タイミング
社長室。
氷室は、河童から得た情報を一つずつ口にした。
白鳥は無言でホワイトボードへ書き込んでいく。
キュ、キュッ。
マーカーが走る。
ただの文字ではない。
白鳥が書いた瞬間、その文字には因果の光が宿る。
だから。
氷室にも、それだけは読める。
「……これで、揃いました。」
白鳥が一歩下がる。
ホワイトボードには、七つの名が並んでいた。
【福止市の駐在怪異 (中立・敵対怪異)】
河童 ( 464)余命:― 倫理:― 幸福:中
件 (????)余命:? 倫理:? 幸福:?
鸚鵡返し(????)余命:? 倫理:? 幸福:?
鴉天狗 (????)余命:? 倫理:? 幸福:?
氷室は腕を組む。
「当然、優先順位は決まっている」
「はい」
白鳥は迷わず答えた。
「我々を監視している、鴉天狗です」
キーボードを叩く音が響く。
追加の資料を開いている。
氷室は静かにサングラスを外した。
「昨日から探している」
視界いっぱいへ、因果の光が広がる。
壁を透かし。
床を透かし。
隣のビルまで見渡す。
それでも。
不自然に見えるのは、福止屋へ宿る二つの光だけ。
座敷童。
貧乏神。
「……通常の知覚範囲。感覚だが、半径百四十メートル程度には、やはり見当たらない」
白鳥は画面を見つめたまま口を開く。
「参考になるかは分かりませんが。鴉の視力は、人間のおよそ五倍と言われています」
「……向こうは、こちらを見ている、か」
白鳥が静かに続ける。
「こちらからは、見えない距離でも。可能性ですが」
社長室に沈黙が落ちた。
氷室は目を閉じる。
「……五倍か」
小さく呟く。
全神経を、眼へ集める。
本気。
ゆっくりと瞼を開いた。
世界から光の揺らぎが消える。
白。
ただ。
果てしなく白い空間に、無数の黒い因果の隙間だけが浮かんでいた。
両目の奥が、焼けるように痛む。
近くの因果が幾重にも重なり合い、その向こう側を塗り潰していく。
数秒。
氷室は静かに目を閉じ、背もたれへ身体を預けた。
「……駄目だ」
目元を軽く押さえる。
「限界より先を見ようとすると、近くの因果が邪魔をする」
しばらく痛みが引くのを待つ。
白鳥がキーボードを叩きながら口を開いた。
「伝承では、鴉天狗は空を飛び、剣術に長け、人や動物へ姿を変えるとされています」
「あくまで伝承だろう?」
氷室は苦笑する。
「橋本なんて、座敷童と言い張っているが、見た目だけなら中年のおっさんだぞ」
「見た目以外は、概ね伝承通りとも言えます」
白鳥は淡々と返す。
「あるいは、個体差でしょう」
「はは」
氷室は笑う。
「座敷親父か。それはそれで面白い」
短い笑いが消える。
白鳥は画面を見つめたまま続けた。
「福止市は約二十平方キロメートル。人口は約三十万人」
「……その中から怪異を偶然見つける可能性は、限りなく低いでしょう」
再び沈黙。
氷室は腕を組む。
「……さあ」
静かな声だった。
「どう捕まえるかね」
白鳥は福止市の地図を画面いっぱいに表示した。
街を荒らす件。
人の心を喰らう鸚鵡返し。
監視する鴉天狗。
怪異だけではない。
街には、正体不明の切り裂き魔までいる。
社長室に、静かな緊張が満ちていく。
怪異を追うための思考が、ゆっくりと動き始めた。
鴉天狗。
奴は監視している。
人にも。
動物にも。
姿を変えられる可能性がある。
なら。
どうすれば捕まえられる。
どうすれば、一番嫌がる。
逆を付け。
思考が一本の線で繋がった。
(……そうか)
口元がわずかに緩む。
(徹底的に、監視させればいい)
氷室は顔を上げた。
白鳥はまだ資料へ目を落としている。
指だけが、一定の速さでキーボードを叩いていた。
「……まだかかるか」
「……もう少々、お待ちください」
氷室は椅子の背へゆったりと身を預ける。
机の上を手探りで探る。
珈琲カップを見つけると、一口だけ含んだ。
静寂。
やがて。
キーボードの音が止まる。
「お待たせしました」
白鳥が顔を上げる。
その声には、確かな手応えがあった。
氷室は小さく笑う。
「試してみるか」
「はい」
「同時に言おう」
「分かりました」
一拍。
二人の呼吸が重なる。
「方法は――」




