まな板の上のスワン
13時14分。
ワインを喉へ流し込む。
なりふり構っていられない。
アルコールという麻薬で、眼前の現実を塗り潰したかった。
「ユイ、最近どうなの?」
「……ぼちぼち、かな」
言えない。
親友にすら、その頭上にある破滅を告げることはできない。
「何か抱えてない? 聞くよ」
涼子の、純粋なまでの心配の眼差し。
(……あれ? 私、諦めてるのか?)
「どしたの?」
(逃げるな、私――ッ)
壊れた眼鏡を乱暴に剥ぎ取る。
三木 涼子(24)余命 2カ月
(……ふざけるな、前はもっと、見えた)
意識を、一点に尖らせる。
耳の奥で、歪んだ心音が跳ね跳んだ。
頭部へ一気に血流が逆流する。
視界の四隅から、じわじわと闇が侵食してくる。
肺はとっくに酸素を拒絶し、悲鳴を上げていた。
そんなもの、知るか。
(──視せろッ!!)
網膜が、その先の深淵を、無理やりこじ開けた。
三木 涼子(24)余命:57日 2時間39分21秒
死因:急性心筋梗塞
倫理:高
幸福:高
運命:改竄されている
改竄。
あの化け物の仕業だ。
直後。
頭蓋を内側からノコギリで引き裂かれるような、凶悪な激痛が走る。
「ッ……! 痛……、っ、グ……ッ」
視界が、白と黒に激しく明滅する。
「え、ユイ? ……大丈夫?」
(変えてやる、こんな理不尽。本当にいい奴なんだぞ、絶対に認めない)
痛みが引いていく。
心配そうに覗き込む親友の顔。
「……涼子、お願い。今から変なことを言う。でも、信じて」
「え? ……信じるよ。どうしたの?」
氷室の瞳に宿る、異常なまでの執念。
「今から私と病院に行って。理由は説明する」
「はい? 病院って、なんで──」
涼子の困惑を置き去りにし、スマートフォンで当日検査が可能な病院を叩き出す。
迷わず、発信ボタンを押した。
店員を呼ぶと紙幣を叩き付ける。
そして、すぐさまタクシーを捕まえた。
消毒液の、鼻を突く匂い。
白々しい蛍光灯が、無機質な待合室を照らす。
『三木さん。三木涼子さん、お入りください』
「何もなかったら、飲み直しね。ユイ持ちで」
涼子が、緊張を隠すように笑う。
氷室は、静かに頷いた。
密閉される防音扉。
(視ようと思えば、視える)
運命も、案外その程度かもしれない。
因果を先回りすれば、対処できるかもしれない。
(遠藤の事故。時刻と死因が分かっていたら? 高層ビルにでも連れて行ったら? 車に乗った真壁達はどうやって接触する? ……不可能だ)
氷室の導き出した仮説。
『事故が失敗する』
破滅が始まってから一人を救う。
それでは、遅すぎる。
スマートフォンを起動する。
指先に触れる、凍ったガラスの感触。
57日後。
画面上の案件は、空白。
(会社は関係ない? いや、白鳥の余命も案件とは関係なかった)
氷室の瞳から、温度が消える。
冷徹な検証式が、脳内に立ち上がる。
(……白鳥を見殺しにする)
白鳥が死亡する時に表示される品目。
それが真実。
カチャリ、とドアノブが跳ねる。
扉が開く。
戻ってきた涼子の顔は、硬い。
納得のいかない、拒絶の様子。
「簡易検査は、異常なし」
吐き出された声。
「なのに、精密検査をしろって言われた。念のため、って」
氷室の肺から、熱い息が漏れる。
「そう。よかった。……いつ?」
「三日後。……なんか、急に怖くなってきた」
氷室は、軋むパイプ椅子から立ち上がった。
「結果が出たら、すぐに教えて」
「……わかった」
無理に声を絞り出す。
「飲み直すか」
「よーし、飲む! ポジティブにいこう!」
涼子が、いつもの調子を取り戻そうと、拳を小さく握ってみせた。
「親友に命を救われて、私は幸せ者。そういうことでしょ?」
(違う。私は、まだ何も──)
叫び出しそうな胸の痛みを、強引にねじ伏せる。
氷室の口元が、わずかに歪んだ。
それは、笑みと呼ぶにはあまりにも痛々しい。
ただの、強がりだった。
第一章をお読みいただき、ありがとうございます。
『氷室は一切、止まることをしません』
本作は結末までノンストップで駆け抜けます。
ぜひ画面下の【ポイント】や【いいね】を押して、最後まで見届けていただけると嬉しいです。
皆様の熱量(応援)次第で、氷室が結末の更に先、いくつものストーリーを駆け抜けていく未来が決まります。




