任意聴取
昏睡事件は、分かりやすい。
発生場所には共通点がある。
フェス。
イベント会場。
深夜の繁華街。
鸚鵡返しは、人が集まる場所に現れる。
そして、孤立している人間を狙う。
倉持は助手席から街を睨んでいた。
昼も、夜も関係ない。
この街の中心には、常に人が集まる。
やがて。
赤信号で覆面パトカーが静かに止まった。
しばらくの沈黙。
ふと、陣内が口を開く。
「……黒岩さんなら、どうしてますかね」
倉持は鼻で笑った。
「御大か」
少し考える。
自嘲気味に口元を歪める。
「あの人なら、たぶん、……いや、たぶんじゃねえな」
陣内が小さく息を漏らす。
「……ですよね」
倉持は窓の外へ目を向ける。
頭が上がらない。
あの昭和の怪物だけは、今でも、敵う気がしなかった。
「もう、見つけてる」
その瞬間。
車内から音が消えた。
エンジン音。
タイヤの走行音。
エアコン。
全部。
『――もう、見つけてる』
――チョッ。
チョッ。
陣内が反射的にバックミラーを見る。
誰もいない。
倉持は最後の煙を肺から吐き出す。
灰皿へ煙草を押し付けた。
じゅっ、と火種が潰れる。
その音だけが、小さく響く。
「見つけたらよ、……どうするんだ?」
倉持は前を向いたまま言う。
すぐに返ってくる。
沈黙。
信号は、まだ赤。
ハンドルを握る陣内の手から、小さな軋む音がした。
生ぬるい風が、首筋を撫でる。
鼻先を掠める、生臭い臭い。
『テメェ』
二人とも知っている。
感情を動かしてはいけない。
今、この街を騒がせている都市伝説。
――鸚鵡返し。
倉持は、感情を排した声を絞り出す。
「お前さん何者だ? 答えねえなら、この車から降ろさねえ」
狭い車内で。
ばさり。
ばさり。
巨大な鳥が羽を畳むような不気味な風切り音がした。
『降ろさねえ』
その声は。
陣内の警官服の、すぐ後ろから聞こえた。
陣内の二の腕は制服がはち切れそうなほど盛り上がっている。
だが、その眼だけは冷静だった。
青信号。
覆面パトカーが静かに走り出す。
倉持は前を向いたまま口を開く。
「おい、テメェ。何で人間を襲う」
行き交う車の走行音。
『――ンッ!』
声が遠ざかる。
存在感が薄れていく。
逃げる。
その瞬間。
倉持はシートベルトを力任せに外した。
躊躇なく、後部座席へ上半身を捻り込む。
何も見えない。
だが。
声がするなら。
そこに喉がある。
倉持は迷わなかった。
右手を伸ばす。
何もない空間を掴む。
その瞬間。
指先に、生き物の感触が伝わった。
逃がさない。
勘だけを頼りに、その首元を締め上げる。
「逃げんじゃねえぞ、テメェ――!」
「倉持さんッ!」
陣内が叫んだ。
ガチ……。
ガチガチッ。
骨が軋むような音が車内へ響いた。
まるで背骨が砕け、無理やり開いていくような嫌な音。
「ああ? こいつ、答えねえ。怖いのか?」
倉持は低く笑う。
ドンッ!
自由な左拳を、見えない頭部へ叩きつけた。
衝撃で座席が、大きく沈んだ。
「切り裂き魔を知ってるな! 言え! テメェ、知ってる顔してんだろ!」
間髪入れず、もう一発。
『……ンッ!』
見えない質量が、激しくのたうち回る。
倉持はフロントシートを蹴り飛ばす勢いで身体を捻り、後部座席の「それ」を押さえ込む。
逃がさない。
消えかけた喉を、さらに締め上げる。
感情ではない。
刑事の執念。
ギチギチ、と。
巨大な歯を噛み締める音が響く。
そして。
『――博志さん、どこ!?』
車内の空気が凍る。
「誰だ!」
倉持が怒鳴る。
「博志って誰だ!」
『――明日。お前は人を切り裂くものとする』
抑揚のない声。
予言だけを、淡々と繰り返す。
倉持の指先に、全神経が集中する。
見えない喉の骨を、握り潰すように力を込めた。
「逃がさねえぞ」
初めて。
鸚鵡返しは何も返さなかった。
沈黙と、二人の荒い呼吸だけが残された。




