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大型案件の決済種別は『一家心中』――死んでも止まらない派遣社員は、322歳の社長を許さない  作者: 葛石
第九章 地元刑事編

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サイレン


「本部、こちら倉持。警察官二名負傷。被疑者は逃走中。救急要請。応援、急行願います――」


無線を切る。


倉持は受話器を助手席へ叩き付けた。


車を降りる。


右腕の痛みなど、どうでもいい。


残ったのは、屈辱だけだった。


「何があった」


井上を見る。


「井上」


「……角を曲がったら、お二人が見えました」


井上は息を整える。


「その背後から、伊藤が曲がり角を曲がってきました。そのまま……倉持さんが、右腕を切られました」


倉持は黙って頷く。


綾瀬へ視線を向ける。


「綾瀬」


蒼白な顔で答える。


「……私も同じです。井上さんの後ろから、伊藤が現れました。……振り向いた瞬間、腕を切られました」


失血だけではない。


動揺している。


最後に陣内を見る。


「陣内」


「……。」


陣内は拳を握り締めた。


「井上くんと綾瀬さんの背後に、伊藤が見えました」

言葉に詰まっている。


「……綾瀬さんの声で振り向いたら、今度は、倉持さんの後ろにも、伊藤が見えました」


苦しそうに俯く。


「……すいません。何度見返しても、伊藤が、二人見えました」


大柄な身体が、小さく縮こまる。


倉持は全員を見渡した。


ゆっくり息を吐く。


「……全員、違うもんを見たってことか」


陣内が何かを言いかける。


倉持は手を上げた。


それ以上、誰も責めさせなかった。


陣内は黙って頷く。


井上と共に、綾瀬の傷口を押さえ始めた。


倉持は目を閉じる。


集中する。


あの瞬間だ。


『――予言は、成立するものとする』


あの声が聞こえた瞬間から、全てがおかしくなった。


カシン。


煙草を一本、歯で引き抜く。


火をつけた。


一点の疑いもない。


あの福止屋で起きた、奇怪な事件。


あれと同じ匂いがする。


倉持は綾瀬へ視線を向けた。


俯いたまま、自分を責めている。


「綾瀬」


静かに呼ぶ。


「今日は一日、本当によくやった」


一拍置く。


「……すまない。責任は全部、俺にある。危ない目に遭わせた。本当に、すまない……」


綾瀬は涙を滲ませながら、小さく首を横に振った。


遠くから、サイレンが近づいてくる。


(……野郎、俺の大切な部下に、手ぇ出しやがったな)


倉持は煙をゆっくり吐き出す。


そのままアスファルトへ腰を下ろした。


夜風が、少し冷たくなっていた。




◇ ◇ ◇




翌朝。


「パパ、朝だよー」


「……ああ」


伊藤は重い身体を起こした。


枕元へ、小さな手が伸びる。


コップと歯ブラシ。


「はい」


「……ありがとう」


受け取る。


「凛ちゃんは、本当に偉いね」


洗面所へ向かう。


シャカ。


シャカ。


鏡越しに娘を見る。


「あれ? 昨夜と違う服だ。お着替え、したの?」


「うん!」


嬉しそうに胸を張る。


「凄いね」


口を濯ぐ。


リビングへ戻る。


テーブルには、二人分のシリアル。


牛乳まで、きちんと注がれていた。


椅子へ腰を下ろす。


「これ、凛ちゃんが用意してくれたの?」


「うん!」


「……凛ちゃんは、本当に凄い、パパの自慢だ」


サク。


スプーンでシリアルをすくう。


いつの間にか。


朝食まで、自分で用意するようになっていた。


歯磨きも。


着替えも。


少しずつ、一人でできることが増えていく。


シリアルを流し込む。


荒れた胃が。


ちくり、と痛んだ。


お行儀よく、シリアルを食べている。


「週末、ママのお見舞いに行く?」


「あ、パパ」


娘が時計を指さした。


「もう時間」


壁時計を見る。


8時15分。


送迎バスが来る時間だ。


「……あっ、本当だ。パパ、また怒られちゃうところだった。行こ」


伊藤は立ち上がる。


玄関へ向かう。


小さな靴を見つめる。


娘は迷うことなく履いていく。


左右も間違えない。


「……靴も、一人で履けるようになったんだ」


娘は嬉しそうに笑った。


鍵を開ける。


扉を開く。


エレベーターを待つ。


「今日は何するの?」


「お遊戯会の練習。それから、さくら公園で落ち葉拾い」


機械音が鳴る。


エレベーターが到着した。


二人で乗り込む。


ゆっくりと降りていく。


「楽しそうだね」


一階。


扉が開く。


娘が、不意に立ち止まった。


「パパ」


「どうした?」


少しだけ俯く。


「……居なくなったら、やだよ」


そう呟くと、小さな手で伊藤の手を握った。


エントランスを抜ける。


送迎バスが待っていた。


伊藤は運転手へ軽く会釈する。


娘も振り返る。


「いってきます!」


バスがゆっくり走り出す。


見えなくなるまで見送った。


無言のまま部屋へ戻る。


扉を閉める。


床には、転がる空き瓶。


流しには洗っていない皿。


部屋には酒の臭いだけが残っていた。


「……パパ、壊れちゃったけど、大好きなママと、凛ちゃんだけは」


ぽたり。


涙が床へ落ちた。


「絶対に守るから」


その背後から。


『……ごちそうさま』


満足そうな声が、静かに響いた。


「うあ、ああ……」



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