その後・またの名を「私を○○に連れてって!」
「その後」と書いて、「蛇足」と読む。軽く流してください。
てとてとてと、とキリエ城内を走るのは昨日正式にこの城の女主人となった「小さい姫」ことキリエ侯爵夫人であるチサである。
彼女は叫び出したかった。
昨日の夜、あったアレコレを思い出せば恥ずかしさと共に嬉しさがこみ上げ「きゃーっ!」と心ゆくまで寝台の上でゴロゴロのたうち回りたい! 衝動に駆られ、実際目が覚めた瞬間はゴロゴロと無防備に転げ回り危うく落ちる寸前だった。
夫であるキリエ侯爵に抱き留められ、事なきを得たが……その一部始終を思い出して、また幸せに悶絶しそうになり、これではダメだと早々に寝台から起き上がり、城内を走っている。
城主であるキースは、朝の食事(?)を済ませたあと結婚式に招いた客の見送りなどのために多忙だ。基本的な準備や段取りは侍従の二人がやってくれるとはいえ、最終的な対応は主人の務めである。
「人間って 面倒 だよね」
ボソリ、と吸いついていた首筋に額をのせて彼が呟いたのを思い出す。
「体面なんて考えなくていいんだったら、ずっとこうしていられるのに」
新婚なのに、と擦り寄る彼のアメジストの瞳が訴えるのにチサは曖昧に頷くしかない。魔族の常識がよくわからないからだ。それ以前に、新婚の常識も定かではないけれど――こうしてギュッと抱きしめられるのは心地いいのだから、「ずっとこうしてられる」のはたぶん幸せかもしれない。
「チサ」
呼びかけられて、「はい」と答えると口づけられベッドに押しつけられる。
「 ? 」
「少ししたら、あっちに行こう」
「あっち?」
って、どっち?
「魔界」
おおう!? 魔界デスと!!
アッタンデスネ、イヤ! アリマスヨネ、モチロン。デ・ス・ヨ・ネ!!
「イヤ?」
ぶんぶん、首を振って、それでもチサは首を傾げた。
でも、なんでまた、急に。
チサの疑問にキースは拗ねた少年のように唇を尖らせ、なのに見た目は気品溢れる貴族様然としていて、(ずるい!)と思う。
「向こうの方が気を遣わなくていいから」
「……そう、なんですね」
キースさま、疲れてるのかな?
ちょっと、心配。
と。
「きゃー、ごめんなさい、ごめんなさいっ! あ……ち、チサさまっ?!」
回廊の曲がり角を曲がった直後に、どぉんと向かいから走ってきた彼女にぶつかって、標準よりもずっと小さな体のチサは軽く吹っ飛んで尻餅をついた。
体重も規格より軽いので、ダメージは少ない。
「うん、大丈夫大丈夫」
腰をさすりさすり、立ち上がるチサに「平気ですか? 大丈夫ですか? ごめんなさいごめんなさい」と泣きそうな様子でルルゥが何度も訊ねてくるから努めて明るく笑って答える。
「ほ、本当ですか?」
「ふん、別のところの痛みの方が強烈じゃろうて、心配なかろう」
チサが答えるより先に、ルルゥの背後から聞こえてきた声が言った。
「などと、新婚の甘ったるい惚気話なぞどうでもよい。妾から逃げるとは魔族の小娘よ、躾がなっておらぬな」
ゆったりと笑む公女の赤い唇に、ひぃっ! とルルゥは怯え、チサの背中に隠れた。
隠れるほどの広さも高さもないのだが――。
意味も解らず盾にされたチサの後ろで、すっかり魔族の姿(赤髪紅瞳)に戻ったルルゥが「ムリです、キラさまに殺されます……ううん、嫌われちゃうっ。ダメ!」などとブツブツと繰り返す。
尋常ではない遣り取りに、目を白黒させているとチサを挟んで二人が追いかけっこ……ならぬ、チサの体をあっちにやったりこっちにやったりをし始めた。
(あわわわわ……)
ぐらぐらする体にクラクラし始めた頃、ようやく二人の攻防に終止符が打たれた。
ひょい、と小さな体を持ち上げたキースは、焦点がぐらぐらしているチサを左腕に乗せて「大丈夫?」とその顔を覗きこむ。
傍らでは、魔界の王子であるキラが「何をしている?」と冷ややかに訊ねていた。
彼の哀れなメイドは硬直し、人間にしておくには少々禍々しい公女はあからさまに舌打ちをした。
「邪魔が入った」とばかりに。
「き、キラさまっ」
硬直がとけたメイドは、逃げこむようにキラの広くて高い背中に隠れると「こ、公女さまが魔界に行きたいと申されまして……」と涙目で訴える。
「……そうか」
彼はほんの少し思案して、そこに立つ公女を眺めた。
「本気か?」
「当たり前じゃ、妾は退屈しておる」
胸を張って見つめ返すこの世の暇と身分をもてあました公女ことエリルは、「そちら側が退屈でないとよいのう」とウットリと天を仰いだ。
目を眇め、キラは息を吐く。
「こちらの条件をのめば、考えなくもない」
「キラさま!」
「まことか!」
彼のメイドが愕然と戦〔おのの〕き、肉食の公女が食いつく。
「ひとつ、王家はおまえを庇護しない。ひとつ、私のものに手を出せば――殺す」
にっこり微笑んで、キラはさらりとかなり物騒な条件を提示した。
よほど、腹に据えかねているらしい……とキースは傍観者に徹して、心の中で呟いた。
彼のメイドはプルプルと震えているが、今の条件は確実に彼女を守るためのものだ。
公女もそれに気づいて、少しつまらなそうに唇を尖らせた。
「ちっ、仕方ないのう……ほかに条件はあるかの?」
「ない。好きにしろ」
「よかろう。条件をのむゆえ妾を連れて行け」
ニタリ、笑ったエリルに魔王子は酷薄に唇を曲げ「いいですよ」と請け負った。
「き、キースさま……」
殺伐とした彼らの遣り取りを眺めていたキースに、ようやく正気を取り戻したらしい新妻が頬を染めて恥ずかしそうに彼の名を呼んだ。
チサは魔王子と公女の遣り取りを聞いていなかったようで、「どうされたんですか?」と不思議そうに首を傾けた。
「何でもないよ」
と、敢えて彼女の耳に入れたくはない内容だったので、黙っておく。
ただ。
そうだな、どうせなら公女〔彼女〕がいない時にチサを連れて行きたいし。
「シリルに(情報収集を)頼んでおこう」
うんうん、と頷いてキリエ侯爵はチサの頬を親指の腹で撫でたのだった。
肉食公女の魔界に行った話を投稿しました。→「魔喰いの森のお人好し」というタイトルで書いています。よろしければ、覗いてやってください。現段階でコチラの話とのリンクは一切ありません!
2013/01/21 キロキロなお
魔王子・キラとメイド・ルルゥの小話を投稿しました。→「魔王子とメイド、な関係。」というタイトルで書いています。よろしければ、覗いてやってください。現段階でコチラの話とのリンクは一切ありません! パートⅡ
2013/02/26 キロキロなお