化け物
都内、某所。
ペタ。
ペタ。
ペタ、ペタ。
湿った足音だけが、夜道へ響く。
――チョッ。
チョッ。
細く長い首が揺れる。
青白い鳥の異形が、ゆっくり歩いていた。
向かいから、笑い声が聞こえる。
「なあ、『感情がうるさいと喰われる』ってやつ、あれ、マジで出るらしい」
男が吹き出す。
「ええ、お前、なに? 都市伝説とか信じる系?」
異形が止まる。
首だけが、ゆっくり傾く。
右の男を見る。
『と……』
沈黙。
『都市』
もう一度、首が傾く。
『伝説?』
「えっ……」
左の男を見る。
「お前さぁ、じゃあ試してみる?」
両手を広げる。
「おーい! 化け物ー! いるなら出てこ――」
突然。
男の声が止まった。
身体が、浮く。
両腕が力なく垂れ下がる。
瞳が白く反転した。
異形の嘴に、黒い靄が吸い込まれていく。
喉が、ごくり、と鳴る。
男の身体から、最後の靄が消えた。
――どさり。
力を失った身体が、その場へ崩れ落ちる。
呼吸はある。
胸も上下している。
だが。
その瞳は、もう何も映していなかった。
残った男たちの笑顔が消えた。
「お、おい……」
返事はない。
鳥の異形が、ゆっくりと顔を寄せた。
『化け物』
『出てこ』
首が傾く。
腰が抜ける。
夜道には、自分たちの荒い息だけが響いていた。
転がり落ちたスマートフォン。
表示された、都市伝説のまとめ。
生存方法――『感情』を表に出さないこと。
男は唾を飲み込む。
呼吸を殺す。
夜が静まり返る。
――チョッ。
チョッ。
背後の気配。
ペタ。
ペタ。
男が、横へ移る。
回り込まれた。
今、目の前に居る。
――チョッ。
静寂。
『……ンッ!』
真正面。
何もない空間から、聞いたことのない声が響いた。
ペタ。
ペタ。
足音は、興味を失ったように去っていく。
男は力なく座り込んだ。
深夜三時。
福止市の繁華街。
その路地裏。
ペタ。
ペタ。
濡れた素足が、アスファルトを踏む音だけが近づいてくる。
男はスマートフォンを相手の顔へ突きつけた。
「これ、何だよ。」
画面には一枚の写真。
深夜に密会する男女の姿。
「なんでお前とミカの写真が、裏アカに流れてんだ」
もう一人の男は、鼻で笑う。
「……だる。顔が良かったから、遊んでただけ」
「……テメェ」
『テメェ』
低く、ひび割れた声が、路地裏の壁に反響した。
二人の動きが止まる。
「……え?」
ペタ。
ペタ。
『裏アカに』
『流れてんの』
まるで。
死んだ人間の喉を無理やり震わせたような、ひび割れた声。
――チョッ。
チョッ。
二人はゆっくりと、振り向いた。
そこに、いた。
青白い、鳥の形をした異形。
長い首が、あり得ない角度に捻じれている。
濁った眼球が、じっと二人を捉えていた。
「……マジか」
男の喉が、引き攣った音を立てる。
「これ……、オウム返し」
二人とも動かない。
叫ばない。
息だけを殺す。
ペタ。
ペタ。
ペタ。
異形は二人の前で止まる。
長い首が、伸びる。
覗き込む、二人の表情。
――チョッ。
チョッ。
ぐるり。
異形の首が、音を立てて回転した。
目を伏せる。
静寂。
湿った吐息が、首元に纏わりつく。
『……ンッ!』
足音だけが、ゆっくり遠ざかっていった。
どさりと、二人の膝が同時に砕ける。
アスファルトに手をつく。
むせ返るように酸素を求めた。
震える指先で、液晶画面を叩く。
流れて来たのは、SNSの投稿。
――オウム返しって、知ってる?
夜の都内。
「ペタ、ペタ」って素足の足音が後ろから聞こえるって噂。
もし、自分の声を真似されたら。
絶対に驚いたり怖がったりしてはいけない。
『感情』を表に出しちゃダメ。
心を喰われるらしい。
二度と目が覚めない。
自分の声を「鸚鵡返し」されたら焦らない。
明日は我が身。
長い沈黙。
男が乾いた唇を舐める。
「……やば。マジじゃん。……普通に、居るじゃん」
もう一人は何も答えない。
二人は足早に駅へ向かった。
背後を振り返ることだけは、最後まで出来なかった。




