バレるな
言得洲企画、役員室。
沈む、重厚な革張りソファ。
二つの影が、テーブルを挟んで対峙する。
「福止屋の白鳥です。本日はお時間をいただき、感謝いたします。江藤常務」
差し出される名刺。
江藤の眼光が、品定めするように白鳥を這う。
丁度いい年ごろの女。
完全に舐めきった、濁った視線。
「福止屋さんのほうから声がかかるとはね、うちのは手強いでしょうから、横の繋がりには大賛成だよ」
白鳥の唇が、微かに微笑の形を結ぶ。
テーブルに置かれる、スマートフォン。
液晶が灯る。
『15:00』
15分のカウントダウンが、機械的に開始された。
「ん? なんだ、これは」
「お気になさらず。本日は、江藤常務の『プライベート』に関するご相談です」
江藤が背もたれに身体を預ける。
にちゃり、と。
濡れた舌が唇を舐めた。
「ほお? 面白そうじゃないか、白鳥さん」
白鳥の手が、タブレットを静かに滑らせる。
「気に入っていただければ、幸いです」
画面に映る、夜の都心。
高級マンションの闇に吸い込まれる、男女の背。
男は、江藤。
寄り添うのは、自社コンペで引き上げた新進気鋭のデザイナー。
江藤の顔から、醜悪な期待が消えた。
「……下らん強請りなら、今のうちに引くんだな」
白鳥の微笑が、暗く変質する。
「このデザイナー、実に有能です。最近、個人のペーパーカンパニーを設立されたようで」
江藤の瞳が、値踏みするように白鳥を射抜く。
「実態のない、ただの箱。そこへ、江藤常務、あなたが決裁した案件から資金が流れ込んでいる」
「……それで? 忠告しておく。拳は振り上げるより、下ろすほうが大変だぞ。おい、小娘、分かっているんだろうな?」
江藤の低い、威圧する声。
白鳥は、静かに次の画像を開いた。
『ミカちゃんお疲れ様。今月分、口座に入れておきました。』
『パパありがとう~ ちょうど今月の引き落とし不安だったから本当に助かった! ……次いつ会える? 早く会いたいな』
添付された自撮り写真。
「買い物はほどほどにね(苦笑)一気に動かしちゃ駄目だよ。税務署に目つけられやすいから、本当に気をつけて。』
江藤の顔から、余裕が消え失せた。
白鳥の口元が、じりじりと吊り上がる。
福止静子さえ欺いた、真っ黒な狂気の笑み。
ニヤニヤとした白鳥の視線が、男の呼吸を奪う。
容赦のないクリック。
カチ。
デザイナーの裏垢、流出元。
カチ。
無修正の取引明細、弁解不可。
カチ。
海外口座の記録、詰み。
コマ送りのように崩壊していく態度。
侮りは、霧散した。
「……わかった。何が欲しい」
白鳥は江藤のデスクの上、1台のノートパソコンを冷酷に指差した。
「江藤常務。何も言わず、今日だけ、その端末を貸して頂けませんか。パスワードを解除した状態で、私に引き渡してください」
江藤は拳を固く握りしめる。
悩み始めている。
カチ。
冷徹なメール送信画面。
宛先:言得洲 悠玄
添付:江藤常務の横領記録
「分かったッ! 分かったから、止めろ……!」
精神の屈服。
「言得洲」の3文字を見つめる江藤の瞳が、恐怖で血走っていく。
――残り、9分43秒。
(横領が言得洲にバレた瞬間を、骨の髄まで恐れているのね。時間で脅す必要すら無かった)
そう確信した、刹那。
「裏切り」の意思を選択した対価が、強制執行される。
江藤の肉体が、不気味に駆動した。
キーボードではなく、自らの首へと向かい、狂暴に締め上げる。
ギチ、ギチギチッ。
「なッ!? た、すッ……げッ」
「まさか――ッ」
白鳥がすぐさま飛び掛かる。
馬乗りになり、その狂った腕をもぎ取ろうとする。
だが、肉体の限界を超えた因果の力。
抗えない、男の怪力。
眼前、常務の唇が、見る間にどす黒く変色していく。
口端から溢れる、生白い泡。
やがて、完全な静止。
白鳥の指先が、初めて細かく震えた。
「申し訳ございません、社長」
呼吸を殺し、冷徹を取り戻す。
「――江藤常務が、自殺しました」
『端末は?』
「回収できませんでした」
目の前の、死んだ肉塊。
『それくらいなら想定内だ。白鳥、ここからが本番だ』
「はい」
『警察が突入するまで、死体を隠せ。バレるな』
「かしこまりました」
白鳥は、重い肉の塊を、静かに引き摺り始めた。




