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青の彼方。あるいは、負けヒロインたちが「幸せ」に降伏する日について

結局のところ、人生なんてものは、不器用な僕たちが「たった一人の誰か」に巡り合うための、果てしなく遠回りな散歩道みたいなものだ。

その道中、僕たちは何度も転び、雨に降られ、誰かを傷つけ、自分を嫌いになる。

けれど、二十八歳の僕は、今ならはっきりと断言できる。

その「無駄」だと思っていたすべての回り道こそが、僕たちの人生において、最も輝いていた「青」の正体だったんだと。


2032年、晩夏。

一ノ瀬佳樹が海外へ旅立ってから、一ヶ月。

僕の住む街は、相変わらずの蒸し暑さと、蝉時雨に包まれていた。


「……和彦くん、また溜息。それ、今日だけで百三十二回目だよ?」


お盆休みの役所のロビー。

私服姿の羽賀杏菜が、僕のデスクに冷たい缶コーヒーを置いた。

彼女は今、佳樹から「西野管理代行」という謎の肩書きを正式に引き継いだらしく(もちろん法的な根拠はない)、暇を見つけては僕の様子を伺いに来る。


「羽賀。僕の溜息は、市民の苦情を吸収するためのフィルターなんだ。……それに、百三十二回っていう数字、数えてるお前の方がよっぽど怖いぞ」


「ふふ、いいでしょ。……ねえ、和彦くん。今日の仕事、定時で終わる? 檸檬ちゃんが選考会から帰ってくるし、小鞠ちゃんも新作の最終回を書き上げたって言ってたから」


「……やれやれ。またあの騒がしい夜が始まるのか」


僕は口では毒づきながら、心の中にある温かな波紋を隠しきれなかった。

二十八歳の夏。

僕たちは、誰か一人が「勝ち」を独占し、他の誰かが「負け」として消えていく、そんな安っぽい物語を卒業した。

四人の情念をすべて背負い、誰一人として切り捨てない。そんな僕の「傲慢」を、彼女たちは笑って許し、そして競い合うように僕の人生を彩ってくれている。


その日の夕暮れ。

僕たちは、あの頃と同じ、海沿いの公園に集まった。

水平線の向こうには、佳樹がいるはずの空が広がっている。


「和彦! 見ろよ、選考会のメダル! 銅だったけど……次は、もっと高いところまでお前を連れてってやるからな!」


和久井檸檬が、夕日に輝くメダルを掲げて笑う。

彼女は走り続ける。僕という「ゴール」がある限り、何度でも。


「……和彦、さん。……原稿、終わりました。……結末は……『全員が、笑って……負けを、認める』……ハッピーエンド、です……」


柏木小鞠が、晴れやかな顔で最新のタブレットを抱えていた。

彼女の綴る物語は、もう僕を傷つける呪いではなく、僕たちを繋ぎ止める祝福に変わっていた。


「……みんな、揃ったわね」


その時、ベンチの横に置かれたノートパソコンのスピーカーから、聞き慣れた、凛とした声が響いた。

ビデオ通話の画面越しに、時差で少し眠そうな、けれど誇らしげな表情の一ノ瀬佳樹が映っている。

「西野。そちらの管理体制に不備はないかしら? ……私がいない間に、羽賀杏菜があなたの戸籍を勝手に書き換えていないか、毎日チェックしているんだからね」


「佳樹ちゃん、ひどいなー! 私はまだ『予約』してるだけだよ!」


杏菜が笑いながら、僕の腕をぎゅっと掴んだ。

その温もり。潮風の匂い。

十八歳の頃、僕が怖くて逃げ出したかった「誰かを愛する責任」が、今はこんなにも愛おしい。


僕は、ポケットから一枚の新しい写真を、タイムカプセルの容器の中に収めた。

それは、今の僕たち。二十八歳の、少しだけくたびれているけれど、最高にいい顔をした五人の笑顔。


「……十年後、またここに来よう」


僕は、自分でも驚くほど素直な声で言った。

「三十八歳の僕たちが、まだ『やれやれ』って言いながら、こうして笑い合えているなら……。それが、僕の人生の、本当の『大勝利』だ」


「……うん。約束だよ、和彦くん」


杏菜が、僕の肩に頭を預ける。

檸檬が僕の背中を叩き、小鞠が僕の手を握り、画面の中の佳樹が、ふっと柔らかく微笑んだ。


空を見上げれば、不必要なまでに高く、そして透き通るような青。

あの頃、僕たちが「どうせ、恋してしまうんだ」と絶望し、希望した、あの空だ。


物語は、ここで一旦幕を閉じる。

けれど、僕たちの「負け戦」という名の、終わらない夏の三周目は、今この瞬間から、新しく始まろうとしていた。


不器用で、煮え切らなくて、けれど最高に眩しい、僕たちの毎日。

僕は、隣で微笑む彼女たちの横顔を眺めながら、人生で最大級の、そして最高に「幸せな」溜息をついた。


(完)

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