まともな人間
「……また『切り裂き魔』か」
倉持は苦々しく顎をさすった。
「相変わらず綺麗にやりやがる」
高架下。
黄色い規制線の向こうでは、救急隊員が男をストレッチャーへ乗せていた。
呼吸はある。
脈もある。
これで四件目。
倉持はしゃがみ込み、男の右腕へ目を落とした。
切られているのは、正中皮静脈付近。
四件すべて、同じ場所だった。
鑑識員がタブレットを差し出す。
「傷口を確認しました。刃筋、侵入角度、深さ、すべて一致しています」
倉持は無言で写真を送る。
「模倣犯の可能性は低いでしょう」
どの被害者も、傷は一つだけ。
深さまで寸分違わない。
壁際では、陣内が身体を折るようにして飛沫血痕を見つめていた。
「陣内」
倉持が声を掛ける。
「見立ては変わるか」
「変わりません」
陣内は立ち上がる。
「犯人は右利き。身長は175センチ前後、平均的な体格」
膝の砂埃を払っている。
「――そして、刃物の扱いに極めて慣れています」
タブレットを拡大する。
「初犯から、この精度です。普通の人間ではありません」
一枚ずつ写真を送る。
「医療関係者。あるいは、日常的に刃物を扱う仕事。それも違うなら」
一拍置く。
「慣れてます。人を切ることに」
倉持は腕を組む。
「でも、殺してねえ」
「はい」
陣内も頷いた。
「殺すつもりなら、もっと致命的な場所はいくらでもあります」
「なのに、毎回この場所だけを切る」
「失血死する傷でもありません。……目的が見えません」
倉持は手帳を開く。
市内地図へ四つの印を結ぶ。
一件目。
オフィス街の裏路地。
二件目。
新興住宅街の公園。
三件目。
駅前ロータリーの死角。
そして。
今回の高架下。
生活圏に共通点はない。
被害者同士の接点もない。
犯行時間もばらばら。
それでも。
犯人だけは、ぶれない。
倉持は地図を見つめたまま呟く。
「殺す気はない」
手帳を閉じる。
「……何が目的なんだ」
倉持は地図を睨んだ。
「被害者も年齢も職業もバラバラ、無差別なら、一番厄介だ」
捜査本部をさらに苛立たせているのは、別の問題だった。
犯人の痕跡が、何一つ出ない。
「聞き込みは空振りです、周辺の防犯カメラも決定打なし」
倉持は高架下を見回す。
「現場から採取された指紋は、浮浪者や通行人のものだけでした」
地面は柔らかい。
本来なら、靴跡が残りやすい場所だ。
それなのに。
犯人のものと思われる足跡は見つからない。
「……何も残ってねぇ」
倉持は小さく呟く。
「持ち去らない。持ち込まない。幽霊じゃあるまいし」
陣内が悔しそうに唇を噛む。
「どこかで必ず、尻尾を出します」
「ああ」
倉持は笑う。
口元だけ。
目は笑っていなかった。
「本部へ戻る。前歴者リスト、もう一回洗い直すぞ」
「はい」
二人は規制線をくぐる。
歩きながら、倉持が口を開いた。
「……勘だがな」
陣内が顔を向ける。
「このホシ。二つの顔を持ってる気がする」
「二つ、ですか」
「ああ」
倉持は手帳をコートの内側に押し込んだ。
「仕事の顔。それとは別の顔。犯行場所がこんなに散るなら、生活そのものも二重なんじゃねぇか」
陣内は黙って地図を見つめる。
「……家庭。あるいは職場。どちらかは、まともな人間かもしれません」
倉持は鼻で笑った。
「まともだから厄介なんだ」
覆面パトカーの前まで来る。
陣内が運転席へ急ぐ。
ゴン。
「あだっ……」
額を押さえてうずくまる。
倉持は思わず吹き出した。
「何回やってる」
陣内は照れくさそうに頭をかく。
「すみません……」
車へ乗り込む。
ズシンと、陣内の体重で傾く。
エンジンが唸る。
「行くぞ」
「はい」
グレーのセダンは静かに現場を離れた。




