言得洲(いえず)企画 株式会社
氷室は手早く、朝の支度を済ませる。
思考を殺した、ただのルーティン。
全身を伝うのは、因果の光る糸。
それは流れるように、廊下の闇へと延伸していく。
もうそれ以外には、何もない。
光の導線に、身を委ねる。
手の甲が、ドアに衝突した。
鈍い痛み。
だが、足は止まらない。
指を這わせてドアノブを見つけると、扉を開く。
「おはようございます、社長」
「おはよう、白鳥」
強く光る白鳥の因果。
表情までくっきりと視認できた。
氷室は白鳥の背を追い、社用車に乗り込んだ。
あれから、一週間。
会社はすでに、二人の絶対的な支配下にあった。
白鳥が『福止静子』という偽りの殻を被り、株主名簿を改竄した。
間髪入れず、氷室への全権委任を社内に通達した。
社員たちの間に走る、不信。
だが、氷室の眼にそんな物は映らない。
次なる布石は、取引先。
そして今日、ついに主要取引先への挨拶が始まる。
重苦しい社長室。
白鳥が、冷徹に読み上げる。
言得洲企画 株式会社
設立日 :1727年3月15日
代表取締役:言得洲 悠玄
事業内容 :ブランド、マーケティング戦略に関するコンサルティング業務
「先方は静子が死亡していることは想定済みだろうな。何をしてくる?」
「見定め、です。この一週間の沈黙。現段階で牙は剥いていません」
妨害はない。
不気味なほどの、無。
「まあそうだろうな、こちらも見定めだ」
「時間です。向かいましょう」
「ああ」
重い吸音ドアが閉まる。
二人の靴音が、冷え切った廊下を刻み始めた。
言得洲企画のロビー。
受付を済ませ、エレベーターに滑り込む。
地上23階、閉ざされた会議室。
氷室と白鳥は静かに、その時を待っていた。
「お待たせしました」
重い扉が音もなく開き、二人の人物が入ってくる。
氷室の瞳が、その二人を冷徹に視る。
視界に浮かび上がる、歪な因果の数字。
言得洲 悠玄 (37)余命 40年
貧乏神 (1802)余命:―
(……いきなりか、隠す気も無いの)
「言得洲企画の、言得洲です。この度は、福止屋さんの新社長就任、心よりお祝い申し上げます」
友好的な声。
だが、その奥に潜む底知れない質量。
言得洲はその巨躯に似合わず、淀みのなく何かを差し出してきた。
(ああ、名刺か……)
名刺交換の瞬間。
氷室は指先の感覚だけで、違和感なく名刺を交換する。
「お初にお目にかかります。福止屋の氷室結衣と申します」
視界の隅、ドアの前に佇む枯れ木のような光の束。
長髪の女。
異常な高身長。
――貧乏神。
一切の生命活動を感じさせない、不気味な無音。
「――どうぞ、お掛けください」
言得洲が促す。
秘書が静かに珈琲カップを置くと、逃げるように退室した。
「300年続く福止屋の暖簾を、まさかこれほどお若い方が引き継がれるとは。静子社長からの、突然のご指名だったのですか?」
「はい、前社長には目をかけていただいておりまして。微力ながら、伝統を守る所存です」
「そうですか、氷室さん」
言得洲が珈琲を啜る。
「――お前、殺っただろ?」
笑顔の裏から、剝き出しの悪意が突き刺さる。
「だとしたら、どうするつもりですか?」
氷室の瞳が、真っ直ぐに敵を射抜いた。
「氷室。お前、伝統を守りたい、そう言ったよな」
言得洲が一枚の紙を取り出した。
机上に晒された、異様な価格表。
白鳥が驚きを完全に押し殺し、淡々と読み上げる。
価格表
品名:傷害事件(慶事用 高級和菓子)
表定単価:¥ 3,500,000
職人支払:¥ 150,000
品名:殺人事件(特製飾皿)
表定単価:¥12,000,000
職人支払:¥ 150,000
(……コイツは後で始末するとして、まだ他にも居るのか?)
目の前の男は、値踏みするようにこちらの反応を待っている。
「はい、存じております。可能です」
視界は閉ざされていても、光る糸で形状は分かる。
男がどれほど汚悪な表情を浮かべているか。
「言得洲社長、教えて下さい。購入された品物は、どのようになされているのですか?」
言得洲が満足そうに頷く。
そして、あの枯れ木を指さした。
だらしなく垂れ下がった長い髪。
その隙間から、濁った白い瞳がじっとこちらを凝視している。
「当家は代々、あれに憑りつかれていてね。放っておけば不幸になる。だから定期的に御社から『幸福』を――この街に住む人間の幸福を買い取っている」
(……虫唾が走るな)
「貧乏神も人を自殺させる。便利だが、家まで不幸に引き摺り込もうとする。……お宅の座敷童が羨ましいよ」
男の視線が、忌々しげに背後を刺す。
枯れ木は一切の反応を示さない。
「弊社以外の怪異は、ご存知ですか?」
言得洲の顔から、人間らしい歪みが消える。
冷酷な捕食者の相。
視線が、氷室の急所を抉るように値踏みしている。
「……現代で怪異を飼い慣らす狂人は、そういないらしい。私は知らない。だが、そこらに蠢いているだろうな」
(確定。この街の惨劇は、コイツと静子の二人だ)
「さて、氷室さん。本題だ。静子の死で、納品が遅延している。次の『殺人事件』、明日の10時までに確実に執行してくれ」
「かしこまりました。引き継ぎの不手際です。社に戻ったら至急手配をします」
「今後とも是非、ビジネスパートナーとして緊密な関係を維持していこう」
「はい、ありがとうございます」
(帰社したら、お前を殺す)
氷室と白鳥は、深く頭を下げた。




