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4/22

時速120km


(……は?)


開く、エレベーターの鉄の扉。


「ちょっと遅れたから、並びますよ! いいんですか!?」


無邪気に笑う遠藤。


だが、氷室の脳裏には、あの一家惨殺の血飛沫がフラッシュバックしていた。


世界は嘘をつかない。


遠藤は今日、確実に死ぬ。


「あれ、氷室先輩?」


運命は、少しだけなら捻じ曲げられる。


あのカッターナイフのように。


(ふざけるな、変えてやる)


氷室は手招きをした。


「遠藤、今から帰る。午後休を取る。私の言うことを聞いて」


「えっ、どうしたんですか、先輩……」


困惑、そして微かな期待の混ざった瞳。


庶務課へ引き返し、デスクの私物を強引にバッグへ押し込む。


「……氷室さん? 遠藤さん? 何してるの?」


不信そうな白鳥の声が割り込む。


「体調不良で、午後休をいただきます」


バチン、とPCの主電源を落とした。


「はい? 体調不良は仕方ないことだから分かりました。けど、もっと早く言ってくれないと──」


振り返る。


網膜に、冷酷な光が走る。




白鳥 美砂(33)余命:4日




(この女もか──いや、今は遠藤だ)


「二人とも帰宅します」


「二人とも? 流石にそれは……。氷室さん? 何を考えてるの? 契約問題になりますよ、何かあるなら、ちゃんと説明を――」


「失礼します」


一刻も早く、このオフィスから去る。


世界の悪意から、遠藤を引き剥がす。


「せ、先輩、あの……」


怯えて首をすくめる後輩。


「いいから、来なさい」




会社と社宅の中間。


あの弁当屋の反対側、コンビニエンスストア。


「家に着いたら説明する。今はついてきて」


「わ、わかりました」


遠藤に泊まりの品を買い込ませる。


食料、衣類、衛生用品。


カゴに放り込まれる生活の痕跡。


世界は、必ず殺しにくる。


あの地獄のやり口なら、もう知っている。


手早く会計を済ませる。


(……くだらない不運など、絶対に認めない)


「先輩、いつもより怖い顔してますよ……」


答えない。


氷室の社宅。


アパート一階、1LDK。


鉄の扉を閉め、鍵をかける。


ようやく、肺の空気を吐き出した。


「遠藤、一回だけ私を信じて」


「はい、信じます!」


「今日、遠藤が死ぬのが見える」


遠藤が首を傾げる。


だが、氷室の網膜を覗き込み、表情を硬くした。


「……え。でも先輩、それ、本気の目ですね」


「ここで一日だけ過ごす。会社の責任は私が取る。いい?」


「わかりました!」


氷室はガムテープを引き剥がした。


鋭い破裂音が室内に響く。


不要な家電のプラグをすべて抜く。


キッチンの扉を、執拗に目張りしていく。


刃物、尖った角、通電する回路。


たった一つの破片が、因果の引き金になる。


最悪の芽を、一本ずつ、徹底的に間引く。


「……私、頭がおかしいでしょ」


「遠藤は、氷室先輩を信じます」


真っ直ぐな視線。


「……そう」


時計を見る。


12時47分。


タイムリミットまで、あと11時間と少し。


緊張を紛らわせるため、リモコンを押す。


画面に映る、未解決事件の考察動画。


「先輩、やっぱり、そっち系なんですね……」


「違う──」


言いかけた、その瞬間。


視界が、真っ白に弾けた。


「え――」


鼓膜を突き破る、金属の悲鳴。


心臓が、恐怖で凍りつく。


遅れて、突風。


遠藤の肌を襲う、無数の刺突。


全損した窓ガラスが、キラキラと、残酷なほど美しく乱反射しながら肉体を切り裂いていく。


迫る、巨大な影。


光を遮り、浴室の壁を紙細工のように爆砕して突き進んだ。


それは、圧倒的な、鉄の質量。


逃げられない。


思考すら追いつかない速度で。


世界は遠藤の、すべてを、圧殺しに来た。




◇ ◇ ◇




騒がしい男の声。


氷室の思考が漸く、周囲への関心を始める。


眼は取調室の冷たい床を見つめていた。


「――話せ、氷室ッ! お前は何を知っているッ!」


鼓膜を震わせる、倉持の怒号。


だが、その熱量が酷く遠い。


どうでもいい。


視線の先、壁掛けのテレビ。


『本日午後12時すぎ、乗用車が横転。道路脇のマンション一階に突っ込みました』


防げなかった。


『運転していた真壁大翔さん(29)、同乗していた真壁里香さん(29)、室内にいた遠藤葵さん(22)が巻き込まれ、その場で死亡が確認されました』


「ああ、遠藤。……ごめん」


「まるで、最初から知っていた口ぶりだな」


倉持の目が、ぎらりと不気味に光る。


――あの時。


部屋に刃物はなかった。


最悪の芽はすべて摘み取ったはずだ。


なのに、なぜ車が突っ込んできた。


違う、そこじゃない。


(なぜ、私は生きている?)


『交差点で乗用車が曲がりきれずに横転』


脳の回路が、高速で因果を編み上げる。


運転手と遠藤。


彼らは「今日死ぬ運命」を背負って居たとしたら。


(私は、違った?)


だから、部屋ごと蹂躙されても生き残った。


もし、交差点で死ぬはずだった遠藤を、無理やり部屋に閉じ込めたなら。


(世界は、辻褄を合わせにくる?)


遠藤の交通事故を起こすためだけに、時速120キロの鉄の塊を、交差点から部屋まで引き寄せた可能性。


世界は、絶対に獲物を逃がさない。


悍ましいほどの、論理の整合性。


倉持がさらに距離を詰める。


歪む顔。


「――うるさいッ!!」


左手を掲げる。


(……このクソみたいな因果、今度こそ叩き潰す)


世界が、拒絶の音を立てて反転を始めた。


視界が、灰の濁流と化す。


景色が強制的に再構築される。


「先輩、やっぱり、そっち系なんですね……」


遠藤の言葉の途中で、氷室は真っ直ぐに窓の向こうを睨み据えた。


来る。


知っている。


遠藤の言葉が、突如として爆音にかき消された。


直撃。


凄まじい風圧。


突っ込んでくる、歪んだ鉄の塊。


だが、氷室の身体には、爆散したコンクリートの一片すら掠りもしない。


「そう。私がタワマンに住んでたら、どうするの?」


氷室の唇から、乾いた笑いが零れ落ちる。


浮かび上がる、玩具にされた運命。




【運命の改竄】


――どの運命を救う?


品目

大型案件の新規受注(新東邦物産)


決済種別

交通事故(真壁)


内訳

真壁 大翔(29) 余命:45年 倫理:高 幸福:中

真壁 里香(29) 余命:56年 倫理:高 幸福:高

真壁 ――(-1) 余命:―年 倫理:― 幸福:―

遠藤 葵 (22) 余命:69年 倫理:高 幸福:中




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