ゼロデイ
暗闇。
『!! ありがとうございます!(今日ちょっと駅前に新しく出来たラーメン屋さんの気分なんですけど、どうですか……!!)』
グリ、グリ。
「あ~、惜しかったんだ~。アオイちゃんは、麺類が好きだよね~」
『わかった』
「ユイかあ。ユイちゃんかなあ……」
年齢。住所。年収。
冷徹な文字列に還元された、個人のすべて。
「ん~、ユイはちょっとプライドが高いんだよね」
うんうん、と頷く。
ポテトチップスを口へ放り込む。
湿った咀嚼音。
クリックと咀嚼。
ボリッ、カタッ
そのタイミングを合わせる。
ボリッ、カタッ
モニターの中の顔写真を弄ぶ。
「ごめん~、推せないんだ~。ユイはちょっとな~」
油塗れの指先。
ポテトチップスが喉を下る。
『やった! 一人だと入れなかったので嬉しいです! 遠藤、行ってきます!!』
グリ、グリ。
隣の端末。
──白鳥美砂(33)庶務課 役員付 係長。
「ババアだね~、しばらく見てないんだ~」
遡るログ。
『氷室さん。遠藤さんの仕事のスピードが遅いと考えています。契約更新を検討していますので、所感を頂けますか』
「うわ、コイツ、本当に性格悪い。アオイちゃんは頑張ってるのに……何でこんなこと言えるんだろ。キモッ……」
白鳥の端末を表示する。
リアルタイムで映し出される、他人の領域。
正社員のみに許された、秘匿された商談管理情報。
検索──『言得洲企画』。
「大型継続案件だねえ~」
開かれる、今後の受注見込み。
「ユイあれかな? これで稼ごうとしてるのかな~。……やっぱり推せない。ユイはダメだなあ~」
通知音。
「ん?」
情報システム部所属。
橋本悠陽は、新着の申請書に目を通すと、震えた。
「あ、あ、クソババア、だめッ! アオイちゃんだめッ!」
抗議する。
◇ ◇ ◇
氷室のスマートフォンのレンズ。
機密データを冷酷に切り取る。
カシャ、カシャ。
言得洲企画。
次の大型継続案件、受注は今日。
(今日、何かが起きる。これで分かる)
白鳥のデスクを離れ、日常の泥沼へと戻る。
珈琲メーカーの清掃時間。
思考は停止していても、指先は機械的に動く。
何度も繰り返した、無意味な労働。
「派遣さんが来てから、珈琲が美味しくなった気がする」
「ちょっと、その言い方、やめなよ……」
背後の女性社員達。
今なら、その寿命さえ覗き見れそうな気分だった。
清掃を終える。
「お待たせしま――」
日向 渚(24) 余命:59年
沢渡 澪(24) 余命:56年
「……し、失礼します」
眩暈を堪え、這い出るように営業フロアへ向かう。
「あ、派遣さん。ごめん! まだあってさ……、いい? 今日が期限なのは知ってるんだけど、静子社長同席の商談が入っちゃって、ごめんね……」
押し付けられる領収書。
視線を紙から、男の顔面へと這い上がらせる。
伊藤 博志(27)余命:29年
「はい、大丈夫です」
氷室は沸き上がる感情を押し殺すと、会釈した。
12時6分。
庶務課の扉を開いた。
(……見える。これは、何だ)
扉が閉まる。
「先輩」
振り返ると、遠藤の顔が、暗く沈んでいる。
「ランチ、楽しみにしてたんじゃないの?」
「そうなんですけど、こうでして……」
指差すモニター。
男性社員からの、粘つく個人チャット。
食事の誘い。
波風を立てまいと、泥沼のような言い訳が入力欄に並んでいる。
『お疲れ様です!わざわざお誘いいただきありがとうございます! せっかくお声がけいただいたのですが、最近プライベートも含めてバタバタ――』
一瞥。
無駄な躊躇。
氷室の手がキーボードへ伸び、一気に全削除。
「時間をかけるだけ、無駄」
カタカタ、と冷淡な打鍵音。
最短ルートの拒絶を叩き込む。
『お疲れ様です。仕事とプライベートは分けたいタイプですので、個別での食事はご遠慮させてください。失礼します』
「早く行こう」
「はい!!」
弾かれたように笑顔を取り戻し、庶務の扉を開ける後輩。
エレベーターへと小走りで向かう、その無防備な背中。
ふと、視線を凝らした。
ほんの、軽い悪趣味のつもりだった。
遠藤 葵(22)余命:0日
世界が、急速に凍りつく。
すでに最終執行の段階に入っていた。




