっても、僕の前ではあの夏の砂浜を駆け抜けた、眩しすぎる幼馴染のままだった。
檸檬は僕にウインクを投げると、「和彦、お前、最後までシャキッとしてろよ! 私たちのエースなんだからな!」と笑い飛ばした。
「……和彦、さん。……これ、未来の……子供たちに、遺す……呪……物語、です。……嘘です、ただの、私の……自叙伝……です。……この中に、和彦さんの……全細胞の……記憶を、綴じ込めて……おきました。……これで、私たちは……永遠に、読み継がれる……一節に、なります」
影の中から、文学の深淵を極めた柏木小鞠が現れて、最新刊(という名の僕へのラブレター)を差し出してきた。
彼女の瞳には、あの図書館の片隅で僕を見つめていたあの頃と同じ、深くて、重くて、逃げ場のない愛の重力が宿っていた。
やれやれ。
結局、僕たちはいつもの五人で、夕暮れの公園に集まっていた。
杏菜が僕の手を握り、佳樹が僕の脈拍を監視し、檸檬が僕の背中を叩き、小鞠が僕の影を静かに踏んでいる。
空は、どこまでも青い。
数十年前に僕たちが吐き捨てた「どうせ、恋してしまうんだ。」という言葉。
それは、人生という名の長い長い敗北戦において、僕たちが手に入れた唯一の勝利の証だったのかもしれない。
「……どうせ、生まれ変わっても、僕は君たちに見つかって、恋でもなんでもしてしまうんだろうな」
本日、人生という名の長い放課後の終わりの、そのまた向こう側で零れた、最大級の敗北宣言。
僕は、四人の少女たちの重すぎる情念と、隣で微笑む彼女の温度を噛み締めながら、ただ深く、深く、満足げに目を閉じた。
物語は、ここで本当に幕を閉じる。
けれど、僕たちの「青」は、新しい世代の少年少女たちの瞳の中に、また新しい物語として芽吹いていく。
僕は、自分を縛り付ける四つの視線と体温を、夕闇の中へと溶け込ませながら、最後にもう一度だけ、幸せな溜息をついた。




