頑張ろ~
庶務課。
カツ、カツッ。
床を激しく踏み鳴らし、詰め寄る白鳥のパンプス。
「氷室さん。今月の改善提案書……、『先月と同じ』って、どういうことなの?」
氷室はタイピングする手を止め、白鳥を一瞥する。
白鳥 美砂(33) 余命:0日
その頭上に浮かぶ、冷厳な文字列。
「はい」
聞き流す。
今日死ぬ人間に、費やす時間も言葉もない。
隣の席で遠藤が小さく身をすくめる。
始まる、修羅場の予感。
「ねえ。私は貴女を評価してたの。そういう態度はどうなの? 最近、様子が変よ、どうしたの?」
「すいません」
静かに拒絶。
「貴方、優秀よ。引き抜こうと思ってたのよ?」
チラつかせてくる、正社員登用という甘い餌。
くだらないガス抜き。
付き合うだけ無駄。
「ありがとうございます、頑張ります」
氷室は白鳥をその場に捨て置き、書類を手にフロアを出て行く。
閉まるドアを、白鳥は忌々しげに睨みつけた。
「……遠藤さん? 最近、氷室さん変じゃない?」
遠藤が気まずそうに顔を伏せる。
「白鳥さん、すいません。あ、あの……、改善提案書、私が書いちゃダメですか? ……アイデアなら、いくつもあります!」
真っすぐな、遠藤の視線。
白鳥は重い溜息を吐き出した。
「分からないわね。……貴女はそれでいいの?」
「はい!!」
「……そうですか」
白鳥は、氷室が羨ましかった。
正社員として会社に人生を捧げている自分に対して、配下は派遣が二名だけ。
かつては総合職として営業の最前線にいた。
だが、数字が伴わなかった。
現在の庶務課の係長というポジションは、社内の競争に敗北した者の烙印。
それなのに、ただの派遣である氷室があんなに傲然としていられる。
そして、後輩に慕われている。
真っすぐすぎる遠藤の視線。
本当は、チームとして、一緒に働きたかった。
その壁、格差。
白鳥はもう一度溜息を付くと、氷室の投げやりな改善提案書に、承認のハンコを叩きつけた。
氷室はエレベーターのボタンを見つめる。
このビルは福止屋の自社ビル。
1階から5階までの無機質な数字。
(全フロア、徹底的に調べる)
指先が、1階のボタンを押し込む。
1階。
エントランス。
その奥に広がる、来訪客用の会議室エリア。
氷室の視線が、空間を静かに走査する。
受付嬢が2名。
異常はない。
2階。
遠藤が担当するフロア。
営業フロアの熱気とは異なる、緊張感のある空気。
商品企画部、物流管理部。
視界の端々で、包装紙やリボン、記念品の3D模型が乱雑に積み上がっている。
従業員たちに異常は無かった。
3階。
白鳥が担当するフロア。
総務、経理、人事、そして庶務。
誰も、氷室のことなど視界に入らない。
すれ違う背中に、異常はなかった。
4階の営業フロアは、毎日見ている。
異常はない。
エレベーター、最後のボタン。
5階の役員フロア。
(……遠藤と白鳥が担当する役員は4人)
個室を一つずつ、確実に潰していく。
「失礼します」
ルーティンを装い、ゴミ袋を交換する。
その僅かな隙に、取締役に冷徹な一瞥をくれる。
異常なし。
「失礼しました」
1階から5階。
すべてのフロアを、足で回った。
その果てに、冷酷な消去法が一つの結論を導き出す。
(……社長一人でやっている)
目の前を塞ぐ、社長室の重厚な扉。
氷室の、殺意を孕んだ視線が、その木目に深く突き刺さった。
◇ ◇ ◇
暗闇。
情報システム部。
唯一の光源は、橋本のディスプレイだけ。
青白い光の中に、カフェの写真と文字列が浮かび上がっている。
沢渡澪のSNS。
『外回り途中で見つけた隠れ家カフェ。ここのラテ、ミルクが濃厚でめちゃくちゃ美味しい……! 糖分補給したし、15時からの商談も笑顔で頑張ろ~!』
#営業女子 #カフェ巡り #今日のおやつ
「頑張ろ~」
橋本が左手を動かし、写真を拡大する。
銀色のスプーン。
そこに反射した、窓の外の景色。
特徴的な看板。
電柱に貼られた、固有の番号札。
特定につながるノイズを、丁寧に消去していく。
プリンのグラス。
その底面。
鏡面のように反射した、沢渡の無防備な表情。
それも、完璧に消去する。
沢渡澪のアカウントへログインする。
既存の投稿を削除。
同じ文字と、今さっき加工を終えた画像を、何食わぬ顔で再投稿。
「お疲れだね~」
カタカタと、指先がキーボードを叩く。
『めちゃくちゃ美味しそう~! 器も可愛いなぁ。どこのお店か今度こっそり教えてほしいです! 外回りお疲れ様です!』
メッセージ、送信。
「ミオちゃ~ん」
闇の奥で、男の歪んだ声が、低く波打った。




